第4話 猛将/憑依/マルティスト

「殿の御出陣じゃ! 馬引けぇっ!」


「お、おい、主さま、本気か? 正気か?」



 事も無げにさっさと出陣の支度を終え、御殿ごてんを出ようとする荒次郎に、エルフの少女、初音は不安げに尋ねる。



「――戦だぞ? しかもお前にとっては初陣だ。そんなに簡単に出るって決めていいもんじゃないんだぞ?」


「そうなのか?」


「そうなの! とにかく戦場ってのは、素人が気軽に出てなんとかなるもんじゃない! しかもお前は若くして武名を轟かす猛将、三浦義意よしおきだ。周りの人間は、お前を戦の素人だとは扱ってくれないんだぞ! ここは慎重に――」


「まあ、やってみるさ」



 体いっぱいで主張する金髪エルフを尻目に、荒次郎はき出されてきた巨馬にひょいと乗ると、存外しっかりとした騎乗ぶりで馬を走らせてゆく。



「ああもうっ! なんで小器用に乗りこなすんだっ! 待てよマジでっ! つかお前、太刀も弓も忘れてる! どうやって戦うつもりだよ! あーっ! 猪牙ノ助ちょきのすけのじーさんは任せたよ、の一言で済ますし、お前らちょっとは協調性持てよ!」



 残された少女は、頭をかきながら叫んだ。







“外の引橋ひきはし”。そう呼ばれる場所がある。

 三浦半島南端部を分断する地峡部にあって、左右を断崖に挟まれた、唯一の交通路だ。

 道の南北は掘切ほりきりで寸断され、戦時には渡し橋を引いて防御する。ゆえに引橋と呼ばれる。

 ここはひとつの大手。これより南をひとつの城に見立てた、天然の惣構そうがまえ。それこそが、三浦氏類代の堅城、三崎みさきの要害だ。



「ええいっ! 射れっ! 射れっ!」



 三浦側は、掘切手前に設けられた土塁越しに、さかんに弓を射かける。

 対する伊勢方は垣盾かいだてを並べたてて弓を防ぎながら、じりじりと堀切に寄せてくる。


 引き橋を守る三浦衆は、肝が冷えるのを感じていた。

 しばらく続いた小競り合いとは、明らかに違う。本格的な城攻めだ。



 ――御当主が倒れているこの時に!



 当主荒次郎は三日前に倒れて、いまだ床の上だ。

 それを分かって攻めてきたわけでもないのだろうが、なにもこの時を選んで、と非難する気持ちは抑えがたい。


 三浦衆の怒りの矢は、しかし敵方に有効な打撃を与えられない。

 それを尻目に、一直線に並んだ垣盾の塀は、じりじりと近づいてくる。



「落ちつけ! 道幅は狭い! 寄せられたところで何が出来ようか!」



 味方を落ちつかせるために投げかけられた、その声に応じたように。

 にょきりと、盾の垣から丸太が生えた。



「なっ!?」



 度肝を抜かれる三浦衆を尻目に、丸太は一度だけ、ゆらと揺れると、天を向けてそそり立つ。


 その巨大さ、長大さに、武者たちの反応が遅れた。

 再び揺れ、倒れかかってきた丸太は、引橋の守り唯一の木造部分、門構もんがまえにぶち当たり、これを破壊しながら―― 一本の丸太橋と化す。


 あっけにとられる三浦衆を尻目に。

 垣盾の奥から、さっと飛び出した敵方の若武者ひとり。



「――くっ、来るぞ! 射れっ!!」



 我に返った三浦衆の矢をことごとく弾いて、若武者は丸太を蹴り、一息に土塁の上に飛び乗ると、獣じみた笑いを浮かべる。



「遅いっ!」



 抜きはらった大太刀が大旋風を引き起こし、三浦方の雑兵を二、三人も血塊に変えた。

 血刀を振りまわしながら、若武者は笑い、かつ名乗る。



「はっはあ! 大道寺八郎兵衛だいどうじはちろべえ、一番乗りじゃあっ!」


「渡られたぞっ! 防げっ! ここを抜かれれば一気に攻め込まれるぞっ!」


「っだ、駄目ですっ! 防ぎきれません!」



 伊勢方の兵が、ぱらぱらと丸太橋を渡ってくる。

 ここで止めなければ、敵はとめどなく押し寄せてくることになる。

 相手方が圧倒的に多数なのだ。引橋を破られれば、三浦には、もはや挽回の手が無くなる。


 それがわかっていても、大暴れする敵の若武者を止めきれない。



「くそっ! 御当主がいればっ!」



 言っても仕方がないことだった。

 しかし荒次郎が健在なら、このような若武者の首、容易く挙げたことだろう。

 それ以前に、八十五人力を謳う怪力から放たれる強弓は、垣盾をやすやすと貫き、相手の目論見を木っ端みじんにしたに違いない。


 三浦方の誰もが思い、また口にした。



 ――御当主さえいれば!



 その、心からの声に応じるように。



「――呼んだか」



 後方でつぶやいた雑兵の横を、人馬ともに巨大な騎馬武者が、駆け抜けた。



「……む、あれは」



 かかってきた武者を切り捨てながら、八郎兵衛は見た。


 若い騎馬武者が、引橋に向けて馬を走らせてくる。

 大鎧を着た、七尺を超す巨漢。そのような人間、八郎兵衛が知る限り、一人しかいない。



「三浦荒次郎か!?」



 見る間に、大男はどんどん近づいてくる。

 大男はつぶやくように言った。



「……止め方がわからん」



 八郎兵衛の脇を、大男は駆け抜けていった。







 丸太橋を器用に駆け抜け、ようやく馬が止まった。

 敵中ド真ん中だ。

 武器もない。



「うむ……どうしようか」



 いまさらだった。



「ひっ、み、み、三浦の大将だーっ!」



 敵の足軽たちが、悲鳴をあげて後じさっていく。

 その間から、少壮の武者がゆるりと出てきた。



「三浦荒次郎殿とお見受けした! 伊勢家の新しき秩序に逆らうその御首みしるし、頂戴つかまつる!」



 気合い声とともに、武者が槍を繰り出す。

 それをたどたどしく避けながら、荒次郎、手だけは鋭く、槍を掴みとった。



「なっ!」



 驚きとともに槍を引く伊勢方の侍。

 だが、荒次郎の怪力で掴まれた槍は、万力で絞められたように、びくともしない



「ふむ」



 と、つぶやいてから、荒次郎は槍を武者ごと、ぶんと振りまわした。

 石突きをぶつけられ、武者と、巻き込まれた足軽が宙に舞った。



「……軽いな。まるでマッチ棒だ」



 衝撃でへしおれた槍を見ながら、荒次郎はつぶやいた。

 荒次郎の感覚では、軽く腕を振りまわした、程度のものでしかない。それがこの結果である。



 ――怪物だな。荒次郎という男は。



 どこか他人事のように、荒次郎は心中でつぶやきながら、あたりを見回す。

 伊勢方の足軽は軒並み逃げ散ってしまい、侍たちも、および腰に槍や太刀を向けるのみだ。



「まてまてまてっ!」



 そこに、背後から声。

 丸太橋を飛ぶように駆け戻ってきたのは、引橋の奥で戦っていた若武者、大道寺八郎兵衛だ。



「貴様、わしを無視したな!?」


「……お前は」


「伊勢家御由緒ごゆいしょ、大道寺が一門、大道寺八郎兵衛!」


「三浦……弾正少弼、義意」



 思い出しながら名乗って、荒次郎は折れた槍を捨てる。



「当主自ら単騎駆けとは、我らを舐めておるのか!?」


「ふむ」



 とつぶやいてから、こきりと首を鳴らし、荒次郎は言った。



「――なりゆきだ」


「貴様ぁっ!」



 怒声とともに、八郎兵衛が大太刀を繰り出しす。

 鋭い太刀筋。荒次郎はとっさに身をすくめて避ける。



「素手で勝てると思うなよ!」


「ふむ」



 冷や汗を流しながら、敵の攻撃を紙一重で躱す。

 躱しながら、荒次郎は考える。とにかく、武器がなくては話にならない。



「――武器か」



 鋭い切っ先から逃れながら、荒次郎が目をやったのは、丸太橋だ。

 それを見た瞬間、荒次郎は雷を浴びたような衝撃を受けた。



「これで終いじゃぁっ! 古い秩序あくの血族よ、滅びろやあっ!!」



 大上段からの、八郎兵衛の大太刀。


 その剣閃より、なお早く。

 荒次郎は巨大な丸太を引っこ抜き、大太刀の一撃を防いだ。



「なっ!?」



 八郎兵衛が驚きの声をあげるのも無理はない。

 彼が持ち上げるので精いっぱいだった大丸太を、目の前の男は、軽々と持ち上げて見せたのだ。



「これくらいがちょうどいい……いや、この重量感。吸いつくようになじむこの太さ。むしろこれしかない」


「き、貴様――!?」


「八郎兵衛。俺を悪と呼んだな。だが、そんな理由では――俺は殺されてやらんっ!!」



 フルスイング。

 丸太の大旋風を喰らった八郎兵衛は、大太刀の柄でかろうじて防ぎながらも、見事なアーチを描いて、北条方の群れの中へと吸い込まれていった。



「は、八郎兵衛!?」



 あまりの事態に、度を失う伊勢方。

 その隙を縫うかのように、高く、凛とした声が、三浦方から飛ぶ。



「いまだっ! 引橋出せっ! 主さまを助けろ!」



 エルフの少女、初音の声だ。

 彼女も、戦場など経験したことはないのだろう。見ればその足は震えている。

 怖くないはずはない。だが、それでも。身一つで戦場に向かった荒次郎の身を案じて、彼女は必死で駆けつけてくれたのだ。


 引橋が堀に掛けられ、三浦衆が出る。

 きびきびとした動きで橋がかけられると、荒次郎を助けるため、兵たちが敵との間に身をねじ入れていく。



「早く戻れ、荒次郎!」


「ふむ」



 初音の声に、荒次郎は丸太を小脇に抱え、逆手で馬の手綱を引いて、引橋を駆け戻る。

 頃合いと見てか、伊勢方本陣から退却の鐘が鳴った。


 退いてゆく敵に、三浦衆は一斉に歓声をあげた。



「エルフさん。助かった」


「いいんだよ。つかエルフ言うな。まったく、ムチャするなっての」



 なけなしの勇気を使い果たしたのだろう。

 荒次郎の隣にへたり込みながら、初音はつぶやく。



「――でも、超想定外だったけど、荒次郎が戦えるヤツだってわかった。これで、ほんのちょっとだけは、希望が持てる、かな?」



 言いながら、少女は彼方を見る。

 荒次郎も、視線を添わせる。その先。伊勢方の兵が戻っていく陣所の奥には、荒次郎の、初音の、そして猪牙ノ助の敵が、居る。

 戦国時代の――新しき秩序の権化。三浦一族を古き秩序あくと断ずる乱世の梟雄。



「見ていろ、伊勢宗瑞」



 挑みかかるように、初音は言う。

 それに合わせるように、荒次郎も陣所に向かって手を伸ばし、言った。



「見ていろ、北条早雲」



 それから、ふたりは不敵な笑顔を、お互いに向けた。







「――軍気が、変わったのう」



 ぽつりと、声が落ちた。

 菊名きくなの陣場ヶ原。そこに置かれた陣屋。

 外は兵たちの帰陣で騒がしいが、陣屋のなかは、恐ろしいほど静寂に包まれている。



「しかし、これはお主ではないのう、道寸よ」



 そのなかで、老人が一人、つぶやく。

 赤く焼けた禿頭に、鋭く切れ上がった瞳。

 几帳面なまでにきっちりと刻まれた皺からは、明確な哲理を感じさせる。


 伊勢宗瑞。

 乱世の梟雄。

 下剋上を極めた男は、呼びかけるようにつぶやく。



「息子などに任せて、いつまでも篭もっておってよいのか、道寸よ」



 外も見ず、指揮鞭を杖突きながら、宗瑞は独語を続ける。

 その言葉はただひとり、三浦半島の先に押し込めた好敵手に向けられている。



「早く前に出て来んと……丸のみにしてしまうぞぉ。なぁ、道寸よぉ!」



 老いた梟雄の瞳は、猛禽もうきんの光を宿していた。







◆用語解説

堀切――尾根を仕切るように作られた堀。

大手――城の正面。正門。

惣構え――城下町なども含めて城郭に囲い込んだ城郭構造。

垣盾――地面に置いて使う盾。

土塁――台形状に盛り上げられた土の塁壁。

大太刀――刀身が90cm以上の長大な打刀や太刀のこと。

足軽――歩兵。雑兵。

丸太――武器に橋に命綱に攻城兵器にと大活躍の万能兵器。

止め方がわからん――さもありなん。



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