第18話「死闘」

 守備的布陣のはずが、財満ざいまんのドリブル、石元のクロスにアリオスのヘッドでの素早いカウンターを放つ多喜城たきじょうFCは、何度も鬼怒川デモーニオのゴールを脅かした。


 低い位置でのボールキープからのアリオスのポストを有効に使ったロングカウンター。それは確実に相手選手のスタミナと精神力を削り続ける。

 しかし、最初は戸惑いのあった鬼怒川のディフェンスも徐々に落ち着きを取り戻し、元々のプレスの強さが功を奏して、少しずつ多喜城のボール回しも苦しくなって行った。


 もちろん、多喜城も手をこまねいていた訳ではない。FWアリオスから始まる早いプレスで応戦する。狭い範囲で体をぶつけあい、素早く前へ運ぶ戦いは、多喜城の選手たちのスタミナも削って行った。

 なかでも特に、普段守備をある程度免除されている石元やアリオスにかかる負担は、相対的に大きくなっていた。


「まずいな」

 清川がテクニカルエリアで呟く。

 前半30分を過ぎた辺りから、アリオスの走る距離が目に見えて落ち始めていたのだ。何か手を打たないわけには行かなかったが、多喜城にとってのメインの攻撃手段と言えるテル-アリオスラインを前半から下げる訳にも行かない。少しの間頭を悩ませた清川は、本来右SBである森尾を左SBで起用することを決心した。


「ユースケ(森尾)、お前はとにかく左サイドライン際の守備を全部一人でやるつもりで走れ。テル(石元)とアリオスの守備の負担を軽減させて、後半の反撃のエネルギーを稼ぐ」

 大きな身振り手振りで森尾に戦術を指示する。

 前半35分、相手と競ったアリオスが倒されゲームが止まったタイミングで、仁藤と森尾の交代が告げられた。


 怪我でもない、調子が悪い訳でも、試合にフィットしていない訳でもない選手をこの時間に交代させるというのは大きな賭けだ。

 それに、交代させられた仁藤もそう簡単に納得できるわけではない。

 特にこの試合は全員が目標としてきた大事な試合だ。それぞれの気合も違っている。

 何度も「俺?」と確認しながら戻って来た仁藤は、憮然とした表情でベンチに体を投げ出した。


 石元に作戦を伝えながら森尾が元気良くピッチに入る。

 スタンドからは森尾のチャントが鳴り響き、それを確認した清川は、仁藤の隣に腰を下ろした。


「すまんな。お前が悪いわけじゃねぇんだが、俺の見込みが甘かった」

 ピッチを見つめながら、謝罪の言葉をかける。

 仁藤は汗を拭き終えるとベンチコートを着込んですね当てシンガードを外した。


「……納得してる訳じゃないですけど、勝つために必要なことなら仕方ないですよ」

 奥歯を噛み締め、両手の筋が白く浮き出すほどに手のひらを握り締めながら、仁藤はやっとそれだけの言葉を絞り出す。その目は清川と同様、ピッチの中へ向けられている。


 二人の見ている前で、入ったばかりの森尾がSHの位置まで突進し、本来なら石元の守備位置に居る相手からボールを奪う。

 フェアなスライディングに見えたそのプレーで相手選手が倒れ、主審は森尾のファールを宣言した。


「おい!」

 清川と仁藤が同時に叫んで立ち上がる。

 テクニカルエリアまで走り、ノーファールをアピールする清川は、副審に少し下がるように注意を受けている。

 その背中を見て、仁藤はフッと拳の力を抜いた。


「ユースケ! 大丈夫だ! 今のでいいよ! ガンガン行け!」

 仁藤の声援に親指を立てて答えた森尾が、猛スピードで守備位置へ戻る。自分にあのスピードがあればと、仁藤は高校生SBを羨ましげに見つめた。

 仁藤が習ったSBと言うポジションは、あくまでも守備がメインのものだった。

 しかし、今のサッカーではSHとの連携で最前線まで駆け上がり、クロスやシュートを放つ選手が求められる。サイドの守備は、押しこむことにより相手を吊り上げ、ラインを上げる事によって結果的に攻め上がらせないと言うのが主流だった。

 リトリート(全員が自陣に下がって固く守る戦術)して守る戦術なら自分のほうが森尾よりも何倍も役に立つという自負はある。今はその状況ではなくなった。そういう事だと理解してもなお、前半での交代は仁藤の心に重くのしかかっていた。


 安定し始めた左サイド。カウンター攻撃に参加する回数が増えた石元が、良いリズムを作り始める。

 しかし、石元の高いクロスに反応したアリオスが、足をって倒れこみ、ボールを奪われると、大きく跳ね返されたボールは相手FWに綺麗に収まった。


 多喜城の選手はアリオスの負傷による試合中断を求めて手を上げるが、主審はボールと関係しない場所であると判断してそれを流す。

 一気にゴール前まであげられたボールに向かって、猛スピードで戻った森尾と交錯しながらも、GK片端はなんとかボールをキャッチした。

 片端、森尾、相手FWの3人が折り重なり、片端の頭がゴールポストに激突する。それでもボールを離さない片端は、ボールを抱えたままピクリとも動かなくなった。


「ノリオ(片端)!」

 笛が鳴るのも待たずに選手が次々と集まる。

 アリオスの元にも福石が駆け寄りふくらはぎを伸ばしたが、こちらはまだなんとか大丈夫そうだった。


 頭から出血した片端はGKである為、治療が済むまで試合は再開されない。救護班は少し多めに時間をかけて片端の頭を止血した。


「……おどかしやがる」

 救護班が大きく丸のサインを出したのを見て、清川はベンチに腰を下ろす。アップのペースをあげていたサブGK大滝にも、また通常のペースに戻すよう指示を送った。


 まるで玉ねぎかラッキョウのような形にテープを巻かれた片端の頭にスタンドから笑い声が上がる。しかし、他の選手に手を上げて大丈夫だとアピールする守護神に向けて、笑い声はすぐに大きなチャントへと変わった。


 少しの休息をとれた選手たちはまた激しい守備合戦を行い、スコアレスのまま前半終了の笛はピッチにこだました。





 ハーフタイムインタビューを終えて、清川が少し遅れて入ったロッカールームは、まるで魚河岸のような喧騒に包まれていた。

 疲れているはずの選手たちは、その目に闘志をみなぎらせ、大声で前半の良くなかった所に対する意見交換を続けている。

 悪くない雰囲気だと清川は笑みを浮かべた。


「盛岡、前半終了! 0-1で負けてます!」

 ドアの前に立っていた清川の背中に、雫が顔から突っ込んでくる。それでなくても高くない鼻を押さえながら顔を出した雫は、優勝・昇格争いの相手の途中経過に大きく盛り上がる選手たちを見ると、慌ててきびすを返すとドアの向こうへ引き返した。


 ハーフタイム中。汗でぐしゃぐしゃになったユニフォームは着替えられる。

 当然選手たちはほとんどがサポーターパンツ一枚の格好だ。中にはシャワーを浴びてタオルすら巻いていない選手もいる。

 雫には少々刺激が強すぎたようだった。


 笑ってドアを閉めた清川は、しかし、少しだけ表情を曇らせた。

 勝たなければ昇格も危うい。そう思ってがむしゃらに戦っていた選手たちに、引き分けでも昇格は出来るという心の緩みが出てしまうかもしれない。

 少しでも気の緩みが出れば、この試合は負ける。清川の頭によぎったその考えは、もはや確信だった。


「気を抜いちゃダメっすよ!」

 突然、選手の中からそんな声が上がる。


 皆の視線の中に立ち上がったのは千賀だった。


「相手もプロっすから。絶対ベストは尽くしてくる。少しでも気を抜いたら昇格も危ういっすよ」

 毒気を抜かれて、皆一様にシンと静まり返った。

 千賀は言葉を続ける。


「そもそも俺らは優勝しか目指してないっしょ! 優勝のご褒美にJ2昇格がついてくるんす。集まってくれたサポーターにも気を抜いた試合なんか見せられないんすよ。とにかく……勝って優勝っす!」

 唖然として口からスポーツドリンクをダラダラこぼす平山の後ろから、森が立ち上がって千賀を抱きしめる。


「ナオキ(千賀)の言うとおりだ! 気を引き締めて、後半全力で勝ちに行くぞ!」

 千賀の成長ぶりに涙を浮かべた森は、キャプテンらしく全員に向かってそう締めくくり、千賀の肩を何度も揉んだ。




 後半に向けての準備を終え、山田と後半のプランについて話し合っている清川の背後に、財満がそっと近づいた。


「おう、なんだ?」

 努めて軽い感じで声をかける清川に、財満は静かに口を開く。


「キヨさん。俺、大丈夫だから」


「あ? 当たり前だ。あと15分か20分。ヨシヒロ(山田)と交代するまでは頑張ってもらわねぇとな」

 先ほどまでアイシングしていた膝へチラリと視線を向け、財満の顔を見なおした清川に向かって、財満は決意の硬い表情を見せた。


「違うよ。最後まで……90分、俺は走れる。それよりアリオスの足はもう限界だよ。前半から足もってる。ヨシヒロはアリオスと交代させてやって」

 財満に言われるまでもなく、アリオスのスタミナは連戦で落ち、限界に近づいている。それでも前半から足が攣るほどに走っていた。

 ここで山田を財満ではなくアリオスと交代できれば、3枚の交代カードの内の1枚を温存することが出来る。復帰出来たとは言えGKの片端が前半に怪我をしている現状では、それは有りがたかった。


「しかしな……」


「それに今日は俺の日だって。イチさん(森)が言ってたよ」

 躊躇ちゅうちょし、言いよどむ清川に、財満は明るい声で言った。


「……分かった、様子を見て、行けそうならそうしよう。頼むぞ、10番」


 清川に送られ、選手はピッチへと走りだす。

 運命のその時間は、あとわずかの所まで迫っていた。

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