第八章 最強の剣舞姫③




 カミトは凍りついた表情で、その場に立ちつくした。


「まさか……そん、な……」


 そこにいたのは――


 カミトにとって光そのものだった少女。


 冷たい檻に心を閉ざしていた少年に、あたたかい光を与えてくれた――


「……レス……ティア?」


 カミトは、かすれた声でつぶやいた。


「――ずいぶんひさしぶりね、カミト」


 闇色のドレスを纏った少女は、くすりといたずらっぽく微笑んだ。


 ……信じられない。


 だが、その姿は三年前のあのときのまま。

 その美しい顔は、まちがいなく、カミトの知っている彼女のものだ。


 闇精霊レスティア。

 最強の剣舞姫ブレイドダンサー――レン・アッシュベルの契約精霊。


「レスティア、俺は――」


 カミトは手を伸ばし、彼女に近づこうとした。

 だが、足がその場に縫いつけられたかのように、動けない。


 ずっと、三年間も探し続けていた少女が、目の前にいるというのに――


 ――なにかがおかしい。精霊使いの直感が告げていた。


 彼女は、。 

 それに、彼女が手にしている、


「逢いたかったわ、カミト。でも――」


 少女が、その黒い塊を、中央の祭壇に向かって投げ放った。


「……?」

「抱擁はまたの機会にしましょう。ほら、が起きてしまうから」


 黒い塊は空中で霧になると、祭壇に祀られた石柱を取り囲む。

 帝都から搬入された、軍用精霊グラシャラボラスの封印された石柱を。


「レスティア……いったい、なにを――」


 カミトがつぶやいた、そのとき。


 突然、地面が激しく震動した。


「なんだ……!?」

「あら、もう目覚めたみたいね」

「レスティア……?」

「カミト、気をつけて! そいつよ、あたしにあの狂精霊をあたえたのは!」


 放心しているカミトに向かって、クレアが叫んだ。


「な……に……!?」


 その瞬間、地を揺るがすような咆哮があたりに響きわたる。


 ピシッ――黒い霧に覆われた石柱に大きなひびが入った。


 ズ……ズズ……ズズズズ……!


 ひび割れた石柱の裂け目から、巨大な人間の手が出現する。


 あれは――


巨人精霊グラシャラボラスが……狂乱している!?)


 ハッとして振り返る。レスティアがくすくすと笑っていた。


 カミトが一度も見たことのない、どこか悪魔めいた微笑。


「――さようなら、カミト。また逢いましょう」

「レスティア……どういうことだ!? どうして君が――」

「これが、

「……っ!?」


 カミトの顔が凍りつく。


「待って――待ってくれ、レスティア!」

「待ったわ、もう三年間も」

「レスティ……」


 レスティアはもう一度、くすりと微笑むと、黒い霧となって虚空に消え去った。


 カミトは脱力したように両手を下げ、その場に呆然と立ちつくす。


 ――なにが起きたのかわからなかった。


(レスティアが、クレアにあの狂精霊を与えた……?)


 信じられない。いや、信じたくなかった。


 だが、彼女の姿はまちがいなく、探し続けていた闇精霊のものだ。


 かつての契約精霊。


 ヒトの心を失っていたカミトに、初めてあたたかい光を見せてくれた少女。


 彼女が変わってしまったとすれば、それは――


(俺のせいだ……俺が彼女を、


 三年前の精霊剣舞祭ブレイドダンス


 レン・アッシュベルとして優勝したカミトは――

 ヒトが決して願ってはならない〈願い〉を叶えようとした。


 そのために、彼女を失うことになったのだ。


 どこかで生きているとは信じていた。


 左手に刻まれた、精霊刻印の疼きが囁くのだ。

 ――彼女はまだ生きていると。まだ罪を贖うことはできると。


 まさか、こんな形で再会することになるなんて――思いもしなかった。


「レスティア……これは俺への罰なのか?」


 だとしたら、あまりに――惨い。


 全身の力がふらっと抜け、倒れこむように膝をついた。

 目の前が真っ暗になる。


「カミト!? ねえ、聞いてるの、カミト!」


 カミトを呼ぶクレアの声も、ぼんやりとしか聞こえない。


 ふたたび、地面が激しく揺れた。

 虚空に開いた〈ゲート〉を通って、巨人精霊グラシャラボラスがこちらへ出てこようとしているのだ。


 闘技場の壁が震動で崩落し、大量の瓦礫がカミトの頭上に降りそそぐ――


 身体ごと押しつぶされる――その寸前。


 パシッ――と、カミトの首に鞭が巻き付いた。


「……ぐおっ!」


 乱暴に地面を引きずられ、苦悶の声をあげるカミト。


 直後。カミトのいたその場所に、大量の瓦礫が落下した。


 轟音。舞いあがる砂埃。


 ……下敷きになればまちがいなく死んでいた。


「ばかっ! な、なにやってんのよあんた!」


 頭上でクレアが仁王立ちになって怒鳴った。


「ねえ、死にたいの? それとも消し炭になりたいの?」

「いや、その二択はないだろ――ぐおっ!」

「ふん、口答えする元気はあるじゃない!」


 クレアはカミトの首を鞭で締め上げると、ぐいっと顔を近づけた。


「……」


 鼻先の触れ合うような至近距離。

 強い意志をたたえた紅玉ルビーの瞳が目の前にある。


 こんなときにもかかわらず、カミトは思わずドキッとした。


「……もうっ、なによ。なんなのよ」


 顔が近すぎることに気付いたのか、クレアは頬を赤くして、わずかに鞭をゆるめた。


「べ、べつに興味があるわけじゃないけど……いちおう、聞いとくわ」

「な、なにをだよ……」

「さっきのあの娘、あ、あんたとどういう関係?」

「あいつは――」


 カミトは、透き通ったクレアの瞳から目を逸らした。


「俺の契約精霊――だった」

「精霊?」


 カミトは無言でうなずき、左手の拳を握りしめた。


「……俺のせいなんだ。俺のせいで、あいつは――」


 ふたたび暗い淵に沈みかけたカミトの思考を――


「だからなによ」


 凜、としたクレアの声が引き上げた。


「え?」

「だからなにって言ってるの!」


 クレアはすっと立ちあがると、両手を腰にあて、ツーテールの髪をかきあげた。


 さっきまでの意気消沈した様子は微塵もない。

 なによりも気高く、美しい、紅蓮の焔がそこにあった。


「いや、だから、俺は……」


 カミトが呆然と面食らっていると――


「あんた、さっきあたしに『おれがおまえの契約精霊になってやる』って約束したじゃない! 自分の言葉には責任持ちなさいよねっ!」


 クレアは鞭でカミトの背中をピシパシ打ちすえた。


「痛えっ! な、なにすんだよおまえ! 死人に鞭打ちやがって!」


 思わず立ちあがって怒鳴るカミト。

 クレアはふっと微笑して、


「死人? だったら一度死んできたら? ほら、あれを見なさい」

「ああ?」


 カミトが振り向くと――

 虚空の〈ゲート〉から、青白い光を放つ巨人精霊グラシャラボラスが這い出てきた。


 封印を解かれた戦術級軍用精霊――その全長は十数メートル以上ある。


 巨人精霊が咆哮した。

 たったそれだけで、観客席の半分が吹き飛んだ。


 観客はすでに逃げ出していたようだが、闘技場の外にはまだ大勢の市民がいるはずだ。


 壁に空いた巨大な穴から、広場の様子が見えた。

 悲鳴を上げ、押し合いへしあいしながら逃げだす人々。

 突如、あらわれた巨人精霊の姿に、広場や大通りは阿鼻叫喚の混乱にみまわれる。


 崩壊した闘技場の壁に手をかけ、巨人精霊がゆっくりと歩き出した。

 それだけで、地面が揺れるほどの地響きが起こる。


 あんなものが街へ出たらどうなるか――考えるまでもない。


「学院からの応援を待っていたんじゃ遅いわ。あたしたちでやるしかない」

「……ああ、そうだな」


 だが――カミトは、まだショックから立ち直れていなかった。

 握りしめた〈テルミヌス・エスト〉も、その清冽な輝きを失っている。


 精霊魔装エレメンタルヴァッフェは、精霊使いの神威カムイによってその真価を発揮する。

 いまのカミトの状態では、剣の強度を維持することさえままならない。

 たとえ戦ったとしても、すぐに折れ砕けるであろうことは目に見えていた。


「……」


 クレアは厳しい表情で、そんなカミトをじっと見つめた。


「まだ寝ぼけてるみたいね。だったら、あたしが目を覚ましてあげるわ」


 それから、なぜか顔を赤らめて、ふいっと目を逸らす。


 と、つぎの瞬間。



「……っ!?」



 いきなり唇をふさがれた。



 熱い。しっとりと濡れた、やわらかい感触。

 鼻先をくすぐる、かすかな髪の匂い。



「んっ……」



 数秒後。ゆっくりと唇が離れた。


「目は覚めた?」

「……あ、ああ」


 カミトは惚けたようにうなずいた。


「こ、こんなのは、一度だけ……なんだからね」


 うーっと唇を噛み、真っ赤になってうつむくクレア。


 痺れるような口づけは、カミトの脳裏からすべての懊悩を吹き飛ばしてしまった。


「……ショック療法かよ。けど、これは、ちょっと効きすぎだな」

「ふ、ふん、それでいいのよ! ――じゃあ、いくわよ、カミト!」

 

 顔を真っ赤にしたまま、クレアは精霊語の召喚式サモナルを紡ぐ。


 ――紅き焔の守護者よ、眠らぬ炉の番人よ!

 ――いまこそ血の契約に従い、我が下に馳せ参じ給え! 


 すぐさま、クレアの手に燃え盛る炎の鞭フレイムタンが生まれた。

 狂精霊に侵された黒い焔ではない。


 それは気高いクレア・ルージュの焔――スカーレットの精霊魔装エレメンタルヴァッフェだ。


「ありがとう、スカーレット。もう少しだけ力を貸して」


 クレアの想いにこたえるように、炎の鞭フレイムタンは轟々とうなりをあげた。


「弱ってるスカーレットに無理はさせられないわ。あたしはサポートに回るから、あんたはあの巨人精霊を叩いて」

「ああ、わかった!」


 カミトはしっかりとうなずいて、テルミヌス・エストを握りしめた。


 ――そうだ。レスティアのことは、いまは考えなくていい。

 いまは、ただ――


(この跳ねっ返りのお姫様を守るって、約束しちまったからな!)


 剣を構え、カミトは地を蹴って跳躍した。


「みせてやるよ、クレア・ルージュ!」



 最強の剣舞姫ブレイドダンサー――レン・アッシュベルの剣舞ブレイドダンスを!



 巨人精霊グラシャラボラスが石壁を砕き、闘技場の外の広場へ足を踏み出した。

 カミトは背後にまわりこむと、ワンステップで飛び込み、足首に剣を突き立てた。


 ヴオオオオオオオン!


 巨人精霊が破壊の雄叫びを上げる――衝撃に吹き飛ばされそうになりながら、カミトは突き立てた剣にしがみついた。


(……っ、なんて破壊力だ! さすがに軍用精霊ってとこだな!)


 怒りに燃えた巨人の目が、足もとのカミトの姿を捉えた。

 狂乱の雄叫びを上げ、その巨岩のような拳を振り下ろす。


 カミトは剣を抜いて跳びさがると、巨人の腕を踏み台にしてさらに跳躍した。


 頭上にあらわれたカミトを圧殺すべく、巨人精霊が手を伸ばす――

 足首を掴まれそうになった――刹那。


「カミト!」


 クレアが焔の鞭を振るい、その腕を縛りあげた。

 スカーレットが消耗しているため、精霊を斬り裂くことはできない。

 だが、一瞬動きを封じることくらいは可能だった。


 轟々と吹き荒れる風の音。

 巨人精霊が頭上のカミトに怒りの目を向ける。


 すれ違いざま――カミトは剣を一閃。

 黒い水晶のような眼球を斬りつける。

 刹那。ひび割れた眼球から、黒い霧のようなものが噴きだした。


(あれは、狂精霊か……!?)


 黒い霧が剣にまとわりついた。

 途端、刃の尖端が黒く腐蝕していく。


 カミトはハッとした。

 ――狂精霊は精霊に狂属性を付与する精霊だ。 


(エストが侵蝕される――!)


 カミトは身をひねって、黒い霧を振りはらった。

 空中で体勢を崩し、そのまま地面に叩きつけられる。

 そこに巨人精霊の拳が振り下ろされた。


 カミトは眼前に剣を構える――が、間に合わない!


「……!」


 巨人精霊の拳が――頭上でぴたりと止まっていた。

 いまにも振り下ろされようとしている腕に、燃える炎の鞭フレイムタンが絡みついている。


「カミト! いまのうちに、さっさとやりなさい!」

「ああ――」

 

 カミトは不敵に笑って立ちあがると、剣に意識を集中する。

 剣精霊エストの精霊魔装エレメンタルヴァッフェが、カミトの想いにこたえるように輝きを増す。


 地面を蹴って跳躍。

 カミトの剣がふたたび宙を舞った。

 

 そして――


「おおおおおおおおおおおっ!」


 光り輝く閃光の剣が、巨人精霊グラシャラボラスの身体を真っ二つに切り裂いた。



     ◇



 カミトが巨人精霊グラシャラボラスを斬り伏せたその瞬間を、クレアはじっと見つめていた。


 光り輝く剣を手に、華麗な剣舞ブレイドダンスを舞うカゼハヤ・カミト――


 それはまるで――


 三年前、精霊剣舞祭ブレイドダンスの舞台で見た、レン・アッシュベルの剣舞のようだった。


(……まさか、ね)


 巨人精霊が光の粒子となって消えた瞬間、炎の鞭フレイムタンは小さな火猫の姿に戻った。

 仔猫のように小さくなってしまった炎精霊を、クレアは愛おしそうに抱きあげた。


「――ありがとう、スカーレット」

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