このちっぽけな心眼で俺は、異世界成り上がりを果たしてみせる

さんさ

第一章 虚偽を手に

1 『神と最悪の邂逅』

「凌辱物ってイイと思わない?」


「は?」


 眼前で唐突に、自分のフェチズムを語りだした自称神様に有栖は素の返事をした。


 見渡す限りの白い平面。その上に呆然と立ち竦む男は、遠藤有栖という名前を持っていた。

 『持っていた』という過去形の所以は、その男がつい先ほど死亡したはずで、本来ならば存在するはずがないからである。

 そんな彼に気安く語りかけた、群青色の髪の颯爽とした青年はなおも変態の主張を続けた。


「抵抗する美少女をさ、殴って蹴って斬って括って裂いて叩いて抱えて首締めて暴力で従えて──嫌悪する相手に体ん中弄ばれて死にたくなるような顔に歪めて涙と鼻水と汗で折角の美貌をぐちゃぐちゃに台無しに形無しにしながら、何時もはお淑やかに振る舞ってる声を必死に振り絞るトコとかサイコーすぎて逆に絶頂しそうになるし手足暴れさせて魔の手から逃れようとするのを『叫んだら殺すぞ』なーんて安い言葉で止めちゃってホントは助けを希いたいのに自分でそれを抑えてんじゃ結局自分が何したいか判らなくなってとりあえずこの場に身を任せようと思考停止に走って気が付いたときには────」


「ちょ、ちょっとアンタ、さっきから何を言って……!?」


 恍惚とフェチズムを語り出した──しかも途中から描写に変わっている──その青年に、内心ドン引きしながらも意を決して止める。

 このまま黙然としていれば、きっと数時間は気持ち悪い話を語っていただろう。

 流石にそれは有栖の正気度が足りそうにない。

 そもそも殆ど何の状況説明もない有栖に、意味なさげな主張を聞かせてどうようと言うのだろうか。

 戸惑いの声に群青の髪をガシガシと掻き毟り、鷹にも似たレモン色の眼光を光らせて青年は、


「『アンタ』じゃねぇよ、不細工風情。『神様』っつーオレの尊称を忘れてくれるな愚図が。せっかく気持ち良くオレが語ってんだからさ、壁みたいに黙ってろ」


 その迫力に気圧されて有栖は口を噤んだ。

 口調は軽い、けれども向けられた言葉は強烈な侮蔑と蔑視。

 瞭然と言うのであれば、この瞬間、有栖は間違いなくその青年から害虫以下の存在だと見下されている感覚があった。

 それに憤りはおろか、萎縮さえしてしまっている。

 蛇に睨まれた蛙。その表現が正しいと断言できる隔絶を有栖は思った。


「……屑のせいで興が削がれちまった」


 自称神様は舌打ちでもしたげに吐き捨てる。

 けれども会話の方向修正には成功したようだ。

 頭を整理するために、これまでのあらましを纏めてみる。



 ──遠藤有栖は、名前がコンプレックスの男子高校生だ。

 親が何をトチ狂ったか知らないが、仮にも男にこのキラキラネームはない。

 中性的な外見、もしくは女子であればまだ救われたかもしれない。

 ただそれでも年をとれば、遠藤有栖(32)となり死にたくなること請け負いだろうが。

 そもそも「お前の顔って月みたいだよな」なんて隣の席のクラスメイトに言われる顔面の男であれば、なおのことである。

 血色悪く青白くて、ニキビの凹凸がクレーターみたいってか。

 そのときは喧嘩腰にそう思ったものである。

 小心者の彼は心中を漏らしたりはせず「え、そうかなぁ」と猫を被って笑っておいたのだけれども。

 上辺を取り繕うのは慣れていた。

 名前がアレで人間付き合いが悪いと孤立化は加速する。

 それを避け続けた結果として、有栖は心の内を表面上に出さないことに長けていた。

 話は逸れたが、とにかく有栖は名前で弄られることも多く、改名したいと切に願って生きてきたのだ。

 それ以外は外面と内面の差が激しい、取るに足らない器量の小さい男だった。

 名前の件で不名誉にその名が全校生徒に轟いてはいるが、茶化されることが多いだけで友達自体は少ない。

 いないと言う訳ではないのが救いだっただろうか。

 また、イジメの領域にまで『名前弄り』は達していないため怨恨は皆無──名付けの親に恨みはあるが──そして当然、親しい美人生徒に絡まれたことなど一度もない。

 ゲームは頻繁にするし、読書もするが、人並み以上に「異世界に行きたい」とは思ったことがない。

 だというのに突如として、神らしき青年からこの白色空間へ呼び出され「異世界に行け」と命令されたのだ。

 伏線も前兆もない唐突さ。

 最初は目を白黒したが、だいぶ状況を飲み込めて今に至る。

 

 

 脳内で簡単に整理すると、いよいよ疑問が浮かんでくる。

 状況に不適当な話のせいで撹乱されていたが、これ以上煙に巻かれる訳にはいくまい。

 青年の睥睨に負けず、意を決して有栖は問いかけた。

  

「一体、何が目的で俺を異世界に……?」


「あ? 二度言わせんなよ。お前みたいな醜い人間の無意味な『生』なんて、あったところで世界にも、何よりオレの目に有害だから──その人生を潰して崩して殺して、オレ好みに生まれ変わらせてやろうってんだよ。感謝されこそすれ、恨まれる覚えはないね」


 青年の暴虐な言い様に、一瞬有栖は竦んだが、それ以上に反骨精神が鎌首をもたげた。

 好き勝手に人生を潰して、遊び感覚で他の世界へと島流し。

 それで感謝するのは人生が『終わってる』人間だけだ。

 まさか改名したいがために、他の世界へ行くという迂遠な方法はとる意味がない。

 異世界に行くより役所に行けという話だ。

 それなりに平穏な生活を享受している人間ならば、その横暴を恨みがましく思うのは実に当然の話だった。

 だからこそ柄でもない言葉を、勢いで有栖は口にした。

 

「……俺を、元の世界にか、か、返してくれ……ませんか!」


 敬語なのは目を瞑って欲しい。

 威勢の良い言葉を声高に叫べるほど、器が大きくないのだ。

 寧ろ平常時の有栖ならば、異様な威圧感を出す青年に対して命乞いでも勝手に始めていたかもしれない。

 小心者の一世一代の頑張りは、しかし青年に笑い飛ばされる。 

 


 そして突如真上に出現した刃が振り下ろされ、有栖の右肩が呆気なく切り落とされた。

 


「は……ぁッ!?」

 

 変に高い声が漏れ、視界が半分赤く染まる。

 感覚したことのない膨大な痛みが全身を駆け回り、痛覚が焼き切れて熱い。

 唐突の衝撃で停止した思考が、一秒も経たぬうちに状況を理解して。


 声を、抑え切ることができなかった。

 

「がぁぁぁぁぁぁぁ──ッ!?」  

 

「ハハハハハハ! 返してくれ? 戻してくれ? 永劫に苦痛をくれって言ってんのと同義だろ? 神様に、上位存在に反抗するってこたそういうコト。愚鈍な質問をそれ以上するようだったら……温厚なオレも処置なしって判断するが?」


 有栖が断末魔のような悲鳴を上げる合間も、青年は大層愉快げに唇を歪めていた。

 ただそれを批判する余裕はない。

 生きる余裕すらもないと有栖は身を悶えさせていた。

 身を焦がす痛痒と、血管を這い回るような熱と鼓動。

 張り裂けそうな声音と顔を醜く歪ませて、苦痛にのたうった。

 それらの全てがこの出来事が『現実』だという事実を押し付けてくる。

 死ぬのだろう──なんて、悟ることなんてできない。

 

「じ、にたぐ、ない。じにだくないしにたくない死にたくないッ!」

「ハハハ……ああ、惨めだね。悲観的で健康的で後ろ向き、カッコ悪い 」


 痛みから意識を逸らすため、文字通り必死で声を張り上げた。

 ──何が、悪いのだろう。

 生き汚くて何が悪い。

 往生際が悪くて何が悪い。

 死に際で泣き叫んで何が悪い。

 貫くべき信念は『死なないこと』

 何を犠牲にしてでも生き足掻く姿勢の何が悪い。

 今際の際に隠しようもない本性を曝け出してしまうことの何が悪い。

 切り口である肩口から血を撒き散らしながら、荒い息で死にたくないと連呼する。


 取り繕うことはしない。出来ない。

 圧倒的な痛みで引き出された遠藤有栖の本性は、俗でしかない底を見せていた。

 それを嘲笑っているのか、青年は満足そうに瞳を細める。

 

「おーおーイイねイイね、死に際ってのは本音が出るよな。オレ、素直な奴は好きだぜ?」

 

「──あ、え、あ?」


 その声が耳朶を打った途端、嘘のように痛みが消散した。

 動悸や悲鳴、その根源だった激痛の消失に目を回して間の抜けた声が溢れてしまう。


 今度は何が起きたのか。

 緩慢に右肩へと視線を動かすと──ない。傷が、ない。 

 鋭利な刃で切断されたはずの右腕は、きちんとあるべき右肩に繋がっていた。

 

「え? あ?」 


「つーかまぁ、異世界に行かせんの確定だから拒否とか意味ないんだけどさ。慈悲深いオレは、お前をベタに剣と魔法の異世界に送ることにするよ。ってか、そこの世界で異世界召喚するみたいでね、その召喚される奴の中にお前を入れ込む訳よ。嫌がらせで。異世界の情報は……オーク、ゴブリン、オーガ、エルフ、女騎士……ま、お約束はこれだけいれば十分だよね。ああ、圧倒的な力量差を見せつけてお前に絶望顔させるためにステータス表示もある世界選んだから。脳内で念じればステータス表示できるんじゃない? うんうん、捗る捗る」


 当惑する有栖を置いて、勝手に青年は話を超速で進めていた。

 

 

 話を掻い摘むと、自分は漫画やライトノベルで良く見掛ける剣と魔法のファンタジーに召喚されるらしい。 

 ステータス表示、という言葉はゲームなんかでキャラクターの状態を表す画面のことだろうか。

 


 頭を働かせながら、床に手のひらを這わせる。

 少々フラつくが何とか起き上がることは不可能でないようだ。

 ミルク色の床に広がる血溜まりの上で、有栖は右手を握って確かめる。

 後遺症もなさそうだった。腐った根性でも神様という訳だろうか。

 ──ただ先刻の惨い出来事のことは、今後忘れることは絶対にないだろう。いつか必ず。

 憎しみを滾らせながら有栖は、そのまま地に伏せながら青年の言葉を聞く。

 

「ただ何の補正もなしで簡単にヤられちゃうのもアレだから、お前には……そうだな、せせこましく唯一無二のスキルを一つだけ進呈しようではないかーってな。サイコロで決めっか」


 スキル──? 神様らしく特殊能力でも授けてくれるのか。

 青年は、手のひらサイズの立方体を片手で放る。彼の言によればサイコロなのだろう。

 放物線を描きながら、そのサイコロはちょうど有栖の後頭部にぶつかって血溜まりに落ちた。

 出た面には『心』とだけ書かれていた。数字ではないらしい。

 

「ハハハッ、あー【心眼】ね。戦闘能力がないスキルとか、不運すぎてお前に同情したくなるわ。でも、これじゃソッコーでヤられちまうかもなぁ……ま、運試しってことで良いか、良いよな」


 言い振りを聞く限り碌なスキルではなかったようだ。

 まさに最悪である。 

 青年は言葉を切ると、有栖の返事を待たずして背を向ける。

 


「異世界ではもうちっとオレが退屈しなさそうな人生しろよ? お前はオレの暇潰しかつ、実験台に選ばれたんだからさぁ。役立つスキル……だった物も付けたし、オレ好みの舞台も探して、『魂塊(こんかい)』も王国の手には渡らないようにもし、それに笑っちまうようなお前の名前に合った体にもしてやった──それじゃ、オレの趣味のために善がって、溺れてくれよ。遠藤アリスちゃん」


 

 嫌悪感に背中を舐められるような呼び方で締め括ると、有栖の意識は急速に闇に沈んでいった。

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