Simple Life スピンオフ 『那智くんと、ひとつ屋根の下』

その3 新学期初日編(1)

 三月の下旬に不動産屋の二重契約という冗談みたいなトラブルに見舞われ、わたしは那智くんと同棲、もとい、ルームシェアをはじめた。


 那智くんは、四月二日に入学式を終えた後も、新入生向けのオリエンテーションや教科書販売で、連日学校に足を運んでいる。帰ったら必ず、今日はどんな話を聞いた、今日は何があった、と話をしてくれて――そう言えば、二年前はわたしもそうだったなぁ、と思いながら聞いた。


 もうさっそく友達ができたらしく、ある日は「今日は遅くなります」と連絡があった。那智くんの高校生活の順調な滑り出しを喜びながら、わたしはお昼ごはんをひとりで食べた。このところ朝も昼も夜も那智くんと一緒だったので、久しぶりに食べるひとりの食事はとても寂しかった。……寂しかったので腹いせに、帰ってきた那智くんを散々からかって遊んだ。


 那智くんがそうしている間、わたしはというと、家のことをやっていた。彼には自分の部屋や学校のことに専念させて、わたしはリビングやキッチンに必要なものを日々着々とそろえていた。


 間、円から連絡があって、何か手伝おうかと言ってきたけど、まさかこの家に呼ぶわけにはいかないので断った。とは言え、いつかタイミングを見て、彼女にだけは那智くんとの同棲のことを話しておこうと思う。




 そうして新学期初日。


「じゃーん」


 部屋で制服に着替えて、リビングへと飛び出る。

 と、リビングにいた那智くんが呆気に取られて、目をぱちくりさせた。


「お姉さんの制服姿、どう?」

「いや、どうも何も、同じ学校なんですから、女子の制服ももうそれなりに見慣れてきましたよ」


 那智くんは実に冷めた態度。

 でも、すぐに何かに気がついたように、


「あ、でも、先輩の制服ってなんかちょっとちがうような?」

「でしょう? これが二年間の知恵の結晶というものよ」


 制服の着こなしやアレンジには、けっこうその時どきの流行りがある。この二年間、いろんな着方が流行っては廃れていった。


「どこがどうちがうか、確かめてみる?」

「み、みみみ、みませんよっ」


 わたしがすっと距離を詰めようとすると、那智くんは脱兎の如く逃げ出した。リビングの全面窓を背に、こちらを威嚇している。相変わらずかわいらしい反応だ。


「じゃあ、準備もできたことだし、行きましょうか」

「はい……って、行きませんってっ」


 那智くんは、一度はうなずいたものの、はっと我に返る。


「あら、行かないの?」

「いや、学校には行きますけどね。一緒には行きませんよ? 前もそう決めたじゃないですか」


 那智くんの言う通りだった。


 入学式早々、那智くんの耳にはさっそく様々な噂が入ってきたようで、わたしがそれなりに有名であることを知ってしまったらしい。結果、那智くんは、わたしとは面識のない振りをすることに決めた。もちろん、一緒に学校に行ったりするつもりもないとのこと。


「そうだったわね。忘れてたわ」


 わたしが白々しく言うと、那智くんは「嘘だ。絶対また嘘だ……」と疑いの眼差しを向けてきた。


「……じゃあ、僕が先に出ますけど、いいですか?」

「ええ、いいわよ。初日から遅刻したら大変だものね」

「先輩も遅刻しないように気をつけてくださいね。……いってきます」


 ちゃんとわたしの心配までして、那智くんは出て行った。


 わたしは笑顔で手を振りながら、それを見送る。

 まずは那智くんが短い廊下を歩く足音が聞こえ、それから玄関のドアが開き、閉まる音。そうして、家の中に静けさが訪れると、わたしはリビングの座椅子に腰を下ろした。


「寂しいなぁ……」


 我知らず、そうこぼしていた。


 思いがけず降って湧いたルームシェア。相手はかわいらしい年下の男の子で、わたしは自分でもびっくりするほどはしゃいでいた。学校でのわたしはもっとお淑やかで、男の子とこんなふうにふざけあったりしていなかったはずだ。


 外では知らない振りをするというのは、那智くんが決めたことであり、わたしも同意したことで――つまりはふたりで決めたことなのだけど、


「やっぱりちょっと寂しい、かな?」


 わたしは苦笑した。

 仲のよい姉弟のように一緒に学校へ、なんて想像もしたのだけど、現実はうまくいかないものだ。

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