ダークエルフの女将校、あるいは大人になってゆく尻について

 異世界にやってきて二日目の朝がきた。

 今日はダークエルフの巨乳お姉さんがおれに会いに来る日だという。

 おれはそのことにとてもワクワクして、夜遅くまで眠れなかった。

 そして夜遅くから明け方までは、別の理由で眠れなかった。

 「さ、寒い……」

 ここの夜は寒かった。

 石造りの建物だけあって、夜になるとひどく冷え込んだ。

 しかもおれはジャージしか着ていなかった。パンツすらまだこの世界で手に入れてなかったから、本当にジャージ一丁だ。

 局部も寒い。そんなわけで、ほとんど眠れなかった。

 空が明るくなってきたころ、おれは自分の寝室を出て、廊下をふらふらと歩きまわっていた。

 おれは部屋にあった布靴をはいていた。どうにか靴を手に入れたわけだ。おれのサイズよりずっと大きかったが、裸足だった昨日よりマシだ。とはいえ薄っぺらい布靴だから、床の冷たさが貫通してくる。

 廊下でクムクムと出くわす。彼女は大きなホウキで床を掃いていた。

 「おはよう。早起きじゃないか」

 「ああ……」

 おれは力なく返事する。

 「元気ないな。大丈夫か」

 獣人……じゃなくてコボルトの彼女はとくに寒そうにしていない。全身もこもこだから。いいなあ、毛皮。いっしょに寝てくれたらあたたかかろうと一瞬思ったが、そんなこと言うとまた痴漢呼ばわりされそうだ。

 「く、クムクム召喚士どの……」

 「なんだ、あらたまって」

 クムクムはおれをじっと見る。

 「交尾なら、いやだぞ」

 「ちがいます」

 「ならよかった。それで?」

 「……お、おトイレはどこでしょうかっ!」

 おれが廊下を歩き回っていたのは、便所を探すためであった。

 「なんだ。腹こわしたのか」

 「頼む……残された時間は…………少ないんだ」

 おれは腹をこわしていた。

 しかも相当ハードモードの壊しかただった。

 「こ……このままではおれの内容物がハローグッバイしてしまう! 早く教えてくれ! お尻が叫びたがってるんだ!」

 「そ、そんなにせっぱ詰まってるのか」

 「ああ、いまにも脱獄しそうだ。おれの中にあるおれでないものが自由を欲しがってる。ショーシャンクの空にみたいな感じだ……」

 「い、意味がわからん!」

 クムクムは言う。

 「だったら、はやく行け! そんなだらだらしゃべってる場合か!」

 「早く便所の場所をお教えください! 召喚士どのー!」



 けっきょく、便所は野外にあった。

 「……ふう」

 最悪の事態を避けたおれは、ようやく人間らしい気持ちをとりもどすことができた。

 「よく考えたら、便所が屋内にあるとは限らないんだよな……」

 おれはひとりごとを言った。

 「おれのいた世界の常識は通じないわけだ」

 よく考えたらわかる話だったな、と冷静になった頭で思う。

 ここ、召喚塔は丘の上にぽつんと立っている建物だ。この異世界の状況からいって、そんな建物に下水管が遠くから引いてあるわけはない。そう考えれば、トイレが屋外にある事はわりと自然だ。

 「しかし、こんなビッグハザードは久しぶりだぜ……」

 おれが腹を壊したのは、寝冷えだけが理由ではないだろう。ストレスもあるかもしれないし、なにより……。

 「昨日、尻にあれこれされたのが効いたのかもな」

 と、おれは昨日のめくるめく尻触診体験を思い出す。

 「おれの尻も一つ大人になりました……っておおっ! 紙がねえ!」

 トイレットペーパーがなかった。

 見なれたロールを探してあたりを見回してみると、布の切れはしが入った箱が目についた。

 「こ、これで拭けってことか、そうか、そうだよな……」

 おれはその麻布のような粗い布を使った。

 かなりゴワゴワした感触である。

 「ああ……おれの尻が大人になっていく」



 「……ぼくのせいにするのはやめてくれたまえ」

 エコー先生はおれに言った。

 「いや……でも」

 おれはパンを食べながら口答えする。

 「あなたがおれの尻を」

 「医学的な検査だよ! 肛門の触診はね。まるでぼくが個人的な趣味でやったような言い方をしないでくれたまえ!」

 「食事中にそういう話はやめて欲しい」

 クムクムが干し肉をかじりながら言う。

 「ああ……失礼」

 朝食の時間だった。

 おれたちは今、塔にいる全員で食卓をかこんでいる。

 簡素な食事だった。それぞれの前に黒パンと干し肉、それとポトフを水で薄めたような野菜スープが置かれている。

 空きっ腹だったおれにはとても美味しく感じるが、これまでの生活だったら絶対好まないような食べ物だった。

 黒パンは粉の粒が粗くてざらざらしているし、ふっくらした感じもない。干し肉は塩味だけで、香辛料などは入ってない。しかもなかなか食いちぎれないほど固い。スープも薄かったし、野菜はくせが強かった。

 もし同じものが学校の給食で出たら、子供たちは残すことだろう。

 パンをのみこむたびにのどが詰まるような感じがした。水を二杯くんで飲んだ。ここの水は石灰のような味がして、お世辞にも美味しくはない。

 「症状を聞くかぎり、軽い食あたりに思えるけど」

 みなが食べ終えたあたりで、エコー先生がふたたび口を開く。

 「何かきのう食べなかったかい? 地面に落ちてる食べ物とか、死骸とか」

 「先生はおれを何だと思ってるんですか!」

 「可能性を検証しているだけだよ」

 エコー先生はにっこり笑う。素なのか意地悪なのかわからない。

 ちなみに、エコー先生は何も食べていない。彼は電気で動くからだ。レモン電池がいまの彼の電源である。

 「昨日はなにも飲み食いしなかった?」

 「いえ……ああ、そうだ。水差しが部屋にあったから飲みました」

 「そう……このあたりの水は金属イオンが多いからな。いわゆる硬水だ。慣れるまでは気をつけた方がいい。一度湧かして飲んだ方が」

 「軟弱な人ですねえ」

 アイシャがおれを見て笑う。

 「三日前に汲んできた新鮮な水なのに」

 「うっ」

 おれは自分がさっき水をのんだコップを見る。

 腹がイヤな感じに鳴った。

 「ダークエルフの将校さんは、昼頃にいらっしゃるようです。軍人さんの前で失禁したりしないでくださいよね」

 「き、気をつけます。で、どんな人なの。巨乳ってことしか知らないんだけど」

 クムクムが呆れたような顔でおれを見る。

 「小柄でかわいらしい方ですよ。とっても」

 「うおおおおお! ロリ巨乳!」

 おれはガッツポーズをする。

 エコー先生も呆れたような顔でおれを見る。

 「あ、あと、とても露出度の多い鎧を着ていますが、ダークエルフにとってはわりあい普通なので、驚かないでください」

 「うおおおおお! 高露出度アーマーロリ巨乳! ついにロマンが!」

 アイシャも呆れたような顔でおれを見る。



 

 「ダークエルフ帝国陸軍、第二師団、攻城連隊のミフネ・アリコワ中佐である」

 ミフネはそう言って、おれを見た。

 「異世界人の男よ。わが帝国はこの世界で最大の軍事力を誇っている。覇権はつねに帝国にある。この世界で生きるならそれを忘れない事だな」

 「ど、どうも……」

 おれは言う。

 ダークエルフのミフネは美しかった。

 褐色の肌と黒い髪、そして黒い瞳。小ぶりな三角形の耳。それはまさにおれのいた世界の物語に出てくるダークエルフそのものだった。

 彼女の髪は定規をあてたようにきちんと切りそろえられていた。くっきりとした顔に、感情のよめない表情をうかべて、おれをじっと見ていた。

 「よ、よろしくおねがいします」

 おれは緊張しつつ言った。

 「ああ、よろしく」

 ミフネは少しだけ笑う。おれはほっとした。

 異世界にきてからというもの、初対面の異種族に会うたびにえらい目に合っていたので、今度はどんな目に合うかとガクブルしていたのだ。

 そしてアイシャの言うとおり、彼女の胸は大きかった。

 そして、胸以外も大きかった。

 「生きているヒューマンは初めて見たぞ」

 ミフネはおれを見おろして言った。

 「そ、それはそれは。好きなだけ見てください」

 おれはミフネを見上げて言った。

 そう、ミフネは身長がメチャクチャ高かったのである。

 おれが手を上に伸ばして、ようやく指先が彼女の背丈と並ぶかどうか。そのぐらいの高身長であった。

 だからして、おれがまっすぐ前を見ると、ちょうど彼女の乳が目の前にあるのだった。しかしじっと乳を見ていたらさすがに失礼なので、おれはがんばって視線をぐっと上に向けていた。

 「しかし、妙な服だな、お前たちの民族衣装か」

 ミフネはおれの着ているジャージをみて言う。

 「ま、まあ、そのようなものです」

 「そうか、それにしても妙な見た目だ……」

 ミフネは腕組みをしておれをながめる。

 「そ、そうですかね? でもミフネさんの服も……」

 「ん? わたしの鎧がどうかしたか」

 ミフネは言う。

 おれは多少目のやり場に困りながら、ミフネの姿を見る。彼女が着ていた鎧は、とても露出度が高かった。腹もふとももも出ている。いわゆるひとつのビキニアーマーであった。

 鎧、と聞いてふつうイメージするようなぶ厚い装甲があるのは、ひざから足にかけてをおおうブーツの部分と、首から肩にかけてのパッド状の装甲、それとつながって胸をおおう胸当てぐらいだ。

 腰回り、つまりパンツの部分は本当にパンツそのもので、しかもハイレッグだった。まったく身を守るのに役に立たなそうである。

 「一般的な鎧だ」

 ミフネはそう言った。

 「い、一般的なんですか」

 「軽量化を重視している」

 「軽量化しすぎって感じが……」

 と、おれはむきだしになったミフネの腹を見ながらいう。うっすらと腹筋が浮きあがった、健康的な肌である。

 「合理的な理由があるのだ」

 「あるんですか!」

 「あとで説明してやる」

 「立ち話もあれだ。中佐どの、イスを」

 クムクムがミフネにイスを勧める。彼女が座ったので、目を合わせるのはラクになった

 「何かお飲みになりますか、中佐どの」

 アイシャが丁寧な口調で言う。彼女はけっこう腰が低い。おれ以外には。

 ところで、中佐ってなんだっけ?

 おれには中佐というのがなんなのかわからなかった。かといって、ここで質問したら恥をかきそうなので、黙っていた。

 中佐、軍隊の階級だな。それぐらいはおれにもわかる。

 中というぐらいだから、真ん中ぐらいの偉さのはずだ。たぶん。そう思った。



 アイシャが持ってきたみょうな色のお茶を飲みながら、ミフネはクムクムが持ってきた書類をひとつひとつ吟味して、確認のようなことをしていた。彼女たちはかなり専門的な会話をしているようで、おれにはまったくわからなかった。

 おれはアイシャを見る。彼女もヒマそうだ。

 「ね、ねえ。小柄な人って言ってなかったっけ?」

 おれはアイシャに耳打ちする。

 「小柄ですよ、ダークエルフの女性としては」

 アイシャがいたずらっぽく笑う。

 なるほど、つまり、他のダークエルフはもっと背が高いわけである。

 「いま、私の身長のことを言ったな」

 ミフネがいつの間にか書類から目をあげ、こちらを見ていた。

 「私は耳がいい」

 「あ、いや……その」

 アイシャが気まずそうに指先をつつき合わせる。

 「殺すぞ」

 「ひいっ」

 「ここは刃傷ざたは御法度だぞう」

 クムクムが間に入る。「ここは中立地帯だからな」

 「ふん、わかっている」

 ミフネはにやりと笑う。

 「ここじゃない場所で、そのうち機会があろう」

 「ひっ」 

 「さてアイシャくん、気分転換に外の空気でも吸おうじゃないか」

 「ひえー」

 ミフネは立ちあがり、アイシャの首根っこをつかんで、いっしょに外に出ていった。しばらく経って、遠くから、アイシャの「それだけは! やめてー!」という声がうっすら聞こえた。

 「クムクム、アイシャは大丈夫か?」

 「まあまあ、殺しはしないと思うけどな」

 クムクムは他人事のように言った。

 「ぜ、ぜんぜんおだやかな人じゃないじゃないか?」

 「ダークエルフの女の中では温厚な方だ」

 「……そういうことね」

 「それに、ミフネとアイシャはなんだかんだ仲いい。あいつらは友達同士だからな。200年ぐらいつるんでるから、あれもじゃれあいみたいなもんだ。心配しなくていい」

 「なあんだ」

 おれはほっとした。

 「じき戻ってくるだろ…………ん!」

 クムクムがぴくりと体をふるわせる。

 「どうした?」

 「まて……」

 彼女は空中をふんふんと嗅ぎまくる。そして言う。

 「間違いない…………まずいぞこれは」

 「なにか臭うのか? まさか……おれ?」

 おれはあわてて自分の尻に手をやり、ボムが炸裂していないかたしかめる。

 だ、大丈夫だ。問題ない。おれの尻はもう大人だ。

 「ちがうわ! それじゃない!」

 「じゃ、じゃあ何? また怪物?」

 「ちがう。ハイエルフの女のにおいがするんだ。それと香水と菓子のにおい。それにうっすらと薬品臭…………や……やつが来る!」

 クムクムは心底イヤそうな顔をしていた。

 「ハイエルフってそんなにタチ悪いの? ねえ」

 クムクムはおれの質問には答えず、おれを見てじっと何か考えているふうだ。

 イヤな予感がした。

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