第95話 正義の問いかけ

 エルフたちが、長老の一人である【樹海の苗】ピクラスに聞いた。


「ピクラス、正義とはなんなのでしょうか?」


 エルフにとって正義という言葉は縁遠いが、異種族との戦争においては重要な意味を持つ。


 難解な質問に対し、ピクラスはじっくりと考えて答えた。


「正義なんてモノは、この世界に存在しない」


「ないのですか?」


「僅かで悪が混じれば、正義はもう純粋な正義とは呼べないだろう。正義に近いことは出来るが、完全な正義は存在し得ない」


「なるほど」


 エルフは納得し、また森での生活に必要となる別の質問をピクラスに尋ねた。





 マーメイドたちが司祭でもある【珊瑚の女王】イオナに聞いた。


「女王様。正義とはなんなのでしょうか?」


 マーメイドは頭が悪く、普段はそんな概念的なことを気にはしない。


 だが正義という言葉は別だ。


 以前、マーメイド族に深い傷跡を残したエルフとの聖戦によって、非常の多く使われ、馴染みがある言葉である。


 馴染みがあるが、その意味を知るマーメイドはほとんどいない。


「正義とはすなわち神のことです」


 イオナ女王は神への祈りを捧げる姿勢を取って答えた。


「神様ですか」


「神のなさることはすなわち正義。しかし神の意思は深遠であり、わたしたちには理解できないのです」


「わからないのですか?」


「ですから日々努力することが大切なのです。愛を学ぶのです。神の言葉をより理解するために」


「なるほど」


 マーメイドは納得し、神への信仰の一環である、狩りへと戻った。





【太陽の姫君】レィナスが、【朱の騎士】ベルレルレンに聞いた。


「ふと考えたんだが、正義とはなんなのだろうかな?」


 ベルレルレンはまずレィナス姫の額に手を当て、平熱であるかを確認した。

 更に息を吐かせてアルコールの臭いがしないこと、視線を追わせて寝ぼけていないことも確かめた。


「なぜそんなことを気にするのです」


「お前は今、失礼なことをしたぞ。わたしが正義を気にすることが、そんなにおかしいか?」


「唐突でしたので」


「ともかく、わたしは正義でありたいと思っている」


「良いことです」


「わたしが正義であるならば、わたしの敵は悪なのだな?」


 平易な言葉の中に哲学的な要素が含まれたので、ベルレルレンは一瞬、言葉に詰まった。


「いえ。相手にも姫君と同等の正義がある場合もあります」


「相手も正義であれば、正義なんて意味ないじゃないか」


「先ほど姫君は言いました。『正義でありたいと思っている』と」


「うむ。言った」


「相手にも正義があるとわかった上で、その正義を無視せず、それよりもより正しいと思えることを行うことが重要なのです」


「よくわからん」


「……なら王命には忠実になさい。騎士の正義はそれで十分です」


 ベルレルレンは会話を打ち切り、仕事に戻った。





 酒に酔っ払った【林冠】パヌトゥが、同じく大酒を飲んでいる【火炎山の魔王】ガランザンに聞いた。


「魔王様、正義とは何だと思われますか?」


 二人ともしたたかに酔っており、更に酒を飲み続けている。


 いつもは話題にもならない話が、この時だけなぜだか会話へと登った。

 同日に世界中の様々な場所で、正義について話された事も無関係ではないかもしれない。


「この世界で……」


「はい」


「正義というものは……」


「ないのですか?」


 ガランザンが口に出す前に、パヌトゥが遮るように言ってしまった。

 ガランザンは憮然として酒をあおった。


 他人を不快にするのは天才的なパヌトゥの物言いに、隣で聞いていた【悪喰】ルーシャムがクスクスと笑った。


 ルーシャムも酒を飲み干して、ガランザン、パヌトゥ、自分の杯に酒を注いだ。


 ガランザンは酒を注がれながら少し考えた。


 ここでパヌトゥに同意してしまうのは面白くない。そう酔った魔王は思った。


「……いや、違うぞ。正義はある」


「ほう。では正義とは?」


「この世界に、正義ではない者はない」


「ほうほう」


「すべからく全ての行いは正しい。信仰も癒しも生産も喜捨も出産も建築も戦争も破壊も殺人も窃盗もすべて正義である」


「はっは、なるほどなるほど。我々も正義とは、思いませんでした」


 パヌトゥは笑いながら答え、それに応じるようにガランザンもまた酒を飲み干して大笑いをした。


「魔王様に森もたずのエルフ殿。だったら僕たちの食習慣にも、ちょっとは正義を認めてはもらえないのかい?」


 ルーシャムも杯を空にしながら聞く。


 ガランザンとパヌトゥは異口同音に


「絶対に認めない」


 といった。


 その言葉があまりにも隣接したハーモニーとなったので、二人はまた大笑いをした。




《世界に一つだけあって、沢山あって、全部にあって、しかしどこにもない》

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