1-2 櫛田葬儀店

 軒先に掲げられている木の看板はどう贔屓目に見ても綺麗とは言えない。明らかに薄汚れていた。浩人が生まれるよりも前、浩人の祖父である櫛田義一郎が葬儀店を始めた時から掲げられている看板だ。


「看板、そろそろ何とかしないの」

 看板を見上げた浩人は、髭を綺麗に剃ったばかりの顎を気にするように触っていた。


「バカ、おまえ、これは親父の大恩人が寄贈してくれた一点ものだぞ」

 浩人の父親、三国の短く刈った髪の毛はすっかり白くなっている。


「その話は何度も聞いたよ。長仁寺の建仁和尚の話だろ。それにしたってさ、今どき、こんなボロい看板は無いんじゃないの。そもそも読めねえし」


 櫛田葬儀店を始めた義一郎は十年前に、看板の文字を書いた建仁和尚も三年前に鬼籍に入っていた。


「うるせえ。ごちゃごちゃ言ってねえでとっとと中に入れ」

 立て付けの悪い戸にイライラしている三国の機嫌は今にも爆発しそうだった。


「あ、戸、直そうか」


「うるせえ」

 強引に戸を開け大股で中に入いる。


「はいはい」

 浩人はおとなしく後に続いた。




 家は線香の匂いだ。大学に入って実家を離れ、初めて線香の匂いのしない生活を送った。物足りないと思ったのは僅かな期間だ。無ければ無いで慣れるもんだというのが浩人の感想だった。


「お帰り」

 櫛田葬儀店の狭い斎場では浩人の弟の泰人が忙しそうに案内状を整理していた。


「泰人、お茶」

 三国は靴を脱ぎ、土間から和室に上がった。


「用意してあるから」

 泰人は三国を見もせず作業を続けた。返事だけはいい。


 ちゃぶ台の上には通夜の席で使う大きな急須と湯呑が並べてあった。


「あ、オレ、コーヒー」

 三国と向かい合うように浩人が腰を下ろす。


「自分でやってよ」

 泰人はやはり見向きもしない。


「なんだよ。じゃ、お茶でいいや」

 浩人は湯呑みと急須に手を伸ばした。


 子どもの頃から家には常にお茶があった。通夜の席でも香典返しにも、お茶は付き物だ。近所の福禄園が廃業してからは少しでも安くということで問屋から直接仕入れている。


「やっぱり実家のお茶が一番だな」

 湯呑みの中にまっすぐ立った茶柱が漂っていた。


「まあなあ。木山さんとこの福禄園がなあ。あそこのお茶はもっとうまかったから」

 三国が湯飲みのお茶をグイッと空けた。


「あんまり覚えてないんだよね、福禄園さん」

 小柄で人の良さそうな木山さんの姿はうっすらとしか覚えていない。


「そりゃそうか。おまえが中学に入る前だったか、木山さんが倒れちゃったの。急な話でな」

 三国は空いた湯呑みにまたお茶を注いだ。


「にしても、おまえ、今日はご遺族様の前で余計なこと抜かしてんじゃねえぞ」


「なにが」

 浩人は言われてもピンと来ていなかった。


「僕も札幌にいましたとか、余計な無駄話すんじゃねえって言ってんだよ」


「あー、あれね。でもさあ、そういえばご遺体も札幌なんでしょ。知ってたの、故人様の出身とか」


「あのなあ、おまえの父親は何屋なんだ。言ってみろ。伺っておりますですよ。当たり前だろ。それが仕事だろうが。なに言ってんだ、おまえは」


 一緒に出歩くようになって初めて知った三国の仕事人としての姿勢には内心いちいち感心している。ただ、それを素直に伝えるのはなんとなく気が引けた。


「おい、泰人、もうすぐ杏が帰って来たら出るからな」


「ただいまー」

 まるでタイミングを合わせたかのように制服姿の杏が息を切らしながら帰ってきた。


「おお、杏。早かったな」

 三国が目を細める。


「ごめん遅くなって。すぐ出る?」


「だな。出るか」

 三国が腰を上げた。


「荷物だけ置いてくね。浩人兄ちゃん、ここ置いとくから」


 革の学生鞄と大きなスポーツバッグが、ちゃぶ台の横にドカッと投げ出されるように置かれた。


「おいおい、もうちょっと丁寧に扱えよ」


「杏、そんな奴ほっといて行くぞ」

 革靴から運動靴に履き替えた三国は、泰人から車の鍵を受け取っていた。


「泰人、札幌のな」

 その時に、アイコンタクト。


「南三条セレモニーホールでしょ。今朝メールくれた宇野さんに返しとくよ」

 泰人にはしっかり伝わっている。


「悪いな。よし、杏、行くぞ」


「うん」


「杏、寒いぞ。手袋しなくていいのかよ」

 浩人が赤くなった杏の鼻の頭を指差した。


「大丈夫」


「おめえはイチイチうるせえな。クルマだからいいんだよ」

 舌打ちした三国の横で、杏がペロッと舌を出し、浩人に向けてウインクになってないウインクをしてみせた。




 三国の後妻で杏の母親である真知子の入院している病院は車で十五分ほどの距離だった。


「ごめんね、毎日」

 身体を起こした真知子が二人に申し訳無さそうに言った。


「ううん。全然。それより、体調はどう?」

 杏が真知子の手を握る。


「どうって、変わらないわよ。昨日も来たじゃない」


「杏がなあ。本当に心配してるんだ」

 三国は他のベッドに気を配りながら低い声で言った。


「やだ、大丈夫よ。十二指腸潰瘍ってもっと早く診てもらえば入院もしなくて済んだって言ったでしょ」


「わかってるよ。わかってるけどな、杏は心配なんだ」


「なによ、心配してんのは三国さんじゃない」


「そうだよ、お父さんのほうが心配してるの」


「まあな。とにかく、もう明後日ぐらいには退院できるんだろ?」


「みたいだけど、担当の先生が学会かなんかでいないらしくて、まだちゃんと話を聞いてないのよね」


「わかった。もういいから。大事にして、な。寒くないか。毛布とか、看護婦さんに頼んどくか、な」


 気を揉む三国を前にして真知子と杏は顔を見合わせ小さく笑った。




 斎場の奥の小さな事務所で泰人はパソコンのモニターを覗きこんでいた。電気代節約のために事務所の明かりは点けていない。薄暗い中、プリンターにセットされた案内状が宛名を印字され続々と吐き出されている。


「こういうのは印刷会社にやってもらってたんじゃないのかよ」

 浩人は出来上がった案内状を見て感心しながら、それでいて不思議そうに言った。


「ついこの前まではね。笠井印刷さんが廃業しちゃってからは会葬礼状もこっちでやることにした」


「あそこの三代目、どっかに勤めに出たんだって?」


「そうそう、印刷関係のつながりでリサイクル業者のところに勤めてるらしいよ」


「リサイクルかあ。どうなんだろうな」


「どうなんだろうね。でさ、兄さんが使ってたのMacだろ。これはWINDOWSだけど、なんとかなる?」

 泰人は画面で印刷の進捗状況を確認していた。


「札幌のデザイン事務所でメインはMacだったけど、WINDOWSも使ってたし、そもそも大学の頃はWINDOWSばっかだったから。まあ、いけるよ、普通に」


「このあたり頼めるとだいぶ楽だよ。ボクもいっぱいいっぱいだから。兄さんもよく知ってると思うけど、葬儀屋の仕事なんて連絡と下準備がほとんどだからさ、特に連絡はいまだに電話とFAX多くて。それだけで手ふさがっちゃうからね」

 パソコンの画面から目を離した泰人は、眼鏡も外し、眉間を指で押さえた。


「疲れたか」


「パソコンの画面がけっこう辛いんだよね」

 泰人は椅子の背もたれに身体を預ける。そのまま少し身体を伸ばし、目を閉じた。


「昔から目、弱かったよな」

 明るい茶色の瞳が子どもの頃から周りにからかわれていたこと、泰人本人よりも浩人のほうがよく知っていた。


「兄さんはさ、なんで戻ってきたの」

 目を閉じたままの泰人が浩人に聞いた。


「おいおい、またその話かよ」


「またその話だよ。帰ってきてからずっと気になってる」


「もういいだろ、別に」


「別に、なに?」


「いいんだよ、なんでも」


「向こうにいられなくなった事情を教えてよ」


「いられなくなったんじゃなくてさ、いたくなくなったんだよ」

 泰人の質問に答える気はまったく無かった。


「それだけで戻ってきたわけ?」


「悪いか」


「悪くは無いけど」

 泰人は言葉を投げ出し、そのまま口をつぐんだ。


 浩人もなにも言わなかった。


 プリンターが止まった。


 気がつくと目を閉じた泰人は既に寝息を立てていた。


 浩人は起こさぬよう静かに事務所から出ていった。

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