傭兵

--地獄で行き会った傭兵は、再び正一の前に立ち塞がる。



爛と輝く満月はまるで、舞台を照らす照明のようだった。そいつは、あまりにも輝きを見せているもので、夜は一段と深まりを増している筈なのに、妙に明るくあった。

しかしながら、静寂とは言い難い。

風は轟々と荒れはてて、紅葉は秋雨のように降る。真紅の海は、次第にその重みを増していくことだろう。止まることは、未だ知らず。

さて、そんな赤く染められた境内に、一人の男が佇んでいる。黒衣の洋装に、腰には大太刀を下げている。長身巨躯、筋骨は服の上から見てもわかるほど逞しい。

口をピンと閉じてはいるが、対照的にその目は鳥居の向こうをしかと見つめている。瞬きは一つとてない。それは、その瞬間を見逃さぬ為か。それとも、その目で見ているのは案外鳥居の向こうではないのか。それは、彼のみぞ知るところ。

その瞳に、一人の人影が映る。ゆらり、ゆらり、のそのそと。

現れたのは、これまた闇に溶け込むかのような黒の羽織を着た男。口にはシャボン玉を携え、いかにも気怠そうに欠伸をする。例えこの社にお参りすると雖も、無礼千万な振る舞いをやめないその男こそ、我らが御坂正一である。

その手にはくしゃくしゃとなった一切れの紙。それが目に移った時、黒衣の男は初めて口を開いた。


「来たか、サムライ」


正一は初めはその言葉によくわからない風を醸し出していたが、しかし、その男こそ今回の仕事の……否、「決闘」の相手だとわかるにはそう時間はかからなかった。当然のことながら、その境内には、その男一人しか見当たらないのだから。

「おんしが、こんなふざけたもんを寄越したんがか」

と、クシャクシャとなっている紙を改めて広げる。そこには、そこそこの達筆で、こんなことが綴られていた。


『今宵、此処で待つ。 シャボン玉吹きの武士』


ただの一文ではあるが、それは明らかに正一へとあてた果たし状。シャボン玉吹きの武士など、そういるわけではないのだから。

さらに趣味の悪いことに、まるで挑発とでも言わんばかりに、武士の屍が築かれていたのだから。それも、今宵正一が現れるまで、毎晩のように。




時は少し遡る。

とある場所、とある時間に限って、その男は現れた。あまりの異相に訝しむ者も多く、新撰組や見廻組も幾度かその男の調査を少なからず行なっていたという。

しかし、その男の正体は掴めず、ある時、しびれを切らした何人かの者が、その男に挑んだが、結果は惨殺。さらに、これ見よがしに築かれた屍の山に、あの果たし状が供えられていたのである。その文面を見た京都見廻組与頭佐々木只三郎は、またあの男関連かと怒り、新撰組局長近藤勇は、全くなものだと呆れる始末。

だが、二つの隊共に、正一など出す事はないと幾度もその男の正体を暴くのに勤しんだ。ある種、自らの誇りを汚されたことが許せなかったのであろう。しかしながら、結局は無残な死体になる有様。さらには、京都守護職松平容保が選んだ藩内の実力者で持って応ずるも、結果は燦々たるもの。この状況に流石の松平容保も、その文面の要求通り、正一を送り込む以外にないと考えた。正直、あまり使いたくない手段だとは思っていただろうが、これ以上は手に負えないと判断したのだろう。無念はここに極まったか。

そして、命令は来る。


「しかしだな……何故、敵は執拗にお前と一対一の決闘によこすのかな……」


その日、坂口金吾宗孝はその紙切れをまじまじと見ながら、訝しむようにそう言った。それもそのはず、まるでそれは正一ただ一人と戦いたいと言っているようなもの。今まで築かれた屍は、正一を引っ張り出すための餌でしかないという印象が強い。いや、正一は万の屍でも動きはしまい。だが、正一を雇う者の心境はと考えると、確かに有効手かもしれない。

しかしまあ、正一が狙われる理由など山ほどある、と言った方が正しい。実際、敵討ちだ、もう一度認められるためだ、または名をあげたいがため、などと襲われたことは数知れず。しかしながら、ここまで堂々と果たし状を送りつけられることはなかった。故に、坂口が訝しむのも無理はない。

対して正一は、やはりというか、どこ吹く風。自分を狙うものがいるのが当たり前と化した今、いや当たり前ではなくともただただめんどくさそうにシャボン玉を吹き散らす。だが、今回はサボろうという雰囲気は、全く見られない。

「まあ、行けばシャボンがいつもの倍貰えるんじゃろ? じゃったら行くほかあるまい」

「お前……物につられてんなぁ」

「シャボンさえ吹けりゃ、どうでもよかよ」

などと、相変わらずのほほんとしている。

だが、正一の態度は鉄のように変わらなくとも、金吾の若干の不安は拭えない。いつもとは違う、ただならぬ雰囲気の事件に、彼は冷や汗をたらりと流す。

しかし、正一にかける言葉などどこにもない。

むしろ、何を言ったところで、正一の心など動かすことなどできやしないだろう。

だから、金吾は何も言わない、語らない。ただ、目の前の男を行先を信ずるのみ。


「んじゃ、行くとするかの」


正一は、立つ。シャボンを吹き散らすことはやめず、だが腰に刀を差し、闇に溶け込むかのような羽織を纏い、決戦の場へと向かう。

その背中には、一片の恐れも見えない。それが逆に金吾には、恐ろしく思えた。



そして二人は、合間見える。共に漆黒を纏う者だが、しかしその雰囲気の違いは歴然。

一方はその闘志を剥き出しにし、もう一方はあまりにも冷めた様相。互いに臨む心境が、気にそのまま現れていた。


「つうか、おんしは何者じゃけ。一体何がどうして、わりゃをここに呼びつけたがな」

「……おい、俺のことを忘れたのか。いや、あの時のお前は阿片の炎から抜け出した直後……忘れてもおかしくはなかったか」


男は仕方ないといった様子で、もう一度正一に見やる。ようやく現れた真打に、その血は今にも沸騰しそうであった。

対する正一は、やはりピンと来ていない。この男の場合、阿片どうこう言わずとも一度しか会ってない顔は、忘れるたちであるから仕方ないが。

しかし、正一はこの男を忘れるべきではなかったであろう。いや、正一でなければ忘れようもないだろう。

--その男はかつて、正一を倒して捕らえ、二度目の戦いでは敗北はなかったものの、倒すことは叶わなかった男であるのだから。


「忘れているのなら、今から思い出してもらえばいい、サムライ」


男は、腰に下げた大太刀を抜く。黒衣の洋装にはひどく不似合い、しかしこの剛健な男にはよくよく似合うその刀。それを、彼は剣術でいう上段に構えた。

その構えの圧は、まさに圧倒的。並の人間では、立つことすらままならぬ殺気。恐怖で小便すら垂れてしまうだろう。

だが、正一は物ともせず、抜き打ちの構え。冷ややかな目は、その圧を全て受け流しているかのようである。

先程まで荒々しく吹いていた風は、この二人の世界においては、吹くべくもなし。自ら以上の嵐を前にしては、臆病風に吹かれるしかないか。

しかし、未だ二人は動かぬ。先を取るか、後を取るか。互いにその機会を伺っているようにも見えた。


しかしその均衡も、程なく崩れる。


「勝負」


先を取ったのは、巨魁の方だった。

ただの一歩でその間合いを詰め、轟々と落ちる滝のような一撃が正一を襲う。

だが、正一も正一、間髪入れずに抜き打ちが奔る。その一閃はまさに、疾風迅雷。

故に、互いの剣はお互いの体に触れることなく、空中にて交叉する。

が、刹那、激しく鳴り響く金属音と共に正一の体が後ろに弾け、そして倒れた。対して、男の体はなおも健在。巨木のように立っている。追い討ちをかけようとはせず、眼前に伏す正一が立つのを待っているようである。

正一はどうだ。頭をぶつけるということは無かったものの、地に落ちた衝撃は内臓に走り、若干苦しそうな呻きを立てる。だが、顔つきは依然平然、いや多少の不機嫌さを醸し出しつつ、再びその場に立ちあがる。

この一合、速さは互いに互角であった。しかし、力の上では正一はかの男に圧倒的に劣っていた。なにせ、男の体格は正一の一回りもふた回りも大きく、さらにはその筋骨はあまりにも鍛え上げられているように見えた。正一も鍛え上げている方だが、眼前の男は、それ以上と言って差し支えないだろう。故に、鍔迫り合いは鍔迫り合いなり得ず、正一は地に沈んだ。

単純に、剣と剣のぶつかり合いでは、正一が勝つのは至難である。圧倒的な力を前にしては、押し切られ続け、やがてはその体を真二つにされることは間違いない。



「全く、めんどい相手じゃけ。……それに、おんし……どこかでわりゃとやったがか」

「ようやく思い出してきたか、サムライ……」

「……まぁの。なんとなく……じゃがな。……そう、傭兵……じゃったか」


その剛腕、剛力、これほどの力量、かつてない戦闘力。この一合にて、流石の正一も思い出しつつあった。

かつて、自らが捕らえられ、そして地獄を見たあの時の事を。黒衣の洋装に、大太刀を提げた男のことを。


--そして、決着付かず仕舞いになった、眼前の男との戦いを。


「ああ、そうさ。俺は傭兵……傭兵の、ジトー・ジャポーネだ」

男はそう名乗ると再び構える。その圧は一段と強まり、かの一合はこの男にとっては、茶番ではなかったかと思うほどだ。

正一は、今度は居合の構えではなく、片手に刀を手にしてはいるが構えという構えを取らない。ある種、無形の位とでもいうのだろう。

ジトーはそれを見るなり、今度は一息入れる隙も与えずに間合いを詰め、再びその大太刀を斬り下ろす。

際して、その刃の向こうに正一はいない。忽然と消え、刃は空を切る。

ジトーがそれを察知する寸前、視界が揺らぐ。それもその筈だ、死角から正一の拳がジトーの頬を突き抜いたのだから。力はジトーに劣るとはいえ、普段より鍛えた肉体はやはり並ではなく、ジトーも多少は膝が揺らぐ。

だがどうだ、彼は倒れはしない。むしろ、その拳を受けて、嬉しそうに佇んでいる。その口から赤い筋を流しつつも、その顔は歓喜に満ち溢れた笑みを浮かべていた。


「……笑うか、おんしは」


拳を入れたはいいものの、正一はさらに追撃をすることなく、佇む目の前の巨黒を前に、再び無形の位。このままむやみに攻めたところで、勝てる相手ではないと直感が告げる。

「ほんとに、面倒なやつじゃのお……おんしは」

「そんなことを言うなよ、サムライ。……どうせなら、この戦いを噛み締めたらどうだ」

「そんな趣味は、わりゃにはないがな」

「……そいつは、残念だな。ならば、俺だけ噛み締めるとしよう。この俺に、血を流させてくれる相手など、なかなかいなかったものでな」

にっと笑っていた顔が、再び真剣な面持ちへと変わる。それもその筈だ。彼にとって、戦いは楽しみでもあるが、それ以上に自らを越えんとする壁でもある。


--彼が最強へと目指す道に立ち塞がる、壁。




かの傭兵は、本気で地上最強を目指していた。

男なら誰もが憧れる夢を、彼は愚直にも追い続けるほどに純粋であった。皆からは馬鹿にされたが、彼は取りも合わず、自らの道をまっすぐに進む。そうして、生きて来て三十年ほどか。

その人生の中で、己を傭兵という存在の信条で縛り、心身共に鍛え上げんとした。その信条に従い、戦さ場を踏み、修羅場を超えた。その戦いを、全て自らの糧とした。

いつしか、彼の力に及ぶ者は次第に居なくなった。いや、彼が人間として一段上の次元へと、上がってしまったと言っても正しいだろう。

ある意味その時点で、最強と呼ばれてもおかしくはなく、事実傭兵仲間からは最強とも認められていたであろう。愚直ゆえに、自らがそうなったということを、彼は未だ知らないが。

しかし、この男は飽きたらなかった。

否、未だ足りずと思い込んだ。

彼は、人を超えてもなお人を超えんと欲し、さらなる戦いへと、修羅場へと自らを投じた。


--最強になれるなら、死んでもいい。


彼のその執念は、あまりにも強かったのだ。


そして、出会ったのが眼前に立つ、正一だった。

いつか、正一との戦いを思い出す。互いに傷一つつけれず、互角に競り合ったあの戦いを。

あの戦い以降、彼は正一を忘れることができなかった。それはもう、恋い焦がれる乙女以上の炎だったであろう。しかし、名も名乗り合わなかったあの侍ともう一度再戦することは、ジトーのみの手では叶わなかった。

そこにきたのが、とある筋からの依頼だった。どうやら、長州藩という今はだいぶ追い詰められている藩の首魁からの、直々の依頼。どこから己の存在を知ったか、ジトーは疑問に思ったが、その依頼内容を見て、全て忘れた。

そして、ただの一念が彼の全てを支配する。


--あの男と、もう一戦できる。


その依頼こそが、御坂正一の抹殺だったのである。名前は知らずとも、その風貌の詳細で、彼は察することができた。そして察したときの、血肉の湧きようは、筆舌に尽くしがたい。

彼は、再び信条に許された。己に課した傭兵の信条、依頼の内なら何をするのも許す、それに許された。


信条に許された彼は、最早自らを止める術を持たなかった。



そして、今だ。



この場において、彼はかの侍と対峙した。

焦がれに焦がれた、あの強者と対峙した。

久々に流した血は、先立って飲んだ酒よりも自らを酔わせ、痛みなどは、全身の高揚に全てかき消されていた。歓喜は一向にとどまるところを知らない。

それでもなお、彼はその顔から笑みを消し、敢然として、『サムライ』と対峙する。

この戦いで勝ちを得んがため。

最強へと、その足をまた進めんがため。


「いくぞ、サムライ」


火花は空にて散る。

煌めき二つがぶつかり合うや否や、真紅の雨が、ほたほたと飛び散る。だが互いの影は止まる事なく、再び合間見えるや互いの剣をぶつけ合う。

快音が鳴り響き、続けざまに白刃は乱舞する。時折赤い影が纏わりつくが、なおも乱舞が止まることはない。

ジトーがその剛力で畳み掛けるのなら、正一は自らの技で捌く。正一が技で制するならば、ジトーは剛力で崩しにかかる。それは、かつての一進一退の攻防を思わせる。

あの時、彼らに決着がつくことはなかった。最終的に互いの刃は折れ、そして、彼らを縛るものもあった。

だが、どうだ。

今、この場で戦う二人に、縛られるようなものは何もない。初めから、ここで二人、死ぬまで戦うということが定められている以上、彼らは眼前の男を殺すまで、決して止まりはしないのだ。

いつしか、互いの黒は立っているのもおかしいほどに、血で染まりあがっていた。が、当然のごとく彼らは止まらない。尚も、火花は散り、血雨は降り止まぬ。

繰り出されるのは何も、刀だけではない。巨体から放たれる蹴りが正一の腹を抉ったと思えば、血濡れた棒手裏剣がジトーの耳を抉り取る。顔を地面に叩きつけられたと思えば、そのままその頭が跳ね上がりジトーの顎を突き抜く。

他人から見れば、それはもう人の戦いとは言えないだろう。化物同士の戦いとしか、言うことができないだろうて。なにせ、血を流し、次第に死が近づいているだろうその体でなおも、奴らは戦うのだから。

しかし、本質は違うのだ。

彼らは、人故にこの戦いを演じるのだ。

人だからこそ沸き起こる欲故に、目の前の敵を殺さんと足掻くのだ。

どうしようもない欲に突き動かされて、体は止まることを知らないのだ。



一方は、己が最強となるために。

一方は--。



凄まじい快音が響き、互いに一度距離を取る。二人の足元には血だまり、それは何本もの血筋で互いを繋いでいた。まるで、この戦いからどちらかが死なぬ限り決して逃がさん、と言わんばかりに。

どのみち、そんなものがなくとも、この男共が互いが敵を前にして逃しはしない。


「次が最後になるか」


血みどろになった拳が、しかとその太刀を握り、上段に掲げる。それは、最初の一合と同じ構え、しかし、殺気の密度は桁外れのものだった。


「……ほんに、立ち塞がってくれるのお、おんしは」


赤く濡れた目が、巨体の殺気を映す。しかし、正一はやはり、いや当然のごとく意にも返さず、刀を鞘に納めるや否や、居合の構えを取る。緊張はない。ただ、さらさらと流れる川のように、身体中に血が流れている。

奇しくもそれは、いつか正一とジトーが戦い、そして決着のつかなかった最後の一合と同じでもあった。しかし、ただ一つあの時と違うのは、この一合が交わされた時、どちらかが死を迎えるということ。

荒れ狂う嵐は次第に止み、月夜に舞を見せていた紅葉はひらり、ひらりと消えていく。もはや、己が赤など必要はない。ここに似合うは、血の紅のみ、と言わんばかり。

そして、最後の一枚は、緩やかにその舞台から退場する。



「糧となれ、サムライ」

「立ち塞がるんなら、斬る」



互いに一歩、そして一閃。剣を持つものは、ただ剣一本で語るのみ。


その攻防は、ただ刹那。風が一陣吹く頃には終わってしまうであろう、一合。

だが、ただの一合の筈なのに、今までのどの攻防よりも激しく、かつ強烈なほどの密度の殺気が弾けた。

赤い風が舞い、月は舞台の最高潮を迎えるが如く、燦然と輝く。


さて、この一合の向こう、立っているのはどちらか。傭兵か、侍か。


しかし、見てみるがいい。ここに倒れる者は、誰もいない。地に伏せ、倒れゆく弱者は、ここにはいないのである。

だが、確かなのは、正一の肩肉は削げおち、ジトーの額は柘榴の如く、弾けている。倒れる者はいなくとも、たしかにそこに結果はある。

かの一合、振り下ろされる最強への執念。その執念とぶつかるのも、また執念だった。正一の執念、それは、生への執念。シャボン玉を吹きたいから、「死にとおない」。


--彼の始まりの記憶、死にとおないと泣き叫ぶそれ。


その二つの執念がぶつかり合い、しかし、そのぶつかった先で、正一はジトーのそれを流した。受け流し。さも、他人の執念など、我知らぬと言わんばかりに。自らの執念しか目に入ってないと言わんばかりに。

その男の執念は、そのまま、最後の一歩と共にジトーの額を唐竹に割った。

だが、その凄まじき執念は完全には流しきれなかった。それが、削げ落ちた肉である。

しかし、執念と執念の競り合いは、正一が上手であったのは、確かだ。



「……見事」


ジトーはただ一言呟き、尚もその太刀を握り、振り上げる。振り上げたまま、動かない。

対して正一は刀を納め、いつもの如く、シャボン玉を吹かす。


「……立ち往生、初めて見たがよ……のお、傭兵」


決着は、着いた。

傭兵は、死んで尚も、最強にならんとしたのだろう。だが、死んだらそれまでだ。それで、御仕舞いだ。

かの傭兵は、死んだ。最強にならんがために、死んだ。


「ま、わりゃは別に、死にとおないからええがの」


案外、これが勝敗を分けたのかもしれない。

正一は、シャボン玉を吹きたいがために、「死にとおない」シャボン玉キチだ。そのシャボン玉キチに、死んでもいいと一端でも思っている限り、どれだけ強くとも勝てはしないのかもしれない。

死への執念は、決して生の執念には勝てはしないのだから。

それは、一つの憶測であるのかもしれないが……。

ただ、今は結果がそこにある。最強にならんがために死んでもいいと言った傭兵は死に、シャボン玉のために死にとおないと言ったシャボン玉キチは生きている。

それが何よりの、決着だ。

血の滴り落ちる肩を着物から破いた布で当て、正一は実に悠々と帰路につく。当然の如く、シャボン玉を吹き散らし。それは、あの鮮烈な戦いを潜り抜けたすぐ後とは思えないくらい、のんびりとしたものである。


「しっかし、妙に眠い。帰ったら、とっとと寝るとしようかいのお」


などと、呑気にたわごとも言う始末。まあ、その眠りが数日間の渡ろうとは、このときの正一はつゆ知らずですあろうが。

ともあれ、シャボン玉を吹き散らかして、ふらりふらりと道行く彼は、別段どうでもいいことだろう。


夜明け前、一人の男の立ち往生を背に、シャボン玉キチは行く。今日も、シャボンを吹き荒らし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る