第14話 熱戦/決戦/大船合戦

 永正えいしょう10年9月20日、大船おおふね合戦は始まった。


 伊勢方の兵七千。大将は伊勢宗瑞いせそうずい

 対する扇谷おうぎがやつ上杉方の兵は一万。大将は上杉朝興ともおき《当主朝良ともよしの養子、後継者》。実質的な軍配は、三浦道寸が握っている。


 伊勢宗瑞、五十八歳。三浦道寸みうらどうすん、六十三歳。

 かつての戦友であり、宿敵でもある両者は、おたがいの手の内を知り尽くしている。

 両大将の、意気の激しさに反して、街道に沿って南北に展開した両軍は、ゆるゆるとぶつかっていった。


 関東の、新しき秩序と古き秩序の、それはぶつかりあいだった。






 その様子を、荒次郎たち三人は、物見台から確認している。

 当初、伊勢軍が大船に現れた時は、玉縄たまなわ城を攻めに来たか、とあわてた荒次郎たちだったが、伊勢の軍勢は扇谷上杉との決戦を優先してか、最低限の備えをこちらに向けるのみだ。

 もっとも、三浦側から仕掛けようにも圧倒的に数が足りない。城を開けて打ち出ても、その数は百五十に満たない。周りに身を隠す場所もない。奇襲や、声や音を使ったこけおどしを仕掛けようにも、通用しない状況だ。だからこそ伊勢宗瑞も、玉縄城を捨て置いたのだろうが。


 結局荒次郎たちは、城から戦の様子をながめているしかない。

 だが、役に立たぬわけではない。退路の城を敵に支配しているという事実は、それだけでひとつの圧力だ。


 しかし、荒次郎にも計算違いはあった。伊勢軍の兵数だ。

 荒次郎は、新井城の抑えに、二千は必要だと計算していた。

 しかし伊勢宗瑞は事も無げに全軍を率いて取って返してきた。これは三浦半島の占領地を投げ捨てるに等しい決断だ。

 その結果、伊勢軍は大船に七千の兵を用意することができた。兵の疲労度、将の質などを考えれば、両軍に差はないと言っていい。


 逆に、うれしい誤算もあった。

 それこそが、猪牙ノ助が荒次郎たちにすら隠していた事実――三浦道寸の健在だった。

 戦いに敗れた折、道寸は密かに武蔵方面に逃れ、失地を挽回するために、隠密に外交を展開していた。



「なぜ、言ってくれなかった」



 荒次郎は聞いた。



「これは秘中の秘よ。三浦の人間でも、世話役の八重やえしか知らぬ。外に漏れれば、吾輩は道寸殿に殺されておった。言っては何だが、荒次郎くんはともかく、初音くんは、その、残念であるし。すまぬな」


「おい。私の認識についてすこし話そうか」



 エルフの少女が抗議したが、猪牙ノ助は取り合わなかった。


 もし漏らせば命はない。

 その状況で、腹芸の出来ない人間に打ち開けることは、やはり出来なかったのだろう。荒次郎は納得していた。



「なにより、三年だ。三年、道寸に仕えた。それに比べれば、一種の同郷とはいえ、俺たちは他人だろう」



 荒次郎が理解を示すと、影武者は遠い目で、しみじみとつぶやいた。



「そうさな。道寸殿は、吾輩にとって、なかなか得難い人物であったよ」







 そうしている間にも、大船の両軍は戦い続ける。

 先手を取った伊勢宗瑞は、三段に構えた部隊を、巧みに押し引きして、波濤はとうのごとく攻めよせる。

 対する扇谷上杉軍は、いわおのごとく動かず、伊勢軍の攻撃に耐えている。相手の疲れを待って、攻守を逆転させる構えだ。


 はやる上杉朝興を道寸は抑えに抑えて、伊勢軍の緩みをじっと待っている。



 ――もし、ここに三浦衆二千が加わっておれば。



 三浦道寸は歯噛みした。

 数百年にわたる紐帯ちゅうたいで結ばれ、実質的に家臣といってもいい三浦衆を率いることができていたなら、道寸はこれを鋭鋒として、伊勢軍を突き崩していたことだろう。


 それは伊勢宗瑞も同じだ。

 敵味方が同数であれば、扇谷上杉軍はとうの昔に陣を崩壊させているはずだった。

 それに、玉縄城。柏尾かしお川を挟んで向こうにある、本来伊勢方のものであった城が、敵の手に落ちている。

 抑えの兵は備えてあるが、その心理的圧迫は、じわじわと伊勢兵の心をむしばんでいる。せめて玉縄城さえ無事であれば、伊勢宗瑞も期せずして、同時に歯噛みしていた。


 たがいに。ままならぬものを抱きながら、戦況は推移する。



「三浦介(道寸)殿。まだか、まだか」



 昼近くになって、上杉朝興が焦れ始めた。

 朝興は二十六歳。分別を弁えぬ歳ではないが、まだ血気を押さえる法を知らない。

 ここまで朝興を押さえてきた道寸も、若き名代の旺盛おうせいすぎる戦意を、さすがにもてあまし始めた。


 道寸にとって朝興は、血縁上、従弟の子にあたる。

 とはいえ、道寸はあくまで三浦家の三浦道寸であり、朝興は主家筋である扇谷上杉の当主名代。

 あるていど尊重してはいるが、朝興は道寸に親しみを示していない。それも大きかった。そこに引け目がある道寸は、結局、折れてしまった。



「難波田殿。婿殿(太田資康)に伝令。足並みをそろえて本隊を押し出す」



 その動きが、伊勢宗瑞の怒涛の寄せと、ぴたり、かみ合った。

 唐突に飛び出した巨岩のごとき軍は、高波に衝突し、強く揺らいだ。

 伊勢軍も、したたかに打たれて、その衝撃で足を止めざるを得なかった。


 止まった。

 と感じたのは、両軍の大将のみで、むしろ前線では泥沼の乱戦の予兆が見える。

 しかし大将にしか見えない、その、間隙を縫うように。飛来した一本の矢は、三浦道寸の胸元に吸い込まれた。


 不思議な符号があるもので、同時に伊勢宗瑞も、矢傷を負った。

 宗瑞は軽傷だったが、道寸の体に突き立った矢は、鎧を通し、肺腑はいふをえぐる致命傷だった。



「み、三浦殿が倒れられた!!」



 指揮の空白に、悲鳴が滑り込んだ。

 それは、またたく間に全軍に波及する。

 道寸は軍の指揮者であり、この戦の名分でもあるのだ。

 上杉朝興も、突然起こった事故に、とっさに対応できなかった。


 その、動揺を見逃す伊勢宗瑞ではない。

 即座に太鼓を叩かせ、遮二無二しゃにむに兵を押し出した。

 本隊を補翼ほよくする太田、難波田は、さすがに耐えた。

 だが、鉄血の津波をかぶって、各所でほつれが見え始めた。



 ――このままでは、総崩れになる。



 助け起こされながら、三浦道寸は歯を食いしばる。

 勝てる戦だった。筋は見えていた。このまま持久戦を続けていれば、数に劣る伊勢軍を、じりじりと押し崩せていたはずだった。それが自分一人の死で、ひっくり返された。


 無念。などというものではない。

 この数ヶ月、道寸は表にも出ず、闇を這うように各地を回り、面子をかなぐり捨て、頭を下げ手形を切って、ようやく伊勢宗瑞を倒せる大軍を創出したのだ。


 視界が暗くなっていく。

 死を意識しながら、道寸は見た。

 柏尾川を下り、こちらに馬を走らせる、裏頭の武者の姿を。



「かかっ! みなの者、落ち着かれいっ! 死んだは影よ! 吾輩、三浦道寸はここであぁるっ!!」



 駆けながら、裏頭を取り払い、老人は叫ぶ。

 中からは、道寸が見いだした、道寸と瓜二つの皺顔があった。



 ――見事だ、我が影よ。そして息子よ。



 死の間際に、道寸は笑う。

 荒次郎は影武者に従い、馬を走らせている。

 あの7尺5寸が従うだけで、走り来る三浦道寸が本物だと信じさせるに足る。



 ――この戦は分けよう。だが、見ておれ宗瑞! いずれ我が息子が、三浦荒次郎が貴様を討つ!!



 そうして三浦道寸は目を閉じた。享年六十三歳。

 口元には、死してなお、不敵な笑顔が張り付いていた。







「――どうした、猪牙ノ助さん」



 ふいに胸を押さえた猪牙ノ助に、荒次郎が問いかける。

 となりでエルフの少女、真里谷初音も不思議そうに首をかしげた。



「いや、わからん。おかしい。無性に胸が痛むのだ」



 猪牙ノ助が、青い顔でつぶやく。

「おい、それより」と、初音が口を挟む。



「さっき、三浦道寸が落馬した。矢で射られたっぽい」



 奇妙な符号に、荒次郎と猪牙ノ助は顔を見合わせる。



「マズイか」


「まずい」



 荒次郎の問いに答えたのは、エルフの少女ではなく、猪牙ノ助だ。



「――扇谷上杉軍をここに連れてきたのは、三浦道寸よ。これを失えば、名分を、半ば失ったに等しい。なにより、道寸が指揮せずして、伊勢宗瑞に勝てようか」


「なら、どうする」



 物見櫓から降りながら、荒次郎はふたりに問う。

 三浦道寸の死で、戦況は激変する。玉縄城も備えなければならなかった。



「……荒次郎くん。吾輩はな、死のうと思ったことがある」



 口を開いたのは、猪牙ノ助だ。

 言いながら、その足は大手門に向かっている。



「選挙に落選してのう。かかっ。選挙落ちればただの人、とはよく言ったものだ。我が人生である道路事業から引き離されて、吾輩は奈落に落ちた……しかし、不思議なものであるな。道路事業に携われんくらいなら死んだ方がマシだと思っておった。事実死のうとした。だが死ぬのにも、なかなか勇気がいる。結局死ぬこともできず、生きながら死んでおったときに――気がつけばここにおった。道寸殿と瓜二つの姿でのう」



 猪牙ノ助は、兵に命じて馬を引き連れさせる。

 それにひょいと飛び乗り、大手から繰り出しながら、猪牙ノ助は笑う。



「柏尾川を渡る。だれか、船を出せ。それから、エルフさん、留守を頼む」


「エルフ言うな――って、お前ら、どこ行くつもりだっ!?」



 荒次郎も下知しながら、馬に乗り、猪牙ノ助に従う。

 追いついて轡を並べると、猪牙ノ助は馬に揺られながら、味方の陣をじっと見つめている。



「出会ったのは運命さだめよ」



 猪牙ノ助は口を開く。



「――そう、道寸殿は言った。吾輩を助けてくれと……最初は生きるため、仕方なく従った。だが、道寸殿を真似ていくにつれ、道寸殿の考えを聞くにつれ、このおいぼれの胸に、熱いものが生まれるのを感じておった」



 照れもせずに、老人は笑う。



「……友情、というやつだ。かかっ! この猪牙ノ助、生まれて六十年も経って、ようやく友情に目覚めたわっ! 荒次郎くん。道寸殿の悲願が、伊勢宗瑞打倒ならば。志半ばで道寸殿が倒れるならば、吾輩がそれを引き継ごうぞっ!!」



 船が回されてくる。

 それに馬ごと飛び乗ると、柏尾川を下り、対岸に着く。

 船が泊まるのを待ちもせず、陸に跳び移ると、一心不乱に馬を駆りながら、影武者は魂の声で叫ぶ。



「かかっ! みなの者、落ち着かれいっ! 死んだは影よ! 吾輩、三浦道寸はここであぁるっ!!」



 その声が、姿が。

 戦場にいる全員の心に、三浦道寸をよみがえらせた。

 そしてそれが、扇谷上杉軍の敗勢を、見事に立て直させた。


 この瞬間、伊勢宗瑞は目の前にあった勝利が露と消えたことを知り。



「無念」



 狂死せんばかりの悔恨の情を押し込めて、ただ、そうつぶやいた。







 熾烈な戦いは、なおも続き、日没に至って双方が軍を退いた。

 両者とも損耗が激しく、たがいがたがいを追う力も残っていない。

 玉縄城を敵方に取られている伊勢宗瑞は、そのまま軍を大庭おおば城まで退かせた。

 これにより、西相模に水軍拠点を失った伊豆水軍は、占領した城ヶ島を放棄することになる。


 後の人は言う。

 大船合戦は引き分けである。

 伊勢宗瑞は必敗の状況から、よくも五分に持ち込んだ。


 しかし、城ヶ島の戦いから、玉縄城一夜取り、大船合戦。

 すべての状況を制御しきって、目標を達成した三浦道寸、義意(荒次郎)親子こそ恐るべし、と。


 三浦氏は、この戦いで三浦半島を取り戻した。

 だが、伊勢宗瑞は、東国支配の野望をあきらめていない。

 戦いは、まだ終わらない。そして関東の混沌が、争乱をいっそう激しく、巨大なものにしてゆく。


 後の人は言う。

 大船合戦は、関東大戦へと至る、ほんの序曲に過ぎない、と。







◆用語説明

軍配――戦争の指揮。

私(初音)の認識――ぽんこつ残念娘である。

名代――代理。

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