七話「歓待」


 聖地内を色々と案内され、ミコトが連れてこられたのは屋内のこぢんまりとした部屋だった。

 天井から太い鎖で吊られたテーブルが中央付近にあり、あとは椅子と寝台らしきものがあるだけの、小さな部屋だった。土壁が四角く切り抜かれて窓になっており、通気性も良く日陰で涼しいので過ごしやすそうだ。

 案内された際に見た限りでは、聖地は主に四つのエリアから成り立っているようだ。

 荒野側に庭園と塔のエリアがあり、背後を囲む岩山側に、主殿や拝殿、宝物殿に供物殿等が建っているエリアと、居住区らしきエリアがある。

 現在いるのが居住区エリアで、四角い土壁の建物がいくつも並んでいた。規模からして何十人も住めそうなのだが、こんな所でなぜスーリヤは一人で住んでいるのだろうか。

 ミコトが椅子に腰を落ち着けたのを見届けると、「ちょっと待ってて」と言い残しスーリヤはどこかに駆けていった。

 窓から見える真っ青な空を眺めながら涼んでいると、スーリヤは何か壺のような物を持って戻ってきた。壺をテーブルの上にどんと置く。

「これは……?」

「お酒」

 スーリヤはじっとミコトの様子を見ている。ミコトの前に置かれたという事は、飲めという事だろうか。壺のまま?

「あのー、僕、未成年だからお酒は……」

 意味がわからないらしくスーリヤはきょとんとしていた。

 ――ケチくさい事言わずに飲めばいいじゃん! 別に死にゃしないって。あたしが代わりに飲みたいぐらいなのにさ。

 頭の中にぼやきが響く。保護者に見張られているみたいでやりづらいなぁと思いつつ、やはり未成年に飲酒を勧める保護者もどうなのだろうと思いなおした。

 目の前の壺に手を伸ばし、両手で掴む。茶色のシンプルな壺だ。せっかくなので飲ませてもらう事にする。

「じゃあ、いただきます……」

 壺を傾け、匂いを嗅いでみる。かすかに甘酸っぱい匂いがしたが、嫌ではない。白く濁った液体に、恐る恐る口をつけてみる。飲むヨーグルトに果汁を混ぜたような味がした。ぴりっと舌を刺激し、苦味が混じっているものの、味付けは甘めでおいしいと思えた。暑さで喉が渇いていた事もあり、一口のつもりがごくごくと喉を鳴らして飲んでしまう。

「うん、うまいよ、これ」

 ミコトがうまそうに飲んでくれた事が嬉しかったのか、スーリヤは口元に笑みを残し、「ちょっと待ってて」と再び言い残して部屋を出ていった。

 ――あの子なりにミコトをもてなそうとしてるんだね。いい子じゃない。

「……そうですね。いい子だと思います」

 ――んで? ミコトクン的にはどうなのよ? 好みなの?

「好みとかどうとか……そういう話じゃないです。相手は神様なんでしょ?」

 ――固い事言うなって。気になるんならさ、告っちゃいなよ!

 明らかに面白がっている声に、ミコトは動揺を押し隠して答える。

「なにを言ってるんだか……遊びに来ているんじゃないんですよ」

 ――スーリヤちゃん可愛いじゃない。異国の地で出会った二人、若い情熱は燃え上がり一夜限りの恋に身を焦がすのであった!

「今度は帰ってくるの遅いですねー、どこまで行ってるんだろ」

 ミコトは話を逸らそうと試みるが、残念ながら無駄なあがきだった。

 ――相手もまんざらじゃないかもよ? 強気で押せばOKしてくれそうな気がするんだけどなー。むしろ待ってるかも。

「まったく……そんな風にしか考えられないんですか。けしかけたって無駄ですよ。僕はこの世界の住人じゃないんだから、いつか帰らないといけないんですよ。下手に情が移るとその時辛いじゃないですか……」

 ――ロマンチックでいいじゃないのよぅ。ギュッてしちゃえ、ギュッて!

「本来の目的を見失っていないですか? まったく、聖地の手がかりもちょっとは考えてくださいよ。リンカさん、もしかしてお酒飲みました? 酔っぱらってませんか?」

 ――酔ってなんかないわよぅ。あたしがビール一本で酔うわけないじゃん!

「やっぱり飲んでるんですね……人を神話世界に送り込んでおいて、酔ってからかうなんて、ひどいですよ」

 ――わかったわかった。正直に質問に答えたらこれ以上からかうのはやめてあげるよ。で、スーリヤちゃんの事どう思ってるのさ?

「どうって……そりゃ、まあ、可愛いかなって――」

「ただいま!」

 油断しているところに突然声をかけられてミコトは飛び上がった。見ると、スーリヤが両手に何かを抱えて戻ってきたところだった。今の、聞かれただろうか?

「あ、おかえり……」

 スーリヤは抱えた物をテーブルの上にどさりと置く。大きな葉っぱで包んだ霜降りの肉だ。

「これは……?」

「牛」

「牛……インドって、牛って食べていいんだっけ……これ、食べていいの?」

「うん。食うといいよ」

 ――ブラーフマナ文献には神への供物として牛を捧げたって記述があるし、牛が神聖な生き物とされたのはある程度後の時代だから、いいんじゃない? なんせ、神様本人が食べていいって言ってるんだし。

 スーリヤは親鳥が雛にエサを与えるように、ミコトが食べるのをじっと待っている。おそらく、ごちそうで歓迎してくれているのだろう。言葉がそっけないのでわかりづらいが。肉はかなり大雑把に切り取られているが、見るからに新鮮でおいしそうだ。保存食とは思えないし、ミコトに振舞うために捌いてきたのだろうか。目の前の小柄な少女が一人で牛を捌いている姿は想像しづらかったが、時代を考えると、そういうものなのかなとミコトは思った。

「なるほど……そういう事なら、遠慮なくいただこうかな。生も悪くないけど……どうせなら、調理して食べたいですね。リンカさん、ちょっと頼みごとしていいですか?」

 ――ええー? あたしはミコトクンを肴にビール飲むのに忙しいんだけど……

「お願いできますよね」

 ――う、うん。

 珍しく有無を言わせぬミコトの口調に、リンカも気圧されたかのように頷く。

「僕の荷物の中に、調味料セットが入っています。あと、ライターと、ナイフとお箸。それらをこちらに送ってもらえますか?」

 ――わかったわよ。まったく……あんたの荷物、綺麗に整頓されてるわね。男のくせに細かいのねー。あっ、可愛いパンツ。

「余計な物は見なくていいです!」

 一人でぶつぶつと喋るミコトを、スーリヤは不思議そうに見ている。

「ミコト、誰としゃべってる?」

「あっ、ごめん、ちょっと独り言」

 ――あったよ。んじゃ、送りますかね。ちゃんと受け取れよー!

 言うなり、ミコトの目の前に小さいポーチが突如現れた。落ちる前に素早くキャッチする。

「ねえ、スーリヤ。枯れ木とか、燃えそうな物ないかな? あと、平たい石があればそれも欲しい」

「いいよ」

 ――なんか、ミコトが活き活きしてきたぞ……

 ミコトはてきぱきと指示を出し、スーリヤが薪を取りに行っている間に噴水で手を洗った。次に、調味料入れから塩と胡椒を取り出し、肉の上に降りかけてよく揉む。

「すごいぞ……これはいい肉だ」

「持ってきた」

「うん、ありがとう。火を起こしてもいい場所ってどこかある?」

「外ならどこでもいいよ」

 スーリヤが持ってきた石を洗った後、薪を屋外の石畳の上に並べてライターで火をつける。 ライターを見てスーリヤが驚くかなと思ったが、意外と淡白な反応だった。ちろちろと燃える木を見て、スーリヤは「木を燃やしたいの?」と尋ねた。

「ん? そうだよ」

「じゃあ燃やす」

 言うなり、突然薪がすごい勢いで燃え上がり、ライターで点けた小さな火を飲み込んだ。顔を近づけて火を見守っていたミコトがのけぞる。

「これ……君がやったの?」

「そうだよ」

 さすがは太陽の神様。ライターの火ごときでは驚かないわけだ。

 気をとりなおして、洗った石に油をひき、木材で押すようにして燃え盛る薪の中に置いた。

「石が割れないように見ておいてね」

「うん。見る」

 二人並んで座り、石が焼けるのを見守る。

 ――あたしにも食わせろ……

 ぼやくリンカを他所に、ミコトはてきぱきとナイフを用意し、肉を綺麗に切り分け始めた。家庭崩壊後は一人で自炊してきたミコトの本領発揮だ。

 薪が燃え尽きる頃、石はほどよく焼けていた。周りの燃えかすを脇にどけ、軽く温度を確認すると、再び軽く油を塗って、石の上に肉を並べる。じゅうっという小気味良い音とともに、白い煙が上がった。油が爆ぜて滴る。おいしそうな香りが漂ってきた。

「ああっ、うまそう……来てよかった」

 ミコトが嬉しそうだとスーリヤも嬉しそうだった。顔をつきだして肉の匂いを嗅いでいる。

 箸で裏返し、両面にこんがりと焦げ目がついた辺りで葉っぱの器に選り分けた。スーリヤの分と二人分だ。

「よーし、出来た! こっちは君の分ね。さて、いただきます!」

 お箸を渡してあげると、スーリヤはそれを両手に持って見比べ、片方をぶすっと肉に突き刺した。箸で刺した肉を持ち上げると、あんぐりと口を開いてかぶりつく。

「……熱い」

「急に食べると熱いから気をつけてね」

 ミコトも焼きあがった肉を頬張ってみる。さすがに捌きたての新鮮な肉、旨みがぎゅっと濃縮されており、塩胡椒のみというシンプルな味付けがさらに素材の良さを引き出している。表面がぱりっと焦げたミディアムレアの焼き加減も絶妙で、口の中でじゅわっと蕩けるようだ。現代の肉では味わえない、食べて即座に血肉になり活力がみなぎってくるような、そんな錯覚すらあった。

「うんまい! これはうまい」

 ――おい。お前らだけでおいしそうですね。

「どう、スーリヤ。おいしい?」

「うん、んまい。ミコトすごい」

 スーリヤに率直な尊敬の眼差しで見上げられ、くすぐったいような気分になる。

 見上げていたスーリヤが、ミコトの方に体を乗り出してすんすんと匂いを嗅ぎはじめた。何事かと思っていると、顔を近づけ、ミコトの鎖骨付近に付いていたわずかな胡椒をぺろりと舐め取った。

「あっ、あの……その……」

 真っ赤になって固まるミコトには頓着せず、スーリヤは食事を再開する。

 ――ほほう……これは……ミコトクンも舐め返してあげたらどうだろう?

「そんな事……できるわけないじゃないですか……!」

 照れ隠しのように大口で肉を頬張る。

 運良く、口元に胡椒がつかないかな……



 程よく満腹になり、食休みを経て、スーリヤはミコトを裏手の山に連れてきた。

「こっち」

 山には細い獣道が通っており、緩やかなカーブを描いて山の中腹へと続いている。

 すたすたと前を歩くスーリヤを、ミコトはふらふらになりながら追いかけた。まだ太陽の勢いは強く、急な斜面で足場も悪い獣道を登るのは現代っ子のミコトには辛い。汗を拭きながら振り向くと、聖地の向こうに果てしなく続く荒野が見渡せた。

「どこまで登るの~?」

「もうすぐ」

 足場を確かめつつ登っていくと、中腹の開けた場所に出た。

 大きな岩がごつごつと突きだしており、その真ん中辺りから湯気が漂っている。

「温泉?」

 近寄ってみると、岩の間に白く濁ったお湯が湧き出しているのが見えた。それほど広くないが、湯に浸かりながら景色を一望できるなかなかのロケーションだ。知る人ぞ知る秘湯といったところか。手を浸けてみると程よい温度だった。

 ――ああ~っ、いいなあ、温泉。あんただけ楽しみやがって……

 ぼやき声をスルーしてスーリヤに向き直る。

「これ、入っていいの?」

「うん」

 荒野に現れてからここまで来るのに汗だくになっている事だし、湯に浸かってさっぱりできるのはありがたい。温泉旅行などほとんどした事がないために有りがた味がよくわからないミコトでも、これは気持ちよさそうだと思った。

「じゃあ、遠慮なく……」

 服を脱ぐ手がぴたりと止まる。振り向くと、スーリヤがじーっと見ていた。

「あのー、見られていると脱ぎにくいんですが……?」

 意味がよくわかっていなさそうなスーリヤだったが、しっぽのような腰巻をしゅるんと解くと、すぽんと服を脱ぎ捨てた。ミコトは焦って瞬時に顔を逸らす。裸になったスーリヤは、跳ねるように温泉に飛び込んだ。盛大に飛沫が上がる。

「こうやって入る」

 どうやら、ミコトが温泉の入り方がわからなくて困っていると思ったらしい。自分が見本をみせようとしたのだろう。湯面から顔を出して、様子を窺うようにミコトを見上げている。ミコトにとっては、湯が白く濁っているのは幸いなのか不幸なのか。

 ――どうしたのかなミコトクン。女の子にここまでさせておいて今更怖気づいてるんじゃないでしょうねえ?

 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべているリンカの顔が容易に想像できる。ミコトは覚悟を決め、後ろを向いて服を脱ぎ捨てると股間を隠しつつ素早く湯に飛び込んだ。肩までゆっくりと浸かる。波打つ湯面を白い湯気が風に吹かれて流れていく。

 浸かってみると、程よい温度のお湯が汗とともに疲れも洗い流してくれるようだった。

「ふー……ああー……やっぱり気持ちいいわぁー」

 ばしゃばしゃと顔を洗い、さっぱりして岩に上半身をもたせかける。

 意識的にスーリヤの方は見ないようにし、空を仰いだ。抜けるような真っ青の空。日本の都会のようにスモッグで曇っていたりはしない。

 湯に浸かってのんびりと景色に目を遊ばせるのもいいものだ。心が洗われる。

 前方には切り立った岩山の峻厳な姿が雄雄しくそびえ、やや下にはオリエンタルな雰囲気をかもしだす趣深い聖地の姿がある。さらに目をやると、地平線まで続く広大な大地。

 こうしていると、邪念が洗い流されて大自然と一体に……

 ミコトの目の前ににゅっとスーリヤの顔が現れた。肌が触れ合いそうなほどの急接近に、大自然と一体になりかけていたミコトの心は急速に煩悩まみれる現実へと帰ってきた。

「ミコト、気持ちいいー?」

「は、はい……気持ちいい……です」

 焦るミコトの内心など露も知らないかのように、スーリヤはとぷんと頭から湯に浸かった。泡だけがポコポコと上がってくる。

 心配になるほどの時間が過ぎた頃、スーリヤが勢いよく飛び出してきた。無防備にも肌を隠そうとしないので、ミコトは何気ない風を装って視線を逸らすが、視界の端に小麦色の健康的な肌がちらりちらりと入ってきて気が気ではなかった。

 ――相手が気にしてないんだから遠慮なくガン見すりゃいいじゃん。

 相手が気にしてないからこそ、逆に罪悪感がちくちくと刺激されるんだ、と言い返したかったが、言っても詮無いのでこらえた。

 スーリヤは濡れた髪をぶるぶるっと振ってお湯を飛ばす。髪を束ねていた飾り紐もいつの間にか解いて、プラチナブロンドの髪を肩の辺りまで垂らしている。濡れた髪が頬や首筋に張り付いて妙に色っぽい。

 上機嫌らしく、ばちゃばちゃと遊んでいるスーリヤを視界の端に収めつつ、ミコトの方はだんだんとのぼせてきた。その原因は湯だけではない。ミコトには色々と刺激が強すぎた。

 そろそろ上がろうかと思うのだが、今上がると、変化している部分を見られてしまう……

 ――おんや? ミコトクン、どうしたのかな? のぼせそうな顔しているけど、お湯から上がらないのかな? それとも……上がれない理由でも?

 なんとも目ざとい人だ……人をからかう事に全神経を集中しているに違いない。

 よく考えたら、タオルも何も持ってきていない事に気付いた。

 という事は、裸の状態で乾くまで待たないと服を着れないのだろうか……

 色々と想像すると、ますます上がれない状態になっていく。

 上がれない状態が治まるのが先か、のぼせるのが先か……それが問題だ。



 半茹でになったミコトは居住区の寝台の上でぐったりと横たわっていた。

 大きな葉っぱを団扇代わりにして、スーリヤが扇いでくれている。そよぐ風を心地よく感じつつ、目を閉じて夢うつつのまどろみを楽しむ。

 どうやってここまで戻ってきたのか、その辺は記憶が曖昧だ。なにやら柔らかい感触を覚えているような覚えていないような……?

 その辺りの記憶は、意識して思い出さないようにしよう。

 ――そうしていると新婚さんみたいね。ミコトのクセに生意気ねぇ。

 リンカに何か言い返す気にもならず、しばらくそうやって穏やかな時間を楽しんでいたのだが、体力が回復してくるとさすがにいつまでもこうしているわけにはいかないと思い、起き上がる事にした。

 本来の目的である、この場所がどこにあるのかという事も探らなければいけない。

 身を起こすと、まだ軽く目眩がしたがおおむね大丈夫そうだ。

 ふと、ポケットの中にある固い感触を意識する。携帯電話だ。以前の物はブルドーザーの下敷きになって壊れたので、リンカが買いなおしてくれた物だ。SDメモリのバックアップを取っていなければ、データが全てパァになるところだった。

 携帯電話のカメラで風景でも撮っておくかと思い、断りを入れて外に出る。スーリヤは後からついてきた。

 外は既に日が落ちかけ、やや涼しくなっていた。風景は黄昏の色に染まりつつあり、赤く照らし出されて昼間とはまた違った様相を呈している。

「ああー、これが観光旅行ならのんびりできたんだけどな」

 宝物殿や居住区や切り立った山々や庭園に向けてシャッターを押す。合成されたシャッター音が軽やかに響いた。

 ――何をするのかと思って黙って見てたけど。言っておくけど、そっちの世界で写真撮っても、こっちには持って帰れないわよ。あくまで意識の産物なんだから。

「それを早く言ってください……」

 カメラを片手に掲げたままがっくりとうなだれる。

 なんだ、無駄かぁと思い屋内に戻ろうとするが、スーリヤが興味津々で携帯電話を見ている事に気付いた。

「あ、これ? 風景や人の姿を写真にして残しておけるんだよ。実際に見た方が早いかな」

 ミコトは携帯カメラを操作し、アルバム画面を呼び出した。さきほど撮った画像を表示し、カメラをスーリヤに差し出す。画面を覗き込んだスーリヤが感嘆の声を上げた。

「おおー。山……」

「このボタンを押すと、次の画像が出るよ」

 ボタンを操作して、撮った画像を表示してみせる。画面を切り替えるたびに感嘆の声が上がるので面白くなってつい調子に乗り次々と画面を切り替えていると、こちらで撮った画像が終了して、以前に撮った画像が出てきた。

「あ、これは学校で撮ったやつだ。これも見たい?」

「うん。見たい」

 入学式に撮った写真や、陸上大会の写真、休み時間にふざけて撮ったものや、親睦を深めるためのバス旅行で撮ったもの。現代の生活はスーリヤにとって物珍しいようで、夢中になって食い入るように見ていた。

「いっぱい人いる……」

「うん、学校って言ってね、同じ歳くらいの人たちが集まって、勉強したり遊んだりする場所だよ」

 特に、女子の制服に強い興味を示したようだった。ブレザーの制服を着た女子達の姿をじっと見つめている。しかもその写真は、ミコトがちょっと気になっていた同じクラスの水野さんが写っている写真だった。女子連中とふざけて写真を撮った時に、たまたま水野さんと隣で写ってしまったのだ。ぎこちなさそうに強張った笑みを浮かべるミコトと、にこやかにポーズを決めて写る水野さん、そしてその他の人達が並んでいる。

 写真を見ていたスーリヤがじろりとミコトを見上げた。珍しく、その視線に感情がにじんでいるような気がする。

「ミコト……楽しそうだね」

 ぽつりと呟く口調に拗ねた気配を感じ、ミコトはあわててフォローする。

「いや、友達に誘われて撮っただけで、なんというか、僕なんて空気だし!」

「スーリヤだって、こんな可愛い格好したらもっと評価される……」

 むっとした表情のスーリヤが可愛くて、ミコトはついからかいたくなってしまった。

「太陽の神様も、可愛いって褒められたいんだね。僕が褒めてあげようか」

「別に、興味ない」

「本当かな。本当は興味あるのに強がってない?」

「興味ないから興味ないって言っただけ! ……なんだよ、もうっ。あほ」

 子猫が一生懸命威嚇しているような様子が微笑ましくて、ミコトは思わず笑ってしまった。

 いままで何を考えているかよくわからなかったが、感情が表に出るということは、少しずつ距離が縮まっているのかなと思うとミコトは嬉しくなった。とはいえ、あまりからかいすぎて本気で怒らせてしまうとよくない。

「ごめん。じゃあさ、スーリヤもこういう格好してみなよ」

 そっぽを向いていたスーリヤがぴくりと反応した。

「同じではないけど、これとちょっと似たような服なら用意できるかも。ちょっと待ってね」

 ちらちらと様子を窺うスーリヤから距離を置き、声を潜めてささやく。

「リンカさん、こっちの様子は見てるんでしょ? 何か、スーリヤに似合いそうな服を送ってもらえませんか?」

 しばらくすると、リンカの不貞腐れたような声が返ってきた。

 ――何よ、ミコトのくせにずいぶんいい雰囲気じゃないの。ミコトクンはもっとうろたえたり焦ったりして情けない姿を見せてくれなきゃイヤなの!

「そんな勝手な事言われても……」

 ――わーかったわよ。しょうがないわね……あたしの代えの服ならあるけど、サイズが合わないと思うよ。おら、送るよ。

 ミコトの目の前に、真っ赤なショーツが出現した。思わず受け止めてしまう。フリル付きで、少し透けている大胆なものだ。

「いきなり下着ですか! しかもなんか生暖かいんですけど……」

 ――そりゃ、脱ぎたてだからね。変な事に使うなよ!

「使いませんよ!」

 ――インドの神様、ぱんつ履かないみたいだけど履き方わかるよね。ブラの付け方はわかんないかなー。ま、わかんなかったらミコトが教えてあげなよ。

「僕だって付け方なんて知りませんが……」

 見る間にブラやその他の衣服がぽんぽんと出現する。

 ――とりあえず色々送っておいたから、ミコトがコーディネイトしてあげなよ。

 送られてきた衣服の中には、かなり際どいボンテージやガーターベルト、おまけにスクール水着や体操服も混じっているのだが、何故こんなものを持ってきているんだろう……?

 ミコトは深く考えるのを止め、無難そうなところを選んでスーリヤに差し出してみた。

「こういうの……どうかな?」

 女の子の服なんて選んだ事がないからどういうのがいいのかなんてよくわからない。しかし、服を渡されたスーリヤは目を輝かせていた。スカートやシャツを表に向けたり裏返したりしながら見比べ、ショーツの柔らかい布を掴んで不思議そうにひっぱったりしている。

「さっき見た人、こんなの着けてなかった」

「写真の人の事? ああ、これはね、ああっ、かぶるのはダメ! それは絶対によくない。これは、このスカートの下にはくんだ」

 くいっくいっとジェスチャーで履き方を教える。スーリヤは頷くやいなや、即座に腰巻きを解き始めたので、ミコトは急いで背を向け、

「着替え終わったら呼んでね」

 と言い残して距離を置いた。

 着替えているらしい気配を背に、三角座りで空を眺める。日が傾いて茜色になった空に浮かぶオレンジの雲を眺めていると、煩悩など……煩悩など……雲がぱんつに見えてきた。

 ややあって、「いいよ」と声がかかったので振り向く。

「ほぉー……」

 思わず感嘆の溜息が出てしまった。

 プリーツミニスカートに膝丈のブーツ、肩の大きく開いたTシャツ。現代なら別段珍しくない格好だが、現代人離れした格好をしていたスーリヤが着ると特別な感じがする。

 意外とスタイルがいいので様になっているし、小麦色の肌とプラチナブロンドもシャツに合っていた。長い足にブーツも似合っている。

 スーリヤはいつになく照れた様子で、落ち着かなげにスカートの裾をいじりながらブーツのつま先でトントンと地面を叩いたりしている。

「そうだ、せっかくだから、写真を撮ってみようか」

 どうリアクションをとっていいかわからなくなったミコトは、カメラを建物の窓枠に置いて角度を調節し、タイマーをセットしてスーリヤの横に並んだ。二人して緊張した面持ちでじっとシャッターが切られるのを待つ。

 やがて電子合成のシャッター音が鳴り、ミコトはそそくさとカメラを回収。

「さーてちゃんと撮れてるかな」

 カメラを操作する手つきも気忙しげに、撮った画像を呼び出し、スーリヤと頭をつきあわせて画面を覗きこむ。そこには、ちょっと緊張した様子の二人がちょこんと並んで写っていた。

「あー、うん。よく撮れてるね」

 カメラを覗き込んでいたスーリヤが、ミコトを見上げた。そのまま黙って見つめてくる。

 この沈黙と視線は何だろう?

 ミコトがどうしていいかわからずに焦っていると、リンカから助け舟が入った。

 ――もう、この鈍感! 焦れったいわね。感想を聞きたいんでしょ?

「あ、ああ。スーリヤ、よく似合ってるよ」

 本心から、するっと言葉が出た。女の子を褒めるなんて照れくさいけど、本気で似合うと思っていたから無理なく言えた。

 それだけの言葉で、スーリヤの表情がみるみるほころぶ。

 満面の笑顔。

 今までに見せた事のないような笑顔だった。

 少しの照れとにじみでる嬉しさを隠し切れないような。

 あまりに無防備な喜びように、ミコトはくらりと目眩がするような感覚に囚われた。

 やばい。胸のあたりが切ない。これはまさか……いやいやそんなまさか。

 ミコトは視線を逸らし、雄大な自然を眺める事で心の平衡を取り戻そうと努めた。

 地平線に沈みかけた太陽は、真っ赤に灼熱した塊が大地にこぼれ落ちているかのようで、雲は黄金色に染まり、空は赤く輝いている。夕日の明るさもこの世界では豪快だ。

 あれだけ肌を射した暑気も薄らぎ、時折吹く風も穏やかな涼気を運んで来る。

 昼が終わる寂しさと、夜を迎える不安が同居する、境界の時間。

 地平線を眺めていたミコトだが、何か動く物を見た気がして、目を凝らした。

「ん……? 何だろう、あれ」

 滲んで揺らぐ太陽を、鳥のようなシルエットが横切る。

 影になって黒ずんだ大地と赤い空との境界線上で、影のようなものがいくつか動いている。

 最初のうちは、動物でも歩いているのだろうかと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。こちらに向かって進んでくるように見える。

 黄昏の中を蠢く黒い影。

 にわかに不吉な暗雲がむくむくと胸中に広がる。

 スーリヤを見ると、いつになく真剣な顔を地平線に向けていた。さきほどまでの笑顔はもう、欠片も残っていない。

「ごめんミコト……この服、返す」

 そう言って服に手をかけるスーリヤが、急速に遠くへ行ってしまったような、そんな錯覚と不安で、妙に胸がざわざわした。

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