第26話「互いの想い」
喰人種・玄雲との戦いが終わり、優月が意識を取り戻した時、そこはなじみ深い自宅のソファの上だった。
「よかった……。目を覚ましてくれて……」
心配そうに顔を覗き込んでくる龍次。
見回すと、傍に涼太、少し離れて沙菜の姿もあった。
敵の剣で斬られた優月の脇腹は、何事もなかったかのように元通りになっている。
「あ……はい……。えっと……」
なんといって答えるべきか。
今は穏やかな空気が流れているが、またしても喰人種との戦いで龍次を危険に晒してしまった。
しかも、結果的に助かっただけで自分の力で守ることなどできていない。
沙菜の口からは『等価交換』という言葉が出ていたが、まさしくその通り。喰人種をいつでも殺せる雷斗の力量があって初めて龍次は解放された。
詫びる言葉を探していたのだが――。
「ごめん、優月さん……」
「え……?」
龍次の方から謝られてしまった。その表情は、ひどく切なそうにも悔しそうにも見える。
「やっぱり俺の力じゃ優月さんを守れない……」
「……! い、いえ、そんな……っ」
こちらの台詞だ。巻き込んでおきながら幸運に頼らなければ龍次を守れない。巻き込まれた彼が謝る必要などない。
「前と変わってない……、俺は弱いままなんだ……」
龍次はこの時初めて転校してくる以前のことを話した。
二年前のこと。その頃の龍次は今ほど社交的でもなく、どちらかといえば大人しい方だった。
とはいえ容姿端麗で成績優秀な彼を周囲が放っておくはずもなく、同級生の女子と交際関係にあった。相手は学園のマドンナ的存在。皆から美男美女のカップルとして見られていた。
しかし、幸福な時間は長く続かない。二人の関係に亀裂が入る出来事が起こった。
一緒に映画を見て食事をする――普段通りのデートを楽しむ中、偶然出くわした不良に絡まれる事態となったのだ。
ガラの悪い連中を前に臆した龍次はただ立ち尽くすばかり。幸い近くを通りかかった人が助けを呼んでくれて大事には至らなかったが、彼女の気持ちは龍次から離れた。
その一件以来、龍次は学校の友人からも避けられるようになり、過保護な母親が状況を重く見て転校の手続きを進めたのである。
「あれから身体を鍛えたり、武道を習ったり――、そうして自分を変えたつもりになってたけど……」
龍次の声は暗い。
「……自分の恋人も守れなかったあの時と何も変わってないんだ……」
人間の力で太刀打ちできるはずのない喰人種との戦いが、龍次の中にある苦い記憶を呼び起こしている。
自責の念に苛まれる彼の姿を見ていることは何よりも辛い。それならば、いっそ――。
「あ……あの……、龍次さん……。違うんです……。謝らないといけないのはわたしの方です……。わたしが龍次さんを守りたかったのは……、龍次のことが好きだからで……。勝手に好きになって、守りたいなんて思ってたのに、全然役に立てなくて……」
龍次の言う『あの時』と違い、自分は彼の恋人でもなんでもない。守らなければならない義理はあっても、守ってもらう権利などないのだ。
下心を打ち明けて軽蔑されることになるとしても、彼の苦しむ姿を見続けるよりはマシだった。
「そんなの……俺も同じだよ……」
「え……?」
思いがけない言葉に目を見開く優月。『同じ』ということは――。
「強くなって、今度好きになる人のことは絶対守るって決めてたのに……、俺は優月さんを守るどころか守ってもらうばっかりで……」
「……!!」
龍次の好きな人が自分だった――本来ならばこの上なく嬉しいことのはずだが、彼の辛い胸の内を知ってしまってはとても喜ぶことなどできなかった。
(龍次さんが余計に傷ついてるなんて知らずに……。わたし……最低だ……)
守ることさえできればそれでいいと思っていた。あわよくば好感を持ってもらえないかとも。
「……優月さんに会えるのも、これで最後かな……」
龍次はポツリと呟く。
「あの話、どうやら乗ってくれるようですね」
二人のやり取りを静観していた沙菜が口を開いた。優月が眠っている間に何か話をしていたらしい。
「……ああ」
ソファの前に屈んでいた龍次は立ち上がり沙菜と向かい合う。
「あ、あの話……?」
「――まだ、肩書きを名乗っていませんでしたね」
優月の疑問に対する回答を兼ねて、沙菜は再び名乗った。
「
「研究所……」
初めて聞く組織名だ。名称から察するに、少なくとも人間界ではなく羅刹の世界にあるのは間違いないだろう。そこに行ってしまえば人間界にいる優月にはもう会えない――そういうことか。
「俺が手を貸したら人間界の守備に当たる人員を増やすって約束、ちゃんと守るんだろうな?」
優月に話しかける時とはまるで違う強い口調で確認する龍次。
「そりゃあもう。約束は守る為にあるんですから」
沙菜が浮かべる笑みには捉えどころがない。
「あ……あの……」
「ごめん、優月さん。俺なりに人間を守れる可能性に賭けたいんだ」
龍次の意志は固いようだった。
それでも何か別の道がないのかと尋ねようとしたところ――。
「はっきり言いましょう。龍次さんに霊力戦闘の才能はありません」
先手を打つように沙菜は断言した。
「そ……そんな……っ」
あまりにも非情な言葉に、龍次を慕う者として黙っていてはいけないと感じたが、何を言えば良いのか分からない。
「自分のことは自分が一番分かっている。だからこそ私の誘いに乗ったんでしょう?」
「…………」
「才能がなければ努力しても意味がない。人は自らの才を活かせる場所で生きるほかないんですよ。――龍次さん、あなたは人間でありながら一度説明されただけで霊子学の理論を理解した。反面、戦いでは断劾どころかただの霊戦技すら使いこなせない」
「もういい。分かってる」
龍次はうんざりした様子で沙菜の言葉を遮り、そして優月の顔を見つめた。
「嫌な話聞かせてごめんね」
「い、いえ……」
「俺は俺でなんとかやってくから」
「あ……」
この会話が終われば、彼は遠くへ行ってしまう。どうにか引き留めたいが、その為の言葉も力も自分にはない。
「さよなら、優月さん」
儚げで美しい、しかし、ひどく弱々しい笑顔。それだけを残し、龍次は去っていった。
「優月、追わなくていいのか? 今ならまだ――」
羅刹の世界に行くにしても準備があるはず。涼太が言う通り、今はまだ家に帰っただけだと思われる。しかし――。
「わたしじゃ、龍次さんの力になれない……」
追いかけたところで何もできないのは分かり切っていた。
「――『
「え……?」
沙菜の口から聞きなれない名前が出る。
「龍次さんが付き合ってた女の名前ですよ」
龍次の過去についても調べ上げていたらしい沙菜は、彼の話に補足説明を加えた。
「この女、危ないところを助けてもらえなかったことで相当な逆恨みをしていたようでしてね。その時の話を随分脚色して校内に広めていたみたいですよ。一人だけ逃げたとかなんとか」
いくら今に比べて気が弱かったとしても、あの龍次が恋人を見捨てて逃げるはずはない。彼が学校での居場所を失った原因はこれだ。
「もしも龍次さんが『天堂優月に付きまとわれてる』とでも吹聴したらどうなるか。そう考えたら当時の状況は想像しやすいんじゃないですか?」
「……っ」
高島という女が、今の龍次同様クラスの中心人物だったなら、まさしくそういうことなのだろう。
(ひどい……)
怖い思いをしたのは同じではないのか。龍次を恨む必要がどこにあったというのか。
「どうします? 龍次さんを追わないならこいつをシメにいきますか?」
「……その人のことはどうでもいいです」
やはり龍次をこのままにはしておけない。
優月はソファから立ち上がって沙菜に頭を下げる。
「沙菜さん、お願いします。わたしに……戦い方を教えてください」
「意図を訊いておきましょうか」
「やっぱり、わたしは龍次さんを守りたいんです。だからわたしに守られることが恥ずかしくないぐらい強くなれたらと……」
龍次も自分自身も、誰も傷つかずに戦いを終わらせられれば彼が無力感を覚える必要もなくなるはず。その為には敵に勝てるだけの力では足りない。余裕を持って勝つことのできる強い力でなくては。
「うまく説明できないですけど……その……」
「ふむ……。優月さん、やはりあなたは思った通りの人ですね」
まるで以前からずっと優月を知っていたかのような口振り。
「殊勝な心がけだと思いますよ。少なくとも高島遥とは雲泥の差です。――しかし、いいんですか? 私で」
「え……?」
ニヤリと笑った沙菜は意味深に尋ねてくる。
「他に教わりたい相手がいるんじゃないですか?」
本気で強くなる為に戦い方を教わりたい相手というなら――。
「沙菜さんは、雷斗……さまとお知り合いなんですよね……?」
沙菜の実力も未知数だが、雷斗の強さはまさしく別格だった。協力を得ることさえできるならば、彼ほどの存在はない。
「私の肩書きをもう一つ教えましょう。月詠雷斗様が筆頭信者・如月沙菜です」
こうして、雷斗の下で修行ができるよう沙菜が口利きをしてくれることとなった。
今さら追いかけて龍次の恋人になれるなどとは思っていない。だが、受けた恩を返さない訳にはいかない。
前の女とは違うというところを見せられれば、戦う力を持たない彼にも胸を張って生きてもらえる。そう信じて――。
(少しだけ待っていてください、龍次さん――)
第三章-分かたれる道- 完
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