第11話 知略/謀略/化かし合い
「三浦水軍、
そこに建てられた陣屋の一室で、
「ふむ。動いたか」
つぶやいた老雄は、にやりと笑う。
「――いい時期だ。農繁期も終わった。だからまさか、という時期だが、だからこそ動いたか。よほど兵糧焼き討ちが堪えたと見える」
鷹の瞳を輝かせながら、梟雄はつぶやき、檄を飛ばす。
「
「はっ」
「それから、菊名の防備を厚くするよう、諸将に伝えておけ」
「はっ」
宗瑞の言葉に、報告に来た少年は明快に応じる。
少年の表情を検めて、宗瑞は口の端をつり上げた。
「孫九郎や、聞きたいことがありそうだのう?」
「……はぁ」
見透かされた居心地の悪さからか、少年当主は頭をかいた。
「――水軍を動かすのはわかるんすけど、
「わしが仕掛け時だと思った。こういうときは、向こうも仕掛けを施しているものよ」
「……ああ、なるほど」
感得するものがあったのだろう。少年は、深くうなずく。
「孫九郎よ。ほかに、敵に動きはないか?」
「いえ、特に……そういえば、敵の伝令を捕えて、持っていた文を手に入れてます。見てください」
宗瑞は渡された手紙を広げ、内容をつぶさに見る。
「ふむ」
「要約したら、もうすぐ準備が整うから頑張って籠城を長引かせてくれ、ってとこです。これは以前の三浦方からの、援軍当分不要、戦力を整えてから来てくれ、って頼りに応じてのものでしょう。よっぽど伝えたかったのか、同様の文書が十数件も送られたみたいです」
少年当主は補足説明する。
それに対し、無言でうなずいてから、梟雄は低く唸った。
「ふむ。それにしても道寸は出てこんな」
「はい。息子の荒次郎
「その義意。なかなかやるような。さては道寸、荒次郎の才に惚れたか」
「はっ?」
大道寺盛昌が、頓狂な声をあげる。
「育てようという腹よ」
「……この非常時にですか?」
老雄の短い補足に、少年は首を傾ける。
「ああ、気持ちはわかる。才あふるる若者を指導する、というのは、堪えられぬ喜びよ。それに、道寸は賭けているのやもしれぬ。息子が、わしを越えることに」
その心情は、若い盛昌には理解し難いのだろう。
すこしだけ、首をひねりながら、少年当主は宗瑞に問う。
「……では、今回の作戦も、義意のものですか?」
「で、あろうな……孫九郎、水軍衆に伝えておくのだ。“敵水軍拠点に非常のことあらば、すぐさま戻って来い”と」
「はあ」
「わからぬか、孫九郎。そのあたりが策の仕掛けどころであろうということよ……それから、玉縄城の息子に連絡。扇谷勢が軍勢を整えておるようだ。近々兵を起こすであろう。孫九郎よ、どうやら決戦は近いぞ」
梟雄は、鋭い瞳を彼方に向ける。
捉えているのは、三浦道寸などではない。
関東の動向に思いを馳せながら、見ているのはただ一人、三浦荒次郎のみだ。
◆
玉縄城を
途中、新井城から物見の視線を感じて、伊豆水軍を率いる
「今ごろ、あわてて三崎城に伝令が飛んでいるところだろう」
政直はひとり、語る。
そして斬るように言い捨てた。
「――だが、遅い」
と。
水軍本隊は房総半島中部。
どれほど急いでも、帰還は間に合わない。
例え策だとしても、本隊が戻ってくるまでに、必ずズレがある。
その間隙を縫うように敵方水軍拠点、城ヶ島を攻め、水軍力を減じさせる。今回の目的はそれのみで、気楽といえば気楽なものだった。
半刻後、城ヶ島へ着く。
三浦半島の南端、三崎城を、半ば囲うような格好で存在している島である。
富永政直は、すぐに異変に気づいた。
おかしい。
船がない。いや、三崎城側には、船が残っている。
だが、明らかに少ない。城ヶ島はもぬけの殻だった。
――おかしいと思えば、帰って来いと言われたが。
政直は考える。
ここを落とせば、水軍の脅威が消える。
三浦郡の活動は極めて限定されたものになり、それは伊勢宗瑞の後詰決戦を助けるものになる。
城ヶ島は守りやすい。
三浦水軍を相手取っても、十分に戦える。それがいま、もぬけの殻になっている。
攻めるべきだ。武将としての本能と、功名欲が、富永政直に島の占領をあきらめさせなかった。
結局、政直は、城ヶ島占領を決定した。
「さあ、食いつけ、食いつけ」
「――あまりにおいしすぎて、いざという時、逃げるに逃げられんほどにな」
城ヶ島を空にしたのは、むろん罠だ。
それも、誰もが想像し得ない形の。
伊勢宗瑞ならば、あるいは想定できたかもしれない。
しかし、あの梟雄には、事実の誤認があった。
伊勢方の焼き打ちによる、兵糧不足。
収穫期を過ぎてやや解消されたとはいえ、兵糧の不足は深刻であるはずだった。
だから、城ヶ島を明け渡し、一時的にとはいえ補給路を完全に断つなどという自殺行為は、思いついても人心を考慮すれば実行できるはずがない。
――本当に兵糧不足なら、だが。
ここへきて、事実誤認が活きる。
新井城に兵糧はまだ多く残されている。
海路での補給が一時期途絶えたとしても、当面の間、問題がないほどには。
だから、部下たちの反対を押し切り、無理を通した。たとえ失敗しても、挽回の目があるから、許された。
――だから、あの伊勢宗瑞を欺くことができた。
小気味良い心地で、出口茂忠は笑う。
作戦を聞かされた時は驚いたが、そういうことであれば、城ヶ島など預けておけばいい。
二日もすれば、三浦水軍が帰ってくる。その時、はたして彼らは島を捨てる選択を出来るか。
「まあ、どの道そのころには、貴様らの動きなど意味を為さないものになっているだろうがな」
茂忠は、からからと笑った。
「――まったく、恐ろしい人だ。
新井城に嬉々として人質に行った愛娘を思いながら、茂忠はつぶやいた。
◆
時間はすこし、さかのぼる。
「来たか」
城ヶ島へ向かう、伊豆水軍の船団。
新井城の沖を渡ってゆくそれを遠くに見ながら、荒次郎はつぶやいた。
隣に立つエルフの少女は、荒次郎を半ばあきれるような眼で見上げ、しみじみとつぶやいた。
「なんつーか、お前ってすごいよな。読みがピタリかよ」
「可能性のひとつだ」
荒次郎は即答する。
「――来ない可能性も十分にあった。まあ、来なければ来ないで、補給を十全にできる。それを抱えて策を練りなおせばいい――三崎城の出口殿に伝令。急いでくれ」
説明を終えると、荒次郎はすぐさま部下に命令する。
初音が、今度は
「爺さんは爺さんで、極悪なこと考える。手紙本文ではなく、宛先と撒いた手紙の枚数に意味を持たせるなんて……暗号が含まれてないかと必死で探しただろう北条の連中に同情するよ」
初音の言葉に、
「吾輩の功では無いわい。あらかじめ道寸殿と扇谷との間に決められていた、万一のための
猪牙ノ助が荒次郎に尋ねた。
たしかに、三浦道寸の影武者であるこの老人は、これまで戦場に出ていない。
本人の希望でもあるが、ぼろが出ないように、というのが一番大きい理由だ。
影武者として仕草教養、接客応対のたぐいは完璧に叩き込まれている猪牙ノ助だが、さすがに戦場指揮などは門外漢だ。たとえ荒次郎を前面に押し立てたとしても、ふいの対応で、どんなぼろが出るか分からない。
だが、荒次郎は強く主張した。
「ああ。ここは一緒でなくては困る。城は佐保田や大森に任せる」
「ふむ。では行こうかね」
案外あっさりと、裏頭の老人はうなずいた。
すると、隣のエルフが目を眇めて抗議してくる。
「つか私には聞かないのかよ」
「縄張りを熟知していると豪語したのはエルフさんだろう」
「エルフ言うなっての……まあ、こうなれば一蓮托生だ。軍師真里谷初音さんのすごさを見せてやるよ」
誰もそんな役目は任せていない。
せいぜい案内役か歩く歴史書といった類の扱いだが、本人は乗り気である。
「では、俺たちも行こうか」
言って、荒次郎は踵を返す。
向かった先は、“内の引橋”。三方海に囲まれた新井城が唯一、陸と繋がる場所。
当然、そこには湾が形成される。
外海から隠れるようにして存在する、起伏に富んだ湾内には、戦船が四隻の繋がれていた。
兵糧輸送に見せかけて、あるいは丸太を運ぶために。
荒次郎はごく自然に、軍船を往復させた。
そして、あるいは隠し、あるいは時機を見て、湾内に運び込んだ。
運び込んだ船は、念のため、横穴地形の場所に立てかけた丸太の陰に隠していたのだ。
「乗船せよ」
荒次郎の命令の下、将兵たちが、船に乗り込んでいく。
乗員は、約二百。選りすぐりの将兵を率いて、荒次郎たちは出る。
「――ゆくぞ。目標は、玉縄城だ」
三浦半島のつけ根、三浦と扇谷上杉を両にらみにした、迎撃のための城。
それを守る伊豆水軍は、ほとんど出払ってしまっている。城を守るのは伊勢宗瑞の息子、氏綱以下、ごく少数でしかない。
この城を盗る。
同時に扇谷上杉による武蔵方面よりの進行で、城への援軍を防ぐと同時に、新井城と合わせて三方挟み込みにする。それこそが、荒次郎の戦略だった。
盤面は大きく動こうとしている。
きっかけを作った荒次郎。そして盤面をじっと睨む伊勢宗瑞。
両者の存亡をかけた戦は、すでに始まっていた。
◆用語説明
房総――千葉県の房総半島のこと。安房、上総、下総。
御由緒――御由緒家。伊勢家の最譜代。
軍師真里谷初音さん――自称である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます