第5話 名将/梟雄/戦国大名

 室町幕府政所執事まんどころしつじ、伊勢氏。

 その諸流、備中びっちゅう伊勢氏に、その男は生まれた。

 庶流とはいえ、男の父は宗家より娘をめとっている。

 娘の兄、男にとっての伯父は、八代将軍足利義政に父と慕われ、権勢を振るった伊勢貞親いせさだちか。まず、恵まれた生まれと言ってよい。


 しかし、この貞親が原因の一端となり、応仁の乱が始まる。

 政治は混乱を極め、都の各地で軍が衝突し、あおぐ旗が掌を返すようにくるくると変わる。

 誰もが何も得られなかったこの大乱を横目に眺めながら、男は少年時代を過ごす。荒廃していく京の都を、彼はどのような目で見ていたのか。


 この時期、姉が駿河するが守護、今川義忠の元に嫁いでいる。

 征夷大将軍の継承権を持ち、一族以外に今川の苗字を名乗らせない、「天下一苗字」の待遇を賜った足利一族の名門だ。


 成人した男は、幕府に仕えた。

 幕府奉公衆ほうこうしゅうとして働いている間に、ひとつの事件があった。

 十一年に及ぶ大乱の渦中、姉婿、今川義忠よしただ塩買坂しおかいざかで戦死したのだ。

 嫡男の龍王丸たつおうまるは、若か六歳。義忠の従弟である小鹿範満おしかのりみつとの間に、継承争いが生じた。


 国をふたつに割る内乱は、第三者の介入を招く。

 堀越公方ほりごえくぼう足利政知あしかがまさとも。よりによって“関東”からの介入である。

 堀越公方、そして関東管領上杉氏は小鹿範満を支持し、駿河に軍を派遣する。


 駿河、そして今川は、暴走しがちな関東をけん制する要地であり、要の家だ。

 それを関東の影響下に置くわけには、けっしていかない。

 幕府は調停役として、男を派遣した。


 男の折衝が功を奏し、小鹿範満を龍王丸成人までの当主代行とすることで、ひとまず決着がついた。

 しかし、当然というべきか。龍王丸が成人してからも、範満が当主の座を明け渡すことは無かった。

 男はふたたび駿河を訪れる。調停のためではなく、今川当主の座を、正当なる人間に与えるために。


 兵を集い、小鹿範満を攻め滅ぼした男は、甥の龍王丸を今川家当主の座につける。龍王丸は元服して今川氏親うじちかを名乗った。男は駿河に残り、甥の氏親を謹厳に助けつづける。


 助けるうちに、男は考える。

「この甥を、理想の君主に育て上げたい」と。

 それは応仁の乱以降、無力を晒し続ける将軍たちに対する失望の裏返しだったのかもしれない。

 男は甥である少年君主を助け、教え導いた。時に言を用いて、時に行動をもって。今川氏親の成長は、男を満足させるに足るものだった。


 そして、転機が訪れる。

 明応の政変により足利義澄よしずみが十一代将軍の座についた。

 将軍義澄は、彼の父兄弟を殺して堀越公方の座についた実兄茶々丸討伐の命を、今川氏親に与える。


 氏親の命を受けた男は、伊豆に討ち入り、茶々丸を追い討つ。

 氏親自身も幕命を利用し、茶々丸側についた近隣勢力を討ち伏せていった。

 そして、伊豆を刈り取った男は、幕府の意に沿う風を装い、関東に介入し始める。


 関東では、関東管領・山内上杉と扇谷上杉が争っていた。

 扇谷上杉に与した男は、氏親とともに山内上杉を攻める。

 攻めながら、西相模の豪族、大森氏が山内上杉に与した機を捕えてこれを攻め、小田原城を我がものとする。


 その後、中央政権の転換による逆風。山内上杉と扇谷上杉の共闘。

 強烈な逆境に見舞われながらも、男は耐え、戦った。

 そして、機は訪れた。


 永正えいしょうの乱。

 関東管領・上杉顕定あきさだの討死をきっかけに、山内上杉家と古河公方家の後継者争いが勃発したのだ。扇谷上杉家も、この調停にかかりきりになる。


 両上杉の動きが封じられたその隙を、男は見逃さなかった。

 たちまち兵をあげ、孤立した相模東半国の主、三浦道寸を攻める。

 連戦につぐ連戦。苛烈に攻め続けた男は、ついに道寸を三浦半島の先端部に追い詰める。


 中央官僚でしかなかった男は、豆相(伊豆、相模)二州の太守とならんとしていた。

 しかし、それは男にとって、壮大な野望の、ひとつの過程でしかなかった。






「足利将軍家は衰えた、か」



 男――伊勢宗瑞そうずいはふいに言った。

 重臣たちが、ぎょっとして宗瑞を見る。

 宗瑞は鷹のごとき瞳を釣り上げて、かかと笑う。



「御屋形様(今川氏親)のお言葉よ……まったく、恐れ多い。恐れ多くも――正しい。わしも同感よ。ふふ、わし好みのよい当主に育ってくれたものよのう」



 ひどくうれしそうに、老雄は口の端を釣り上げる。


 今川氏親と伊勢宗瑞。

 乱世の猛禽のごとき主従は、冷たい瞳で天下を俯瞰ふかんしている。



「応仁の大乱以降、幕府の威勢は衰えた。その命は地方に届かぬ。いや、幕府の命など、己が敵を排す名分でしか、ない」



 傲岸不遜に言うさまに、しかし、重臣たちは落ちついている。

 主たる宗瑞が、微塵も揺れていない。ゆえに、迷う必要はない。それほどの信頼関係が、彼らの間にはある。



「力の時代よ。見よや、越後のあり様を。越後長尾のせがれ(長尾為景)が主の上杉を、さらには関東管領を殺して天下にまかり通っておるわ」



 老雄は笑う。くつくつと。



「わしにはな、夢がある。童子のような夢がのう」


「それは、いかような」


「わしはな、御屋形様に――公方(将軍)になっていただきたいのだ」



 その言葉に、一同が、ごくりと唾を呑んだ。



「御屋形様が公方。わしが執権となり、関東、東海三国を支配する」



 その場にいる皆が、頭の中に図を描いた。

 それは鎌倉幕府の、初期の版図だ。鎌倉幕府はそこから全国を支配下に納めた。


 つまり、伊勢宗瑞の夢とは。



 ――鎌倉公方、今川氏親のもと、執権として関東・東海を。やがては全国を差配する。



 それはまさに、鎌倉幕府を支えた執権北条氏のすがただ。

 極上の美酒に酔いしれるように。重臣たちは主の描いた未来図に陶然となる。



「そのためには、山内上杉、扇谷上杉。両上杉を排すべし。中央と繋がり、関東独立の障害となる古き秩序あくの血族どもは、我らの新しき秩序せいぎには不要である」



 老いた梟雄は断ずる。



「関東こそ我らの悲願。関東の都、鎌倉を抱える相模の統一は、その先駆けよ。みな、心すべし」



 伊勢宗瑞の言葉に、重臣たちは声を揃えてうなずく。

 それを確かめてから、梟雄は口の端を釣り上げ、言う。



「では、さて。軍議を始めようかね」







「第一回、三浦家戦略会議ー!」



 エルフの少女が、手を振り上げて宣言する。


 新井城内に建てられた御殿の奥座敷。

 未来から来た三人組は、そこに集まって密談をしていた。



「さて、全員そろったところで考えよう。北条早雲に対抗するために、どう動くか」


「……ふむ、吾輩からひとつ」



 三浦道寸の影武者、猪牙ノ助ちょきのすけ老人が、そう言って手を挙げる。



「はい、猪牙ノ助の爺さん」


「道を作るのだ。“外の引橋”からこの新井城。そして水軍を抱える三崎みさき城をつなぐ陸路をならして広げて美しい道路を造り上げる。これこそ最優先で取りかからねばならぬことであぁる!」



 すっくと立ち上がり、演説するように腕を振りまわす猪牙ノ助。

 それに対しエルフの少女、初音は、ため息をついて首を横に振った。



「却下。敵に攻められてんのに軍隊通りやすくしてどうすんだよ。それより軍制改革だ。あんまり未来のは即時適用が難しいけど、戦国後期あたりを参考にすれば――」


「却下じゃ。装備運用ともに、鉄砲を前提にしたものが多すぎるわい」


「くっ、なら、三間半の長槍とか竹束とか」


「籠城中にそんなもん作ってどうするつもりじゃ。三浦兵の実情にも合わん。それなら適当に守城兵器でも造っとった方が役に立つわい!」


「うー……でもたしかにそうかも。でも爺さん、私はあんまり詳しくないんだけど、守城兵器の構造ってわかるの?」


「かかっ、吾輩が知っているわけ無かろう! そんなもの覚えても一票にもならんからのう!」


「知らないなら偉そうに言うなっ! ……おい荒次郎。黙ってないでお前もなにか言えよ」


「ふむ……三間半丸太……丸太束」


「コラちょっと待てそこの脳筋」



 考え込むようにしてつぶやいた荒次郎に、初音がツッコミを入れた。



「兵士たちに丸太を持たせれば……丸太は盾にもなるし、武器にもなる。橋にもなる。まさに万能兵器。うむ」


「うむじゃねーよそれが出来るのはお前だけだよ馬鹿力! お前らちっとは真面目に考えろーっ!」



 があーっ、と吼える初音。

 怒られて、荒次郎はひどく真剣な顔でつぶやく。



「なぜだ」



 実りのない会議は、まだしばらく続く。







◆用語説明

政所執事――政所の長官。政所は室町幕府の政庁。財政や貸借、土地などの訴訟を司る。

奉公衆――将軍に近侍する御家人。

三間半丸太――敵を遠間から攻撃するため、より長くした丸太。

丸太束――火縄銃を防ぐために用いられた、丸太を束にした盾。


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