第2話 音羽の思い出

「ねえ、森谷。家にチョコレートの材料はありますかしら」


 授業の終わった帰り道。いつものように迎えに参じた執事の森谷(もりや)の運転する車の後部座席で揺られながら、音羽(おとは)は口を開いた。


「はい、ありますとも。音羽様がお望みならすぐに一流のシェフ達が新鮮な材料で持って極上のチョコレートを作ってさしあげますよ」

「そうじゃなくて、わたくしがチョコを作りたいんですのよ」

「あはは、ご冗談を。音羽様はいつものようにダンプ3台分のチョコをお命じになられればいいのですよ」

「香はそれではガキッぽいと言いますわ」


 香のことはこの際関係無かったが、なんでもいいから反論せずにはいられない音羽だった。


「水道橋様はヨルムンガンドによる高高度からのピンポイント投下でチョコをお配りになるようですね」


 さすがに森谷の耳は早い。長年執事を務めているだけのことはある。


「音羽様はどういたしますか? 私としては最近話題のオスプレイなどはどうかと思いますが。子供は喜びますよ」

「そんな問題ではありませんのよ。わたくしは手作りで、手渡しで、あげたいのよ!」

「音羽様?」

「もう話かけないで。わたくししばらく考え事をしたいのですわ」


 音羽は車の外を流れる景色を見ながら考える。



 折原君との出会いはこうだった。

 あの日、家族と一緒に近所の自然公園に遊びに行った時のことだ。

 ついてくる森谷を振り切って、音羽は一人探検に張り切っていた。

 あの薮を抜けたら何があるんだろう。あの角を曲がったら何があるんだろう。幼心に好奇心は一杯だ。

 そこであの犬が絡んできたのだ。あの怖い犬が。


「わんわん!」


 吠えながら音羽の足元に近づいてきた。


「何よあんた、あっち行け! あっち行け!」


 音羽は賢明に追い払おうとするが、犬はそんなことは気にもしない。音羽の足元にすりよってきて鼻を押し当ててくる。


「いや……助けて森谷……森谷ーーー!」

「やめろ、ジョン! 彼女が怖がってるだろ!」


 そこへ現れたのが折原君だった。犬は彼のペットだったのだろう。おとなしくしゅんとなってしまった。


「ごめんよ、オレが手を離したばかりに」


 彼はあやまってくるが、そう言われても気持ちは簡単に落ち着くものではない。音羽は泣き続けた。

 彼は困ったように頭をかき、そして思い切ったように手を伸ばしてきて音羽の頭をなでてくれた。


「お願いだよ、泣きやんでくれよ。ジョンも反省してるからさ」

「クウーン」


 暖かい、安心できる手。音羽は泣くのをやめて彼の顔を見上げた。

 彼はにっこりと微笑んでくれた。

 それが折原君との出会い。今思い出すと恥ずかしくもあるけど、それは幸せな出来事だった。


「この野郎! 音羽様に何をするー!」


 その後、かけつけてきた森谷が折原君に殴りかかろうとして、


「ワンワン!」


 犬が森谷に噛みついてまた一騒動あったけど、それは思い出の中では些細な問題。

 あれから時は流れ、中学の入学式で再び彼の姿を見つけた時、音羽の恋心は燃え上がったのだ。

 あの頃はそれが恋だとは感じなかった。

 でも、今の音羽は確かな思いを感じていた。

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