第92話 愛らしい奸計②
【太陽の姫君】レィナスが【隻腕王】ジョシュアに武術大会開催の提案をした日の夕方。
レィナス姫は王宮から退出したその足で、【朱の騎士】ベルレルレンの屋敷を訪ねた。
「姫君。わたしは忙しいと何度言えばわかるのです」
「それどころではない!」
レィナス姫はベルレルレンの返事をぴしゃりと退けた。
瞬時にベルレルレンも緊急事態であると察し、まるで戦場にいるような顔つきに変わった。
「何事です?」
「お兄様が乱心した」
「ジョシュア王が?」
ベルレルレンが考えるに、ジョシュア王ほど乱心に縁遠い人物はいない。
ジョシュア王は幼少のみぎり、片腕をライオンに食われている最中でも冷静に対処した程の肝をもつ者である。
「いったい何があったのです?」
「実はお兄様が、わたしの結婚相手を武術大会を開いて優勝した者にすると言っているのだ」
「……はぁ?」
およそ考え難いほど、バカバカしい話であった。
既に国の英雄として認知されている【太陽の姫君】レィナスの結婚相手を、よりにもよって武術大会で選ぶなんて。
天と地が逆さになってもありえない話だ。
「どうしよう。このままではわたしは、会ったこともない者と結婚することになってしまう」
「いや、何かの間違いでは?」
「そんなことはない。まだ決定はしていないが、お兄様は確かに「武術大会を考える」と言った」
レィナス姫はきっぱりと断言した。
逆にベルレルレンは、まくし立てるレィナス姫をじっと観察していた。
放浪の旅から数えて、二人は長いつきあいである。
そしてレィナス姫は、嘘がつけない性格であった。
作り話であれば一目で看破できる自信が、ベルレルレンにはある。
「本当、なのですか?」
ベルレルレンには、レィナス姫が嘘をついている雰囲気を察することはできなかった。
本当だとすれば、これは大事件である。
なんとしてでも止めなければならない。
「どうしよう」
「ご安心を。わたしがこれから王に面会をとり、必ずや中止させます」
日は既に傾きつつある。
しかし今から王城に馬を走らせ、緊急の面会を申し出れば、何とか執務時間中に滑り込めるだろう。
ベルレルレンは立ち上がり、騎士身分を示すコートを手に取った。
その腕に、レィナス姫君がすがりつく。
「もし! もし中止できなかったら?」
「騎士仲間や大臣を巻き込んで、必ずや中止させます。なんならギャラットに頭を下げて、近衛騎士も動かしてみせます」
手を振りきるようにするが、レィナス姫はそれでも離さなかった。
「お兄様がそれでも強行したら? 見たこともない奴とわたしが結婚するのは嫌だぞ」
しつこくレィナス姫君が聞いてくる。
こうしている間にも時間は過ぎていき、今日中の謁見ができなくなってしまうかもしれない。
「その時はわたしが優勝して差し上げます! ですから手を離してください」
そうしてようやく、レィナス姫はコートから手を離した。
ベルレルレンは大急ぎ出屋敷を飛び出して、馬を疾走させて王城へと向かった。
ハンカチを振りながら見送るレィナス姫の口が、また仮面のようにニンマリと笑っていた。
《嘘でなければ真実などと、いったい誰が決めたのか?》
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