24 『前夜』
──結局はそう、あの神は罠を張っていたのだろう。
有栖の名前をアリス・エヴァンズと改名させていたのは、きっとこの悪趣味な罠のためだったのだ。
無論、怖気を走らせるような気持ち悪い神の趣味も含めて。
頭を地に付けるほどに畏敬の念を表す神父を必死で言いくるめて、別の場所へと移動し話を聞いた。
曰く、金色の瞳と群青の髪、そしてエヴァンズという姓はダイス教の主神の特徴である。
曰く、このような神聖な群青の髪は、到底今の異世界では作り得ない。
曰く、ステータスは絶対であり、それを変更や偽るスキルは現在のところ確認されていない。
曰く、そのような全ての特徴が揃った貴女様は、神の子であるに違いない。
そしてダイス教の主神の名は、タウコプァ・エヴァンズと言うらしい。
……――……――……――……――……
物の見事にハメられた。
そこに性的な意味が含まれないことに安堵しつつ、早々と有栖は王宮の別館へと帰還した。
……まさかこの台詞を言わせるために、あの変態神は仕組んでいるのではないか。
などと、そんな馬鹿げた想像は打ち切った。
それは有栖の精神衛生上よろしくない。
肩が重く感じるのは、精神的に疲労していたからだろう。
神の子の存在を間近に見た神父は、祈りを捧げながら感涙しており止めるのが非常に困難だった。
教会前という目立つ場所での出来事のため、衆目もこの騒ぎに目を向ける者も多かったのだ。
羞恥と混乱で、急いでフードを被り神父を引っぱって教会内に連れ込んだのだった。
本来、有栖如きの筋力では人間を無理に引くなど不可能なはずなのだが。
俗に言う、火事場の馬鹿力という奴だろう。
思い出すことが辛くなって、肺の空気を全て吐き出した。
「……話が見えてきたぞ、糞神この野郎」
自室のベッドに転がりながら、有栖は得た情報と照らし合わせて現状を確認してみる。
第一王女のカナリアと白ローブこと聖職者集団が繋がっていることは前提として思い返す。
おそらく発端は、サヴァンが有栖の部屋にてステータスを見たときだろうか。
あのときサヴァンは『虚飾』で過剰に誇張された数値に驚愕していた。
『心眼』を行使していたが、あの場では心中に「エヴァンズ」の名に反応する素振りはなかった。
おそらくは目に飛び込んできた異常ステータスが、ある種の目眩ましになったのだろう。
有栖も未だ『虚飾』のスキルを把握しておらず、焦って読み落としていたという可能性もあるか。
そしてその後、カナリアにサヴァンがそのことを報告して発覚。
コネのある聖職者達にカナリアは連絡し、人目を気にし、またアルダリアに勘付かれないために生誕祭で「神の子の疑いのあるアリス・エヴァンズの回収」を頼んだ。
ただ瞳の色や有栖の髪色に、サヴァンが頓着していた心情は『心眼』で読み取った覚えはない。
つまりはサヴァンには「エヴァンズ」という姓だけしか根拠がなく、神の子確定とまでは報告できなかったのだろう。
だからこそ、有栖は平穏に一日目を過ごせたのだ。
やはり十分な信頼関係が構築されていない、また根拠薄弱でか白ローブ達はいい加減な仕事をした。
あそこで髪とステータスの確認を要求されたのは、つまり神の子である証拠が欲しかったからだろう。
それを拒否されて、適当に納得して祭りへほいほい遊びに行ったという訳か。
あの白ローブ達はクビにならないのだろうか。
彼らが仕事をしなかったばかりに、有栖はごく当然のように王宮の別館へと帰還した。
慌てたサヴァンを問い詰めて情報を得る。
こうしてその翌日こと、生誕祭二日目で教会の神父から真実とネタバラシを受ける──という流れだ。
カナリアが戦闘要員である有栖を手放し、生誕祭中に白ローブ達に引き渡す理由は不明ではある。
もっとも、神の子などと大仰な名前なのだ。
知ってたけど傭兵として扱いました、と無礼千万な態度が、宗教内で粛清対象か何かだったのではあるまいか。
厄ネタを抱えた荷物は一刻も早く手放した方が良いに決まっていた。
何にしても本人に内緒で誘拐しようとした件について、狭量の有栖は許さないのだが。
変態神の悪戯心のせいで、自分が実は結構ピンチだったことを自覚して有栖は悶える。
あの神、いつか絶対ボコす。
まさにチンピラの台詞だった。
──しかもあの神父、群青の髪は現状世界で作り得ないっつってたよな……。
文脈や群青の髪で神の子扱いされたことから鑑みるに、普通は群青の髪が有り得ないということだ。
では、生誕祭一日目で件のカツラを取り扱っていた店は一体何だというのか。
しかも群青色しか取り揃えていない、あの態度が悪かった店員は一体誰だというのか。
答えは一つ。
糞神あのクソったれ! コスプレしてまで俺を……許せねぇぞクソったれ!
神の茶目っけには殺意が沸く。
どうして、入店後カウンターに向けて全力で駆けていき顔面を殴らなかったのか、と後悔した。
だがそれでは、開口一番に店員に殴りかかるクレーマーである。
強盗か何かだと勘違いされそうだ。
と、このように怒り狂う有栖は、しかし家具クラッシャーと化していない。
寧ろ大人しいもので、ベッドの上でゴロゴロ高速で転がりまわっているだけである。
変なところでヘタレな有栖は、賠償が怖くて器物損害などできない。
結局金に勝てなかったという話だ。
数分ほど憤怒に燃えて転がっていたが──有栖は噛み殺すようにして天井を睨む。
有栖を平気で明け渡そうとしたカナリア、道化のように有栖を振り回す神。
その二人に向かって声を出す。
「クソったれどもめ……! 俺を罠に嵌めたらどうなるか、明日思い知らせてやる……!」
なかなかの啖呵だが悲しいかな、碌でもないことになる予感がする。
怖気ずいてか悪寒が走ったが「うぃひひ」と笑い声を漏らして霧散させた。
とりあえず明日に向けて瞼を下ろす。
未だ夕刻なのだが──有栖は気疲れからか、ぐっすりと眠りへと落ちていった。
夜、作戦確認のために召集をサヴァンにかけられ、戸外からの声でフィンダルトに叩き起こされる羽目になった。
驚きすぎて寝台から落ちて頭を打った。
……幸先が悪い。
……――……――……――……――……
──いよいよ明日、か。
心中で独りごちるアルダリアは、片方の手で持ち前の綺麗な白髪を撫で付けながら嘆息した。
王宮にある色取り取りの草花が咲く庭は野外であるため、髪が靡いて仕方ない。
落陽を迎えて、忍び寄る夜の気配を寒気のする風で感じる。
厚着していた方が良かっただろうか。
変わらぬ深紅のドレスでは流石に辛かったかもしれない。
そんな他愛もないことを考える横で、ふと感傷に浸ってみる。
毎日溜息するのも胃痛が止まらないのも徹夜するのも、明日で最後になるかもしれない。
明日のクーデターが成功すれば、多忙で倍以上にストレスが増える。
失敗すれば、父の玩具に成り果てるか断罪を受けて一瞬で死ぬか、だ。
そう考えると、果たしてどちらが自分にとって地獄なのか判然としなくなった。
──待て待て。血迷っている場合か、私は。
もう一度息を吐き、目を強く瞑って意思を固くする。
決して「若白髪って、本当にアルダリアさんって苦労してるんだねっ」と数日前に柳川明美から言われて自分を見直していた訳ではない。
そもそもこの白髪は王家の証であり、生来の物なのだ。
加えて、どちらが自身にとって辛いかという価値観でアルダリアは動いていない。
「おねーさま?」
隣からした、舌たらずな声で思考に水が入った。
アルダリアは即時現実に帰ってくると、手を繋いでいる十にも満たない年齢の少女へ視線を向ける。
「ッ、ああ悪いな。少し考え事をしていた……本当に済まない」
「むーっ、おねえさま、エリアのお話、ちっともきいてくれないんだから」
膨れっ面でこちらを可愛らしく睨んでくる少女に、アルダリアは眉を下げる。
その少女は、あの異世界人の黒髪少女には負けるものの、紛れもない美少女と形容できるだろう。
特徴的なのは王族の証である澄み切った白髪が縦ロールと、遺伝の碧色の瞳。
ライムグリーンのドレスで着飾ってはいるが、誰かの目に触れさせる訳ではない。
寧ろ、誰にも見つからずにいて欲しい。
「おねーさまったら、もう。わたしのお話きいてくれないなら、おとーさまに言いつけてやるんだから」
ぷい、と不貞腐れる少女は父の本性を知らない。
アルダリアは複雑な思いで眉を寄せた。
「それは……困る。エリアの話は今度こそ聞く」
「ほんと? ほんとにほんと?」
「ああ、本当だ」
その言葉で少女は、こちらも微笑んでしまう、弾けるような笑顔を浮かべた。
少女はエリア・フォン・ダーティビルという名前で、今年八歳になるアルダリアの妹だ。
ダーティビル家三姉妹の中の末っ子であり、第三王女。
しかしまだ大人の社会に足を踏み入れるには早い年なのだ──。
はしたなく唇を噛んでしまいそうなのを抑えた。
三姉妹に手を出そうとする父の近くに、エリアはいてはならない。
アルダリアが革命を起こす決断をした要因の一つは、それでもある。
約半年前──エリアを何とか守り通してきたが、それも限界に達しようとしていた頃だった。
業を煮やしたのか、年端もないエリアへ魔手を伸ばす父サーディ王の手口が強引になってきたのだ。
これ以上守るのは一介の王女には不可能、しかも一度は守ったアルダリアの純潔にも手を伸ばそうとしてきた。
既に対抗するだけの肉体と精神を有しているため事なきを得たが、幼いエリアはどうか。
そのことを考えるだけで吐き気がした。
また、サーディ王は他者の恨みも、賄賂を始めとする問題で買っている。
更にサーディ王は政治をすることなく、第一王女のカナリアに一任している現状だ。
不満の声と蜂起の声は日増しに強くなり、アルダリア個人の思いも方向性は合致していた。
だから──と、言うほど彼女は図太くはないが。
身勝手な決意だと分かっていて、ただそれでも立ち上がらない理由にはなり得なかった。
アルダリアはエリアの頭を撫でて、
「エリア。秘密の場所で、明日は大人しくしているんだ」
「……? どうして? おねーさまは?」
「私は片付けることがあってな、明日はエリアだけで遊んでいてくれ」
戦火がエリアを巻き込むことがあってはならない。
そのため、今日のうちに内密にエリアを王宮から離しておく必要があるのだ。
勿論エリアには事情を伝えていないため、反発されるのは目に見えていた。
「え……やだ」
「聞き分けのない子は立派な大人にはなれないぞ。一応、私の従者を付けておくから我慢してくれ」
「……うん、わかった……。あの人、いちいちうるさいからあんまり好きじゃないけど……」
しょげた様子のエリアに、アルダリアは微笑みかける。
「良い子だ。──そうだな、明日頑張って大人しくしてたら、明後日ご褒美を上げよう。出来るか?」
「ほんとに?」
「ああ、本当だ。約束しよう。何なら宣誓書でも血印でも結ぼう」
「……おねーさまって、たまにすごくあれよね」
何故かエリアが溜息をしていた。
アリダリアは首を傾げながらも、しっかりとエリアの手を握って庭を後にする。
生誕祭──その最終日の幕を開くために。
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