(4-3)

3.

「あら。帰ってくるなら連絡でも入れてくれれば」

「すまない。連絡を入れても急遽予定が変わって帰れないことばかりだったか

ら、ギリギリまで連絡は入れられなかったんだ」

 ライマンは手品のようにドアを通って自宅玄関に現れた。驚かせてやろうと

タイミングを見計らっていたが、勘のいい妻には当たり前のように気づかれて

しまい、苦笑いを浮かべながら頭を掻くほかなかった。

 彼もまた主な職場は地下か原潜だが、家族は普通の市民として地上に暮らし

ている。家に帰るのは実に数年ぶりだ。妻・ヒラリーとの久しぶりの抱擁にラ

イマンはほっと息をついた。

「痩せたか?」

「あなたこそ」

 新タイフーン級の存在にいち早く気づいた功績などにより、ライマンは情報

担当副長官にまで昇進した。その結果、戦争と重なったこともあり彼はさらな

る多忙に追われることになる。切迫する状況の中では休む暇など寸分もない。

それでも彼は献身的に仕事に励んでいたが、彼もまた一人の人間に過ぎない。

いつしか強いストレスに悩まされ、精神科を受診するようになっていた。

 ライマンほどの役職の人間が地上へ出ることには危険が伴う。暗殺、あるい

は尾行されドアの入口を押さえられるおそれがある。そのことはライマンもよ

く知っている。しかし、家族にも会えない缶詰のような生活を数年も続けては

精神が保たない。ライマンほどの有能な人材をノイローゼで潰すわけにもいか

ない。かといって、家族ぐるみで匿えるほどの余裕はない。この微妙な天秤に

かけられた結果、仕事に一区切りがついたのを機会に半ば強制的に休暇を与え

られた形になる。ライマンは最後まで拒んでいたが、やはり自宅の安らぎに優

るものはない。今では長官への感謝の気持ちで溢れていた。

「もう遅いけれど、お食事は?」

「ああ。なにか簡単なものを頼むよ」

「困ったわね。せっかくだからご馳走にしたいのだけど、準備がないわ」

「別にありあわせのものでいいよ。手料理というだけで満足だ」

「他にお客さんも来ているようだけど」

「護衛としてついてきている私の友人だ。そうだな、彼らにもなにか頼む」

「中へ案内してはダメなの?」

「それが彼らの仕事だからな」

 久しぶりの我が家でソファに腰をかけ、暖炉の前でゆったりとくつろぐ。地

下での生活が長く季節感は失われて久しい。今は冬だったのかとしみじみ思

う。テーブルには新聞が目についた。内容は戦闘の状況や敵国の攻撃につい

て。地方欄を見ても物資の不足による治安の悪さが際立っている。食糧の買い

だめを控えるよう注意を促す記事もあった。当然ながら、どこを読んでも戦争

に関する記事ばかり、すなわち仕事に関わるものばかりだ。

 今は仕事のことは忘れよう。ライマンは新聞を戻し、再びソファに体重を預

けた。

「パパ、おかえり!」

 もう夜も遅いというのに、父の帰宅に気づいた娘が二階からライマンの元に

駆け寄ってきた。階段で転びやしないかと危なっかしい。抱き上げ、頬にキス

をする。「おいおい、もう夜も遅いぞ。よい子は寝るんだ」そういいつつも笑

みがこぼれる。頭を撫でて気づいたが、背もだいぶ伸びている。ライマンは娘

を膝の上に座らせた。小学校に入学したこと。新しい友達のこと。数年も溜め

込んでいた娘との会話は大いに弾んだ。

 だが、それも突如の闇に中断する。

「また停電だわ……」

「くそ! 敵の戦略攻撃か。せっかくの休暇を」

 ドア戦争の影響は一般市民にも及んでいた。ドアが戦略攻撃の敷居を下げた

からだ。軍事基地のみならず経済中枢への攻撃。あるいは、電線や水道管など

のインフラへの攻撃。地下を通るそれらを、ドアを使えば秘密裏に破壊でき

る。そのうえ証拠は出ないのだから公式には「攻撃などしていない」としらを

切ることすらできる。この停電もそうした攻撃の一環に違いない。

「パパ……」突然の暗闇に娘は不安げな声を上げた。

「大丈夫。今日はもうおやすみ」ライマンは穏やかな声で娘の頭を撫で、寝室

へ送って彼女を寝かしつけた。

 リビングへ戻ると、ヒラリーは慣れた手つきで非常灯をつけ、ラジオに耳を

傾けていた。ラジオでは停電の規模と復旧の見込みについてが淡々と報じられ

ていた。

「また、といったな。やはり停電は頻繁に起こるのか?」

「そうね。今月に入ってからもう三回目になるわ」

「話には聞いていたが、そんなにひどいのか……」

「でも、ちょっとよくわからないのよ。敵の攻撃とはいうけれど……」

「どういうことだ?」

「ドアによる攻撃というのがいまいちピンと来なくて。敵への憎悪を煽るため

に米国がやってることだって噂もあるわ」

「馬鹿な」

 ドア攻撃のさらに厄介な点は、爆撃と違って明確な敵意が見えないことだ。

そのうえ、首脳部や軍がまとめて原潜や地下に引きこもっているため報道管制

も行き届いていない。そのため「米国の自作自演」などというような根も葉も

ないデマとの複合技が効果を発揮するのだ。

 デマの発信源はおそらくドアによって米国に侵入した敵国のスパイだろう。

一般市民である妻が混乱するのも無理はない。ライマンは冷静に言葉を選んで

妻の説得を試みた。

「ドアのことは知っているだろう? 今の戦争は各国がドアを兵器としてフル

に活用している。そのせいで、確かに敵の攻撃という証拠は出ない。だが、米

国が自国民を攻撃するなんてことは断じてない」

「本当に? 仕事上話せないこともあるんでしょ?」

「本当だ。考えてもみろ。本当にそんな作戦を実行するなら、もっと実害のな

い目標を選ぶ。それでも発覚した場合には不要なリスクを背負うことになる。

それに、敵への憎悪を煽るためなら、自分でわざわざ攻撃などしなくとも敵が

やるんだ。それに便乗して宣伝すればいいだけじゃないか」

「そうね。ごめんなさい。いちいち確認するまでのこともないとは思っていた

のだけれど、情報が錯綜しすぎていてなにを信じていいのかわからなくて…

…」

 情報が錯綜している。ライマンにも同じ思いがあった。CIA情報分析官と

いう地位にありながらもそうなのだ。民間人の混乱はそれ以上のはずだ。仕事

のことは忘れようとは思ったが、妻の不安を取り除くためにも機密に触れない

範囲でじっくり対話をする必要があるとライマンは感じた。

「ヒラリー。なにか他にも疑問があれば遠慮なくぶつけてくれ。答えられる範

囲で――」

「て、敵襲です!」

落ち着いた口調を保っていたラジオから、突如慌ただしい声が響いた。

「中国軍です! 停電に続くように、中国軍が大挙して押し寄せてきました!

 中国軍は我々の放送局に――」

 その言葉を最後に、ラジオの放送は中断した。ライマン夫妻は共に開いた口

が塞がらなかった。

「中国だって……」

 おそれていた事態が現実になった。ロシアに続き、中国のドア射程が太平洋

横断に達したのだ。そして、そのありあまる兵力を動員して米国本土への侵攻

を開始した。その目標の一つにラジオ局があったのだ。もちろん、それ以外に

も様々な重要拠点に攻撃を仕掛けているに違いない。首脳部は原潜に逃げ込ん

だが、当然ながら政府すべてを擁するほどの容量は原潜にはない。中国は州単

位での占領を目的に次々と兵力を送り込んでくるだろう。

「ライマン副長官。よろしいですか」

「入りたまえ」

 護衛として玄関に待機していた部下がノックをして入ってきた。

「報告します。停電の規模はかなり大きく、五カ所の発電所への同時攻撃が原

因であることが判明。それぞれ運転が停止しており復旧の見通しは不明。闇に

乗じて中国軍が米国本土へ上陸を開始しました。このペンシルベニア州への侵

攻は現在確認されていませんが、用心のために増援を要請しました。ただ、状

況は混乱しておりいつドアの使用権が回ってくるか……」

「ご苦労」

「それでは。引き続きなにかあればまた報告します」

 休暇は取り消しになるだろう。こんな状態で安らげるはずもなく、停電域に

入っている以上リスクも高い。

「くそ! こんなことならはじめから――」

 休暇など受けるべきではなかった。ライマンは妻の前でその言葉だけは飲み

込んだ。


 リングが現れた。直径五mほどの大きな金属製のリングである。闇夜のな

か、人気のない郊外に出現したそのリングは、不自然にも垂直に立っていた。

前面を覗けば頑強な扉であり、後面は夜より暗い黒円である。

 扉の向こうにあるのは気密室だ。分厚い装甲のような扉には眼がついてい

た。それはまるで門番のように、舐め回すようにして外界の危険性を評価して

いた。そして、気圧・温度・湿度など出口の環境情報を読み取り、部屋の中で

はそれが機械的に再現される。その広い部屋にはぎっちりと数百人に及ぶ兵士

たちが詰め込まれていた。腕に赤い星を持つ彼らは中国軍兵士である。03式自

動歩槍を携えた兵士たちは、鋭い視線で今もそのときを待っている。さらにそ

の奥では、複数台の92式装輪装甲車がそれぞれ九名の兵員を乗せていた。

 扉が開く。兵士たちは順序よく、しかし素早くその向こうへ飛び出す。彼ら

はその新天地で、十人単位で固まると後続を待たずに各々の方向へ走り出し

た。為すべきことは決まっている。すべては、帝国主義・米国を打倒するため

に。

 ドアは戦争のあり方を劇的に変えた。だが、そのなかで変わらないものがあ

る。歩兵と物量の重要性である。技術では遅れていた中国だったが、彼らは特

に前者においてその強みがあった。

 中国の侵攻に対し、米国は即座に陸軍を出動させた。確認できているだけ

で、中国軍は三二カ所から次々に上陸。歩兵と共に99式戦車、97式歩兵戦闘

車、武直-10攻撃ヘリコプターが怒濤のように押し寄せてきた。中国軍は放送

局や新聞社を占拠。これは直ちに米軍によって奪回された。しかし、その後も

諦めることなく何度も押し寄せ、戦場は泥沼に。一箇所に留まらず分隊単位で

動き回る中国軍への対応は混迷を極めた。

 いつ、どこから現れるかわからない敵に対応するには、こちらもすぐさまど

こにでも出動できる準備が必要だ。ほとんどすべての陸軍基地は壊滅に追い込

まれたが、陸軍の存在価値そのものがなくなったわけではない。むしろ、ドア

によって直接侵攻してくる敵軍に対するためその重要性は増していた。基地を

失った陸軍は一時解散し、各地に民間人を装い潜伏することで敵の侵攻に備え

ていたが、ドアによって雪崩れ込むように侵攻してくる神出鬼没の中国軍に対

し、この戦略では対応しきれなくなっていた。

 ゆえに陸軍はドアを欲した。すでにほとんどのドアが海軍に移っていたた

め、陸軍は独自にドアを「ポータル」と呼称し新たに議会予算を請求。この請

求は認められた。本土防衛のためいち早く現場へ出動するのにドアは必要不可

欠だった。

 一方、対抗するように空軍もドアを「スターゲイト」と呼称して予算を求め

た。だが、空軍には仕事がなかった。哨戒機は海軍。無人偵察機は陸軍。空軍

に入り込む余地はない。それ以外の航空兵器はドアのためにほぼ完全に無力化

されていた。ドアを使えば任意の位置にレーダーサイトを出現させられる。よ

って、ステルスも意味をなさなくなる。このままでは空軍の存在価値そのもの

が危うい。延命措置に必死になり、ダメ元で様々な新兵器を考案した。

 ドアで移動して撹乱する航空機――地上でも同じことができる。

 発射位置を特定させないミサイル――これも同じだ。

 ドアがなければこの戦争ではなにもできない。だが、空軍にはドアと併用で

きる兵器がない。航空兵器に可能なことはドアで再現できる。制空権などとい

う概念も過去のものになった。それもドア防空が強すぎるためであり、そして

それこそが空軍に残された仕事になるのだが、ジレンマかな――それゆえに防

空の必要性も失われつつあった。

 敵国の航空兵器もミサイル基地も破壊し尽くされた今、脅威として残るのは

ドアを通してのミサイル発射か原潜の弾道ミサイルだが、いずれにせよドアで

直接攻撃した方が早く確実で低予算だ。さらに後者について補足すれば、今や

ほとんどのSSBN(弾道ミサイル原潜)はSSDN(ドア原潜)に置き替わ

っており、また、効果の期待が薄いミサイル発射で現在位置を晒すというリス

クを冒すものはまずいない。この期に及んであえて航空兵器やミサイルを用い

るものがあればドア非保有国だが、ドアを持たずに自らドア戦争に首を突っ込

むこともない。

 とはいえ、すべては蓋然性の問題に過ぎない。「まったくない」とは言いき

れぬ以上、警戒は必要だ。しかし、ドアの数も連邦予算も無限ではない。その

うえ敵の戦略攻撃で経済はめちゃくちゃにされてしまっている。優先順位で考

えれば空軍に充てられる予算は小さい。それでいて特に問題がないのだから、

ますます空軍不要論は補強されていった。

 ドアの戦争導入による影響は大きく、軍事基地や兵器の破壊またはその無為

化のために軍は多くの失業者を抱え込んだ。一方、空軍はまるごと失業してい

た。かくして、空軍は一気に主力から無能集団に転落することになる。さらに

は無害ゆえに敵国からの攻撃目標にすらならないという有様だった。

 もはや空軍にとってドア保有権の主張の根拠は、「映画『スターゲイト』で

は空軍が主人公だった」ということしかない。という冗談まで囁かれる始末。

事実、空軍にとっての武器はイメージ戦略によるごり押ししか残されていなか

った。

 やがて空軍は「軍」としての機能を失った。それでも生き残らなければなら

ない。なにか目的を掲げる必要があった。

 そして、陸海が軍事利用を前提に開発を進めるのに対し、空軍は純粋に宇宙

を目指した!

 宇宙開発という、かつての理想に縋ったのだ。

「しかし、今の我々が保有するド……スターゲイトは三基のみ」

 窮地に立たされた状況に変わりはない。三基のうち一基はわずかな予算で独

自に開発したものだが、性能は極端に低く実用レベルには至っていない。要す

るに使えるドアは二基のみである。技術者の多くも海軍復興のために引き抜か

れてしまっている。年々予算は減らされ、空軍は組織の維持さえ難しくなって

いた。

「おかしな話ですよね。常識的に考えてスターゲイトの管理は空軍に決まって

いるのに」

「ジョークをいっとる場合ではない」

 若き空軍士官アベル・オールドマンもまた、この状況をなんとか打開したい

と考えていた。戦闘機パイロットに憧れ空軍に志願し、その夢を叶えたはず

が、ドアのためにそれも潰されてしまった。今となっては戦闘機を操縦できる

のはゲームの中だけだ。しかし、一方でSF好きでもあった彼は、ドアの登場

には昂奮し夢中になったものだった。ドア論文そのものを読んだことはない

が、平易な文章で書かれた一般向けの解説書なら何冊も読んだ。ドア特集番組

のチェックも欠かさない。ゆえに、ドアに対しては愛憎入り交じった複雑な感

情を抱いている。

「はあ。なんで空軍がこんなことに……」

 戦争中、しかも軍人であるにもかかわらず彼らは退屈していた。今も、勤務

中であるはずの時間に訓練と称してアベルは上官の目の前で臆面もなくフライ

トアクションゲームをプレイしている。

「隊長。知ってますか、中国軍が上陸して攻めてきてるって」

「知らんわけがなかろう」

「虫みたいにぞろぞろと涌いてるって」

「らしいな」

「ニューヨークとかロサンゼルスなんかやばいみたいですよ」

「そうか」

「ここにも来ますかね」

「来ないだろ」

「俺たちこんなんでいいんすかね」

「なんだ、陸軍にでも転属する気か?」

「まさか。俺は身も心も空軍ですよ。それに、陸軍はインターフェイスの増大

を処理し切れないってんで志願兵すら募ってませんし、志願先すらわかりませ

んし」

 陸海軍はその司令部を地下や原潜に移し、その所在すらわからない。一方、

空軍基地は綺麗なまま残っていた。ここACC本拠地・ヴァージニア州ラング

レー基地も同じだ。だが、肝心の航空兵器は何一つ残されていない。陸軍がそ

うしたように地下施設へ匿えば助かっただろうが、大きすぎるうえ使えないと

して却下された。空軍が現有する兵器はドア二基を含む最低限の防空装備、出

来損ないのドア一基と倉庫に眠る失敗兵器の数々のみである。

「あ~あ、戦争にさえならなければこんなことには……」

 アベルはゲームに飽きたのか、今度は寝そべりながらテーブルに放置されて

いた科学誌を手に取りドア特集記事を眺めてそうつぶやいた。

「そうですよ。ドアが悪いんじゃない。戦争が悪いんですよ。戦争が」

「戦争にならなくても空軍はなくなっていたと思うがな」アベルの愚痴にイラ

イラした口調で隊長は答えた。

「そんなことはないですよ。空軍には宇宙があるんですから」

「ああ、そうだったな……」

 空軍のほとんど人間が急拵えの「目標」に対し自嘲的な態度をとっているの

に対し、アベルは本気でその目標に共感しているところがあった。彼は自身が

浮いていることに気づいていない。周囲の人間も、仮初めでもその目標に従事

しなければならないため、その象徴である彼を天然記念物のように保護してい

た。

「崎島博士なら、俺たちのやろうとしていることにも賛同してくれると思うん

ですけどねえ」

 アベルは読書にも飽き、雑誌をテーブルに放った。その表紙には崎島博士の

顔写真が大きく掲載されていた。

「ん? 今お前なんていった」隊長は珍しくアベルの言葉に興味を示した。

「崎島博士ですよ。彼も宇宙開発を夢見ていたところがあったじゃないです

か。ドアの軍事利用についてもかなり毛嫌いしていたようで。今でも本当は嫌

がってるって話ですよ。その彼からすれば、今の空軍はある意味理想的な環境

じゃないかって思うんですけどねえ。まあ、肝心の予算がないんですけど」

「なるほど……その手があったか」

「なんです?」

「彼を空軍に勧誘するんだ。彼を引き抜くことができれば、空軍は再建できる

かもしれない」

 そうして、空軍は最後の希望を運命を託した。博士との接触にはアベルが任

命された。彼は久々に与えられた任務が空軍本来のそれとかけ離れていたこと

に戸惑いを隠せなかったが、公式に崎島博士と会うことのできるまたとない機

会に胸は高鳴っていた。

「とはいえ、いったいどこにいるのか……」

 崎島博士は今、海軍に所属している。博士を探し出すことは困難を極めた。

戦争の主力であるドアの開発責任者。間違いなくVIPの一人だ。敵の暗殺対

象リストに名が挙がっていることは想像に難くない。

 アベルは崎島と接触するため各方面に手を回したが、なかなか信用は得られ

なかった。スパイを警戒しているためだ。とはいえ、アベルは空軍司令部の命

令で動いている。彼自身がスパイである可能性は極めて低い。だが、リスクを

避けるためには無用に門戸を開くべきではない。また、空軍が崎島と接触した

がる理由も不透明であり、海軍にとっては煩わしいことこの上なかった。

「話をさせてくれるだけでいいんです」

「話? 話だと? 空軍が彼になんの話だ。お前たちなぞに構っている暇はな

い。通信を切らせてもらう」

「待ってください!」

 ようやくリッジウェイ提督と連絡を取ることができたが、通話は一分にも満

たなかった。それでも諦めるわけにはいかない。空軍の命運がかかっているの

だ。

 そうした空軍のしつこい要請に海軍もついに折れ、アベルは一度だけ崎島博

士との面会が許された。これで諦めてくれればという打算だ。

 もちろん、直接は案内されない。目隠しなどによってあらゆる情報を遮断さ

れた上で幾重もの経由を通り、金属探知・身体調査・レントゲンなど、空港の

税関など比ではない厳重なチェックを受ける。また、ドアを潜る部外者には例

外なく銃が突きつけられる。アベルの身元を疑っているわけではない。これは

絶対の規則なのだ。

 そして、最後のセキュリティであるエアロックが開き、目的地に辿り着く。

 その研究施設はメキシコの地下にあった。むろん、アベルにそのことを知る

術はない。それどころかメキシコ政府にさえも無断で建造されている。ドアが

あれば地上にその出入口となる建物をつくらずに地下施設を建造できる。この

施設はドアによる出入りを前提としており、ドアがなければ巨大な棺桶に等し

い。

 アベルは狭い廊下を歩き、小さな部屋に案内された。壁も天井も床も、どこ

を見ても真っ白な部屋だった。あるのは簡素な椅子と机だけ。まるで「歓迎し

ていない」という意思表示のためにわざとつくったのではないかと思えるほ

ど、目に悪い部屋だった。

 その場で待つこと二〇分。

「崎島博士。お目にかかれて光栄です」

 崎島が気怠そうにその姿を現し、アベルは立ち上がって頭を下げた。

「空軍がなんの用ですか。忙しいので簡潔に願います」

 そうはいわれたが、またとない機会だ。アベルは一呼吸して、回りくどく攻

めはじめた。

「博士は今、空軍が掲げている理想についてご存じですか?」

「さあ? 必要とあればご説明を」崎島は首を傾げて促した。

「はい。我々は今、宇宙開発を目標に掲げています。具体的には、戦争によっ

て中断されたSSPS計画。あるいは宇宙空間での可能になる新素材の研究開

発。または再利用可能な宇宙船。それによる深宇宙探査や惑星開拓。すでに実

現可能な技術でありながらも戦争のために中断されている計画は他にもいくら

でもあります。そして、それらが成功すれば、人類の知識はより深く、生活は

より豊かになるはずです」

「そうですね。そのような未来が訪れることを私も望んでいます」

「本来なら、これらはそう遠い未来の話ではなかった。ドアさえあれば数年以

内に現実のものになっていたはずです。しかし、戦争がそれを妨げた。軍事に

転用されたドアによる大規模破壊で、人類の文明はむしろ後退の危機にある。

すべては戦争のため、軍用のためです。ドア技術を軍事に用いるなどあまりに

馬鹿げている。博士もそう思いますよね?」

「話が見えませんね。あなた方も軍でしょう?」

「今は違います。空軍は軍としての役割を終えました。近いうちに新組織とし

て再建されることになるでしょう。たとえば宇宙開発軍。おっと、軍ではあり

ませんでしたね」

「なるほど。で、私に話というのは」

「はい。博士が我々の理想に共感して頂けるのなら、空軍は喜んで迎え入れま

す。私はそのことをお伝えに参りました」

 アベルのその発言には、崎島も戸惑う素振りを見せた。

「ちょっと整理させてください。それは、今、この状況で、という意味です

か? 今の私の仕事を放棄して?」

「はい。博士が望むなら今すぐにでもご案内します」

 しばらくの間、崎島はきらきら輝くアベルの目を見てぽかんとしていた。そ

して、視線を逸らして少し考える仕草をすると、「はあ……」と納得したよう

に深いため息をついた。それからは長い沈黙が訪れた。

「あ、あの、お返事は……」顔を伏せ、表情の見えない崎島を前に、鈍いアベ

ルもようやく居た堪れない空気に刺された。

「NOです。馬鹿馬鹿しい」崎島は侮蔑に満ちた表情で続けた。「こんなとき

になに夢みたいなことをおっしゃってるんですか。現状を見てください。戦争

を終わらせるのが先でしょう。あなた方の提案はあまりに非現実的すぎる。今

は戦争中なんですよ」

 その冷たい目と冷たい言葉は、アベルが思い描いていた崎島の人物像とは大

きく乖離したものだった。

「……本気でおっしゃってるんですか」

「今の我々に遊んでいる暇はない。お帰りください」


 メキシコ地下に位置するその施設は、ドアの研究所であると同時に海軍基地

でもある。ドックでは中国から拿捕した原潜が研究員たちの手によって解析を

受けていた。

 SSDN周級。ロシアのアルファ級と同様のコンセプトで設計された新型艦

である。米国が新タイフーン級の対応に追われている時期に大急ぎで設計され

たものと推測される。ドアの射程は約七〇〇km。ただし、拿捕した時期が数

ヶ月前であるため現在は延びている可能性もある。

 中国の海軍は米露と比べれば弱い。核開発を最優先し通常戦力を後回しにし

ていた歴史のためでもあるし、地理的に重要性が薄いからだ。ゆえに、中国の

建艦技術は未熟だ。それは外観だけでわかる。

 だが、中身は違った。周級には米国が想定した以上の電子装備が搭載されて

いた。その事実に米国は頭を悩ませた。それはある最悪の可能性を示唆してい

たからだ。

 技術解析を担当していたクリスもそれに気づいていた。米国の技術が多く盗

まれていることが判明したこともショックだったが、明らかにそれだけには留

まらなかった。クリスはその推定を軍には報告したが、崎島には黙っておくこ

とにした。彼は今、ただでさえ傷心しているのだ。

 ドア小型化の成功に加え、有能な研究者の数が少なくなってきた事情もあ

り、崎島の影響力は軍でもかなり大きなものになっている。大統領とは友人関

係にあり、海軍司令部にも意見できるほどの権限を有している。魚雷の撤去と

いう主張もそのために受理された。その結果があれだ。

 クリスはそんな崎島の様子を確かめるため彼の部屋に向かった。

「タートル級攻撃潜水艇?」

「そう。三人乗りの小型潜水艇だ。ドアのせいで原潜の損失が増えているから

な。いくら高い予算をかけて、長い時間をかけて建造してもドアの前には無力

だ。そこで案が出ているのがこのタートル級だ。こいつは低予算の攻撃特化型

潜水艇なんだ。ドアの前では防御力なんてなんの意味もないからな。小型化す

ればそれだけ見つかりにくくなるし、耐圧能力も上がりより深く潜航できる」

 クリスは、てっきり崎島は魚雷撤去の件で思い悩んでいるものと思ってい

た。だが、訪れた崎島の部屋で話題になったのは新型潜水艇の設計プランのこ

とだった。

「つまり、どうせ沈められるなら失っても痛くないように、という設計コンセ

プトなのか?」

「そうだな。船体をドアフィールドで覆う案もあった。だが、強いフィールド

にはそのぶん大きなエネルギーが要る。船体が小さいため保護面積が小さいの

はいいが、積める動力も小さい。もちろん原子炉は積めない。それに、外から

の攻撃については無敵かも知れないが、やはり内部に手を伸ばされた場合はど

うしようもない。技術水準が追いついたとしてもこの案はあまり現実的ではな

いだろう」

「それにしても、ひどく乗り心地が悪そうだな。立ち上がることも横になるこ

ともできない」

「原潜を新造する余裕もなくなってきているからな。これはドア工法による海

中造船の実証目的も兼ねている。モジュールごとに各地で製造して海中で組み

立てるんだ。動力についても新しいものが要求されるな。さすがにこのサイズ

に原子炉を収めるのは無理だが、単独で運用できるようになれば大きな強みに

なる」

「単独で……とはいっても、乗員が保たないだろう。こんな狭い、棺桶のよう

な船では」

「問題ない。人間の肉体の方を適応させる。医学的・技術的にな。変わるべき

なのはドアだけじゃない。我々がドアに合わせて変わるべきなんだ」

 同じ言葉を発しながらも、交代周期の短縮や魚雷撤去など乗員の待遇改善を

訴えていた崎島とは正反対の主張だった。

「しかし、なぜ君が潜水艇の設計まで?」

「設計なんてものじゃないよ。アイデアを出してるだけだ。こいつのためには

また新しいタイプのドアが必要になるしね」

「だが、それは……」

「本務じゃない、か? ああ、その通りだ。僕はドアの専門家であって、軍事

のことも潜水艦のことも素人だ。しかし、だからといってドアのことだけを考

えていればいいわけじゃない。ま、戦争さえ終わればこんなことはしなくて済

む。それまでの辛抱だ」

 装備は射程五〇kmのドア。動力は燃料電池によるAPI(非大気依存推

進)機関。単独での乗員生命維持時間は一五〇時間。定期的にドアを通じ母艦

より酸素が供給される。運用上の潜航時間は九時間。乗員はドアを通してユニ

ット単位で交代される。なお、セキュリティ上の観点から運用・連絡方法は要

検討――。

 クリスはその設計仕様書を眺めながらカミカゼを連想していた。正確にはそ

の海軍版である人間魚雷・回天だ。もちろん、タートル級はかつての特攻兵器

とは異なる。決して乗員の死を前提としたものではない。しかし、それに似た

歪さを感じていた。

「戦争さえ終われば、か」その連想に触発されるように、クリスはぼそりとつ

ぶやいた。

「なにか言いたそうだな」と、崎島は答えを待たずに続けた。「わかるよ。だ

が、『戦争さえ終われば』という発想はそんなに非現実的なものじゃない。瓦

礫撤去、資材の搬送、怪我人の手当――ドアがあれば戦後復興も迅速に進む。

この戦争は、すべての戦争を終わらせる戦争になるんだ」

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