12 『前兆』

 他方で、ある酒場。

 冒険者達が上げる粗暴な喧騒の端で、控え目にちびちびと度数が低い安物の酒を呷る男の姿があった。

 薄く黒ずんだ金髪が野暮ったく、一人で何が可笑しいのか口角を上げ、しかし使い込まれた剣を始めとする装備が、彼を猛者だと印象付ける奇妙な青年──笑顔の伝道師ことジャラ・デンボルトンである。

 ダンジョン帰りの彼は、疲労を洗い流すべくしてアルコールを摂取しているのだ。

 もっとも、酒自体はそこまで好んではいないのだが……それでも彼は満面の笑みなのだから、実に気味が悪い。


「あらジャラぁ、リーダーはぁ? 一緒にダンジョンに行ってたんじゃなかったかしらぁ?」


 そんな近寄り難い彼に、臆することなく疑問の声を投げ掛けたのはこれまた特徴的な女性──と言うか、泣く子も黙って遺書を書くと噂の吸血種だ。

 フィンダルト・エマ・ディクローズ。

 艶やかなパープルの髪を垂らし、今日も従業員のエプロン姿。

 それで強調される凶悪な胸部の膨らみが、否が応でも視界に入る。

 もし既知の間柄、または性欲に興味を示さない男でもなければ襲い掛かるのも無理はない、という美形であった。

 だがジャラは彼女に構うことなく、


「リーダーは初級魔術師達に護身術教えるってさ。人類種最強の男がわざわざ伝授──って言うのも、なかなかハッピーな話だよね」

「……いつの間に好かれてたのしらねぇ。行方不明の時期に初級の子達の手助けやってることは知ってたけどぉ……まさかリーダーに小児愛好家のケがあるとはねぇ。ダンジョン探索の本業が疎かなんじゃないのかしらぁ? 此処のところ、全く行ってないみたいだしぃ」

「言い過ぎだよフィンダルト。子どもに好かれないからって嫉妬するのはハッピー?」

「──アンタはあたしと同類でしょうが」


 図星のようだ。

 不機嫌そうに鼻を鳴らす彼女に、不審者はいつもより笑みを深めて、


「リーダーは単に、君や俺と同じで子どもに甘いってだけ……それにホンモノが今、こっち見てるからこの話題は取り止めた方がハッピーだ」

 

 何処からかの視線を鋭敏に察知したジャラが、珍しく主体的に会話を終わらせる。

 犯罪者半歩手前の振り切った輩を敵に回すと、ハピネスが掻き消えるとかいう訳の分からない理屈に基づく行動だろうが。

 フィンダルトもやれやれと嘆息するが、ジャラはただ笑い掛けるだけ。特に他の何も感想はなさそうだ。

 閑話休題。


「そう言や、ユーヤは未だに残党狩りから帰らないなぁ。アリスも帰ってくるのを首を長くして待ってるだろうに……難航しているなら俺が手伝うのもハッピーかな」 

「止めときなさい。また余計な事してアルダリアに呆れられても知らないわよぉ?」

「うん、あの東門の件は後悔してる」


 肩を竦めるジャラはそれでも笑みを崩さないため、後悔はしていても反省の意が感じられない。

 それでも彼に嘘はない。


 ユーヤこと、蒼崎裕也が革命の残党狩りに行って疾うに一週間は経った。

 荒くれ者の冒険者さえ何の音沙汰もなしにこの期間を空ければ、依頼中に死亡したか、それとも逃亡したかの二択と判断すべきだと言われている。

 裕也は冒険者でなく、肩書きは騎士なのだが──なら一層、異常だ。

 あの異世界人の実力をどう低く見積もっても、カナリア派の残党如きでは歯が立たない程の強さのはずである。

 伊達に革命後すぐに、人類種最強のガイアールへ教えを請うた訳ではないようだ。

 戦闘系の異世界人として力不足だった実力は改善されて、今ではジャラも苦戦を強いられる程となっていたはず。

 詰まる所──何らかのトラブルに巻き込まれた可能性が大、ということ。


 そう結論付けた丁度そのときだ。


 青紫と深青色のローブを各々身に纏った二人組が、ジャラとフィンダルトのテーブルへと向かってきた。

 人相は窺えないが、青紫の初級魔術師用のローブの方は目に見えて小柄だ。何となくアリスの姿を喚起させる風体である。


 だが、ジャラが視線を向けたのはもう一人の方だ。この中級魔術師用の深青色のローブを纏う女性には、一人思い当たる人物がいるのだった。


「ヤナガワ? その子は?」

「あのその、ちょっと、アルダリアさんからの用件でっ……結構大事な話なんで声は抑えた感じで聞いて下さいっ」

「こんな場所で──しかも貴女がそれを言うのぉ?」


 真面目な顔で人差し指を鼻頭に当てる柳川明美に、フィンダルトは呆れたようにジャラのテーブルの空いている二つの椅子を手で示す。

 素直に従う二人は、特段躊躇いもなくそこへと腰を下ろす。


 さてヤナガワこと、柳川明美は冒険者と新政府の相中を取り持つなどを主に行っていた。新政府の犬、使いっ走り、異世界人なのに地味、裏方ばかりで空気化が深刻など、とも形容できる業務内容である。

 しかしこの役割配分は妥当だろう。

 裕也のごとく始末や粛清する仕事は、彼女にしてみれば荷が重い。

 謙遜でもない。

 彼女は実力は十分なものの、未だ生物を傷付けることに慣れていないのだ。

 加えて性格も外見も特筆すべき優れた点もなく、彼女は至って普通の高校生なのである。今はまだ。


 そんな彼女が荒くれ者が多数を占める冒険者と付き合える経緯は、生誕祭最終日の行動から端を発する。

 小さな正義感と幼馴染みへの淡い想いを抱いて、片端から避難誘導を行っていたのが市井の好感度を上げたらしい。

 ロリコン冒険者を始めとする、顔の広い冒険者等に気に入られ──何やかんやで現在、サラの食堂に馴染んでしまったのだった。


 そろそろ話を戻そう。

 ジャラは相も変わらない笑みで酌をして、安酒を明美の側へと置く。


「それじゃ改めて……そこの君は一体?」


「……エリア。エリア・フォン・ダーティビル。それがわたしの名前だ、である」


 明美へと尋ねたつもりが、横合いから当の本人が舌足らずの幼い声音──それと正反対の印象を受ける堅苦しい語尾が気に掛かる──で答えた。明美も予想外だったのか、大袈裟に驚いている。声を潜めるとかいう話はどうした。

 ジャラとフィンダルトも僅かながら瞠目し、顔を見合わせる。

 エリア・フォン・ダーティビルとは、この国の元第三王女、現第二王女の名だ。年の所為かカナリア、アルダリアよりも公の場に現れないが、紛れもなく王族の一人。

 革命後間もないこの時期に、しかも護衛は一人のみで外出──?

 至極真っ当に、ジャラは首を傾ぐ。


「それ本当?」

「む、む、そんな信じてくれないの? だったら証拠にわたしの髪を」

「めっ、エリアちゃんめっ! ここでバレたら碌な目に遭わないよっ!?」

「……う、わかった」

 

 明美の剣幕にエリアは面食らったのか、見るからにしょぼくれて視線を落とす。取り乱して、元来の物であろう幼い言葉遣いになってしまっていた。

 それにしても王族相手にちゃん付けとは、どうもエリアとも明美は度を超えて親しいらしい。

 また、彼女がエリアを必死に留めた理由はジャラにも分かる。ちらりと目に入る男──幼女の匂いを鋭敏に察知したのか、不審な動きを見せる変態ペド野郎の存在だ。

 彼とも明美は因縁と言うか、そういう物があるため特に警戒しているらしい。

 ともあれ、そろそろ場所を変えた方が良いだろう。


「まぁ、王女様だって事は理解したわぁ。けれど、あの過保護なアルダリア様が大事な妹君に託すなんてどんな厄介事ぉ?」

「厄介事ってうち言ってないんですが……エリアちゃんの件とアルダリアさんからの件は別件ですからっ、そんな嫌そうな顔しないで下さい……」

「──ついでで訊くけどぉ、エリア様の用件って何?」

「ええとそのっ、うち───わたしじゃ何と言うです。大体、羽を伸ばしたいとか、庶民の暮らしぶりを見たいとか、最近全くアルダリアさんが遊んでくれないサムシング! わたしはその、それでお願いされて、宮殿から脱出させて云々」

「最早後半以降、言葉になってないわよぉ。それにしても、貴女も随分図太くなったものねぇ……」


 フィンダルトが感慨深げに呟くのも無理はない。出会ったばかりの頃は萎縮ばかりしていた彼女が、なんという成長を遂げたのか。

 褒められた行為でないのが玉に瑕だが。

 後にアルダリアから叱責を喰らうこと間違いなしの暴挙と言えよう。


 それはそれとして、席を立つ前に本題の触りぐらいは頭に入れたい。

 背後のロリコン改め変態野郎に意識を向けた様子の明美に、ジャラは尋ねた。


「それならハッピーそうなアルダリア様の用件は?」


「──ミリス王国について」


 一言告げて、ジャラとフィンダルトが注目を明美に集めたのを見回して確認して。

 声を潜めてずいっと顔を出し、再度彼女は口を開く。



「アリス様って子、危ないかもしれない」



 ……――……――……――……――……



「アリス様、お早う御座います」

「──お早う御座います。アニさん、今日も宜しくお願いします」

「は、は、はい。あの、……そ、そんな。一介の召使いの私の名前を覚えておられるのですか」

「何も自慢することでもありませんよ」

 

 その頃合、有栖は今日だけで都合二十八回目となる猫を被って和かに挨拶を返す。

 それこそ聖女のような。

 しかし打算だけで作り上げた笑み。

 脊髄反射と言うべきほどに身に沁みた自らを取り繕う術は既に完成の域に達していたが──悲しいことに自慢できる相手が不在である。


 ただ、一々そんな瑣末ごとが頭を過ることはもうない。

 こんな生活が続いて──運命の会食の日から──かれこれ一週間は経過したのだから。


 歩き慣れたひたすらに白い廊下を、有栖は従者を一人引き連れて闊歩する。

 

 あークソ、ムシャクシャする。殴りてぇ、サンドバッグに糞神の顔貼り付けて、全力で殴りてぇ。

 機械的に笑みを浮かべる有栖の心境と言えば、それはそれは荒んだモノと化していた。

 前と変わらなく思えるのは一重に気のせいである。

 しかし小市民的な感性を持つ者ならば、仕方のない環境でもあった。

 ストレス発散で弄っていたサヴァンは未だに呼び戻せておらず、しかも『神の子』たらんとして常時気を張っているのだ。

 外面に出ないものの、メンタルが豆腐で、がさつな有栖には結構堪える。

 加えて。


「……ナタリアさん」

「申し訳御座いません」

「まだ何も言ってないんですが……」

「名前を呼ばれれば毎回わたしの至らなさを指摘されるので、反射的に謝罪をしてしまいました。外出するのでしょうか?」

「え? あ、ああはい、そうなのですが」


 唐突に言い当てられてたじろぐ。

 心でも読んでるのかコイツ、と心眼持ちのアイデンティティーを失いかけた。

 脈絡も何もなく、思考回路が読めない。


 思い出すは、従者の役割を果たしていたサヴァン。真面目だった彼女と交代した、従者の務めを果たすナタリアと愉快な仲間達の独特な雰囲気には未だ慣れない。


 緩々と視線を動かし、一際目立つ深緑色の髪をきっちり切り揃えた長身の女性を胡乱げに観察する。

 服飾は当然白ローブだが、有栖の命令で頭巾だけは外しており──理由は、ローブの人物だらけだと不気味でノイローゼになりそうだから──彼女の、呑気そうな面構えが何とも言い難い。

 彼女こそがナタリア・サザンニカ。お惚けた言動が特徴で、まるで年幾ばくかの童のようだ。どうにも四ノ目機関の代表役らしい。

 有栖の悩みの種の根源であり、未だ彼女の性格が掴み切れていない。

 一度咳払いをして、改めて切り出す。


「そういうことで、本日は宮殿の下へ降りたいと思うのですが」

「お伴します」


 従順に即答するナタリアは、実に忠誠心を感じる。心眼で実際に赤文字の羅列で視認もできる。

 暫く彼女と行動を共にして理解したが、基本的にナタリアは有能だ。

 別に仕事自体に不足はないし、心眼で覗く限り有栖への敬意は本物。盲目的と言っても過言でない。

 例とするならば、そうだ。


「時にナタリアさん。巷では語尾に『お腹空いた』と付ける行為が流行りのようです。何でも、それだけで信仰力が上がるらしいです」

「初耳です、また一つ勉強になりました。お腹空きました」

「ええ、これでナタリアさんの信仰力がぐーんと上がりました」

「やりましたお腹空きました」

 

 素直すぎて有栖も気後れする程だ。


「またまた以外な事実として、実は私は神の子ではないのです」

「初耳です、また一つ勉強になりました。お腹空きました、斬ります」


 素直すぎて危険な程だった。


「ふふふ、ナタリアさんまた聞き間違いですよ。いけませんね。私が神の子でないはずがないでしょう?」

「……申し訳御座いません。直そうと思っているのですが……お腹空きました」


 背中でだらだら冷や汗を流しながら、涼しい顔で平然と嘘を吐く詐欺師こと有栖。軽々しく嘘を口にして、危うくカエサル状態になるところだった。

 ──認識してるのは意外だったけど、会話が噛み合うときだとこんなモンだな。マジで通じねぇとき、その日の予定の話してたら、知らない間にナタリアが窓に飛び込むことになってたし。

 ナタリアは如何なる会話に思っていたのだろうと、疑問は尽きない。


 こうした些細な問題含めても、特段問題もなかったサヴァンと同等に有用な人材ではある。

 抑圧された生活だがそこまで苦痛はなく、何より人々から羨望の眼差しを向けられることに満たされていく感覚がした。

 酷く綺麗な、一方で醜いモノが心の隙間に流れ込んでいくような──。

 

 ──サヴァンは呼び戻さなくても良い気がしてきたな。ステータス見る分にはサヴァンよりも、圧倒的に四ノ目機関の連中のが強いんだし。意思疎通にストレス感じるけど、思った程じゃねぇしな。よし、もしサヴァンが来てもそれとなく帰すか。

 薄情なクズ、それが有栖だった。

 少し前まで待ち遠しくしていたのは何処のどいつだろう。


「アリス様、お早う御座います」

「お早う御座います……今日も散歩日和の恵まれた良い天気ですね」

「宮殿の外周を回られるので?」

「いえ、屋内を見て回ろうかと」


 ならな天気を話題に出したのは何故だ。

 息をするように適当な言葉を吐く奴である。


 挨拶を返してきたのは、くりくりした目が愛らしい大男ガウス・プロタークだ。側には影が薄く雑魚と評判のライネスが、有栖へと丁寧に頭を下げている。

 彼らもまた、何時もは覆っている頭巾を有栖の命令によって脱がされていた。

 ガウスは清潔感のあるさっぱりとした程度に切られた綺麗な金髪であり、概ね想像通りだったが、やはり精悍な顔つきに目が似合っていない。ちなみにライネスは実に雑魚っぽい顔形であった。


 ──こいつらも付いて来るっぽいな。いらねぇんだけど、まぁ俺は寛大だから許すけどな。


 いちいち癪に触る言い方だった。

 それはともかく、有栖を取り巻く環境は随分と変わった。

 その筆頭を挙げるとすれば、そうだ。

 ──あの会食が終幕を迎えた翌日から、ジルコニアの鶴の一声で有栖は『サルガッソ宮殿内部を自由に動き回れるようになった』のである。


 ジルコニア曰く、「至高の御方を一フロアに押し込め続けるのは、流石に気が咎めまして……宴で秘密裏と言えど公認されたのですから、問題はないかと」ということらしい。

 さすじじ、と有栖が賛美の声を密かに上げたのは言うまでもない。『ありすの じるこにあへの こうかんどが 三 上がった』という奴だ。


 これで鬱屈とストレスを部屋で貯めることなく、怠惰を貪り、権威に胡座を掻き、存分に贅沢に溺れることができる──。

 これまでも、そしてこの先も続く欲塗れの生活を思い描き、微かに笑う。心の中ではだらしなく「うえへへへ」などとだらしなく爆笑していた。死ねば良いのに。


 さて、と有栖が取り直して階段へ続く大扉に差し掛かったときだった。

 見苦しくない程度で早足で前方から接近してきた白ローブが、有栖に対して九十度以上に腰を折って、



「申し訳御座いません、アリス様。ジルコニア卿が現在応対しておりますが……来賓の方が御対面を所望しております」

「……それはまた。どなたですか?」



 有栖は神の子として先日の宴で披露目されたが、一般公開は未だ先だ。つまり殆どの人間には知らされていないはずである。

 そのため今に至るまで対面を申し出る者はほぼいなかったのだし、普段は如何なる相手であっても対応の者が追い返していた。


 だが今回は、自分にまで話が回ってきた──すなわち、それだけ重要性が高い相手であることに違いあるまい。

 有栖の問いに対して、白ローブは歯切れ悪く、


「いえ、それが……ジルコニア卿からは、迅速にそのように報告を申すようにとしか……」

「問題ありません、案内お願い致します。──行かねばならないのなら、なるだけ早く向かいませんと」


 本当はサボタージュする気満々だったのだが、有栖元来のそれは『神の子たらんとする矜持』によって潰される。

 有栖の小者特有の危機察知機構は、『危険だ』と叫んでいるのに。

 地位を守るとは、自らを鎖で繋ぐに同じ。

 有栖は権威に縛られ、知らず知らずのうちに数少ない長所であった柔軟性を失っていた──。

 

 有栖の腐敗は、着実に進んでいた。

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