4章 ドアによる戦争(下)

(4-1)

1.

新たな戦争時代の幕開け――ドアは米国をどう変えてしまったか?

二〇二二年一〇月三日


 戦争は変わった。

 私がいま立っているのは、かつて米国陸軍最大の軍事基地だった場所――テ

キサス州フォート・フッドだ。現在の読者にはまだこれで通じる。だが、この

「軍事基地」という言葉もいつしか注釈を必要とする古語と化すだろう。この

有様がそれを象徴している。残骸がそのまま放置され、世界を脅かしてきた兵

器たちが無残にも横たわっている。この基地に関していえば、一つ一つ丁寧に

その内側に爆弾を設置され、装甲によって守られていた精密機器はぐちゃぐち

ゃにされてしまった。長い間「陸上の王者」として君臨してきた主力戦車M1

エイブラムスも、こうまでご丁寧に弱点を突かれては為す術がない。

 いったい誰が米国本土の軍事基地にこのような末路を想像できただろう。こ

の地上で最も堅牢な施設の一つが廃墟として観光スポットになってしまうな

ど、核戦争の勃発を本気でおそれていた一九五〇年代以来の想像力だ。ただ

し、今でもその侵入に危険を伴う場所であることには変わりはない。私も取材

のためとはいえ緊張を隠しきれない。法に殉じるものたちはみな殉じ、今では

その廃材を利用する無法者の巣窟になっているのだ(私もこの現場に足を踏み

入れるにあたり、四名の傭兵に護衛を依頼した)。まさに、まるで映画『マッ

ドマックス』で見たような光景だ。もっとも、整髪料が手に入らないのかモヒ

カンヘッドは見かけなかったが。

 せっかくなので現地の人にお話を伺ってみることにした。

Q.ここではどのような生活をなさっているのですか?

A.ひゃっはー! 新鮮な肉だ!

 残念ながらボビーさん(仮)は私の話に耳を貸さず、汚い言葉で罵りながら

鉄パイプを振り回してきたため、護衛の方に射殺して頂いた。これが今の米国

だ。

 海軍でも同じことが起こっている。米軍を世界最強の軍隊たらしめていた一

一隻の空母、二二隻の巡洋艦、五九隻の駆逐艦も今ではそのほぼすべてが海の

藻屑だ。七つの海を守護してきた、誇り高き歴代大統領の名を冠した艦が沈

み、まさかの海賊時代が幕を開けた。ただ、彼らもまた襲うべき船もついぞ見

かけず厳しい競争社会を生きている。

 世界の軍事パワーバランスにいったいなにが起こったのか。なぜこのような

ことが起こってしまったのか。なにがここまで世界を変えてしまったのか?

 そう、ドアである。崎島彰博士がドア論文を発表してから今や十年。案の定

というべきか、ドアは軍事に転用され、かつてないRMA(軍事における革

命)を生んだ。

 先に挙げた軍事基地や兵器の破壊もそうであるし、開戦当時の大統領ハリソ

ン・シアーズもまたドアによって暗殺された。SPは大統領が倒れるそのとき

までなにもできなかったのだ。もちろん、犯人は逮捕はおろか判明もしていな

い。「ドアに対し防御手段はない」という事実はこの事件に象徴されている。

 政府要人や軍人たちはその事実を前に震え上がった。これは我々市民にとっ

ても同じことがいえる。だが、彼らは自分たちだけ安全な場所に逃れている。

彼らは我々の前から姿を消した。こそこそとモグラのように地下で生き延びて

いるという話もある。しかし、地下でも安心はできない。位置が判明すれば真

っ先に攻撃の対象となり、その攻撃から逃れることはできないからだ。では、

彼らはどこにいるのか? 位置を秘匿するためには移動を続けるのが一番だ。

地下がダメなら海中だ。

 そう、彼らは原子力潜水艦に隠れている。家族まで連れ込んでだ。地球上の

七〇%の面積を占める海洋を補給なしで潜航し続けられる原子力潜水艦は、世

界で最も安全な場所だ。一隻あたりの乗員は型にもよるが一五〇名前後。席は

限られている。本来なら原潜の運用に必要な、厳しい訓練を潜り抜けたサブマ

リナーたちが乗るはずの席に割り込み、結果として彼らに重荷を背負わせてい

る。

 現在の大統領もまた、そのうちのどれかに隠れているはずだ。そして彼は、

合成映像を背景に勇ましく演説するのだ。「我々は米国だ。我々が勝利する」

そんな場所から届けられる大統領の言葉には、もはや力強さも輝きもない。

 戦争は変わってしまった。米国が、あの米国が、こうまで醜態を晒すほどに

だ。

(文・エーリアル・タヴァナー )


「ドア管理の全権を我々海軍に移してもらいたい。すでにドアは原潜運用がス

タンダートになりつつある。いちいち合同タスクフォースを組織するのでは効

率が悪い」

 現在、ドアは統合特殊作戦軍によって管理されている。ドアは極めて汎用性

の高い兵器であるため、陸軍・海軍・空軍・海兵隊の特殊作戦統合指揮権を持

つ特殊作戦軍による管理が妥当であると判断された。しかし、陸上(地下を含

む)での管理は、ドアの移動ができないため被発見即破壊の危険性が高い。ゆ

えに、一刻も早くドアは原潜での管理を主としなければならない。小型化に成

功し原潜運用が可能になってきたため、そのビジョンが見えてきた。リッジウ

ェイ提督が訴えているのはこの点である。

「リッジウェイ提督。百戦錬磨の君なら知っているだろうが、クラウゼヴィッ

ツを持ち出すまでもなく戦争とは摩擦の連続だ。今後どのような事態が発生す

るのか完全には予測できない。ゆえに、柔軟な対応が可能となるよう今後も総

合指揮のできる我々で管理すべきだと考えている」

「だからこそ海軍に引き渡すべきだ。不測の事態が発生したとき迅速な対応が

とれんではないか。敵の主力もドア装備の原潜なのだぞ」

「しかし全権はいいすぎだ。たしかに小型化は進んだが、主力である一万km

級は依然として巨大だ」

「それらもまた原潜の運用に必要なものだ。いずれはそれらも小型化し原潜に

積まなければならない。今のままではいつ破壊されてもおかしくない」

「君、陸上で管理していると必ず破壊されるような言い方だがな……」

「統計を見せてやろう。これまで無残にも破壊されてきたドアはすべて陸で管

理されていたものだ。一方、原潜のドアが破壊された記録はない。これからも

明らかだ」

「だが、ドアによって原潜は何隻も沈められている。それに、ドアの原潜運用

がはじまったのはごく最近――」

「まだ反論があるのか! お前たちもこうして原潜に匿われているというの

に。なんなら外に出てみろ。お前たちなどすぐにあの世行きだ。もっとも、お

前たちのような無能のために敵が労力を割いてまで暗殺に乗り出すかは疑問だ

がな。話にならん。私にも仕事がある。今日は帰らせてもらおう」

 リッジウェイが背を向けたので思わずため息をついたが、提督は立ち止ま

り、緊張の糸を再び結び直した。

「言い忘れていた。ダヴァナーとかいうジャーナリストを捕らえろ。やつはス

パイだ」

「いきなりなんだ。なにを根拠にそんな……」

「やつの記事を読んでいないのか? 明らかに我々の国益を損ねている。売国

奴だよ。おおかた敵国から大金でももらっているのだろう」

「どちらにせよ、それはFBIやCIAの仕事だ。我々の出る幕じゃない」

「わかっている。だから伝えろといってるんだ」

「しかし、私にもそんな権限は……」

「はん。私の頼みごとを断るのがそんなに楽しいか? ドアはよこさない。F

BIにも連絡しない。お前たちは本当に無能だな」

 それだけ言い残し、リッジウェイはその場を去った。

「くそ! あいつは何様のつもりなんだ」

 五年前。米国領海に侵入し、我が物顔で暴れ回った新タイフーン級。その撃

滅作戦の成功により、リッジウェイの態度はますます増長していた。

 その作戦概要は至って単純なものだ。もう一つのオリジナルが存在するとい

う偽情報を流すことで新タイフーン級を誘き出し、その動きを予想した上で大

艦隊を率いて一気に追い詰める。ロシア製ドアの限界射程を見極め、水深の浅

い大陸棚にまで上がらなければ届かない地点にもう一つのオリジナルの管理場

所を設定した。

 決して勝てない相手ではない。新タイフーン級から攻撃が届くということは

本土のドアからも届くということ。敵は一隻。原潜そのものはドアによって移

動はできない。攻撃力は極大だが防御力は通常の原潜と大きくは変わらない

(実際には怪物のようなしぶとさを見せ、米海軍を戦慄させた)。

 そうして、多大な犠牲を払いながらも米軍は新タイフーン級を撃沈した。し

かし、それはとても勝利とはいいがたいものだった。新タイフーン級はその性

能を最大限に発揮して米国に癒えがたい打撃を与えたからだ。ドア装備のみな

らず、一発や二発の魚雷が命中した程度では沈むことのない海獣。そのキルレ

シオは実に一対二〇にも及ぶ。潜水艦同士の戦いではまずあり得ない数字だ。

 一方で、米国も破壊される以前のオリジナルでロシアを含めた敵国に対し最

大限の攻撃を行っていた。結果を見るなら、「前哨戦」はいわば痛み分けの形

になる。それからしばらくはドアの開発競争と小競り合いが続いた。

 そして、米国とロシアの戦略ドアはほぼ同時にかつての条約規定を超え、つ

いに地球上ならば「どこでも」接続できるだけの射程を得た。これにより位置

の判明している軍事基地は真っ先に破壊された。戦略ドアを持っている国なら

ば誰でも同じことができる。しかしやはり、どの国も共通して防ぐ手立てはな

い。ドアがあれば「怪しい」と思った場所は即座に偵察し、攻撃できる。やが

て各国は定期的に敵本土の地下を虱潰しに地中レーダーで走査するようになっ

た(この点、ロシアは国土の広さから多少有利だった)。

 以後、戦略ドアを造っては壊され、壊しては造られる不毛ないたちごっこが

続く。戦争としてはあまりにも洗練されていない。互いがノーガードで殴り合

うようなものだ。ヘトヘトになってはじめて手が出せなくなる。このことか

ら、攻撃を避けるため――かつて崎島が夢見たような――月にまで届く超長距

離ドアによって月面にドア基地をつくるという計画も真剣な議論の対象となっ

た。もちろん、敵国が同程度のドアをつくればやはり攻撃対象となり、いたち

ごっこは継続することにはなる。

 一方で、前時代の兵器はもはや新造されることはなかった。軍事基地への攻

撃により駐機していた航空機、駐車していた戦車、停泊していた軍艦、ありと

あらゆる前時代の兵器が破壊し尽くされ、同時に意味をなさなくなった。こう

して多くの兵器が淘汰されていくなか、ただ一つの兵器がこの大量絶滅を生き

延びていた。

 それが原子力潜水艦だ。いずれ、人類にとって海中こそが最後の戦場となる

だろう。

「時間の問題だな。私の正しさはすぐにでも証明される」

 リッジウェイはドアを通って自らの旗艦に帰った。もちろん原潜だ。作戦行

動中は一切の通信ができない原潜が司令部となることは本来ありえないが、ド

ア通信によってその問題も多少は解決される。そう、多少は。

 敵もまたドアを持っている。それがすべてをややこしくする。忌々しいジャ

ーナリスト――ダヴァナーだったか――のいうとおり、原潜は地球上で最も安

全な場所の一つには違いない。だが、当然ながら原潜でも安全は完全には保証

されない。事実、先代の大統領は原潜ごと暗殺された。敵にとって第一の攻撃

目標であることもそうだし、ドアはスパイにとって利が大きすぎるからだ。ド

アを通して原潜内に工作員が送り込まれてはそれだけで手の打ちようがない。

 結果として通信網はかなりの制限を受け、ドアを管理している特殊作戦軍の

人間に会うのにもわざわざややこしい手続きと苦労を要した。だというのにあ

の態度だ!

 結局、誰も彼も「先」が見えていないのだ。時代の変化に取り残されてい

る。見えているのは、真っ先に「司令部の原潜への移行」を主張したあの男―

―ライマンくらいなものだろう。リッジウェイにとっても当初は原潜に司令部

という非常識は受け入れがたいものだった。

「……あの若造のいうとおりになったな」

 戦争は変わった。それに適応できないものは、死ぬだけだ。


 ドアの小型化は技術的にむずかしいとされていた。正確には大型高性能化の

方が容易だったというべきだろう。とはいえ、相対的には小型化がむずかしい

というのは事実であり、開発は割に合わないと考えられていた。その常識もあ

る研究者の熱意によって打ち崩される。

 崎島彰博士である。加速器偽装研究所の壊滅により、生き残った研究者は攻

撃を免れた別の地下研究所へ移籍された。そのなかで、崎島はなにかに憑かれ

たかのように実績を重ね、とうとう所長の座を手にした。彼の真価が発揮され

るのはそれからだった。研究者として、オリジナルを最初に手にしたという事

実以上の功績を挙げていた。その代表が原潜に積めるサイズへの小型化であ

る。

 ただし、多くの天才がそうであるように彼は人格的には問題があった。精神

は不安定で躁鬱。特に顕著なのが彼が「リサ」と呼ぶ女性への異常なまでの熱

情である。ただし、その存在は彼の言葉で語られるのみであり、実在が疑われ

ている。「リサにもう一度会うんだ」そんな気味の悪い独り言がたびたび耳に

されていた。

「お久しぶりです。大統領」

「崎島彰博士」二人は握手を交わし、並んで歩き始めた。

 大統領が立て続けに二回暗殺されたことで、新大統領である彼はほとんどの

時間を原潜内で過ごしている。もっとも、先代もまた同様に原潜中心の生活を

していながら原潜ごと暗殺された。だが、原因はわかっている。スパイ対策の

不徹底だ。ドアによって生じる侵入経路を想定し切れていなかったのだ。それ

は直ちに見直され改善されたが、それでも不安は残る。現大統領の原潜滞在時

間は先代の二倍ともいわれている。

「乗り込むのは、ドアの原潜運用を可能にした功労者として?」

「そうですね。小型化には成功しましたが、まだ十分とはいえません。射程は

一〇〇〇kmに満たないのですから。一万km級は依然として陸上運用、発見

されればまた破壊されてしまう。今回は原潜運用ドアの可能性を見極めるため

の試乗となります」

「危険も多いだろうに。君の献身ぶりには感心するよ」

「大統領も、危険を顧みずわざわざお越し頂き恐縮です」

「もっとも、私のようなものの視察で研究員の士気にどれほど影響を与えられ

るものか……」

「私個人に限っていえば、士気は漲っていますよ」

「ありがとう。君には大変気の毒な思いをさせてしまっている。君の思想――

君がドアの軍事利用を極端に嫌っていることは知っている。今でこそ積極的な

姿勢を見せてはいるが、本当は望んでいないはずだ。私だってそうだ。戦争が

終われば平和利用を約束しよう」

「ありがとうございます」

 大統領に別れを告げる。彼はドアを通って大統領専用原潜に戻った。

 今度は崎島の番だ。振り向くとクリスが見送りに来ていた。

「本当に行くのか?」

「ああ。むしろ今まで乗っていなかったのがおかしいくらいだ」

「OK。俺からいうことは特にない。行ってこい」

 短いやりとりののち、クリスは崎島を送り出した。

 オハイオ級原潜一九番艦〈ハリソン・シアーズ〉。それが崎島の向かう先で

ある。

 同級一~一八番艦はすでに半数近くが撃沈されている。通常、慣例として艦

名には州名が授けられるが、五年前ドアによって暗殺された大統領の無念を晴

らすべく当艦にはその名が冠せられた。現在一〇隻あるドア原潜のうちの一隻

である。

 ロシアが新タイフーン級やその後継艦SSDNアルファ級(同様に巨大原潜

だ)を新造する一方、多くの造船所を破壊された米国にその体力は残っていな

かった。新タイフーン級撃沈後からロシアの戦略ドアの射程が米国本土を直接

攻撃できるほどに延びるまでの間、急いで造られたのがこの〈ハリソン・シア

ーズ〉だ。ドアを積めるよう内装や兵装を改めている以外には旧来のオハイオ

級と比べ新しい点はなにもない。本来はドアのために設計された新型艦が望ま

しいが、それでは時間がかかりすぎる。ロシアに対抗するにはどうしても即戦

力が必要だった。幸いにもドアの小型化が追いついたため、当艦はドアを搭載

するに至った。

「崎島博士か? 乗員のウィリアム・ボールディングだ。ビルと呼んでくれ」

「よろしくビル。崎島だ」

 〈ハリソン・シアーズ〉は現在も潜航中である。乗員である彼はドアを通っ

て上陸している。崎島を案内する方法もまた、同様にドアを用いることにな

る。

「ところで、あんたはあくまで民間人だろ? なんで俺たちの艦に乗ろうっ

て?」

「開発者が命を狙われることもあるからね。僕が在籍していた秘密研究所も二

つほど攻撃を受けた。むしろ当然だと思う」

「そうじゃなくて、それなら要人用の原潜でいいだろう。俺たちは戦闘を担当

してるんだ。危険も多い」

「前線に立つ原潜でなければ意味がない。データ収集と、細かな指示のために

僕の力は必要になる。足手纏いにはならないよ。簡単ながらも一通りの訓練と

教習は受けてる」

「だといいんだが……おっと、あれが俺たちの艦長だ」

 崎島はその後ろ姿に目を疑った。振り向いてからは余計に信じられなかっ

た。

「こんにちわ。艦長のニコール・マルグルーです」

 艦長を名乗るその人は、老齢ながらも整った顔立ちをした凛々しい女性だっ

た。

「……艦長は女性だったのか」崎島は小声でビルに尋ねる。

「いわなかったっけ? かつて新タイフーン級撃滅作戦に参加した艦長の一人

だよ」

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