第7話 決戦の朝

 バレンタインデーの朝がきた。

 いつもより気合を入れて身支度をした音羽は、かわいらしい包装にくるんだチョコを忘れないように鞄に入れ、運転手の待つ玄関へと向かった。

 今日はいよいよ折原君に告白するのだと思うと、音羽の気持ちは恥ずかしさと緊張の入り交じった素敵な興奮に彩られ、足取り軽くスキップしてしまうのだった。


「おはよう、音羽。今日はごきげんだね」


 途中で兄に声をかけられ、音羽はにこやかに微笑み返す。


「ええ、お兄様。今日はいよいよバレンタインですもの。わたくし、がんばりますわ」

「そうか。僕も応援してるからね。もし、くじけても僕がいるから。だから、がっかりするんじゃないぞ」

「はい、頼りにしてますわ、お兄様。でも、わたくし絶対に成功させてみせますから。お兄様の心配はご無用ですわよ」

「あはは、音羽も言うようになったね。じゃあ、頑張っておいで。僕もすぐに行くからね」

「はい。行ってまいります、お兄様」


 足取り軽く玄関を飛び出していく音羽を見送って、光一は憎々しげに壁に拳を叩きつけるのだった。



 いつものように森谷の運転する車で学校へと向かう音羽。いつもと同じだけどどこか浮き足立っているように感じる景色が窓の外を流れていく。


「本当によろしかったのですか? ダンプ3台分のチョコを用意しなくて」


 バックミラーで音羽にちらりと視線を向けながら森谷がたずねる。音羽は純粋な子供のように素直にうなづいた。


「ええ。わたくし、今年は一点の脇見もせず、本命だけを射止めることに集中することに決めましたのよ」

「では、今年は私の分のチョコも無しですか。はあ……」


 がっかりしたように肩を落とす森谷に、音羽は弁解するように声をかける。


「ごめんなさい、森谷。でも、今年は香が張り切っていますから、不自由することは無いと思いますわ」

「そういう問題では無いんですが……音羽様に愛された折原様は幸せ者ですね。こんちくしょう」

「えへへ。森谷もわたくしのこと応援してくださいますわよね」

「もちろんです。私の気持ちも光一ぼっちゃまと同じでございます。悔いの無いように頑張ってきてください」

「ありがとう。お兄様と森谷に応援されてわたくしもますますやる気になってきましたわ。よーし、やるぞー」

「あはは、音羽様。余り張り切りすぎると振られた時の反動が大きいですから、ほどほどの気持ちで望むのがベターでございますよ」

「わたくしの気持ちにベターなどありませんわ。全身全霊のベストでもってアタックするのみですわ」


 和やかな気分のまま、車は学校の前へとたどりつく。


「行ってらっしゃいませ、音羽様」

「行ってきます」


 森谷にドアを開けられ、音羽は自分の足でアスファルトの大地へと降り立つ。

 浮かれたお祭り気分でやってきてしまったが、いざ決戦の地へとやってくると、やはり緊張の思いにすくみあがりそうになってしまう。

 でも……

 音羽は緊張をときほぐすように空を見上げ、目を閉じ、深呼吸をする。

 わたくしは負けない。チョコの作り方を教えてくれた料理長、応援してくれる兄と森谷、電話をかけてきてくれた同じ気持ちの青木さん。みんなをがっかりさせないためにも。

 自分の気持ちに満足の行く結果を出すためにも。

 前に進むのだ。

 青い空の下、決然とした表情で前を見る音羽。そして一歩を……踏み出した。



 日本上空。青く澄み渡る遥か空の上を我が物顔で突き進む飛行機の一群がある。

 風を切って飛ぶその者の名はヨルムンガンド。第2次世界大戦期のドイツの科学力が結集して作られたそれは今、水道橋家の力によって現代の空に蘇り、チョコを投下するために日本へとやってきていた。



 チョコを配る時間がやってきた。

 ヨルムンガンド隊からの報告を時間通りに受け取った香は、たおやかなお嬢様の笑みを浮かべて放送室のマイクを手に取った。

 時刻は朝。登校してくる生徒達が最も多く校門を横切る時間。生徒達の中には小さいながらもバレンタインへの期待が渦巻いていることだろう。

 小学校時代の噂を聞いてダンプの姿を探している生徒もいるかもしれない。でも、今年はもうそんな子供っぽいことはしないわ。

 超重爆撃機ヨルムンガンドによる空からのチョコの投下。きっとみんな喜ぶことだろう。


(ピンポンパンポーン)


 いつもと変わらない平凡な放送前の合図が学校中に鳴り響く。

 香は小さく息を吸い……思いの言葉を吐き出した。

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