第14話 熱戦/決戦/大船合戦
伊勢方の兵七千。大将は
対する
伊勢宗瑞、五十八歳。
かつての戦友であり、宿敵でもある両者は、おたがいの手の内を知り尽くしている。
両大将の、意気の激しさに反して、街道に沿って南北に展開した両軍は、ゆるゆるとぶつかっていった。
関東の、新しき秩序と古き秩序の、それはぶつかりあいだった。
◆
その様子を、荒次郎たち三人は、物見台から確認している。
当初、伊勢軍が大船に現れた時は、
もっとも、三浦側から仕掛けようにも圧倒的に数が足りない。城を開けて打ち出ても、その数は百五十に満たない。周りに身を隠す場所もない。奇襲や、声や音を使ったこけおどしを仕掛けようにも、通用しない状況だ。だからこそ伊勢宗瑞も、玉縄城を捨て置いたのだろうが。
結局荒次郎たちは、城から戦の様子をながめているしかない。
だが、役に立たぬわけではない。退路の城を敵に支配しているという事実は、それだけでひとつの圧力だ。
しかし、荒次郎にも計算違いはあった。伊勢軍の兵数だ。
荒次郎は、新井城の抑えに、二千は必要だと計算していた。
しかし伊勢宗瑞は事も無げに全軍を率いて取って返してきた。これは三浦半島の占領地を投げ捨てるに等しい決断だ。
その結果、伊勢軍は大船に七千の兵を用意することができた。兵の疲労度、将の質などを考えれば、両軍に差はないと言っていい。
逆に、うれしい誤算もあった。
それこそが、猪牙ノ助が荒次郎たちにすら隠していた事実――三浦道寸の健在だった。
戦いに敗れた折、道寸は密かに武蔵方面に逃れ、失地を挽回するために、隠密に外交を展開していた。
「なぜ、言ってくれなかった」
荒次郎は聞いた。
「これは秘中の秘よ。三浦の人間でも、世話役の
「おい。私の認識についてすこし話そうか」
エルフの少女が抗議したが、猪牙ノ助は取り合わなかった。
もし漏らせば命はない。
その状況で、腹芸の出来ない人間に打ち開けることは、やはり出来なかったのだろう。荒次郎は納得していた。
「なにより、三年だ。三年、道寸に仕えた。それに比べれば、一種の同郷とはいえ、俺たちは他人だろう」
荒次郎が理解を示すと、影武者は遠い目で、しみじみとつぶやいた。
「そうさな。道寸殿は、吾輩にとって、なかなか得難い人物であったよ」
◆
そうしている間にも、大船の両軍は戦い続ける。
先手を取った伊勢宗瑞は、三段に構えた部隊を、巧みに押し引きして、
対する扇谷上杉軍は、
はやる上杉朝興を道寸は抑えに抑えて、伊勢軍の緩みをじっと待っている。
――もし、ここに三浦衆二千が加わっておれば。
三浦道寸は歯噛みした。
数百年にわたる
それは伊勢宗瑞も同じだ。
敵味方が同数であれば、扇谷上杉軍はとうの昔に陣を崩壊させているはずだった。
それに、玉縄城。
抑えの兵は備えてあるが、その心理的圧迫は、じわじわと伊勢兵の心をむしばんでいる。せめて玉縄城さえ無事であれば、伊勢宗瑞も期せずして、同時に歯噛みしていた。
たがいに。ままならぬものを抱きながら、戦況は推移する。
「三浦介(道寸)殿。まだか、まだか」
昼近くになって、上杉朝興が焦れ始めた。
朝興は二十六歳。分別を弁えぬ歳ではないが、まだ血気を押さえる法を知らない。
ここまで朝興を押さえてきた道寸も、若き名代の
道寸にとって朝興は、血縁上、従弟の子にあたる。
とはいえ、道寸はあくまで三浦家の三浦道寸であり、朝興は主家筋である扇谷上杉の当主名代。
あるていど尊重してはいるが、朝興は道寸に親しみを示していない。それも大きかった。そこに引け目がある道寸は、結局、折れてしまった。
「難波田殿。婿殿(太田資康)に伝令。足並みをそろえて本隊を押し出す」
その動きが、伊勢宗瑞の怒涛の寄せと、ぴたり、かみ合った。
唐突に飛び出した巨岩のごとき軍は、高波に衝突し、強く揺らいだ。
伊勢軍も、したたかに打たれて、その衝撃で足を止めざるを得なかった。
止まった。
と感じたのは、両軍の大将のみで、むしろ前線では泥沼の乱戦の予兆が見える。
しかし大将にしか見えない、その、間隙を縫うように。飛来した一本の矢は、三浦道寸の胸元に吸い込まれた。
不思議な符号があるもので、同時に伊勢宗瑞も、矢傷を負った。
宗瑞は軽傷だったが、道寸の体に突き立った矢は、鎧を通し、
「み、三浦殿が倒れられた!!」
指揮の空白に、悲鳴が滑り込んだ。
それは、またたく間に全軍に波及する。
道寸は軍の指揮者であり、この戦の名分でもあるのだ。
上杉朝興も、突然起こった事故に、とっさに対応できなかった。
その、動揺を見逃す伊勢宗瑞ではない。
即座に太鼓を叩かせ、
本隊を
だが、鉄血の津波をかぶって、各所でほつれが見え始めた。
――このままでは、総崩れになる。
助け起こされながら、三浦道寸は歯を食いしばる。
勝てる戦だった。筋は見えていた。このまま持久戦を続けていれば、数に劣る伊勢軍を、じりじりと押し崩せていたはずだった。それが自分一人の死で、ひっくり返された。
無念。などというものではない。
この数ヶ月、道寸は表にも出ず、闇を這うように各地を回り、面子をかなぐり捨て、頭を下げ手形を切って、ようやく伊勢宗瑞を倒せる大軍を創出したのだ。
視界が暗くなっていく。
死を意識しながら、道寸は見た。
柏尾川を下り、こちらに馬を走らせる、裏頭の武者の姿を。
「かかっ! みなの者、落ち着かれいっ! 死んだは影よ! 吾輩、三浦道寸はここであぁるっ!!」
駆けながら、裏頭を取り払い、老人は叫ぶ。
中からは、道寸が見いだした、道寸と瓜二つの皺顔があった。
――見事だ、我が影よ。そして息子よ。
死の間際に、道寸は笑う。
荒次郎は影武者に従い、馬を走らせている。
あの7尺5寸が従うだけで、走り来る三浦道寸が本物だと信じさせるに足る。
――この戦は分けよう。だが、見ておれ宗瑞! いずれ我が息子が、三浦荒次郎が貴様を討つ!!
そうして三浦道寸は目を閉じた。享年六十三歳。
口元には、死してなお、不敵な笑顔が張り付いていた。
◆
「――どうした、猪牙ノ助さん」
ふいに胸を押さえた猪牙ノ助に、荒次郎が問いかける。
となりでエルフの少女、真里谷初音も不思議そうに首をかしげた。
「いや、わからん。おかしい。無性に胸が痛むのだ」
猪牙ノ助が、青い顔でつぶやく。
「おい、それより」と、初音が口を挟む。
「さっき、三浦道寸が落馬した。矢で射られたっぽい」
奇妙な符号に、荒次郎と猪牙ノ助は顔を見合わせる。
「マズイか」
「まずい」
荒次郎の問いに答えたのは、エルフの少女ではなく、猪牙ノ助だ。
「――扇谷上杉軍をここに連れてきたのは、三浦道寸よ。これを失えば、名分を、半ば失ったに等しい。なにより、道寸が指揮せずして、伊勢宗瑞に勝てようか」
「なら、どうする」
物見櫓から降りながら、荒次郎はふたりに問う。
三浦道寸の死で、戦況は激変する。玉縄城も備えなければならなかった。
「……荒次郎くん。吾輩はな、死のうと思ったことがある」
口を開いたのは、猪牙ノ助だ。
言いながら、その足は大手門に向かっている。
「選挙に落選してのう。かかっ。選挙落ちればただの人、とはよく言ったものだ。我が人生である道路事業から引き離されて、吾輩は奈落に落ちた……しかし、不思議なものであるな。道路事業に携われんくらいなら死んだ方がマシだと思っておった。事実死のうとした。だが死ぬのにも、なかなか勇気がいる。結局死ぬこともできず、生きながら死んでおったときに――気がつけばここにおった。道寸殿と瓜二つの姿でのう」
猪牙ノ助は、兵に命じて馬を引き連れさせる。
それにひょいと飛び乗り、大手から繰り出しながら、猪牙ノ助は笑う。
「柏尾川を渡る。だれか、船を出せ。それから、エルフさん、留守を頼む」
「エルフ言うな――って、お前ら、どこ行くつもりだっ!?」
荒次郎も下知しながら、馬に乗り、猪牙ノ助に従う。
追いついて轡を並べると、猪牙ノ助は馬に揺られながら、味方の陣をじっと見つめている。
「出会ったのは
猪牙ノ助は口を開く。
「――そう、道寸殿は言った。吾輩を助けてくれと……最初は生きるため、仕方なく従った。だが、道寸殿を真似ていくにつれ、道寸殿の考えを聞くにつれ、このおいぼれの胸に、熱いものが生まれるのを感じておった」
照れもせずに、老人は笑う。
「……友情、というやつだ。かかっ! この猪牙ノ助、生まれて六十年も経って、ようやく友情に目覚めたわっ! 荒次郎くん。道寸殿の悲願が、伊勢宗瑞打倒ならば。志半ばで道寸殿が倒れるならば、吾輩がそれを引き継ごうぞっ!!」
船が回されてくる。
それに馬ごと飛び乗ると、柏尾川を下り、対岸に着く。
船が泊まるのを待ちもせず、陸に跳び移ると、一心不乱に馬を駆りながら、影武者は魂の声で叫ぶ。
「かかっ! みなの者、落ち着かれいっ! 死んだは影よ! 吾輩、三浦道寸はここであぁるっ!!」
その声が、姿が。
戦場にいる全員の心に、三浦道寸をよみがえらせた。
そしてそれが、扇谷上杉軍の敗勢を、見事に立て直させた。
この瞬間、伊勢宗瑞は目の前にあった勝利が露と消えたことを知り。
「無念」
狂死せんばかりの悔恨の情を押し込めて、ただ、そうつぶやいた。
◆
熾烈な戦いは、なおも続き、日没に至って双方が軍を退いた。
両者とも損耗が激しく、たがいがたがいを追う力も残っていない。
玉縄城を敵方に取られている伊勢宗瑞は、そのまま軍を
これにより、西相模に水軍拠点を失った伊豆水軍は、占領した城ヶ島を放棄することになる。
後の人は言う。
大船合戦は引き分けである。
伊勢宗瑞は必敗の状況から、よくも五分に持ち込んだ。
しかし、城ヶ島の戦いから、玉縄城一夜取り、大船合戦。
すべての状況を制御しきって、目標を達成した三浦道寸、義意(荒次郎)親子こそ恐るべし、と。
三浦氏は、この戦いで三浦半島を取り戻した。
だが、伊勢宗瑞は、東国支配の野望をあきらめていない。
戦いは、まだ終わらない。そして関東の混沌が、争乱をいっそう激しく、巨大なものにしてゆく。
後の人は言う。
大船合戦は、関東大戦へと至る、ほんの序曲に過ぎない、と。
◆用語説明
軍配――戦争の指揮。
私(初音)の認識――ぽんこつ残念娘である。
名代――代理。
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