3-15 ブレブレ


 根岸は話し続けていた


「それが、今日になって帰ってこなくていいって言う。今さらだよ、俺は全部捨てて親父のところに戻るつもりでいたのに。どうするつもりか聞いたら、家も土地も売り払って施設に入る、親父のせいで俺が生き方を変えることはない。勝手だよなあ、ついこの前までは帰って来てくれの一点張りだったのに。


「でも、ちょっとだけわかる。親父は病気でうまく動けなくなったことを受け入れられなかったんだろう。だから、ずっと俺には隠してた。それが、思い切って俺に助けてくれって言った。人生が変わったのを受け入れたんだな。そうやって受け入れてしまうと、また色々見方が変わるんだろう。俺に来いって言ってたのが来なくていいに変わったのもそういうことなんだろうと踏んでる」


「んー、まあ、そこまで理屈っぽい話かね」

 浩人が首をかしげた。


「親父は昔っから理屈っぽいんだ。俺もだけどな」


「似てるからわかる、みたいな?」

 里佳が聞いた。


「ああ、そうかも知れない」

 根岸は存在を思い出したかのようにグラスを持ち上げ、一口、口に含んだ。


「一度、こう、と決めたら変えられない。親父も俺も。だけど、今回、親父はブレブレだ。腹立つ。俺もブレブレだ。自分にも腹立つ」


「それでいいんだろ?」

 浩人が言った。


「おいおい」

 根岸は笑った。


「そうだよ、ブレブレでいい。受け入れ始めてる、俺も。人生って変わるんだな。不思議だよ。ずっと変わらないって思ってた、今の暮らしが。なんなんだろうな。


「田舎に帰って親父の施設入居手配して、それで戻ってくる。ただ、いつ帰ってこれるかわからない。施設入居、大変なんだな。自分の親がそういうことになって初めて実感するよ。


「妻も、俺が海外の支店にでも単身赴任したつもりでしばらく待ってやるよって言ってる。退職金けっこうもらったし、ここまで貯金もそこそこあるし、俺がしばらく働かなくてもなんとかなるって判断だ」


「なんだよ、離婚すんじゃなかったのかよ」

 山川の声は悔しげだった。


「はは、とりあえず離婚はしない。別れるのもエネルギー使うからな。俺もあいつもだいぶ消耗したよ。向こうが根負けした感じだな」


「よかったですね」

 と、里佳。


「よかった、のかなあ。今のところって話だ。金が切れたらどうなるか」

 根岸は笑顔のまま首を振った。


「そんなあー」


「そんなもんだろ? 妻は悪くない。俺がなんとかしないと。でも、どうする? 今までの延長じゃない人生とか生き方、確かに受け入れ始めてる。でも、これからどうするか、全然わからない」


「あんた、山川のことドリーマンとか言ってたけど、あんたもけっこうドリーマンだったんじゃないの」

 浩人が言った。


「ん? ああ、そうかもしれない。俺も会社に期待してた。馬鹿だったよ。山川見てイラッとしてたのってなんだったんだろうな。こいつ、地頭は悪くないんだろうけど、会社に期待しすぎなんだ、すごく。いちいちイラついた。なんだろうな、今になって思うよ、なんとかしたかったんだろうなって。俺のことじゃなくて山川のことを。山川、会社に期待すんなって。なんでそんなこと思ったのか自分でもわからない。そうじゃねえだろ山川って、いっつも思ってたよ」


「思ってるだけじゃなくて言ってただろ、おまえ」

 と、山川。


「そうだったか? もう忘れた。俺は、とりあえず今は親父のうまくいかなくなっちまった人生をなんとかしに帰るよ。それでなんとかなったら戻ってきて妻と子と俺の人生をなんとかする。ただ、前と同じやり方は無理だ。俺の人生は変わった。誰の人生でも変わることはある。そんなことを思ってる」


「ん、まあ、俺がどうこう言うことはない、あんたの人生だ」

 と、浩人。


「当然だろ、俺の人生だよ。まあ、でも、山川の店で酔っ払って随分とすっきりしたよ」

 根岸はグラスを置いた。


「俺はスッキリしないよ」

 うんざりといった表情が山川の顔に張り付いている。


「まあ、気にすんな。お、そろそろ急がないとやばい、かな。ありがとうな。東京に戻ってきたらまた来るよ。そうだ、その前に焼鳥の腕上げとけ。オレのほうがうまかった」


「二度と来るな」

 山川が言った。




「あー、なんだか大変そうだったね」

 緊張がほぐれたのか、里佳はテーブルに横たわるように身体を投げ出した。


「そのテーブル、まだ拭いてない」

 山川はまだ不機嫌だった。


 里佳は慌てて身体を起こした。


「あー、なんだか暑苦しいやつだった」

 浩人が言った。


「そうなんだよ。昔からそうなんだよ、あいつは」

 山川の声がいつもより大きい。


「なんなんだろうな」


「なんなんだよ、ホント」


「あー、それはともかく、読モと受付嬢とスッチーの話」

 浩人がニヤける。


「それ言う。今それ言う。えと、じゃあ、札幌の」

 山川は軽くキレていた。


「もう止めよう」


「なになに? ドクモ?」

 要領を得ない里佳が浩人と山川の顔を交互に見る。


 何も言わずに下を向いていた浩人と山川は、しばらくしてからほぼ同時に吹き出した。

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