第10話「霊魂回帰」

「優月さん、あなたにとって本当に怖いのはなんですか?」

「え……?」

 風花ふうかという名の羅刹が遺した霊刀・雪華から問いかけられる。

「優月さんは優しいから、喰人種の彼を傷つけるのが怖いのですね?」

「…………」

 そうかもしれない。優しいかはともかく、赤烏の境遇に自らの境遇を重ねてはいる。

「――でも、怖いのはそれだけですか? 龍次さんのことは?」

「そ……それは……、もちろん龍次さんが死んでしまうことも……」

 最初から分かりきっていることだ。しかし、――仮に喰人種を倒せる力量があるとして――相手が人を喰らう存在だから、龍次を助ける為だからといって、人殺しが正当化されるのか。されていいのか。

 そんなつもりはなくても調和を乱す存在としてうとまれている自分と、本人の意思に反して人を喰らう存在として生きている赤烏。どこに違いがあるというのか。

「一つ教えておきます。『喰人種化』をする方法はありません。お二人のうち、どちらかは必ず死にます」

「……っ」

「抵抗せずに喰われれば、赤烏に憎まれることはないでしょう。感謝すらされるかもしれません。でも、その為に龍次さんを見殺しにしたら、遺された家族や友人はどう思いますか?」

 もしも、みなに好かれている龍次を見捨て、恩を仇で返すような真似をすれば、刀など向けるまでもなく誰もが自分を憎むだろう。誰からも憎まれずに済む、そんな選択肢は存在しない。

「殺すことも、見殺しにすることも、あなたにとってつらいはずです。死んでいい人間がいる訳ではありません。――もう一度お訊きします。龍次さんと赤烏、より恐ろしいのはどちらを傷つけることですか?」

「わたしは……」

 優月がよどんでいると、雪華は昔語りを始める。

「六年前、あなたたちを助けた風花は『勇敢に』戦ったのではありません。無関係の人間を巻き込んでしまうことが怖かったから、その恐怖からのがれる為に戦ったのです」

「……! 風花さんが……」

 想像もしていなかった。命懸けで自分たちを助けてくれた彼女が、恐怖を感じて逃げていたなどとは。

「命をはかりにかけることがはばかられるなら、恐怖を秤にかけてください。あなたは何から逃げたいのですか?」

 臆病な自分が、殊更ことさら怖れているのは何か。考えるまでもないことだ。

「雪華さん――」

 刀の雪華にも優月の顔が見えているのか、それ以上は語らず、ただその刃をませた。


「はッ――!」

 赤烏の太刀が龍次を襲う。

「はぁっ……、はぁっ……」

 なんとか直撃をまぬれているが、最早、龍次の体力は限界だ。

「……そろそろ終わりだな……」

 霊刀・烈火が再び火炎を纏ったその時――。

 刀身に氷の刃が叩きつけられた。

「――!」

 不意に放たれた一撃で、赤烏の炎は打ち払われる。

「――やる気になったか」

「……はい……。すみま……せん……」

 優月は、精一杯の声を絞り出して謝罪した。

「優月さん……」

 龍次は、この上なく心配そうな目で見つめてくる。それはそうだろう、不安に思われて当然の情けない姿だ。

「謝る必要なんかねえ。――いや、オレも謝っとくか。……すまねえ」

「いえ……。……ありがとうございます」

 およそ敵との会話とは思えない、互いを気遣う言葉のやり取りだった。

 龍次を除けば、学園にここまで真摯しんしに向き合ってくれる相手はいない。

 せめて、最大限の誠意を込めて――。

「――いきます」

 その手に握る霊刀・雪華で斬りかかった。

 刃を合わせると、火炎と氷雪、それぞれの霊気がせめぎ合う。

「やっぱいい腕してるな。人間にしとくのが惜しいぐらいだぜ」

 ――おかしい。

 力に目覚めたのは六年前でも、優月の実戦経験はないに等しい。対する赤烏は本物の羅刹だ。

(……そうか。この人は今……)

 先ほど、ふと呟いていた言葉を思い出す。

『オレの意思で使える霊力の割合が下がってるのか……?』

 赤烏は化物への変異を自力で抑え込むのに手一杯で、本来戦う余裕などないのだ。

 『』者が、『』者を痛めつける――。所詮、臆病者や卑怯者の戦い方などそんなもの。

 死にたくない。龍次も死なせたくない。だから――。

 恥はてにした。

「ぐ――ッ!」

 腕力では勝てないとみて、相手は使えなくなりつつある『霊気』を集中させてやいばを振るう。

 案の定、霊気のぶつかり合いに勝ったことで、敵を弾き飛ばせた。

「……本当に……すみません……」

 こちらは刀の正しい持ち方すら知らない素人。正々堂々と戦えば負けるに決まっている。

「そんな何回も謝るなよ。オレはまだまだ戦えるぜ。霊気の量で勝てねえなら、隙を作って刃を直接叩き込むだけだ」

 龍次に押されていたとはいえ、優月よりはよほど優れている運動神経を活かして一気に側面へと回る赤烏。

「くらえッ!」

 なんとか刀で防御したが、無理な体勢に衝撃が加わってふらついてしまう。

 戦う気にはなったものの、なんら勝機を見出してはいない。実力では間違いなく劣っている。

 それでも、ここで倒れれば龍次が割って入るかもしれないと必死に踏み止まった。

「はっ……、はっ……」

 息が上がっている。

 刀だけいいものを貰っておきながら、怠けきった生活を送ってきた自分が恨めしい。

 だが――、こちらは氷で形成した刃を飛び道具として使える。

(距離を取って、赤烏さんの霊気がなくなるまで時間を稼げば……)

 逃げ腰な戦法を考えていたところ、突然、赤烏の刃に紅色べにいろをした何かが巻き付いた。

「ようやく、ちょっとはマシな顔するようになったな」

「りょ……涼太……」

 伸縮する特殊な形状の刀身を持つ『霊剣れいけん紅大蛇べにおろち』を手にして現れた優月の弟。

「なんだ? こんなちっこい子供まで魂装霊俱持ってんのか? 一体何人なんにん――」

「てめえ……、自分の状況分かってんのか?」

「――ッ!?」

 涼太は眉をひそめ、ドスの利いた声で赤烏の言葉を遮る。その威圧感は、喰人種のほうが怖気づくほどだ。

 迂闊うかつにも逆鱗げきりんに触れてしまったらしい。

「――同系統の能力は相殺される。てめえは今、炎を出すこと自体ができねえ」

 炎を放つ能力は、炎を放たせない能力でもある。

 力を封じられた赤烏は無防備な状態だ。

「優月! 今のうちにこいつをぶった斬ってやれ!!」

 今しかない。龍次を助け、自らも生き延びる為には斬らなければならない。

(雪華さん……!)

 刀身が水を生み出し、さらに大気中の水をもき集め、それらを纏う。

 そして、刀を振ると共に霊力で凍りつかせ鋭利な氷の刃と成す。

「がッ……!」

 凍てる刃をその身に受け、赤烏の右腕は斬り落とされた。

(……っ……)

 思わず目を背けたくなる痛ましさだ。

 だが、目をらしてはならない。

 一撃で仕留められなかったならば、とどめを刺さなくては。――片腕を失った、丸腰の相手に。

「く……そ……。こんなところで……、死んでたまるか‼」

 叫びに合わせて、地面に転がっていた霊刀・烈火から光のようなものが飛び出す。

霊魂回帰れいこんかいき――‼」

 その光が赤烏に吸収されると同時に凄烈せいれつ火柱ひばしらが上がった。

 魂装霊倶は、羅刹本体から切り離された魂が込められた武器。魂の一部を切り離す理由は、力があまりに強大すぎる為だ。

 常時、強大な力を身に宿していたのでは、その制御が負担となり、かえって魂魄維持が難しくなる。

 ――『霊魂回帰』は、寿命と引き換えに本来の力を取り戻す、羅刹の切り札。

「なっ……、なんなんだ、これは!?」

「く……、やばいな……」

 霊力の存在自体を知らない龍次はもちろん、さすがの涼太も激しく燃え上がる霊気に圧倒されていた。

 のぼる炎が収まり、その力を纏った赤烏が姿を現す。

「傷が回復しねえ……。やっぱり扱い切れなくなってんだ……」

 強烈な霊気を放ちながらも、傷口を押さえ悔しそうに呟いた。

「もう後がねえ! 終わりにさせてもらうぜ!」

 優月をまっすぐ見据え、猛々しく叫ぶ。

霊戦技れいせんぎ――烈火紅弾れっかこうだん‼」

 赤烏は残された左腕を突き出し、霊力の凝縮によって生まれた火球を撃ち出す。

「――‼」

 かわす暇も氷で身を守る暇もなく、爆発が優月を吹き飛ばした。

「優月‼」

「優月さん――‼」

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