#12-1 瀧石嶺家


 そこは、地獄だった。

 その光景は、地獄だった。

 見渡す限りの瓦礫の山。それ以外は、何もない。

 自然も、人も、動物も、生命というものが一切排除された地獄だった。

 生きとし生けるものは全て破壊されたその空間で、聞こえてくるは赤子の泣き声。

 この地獄でただ一人の生存者である赤子は、光り輝きながら瓦礫の中で泣いていた。


 その光は、赤子を守る為のものである。

 その光は、近付く者を全て破壊する為のものである。


 赤子を助けようとした者がいた。

 赤子を殺そうとした者がいた。

 赤子を見捨てようと言い出した者がいた。

 赤子を生かすべきと言い出した者がいた。

 その誰もが赤子の前では等しく無力で、誰もがその光に呑まれていった。

 そこは、間違いなく地獄だった。

 ただ一人、その地獄を作り出した赤子だけが生存を許された地獄だった。




「──君。弟子君。弟子君!」

「っ!」


 名を呼ばれて、月舘優斗は大きく肩を揺らして覚醒する。

 不明瞭な視界に映るのは、優斗の顔の前で何度も手を振っている瀧石嶺照の姿。

 彼は優斗の焦点が自分に向いた事に気付き、不思議そうな顔をしている。


「どうかしたのかね? まさか属性を纏っている時に寝るなんて高度なテクを手に入れられたのかね!」

「え? あ……」


 一瞬、照の言葉の意味が分からずに目を丸くさせた優斗だが、すぐに自分の状況を思い出す。

 長時間属性を纏えるようにと暇を見つけては、その訓練を続けてきた優斗。

 その課題を言い渡した瀧石嶺照は、いつだって突然現れて、唐突に帰って行く。しかし、一度も優斗に練習の成果を見せて欲しいと言う事がなかった彼が今日は現れるなり別の事を口にしたのだ。


「課題を出してから今日で一ヶ月だね! どうだね弟子君! 少しは成長したか僕に見せてほしいね!」


 授業中だったというのにいきなり教室を訪ねてきての第一声。

 呆気に取られる面々の中、授業をしていた白は大きく溜息をつくと、無言で優斗を教室の外に放り出した。


「うんうん、白君は話が早いね! さあ、弟子君! 早く成果を見せてほしいね! さあさあさあさあ!」


 相変わらず此方の都合を考慮しない一方的な言い分だ。だが、白に放り出されてしまった以上、教室に戻る事が出来ない優斗は大人しく彼の言うことを従うことにして、中庭に移動するのだった。

 中庭に移動した優斗は、早速属性を身に纏う。そこまでは何時もと同じだった。

 照は属性を纏った状態の優斗を興味深そうに観察している。


「……ふむふむ、なるほど。なるほどね!」


 一人納得した様子で何度も頷く照。その顔はどこか嬉しそうだ。

 優斗としては属性を身に纏うのは、かなり気力が必要な為、あまり周囲を彷徨うろつかないでほしいのだが、照に言った所で聞く耳を持ってくれないだろう。

 存在自体が無視できないほどうるさいのだと気付いてほしいと思いながらも、優斗は目を瞑って意識を集中させていた。


「……うん? 少し気が乱れているようだね! 集中、集中だよ! 弟子君!」


 誰のせいだと思っているという優斗の言葉は声にならなかった。

 軽く肩に手を置かれた瞬間、優斗の中に流れ込んできたのは見覚えのない景色。


 そして、今に至るというわけだ。

 気付けば、纏っていた属性もすっかり消えており、優斗は立っていられずにへたり込む。


「おやおや、大丈夫かね? 酷い顔色をしているね! 悪夢でも見たのかね!」


 悪夢というよりは地獄だった。

 世界の終わりとは、ああいう光景の事をいうのだろうか。

 何も答えられない優斗に照は、不思議そうな顔をしている。


「ふむ。何か予想出来ない事が起こったようだね! 僕に詳しく話してみたまえ! ああ、安心してくれて良い! 弟子君がどんな荒唐無稽な話をしようと僕は信じるとも! だから、安心して話すと良い!」

「……夢。夢を見ていた気がします」

「夢? それはどんな夢だね?」

「…………瓦礫」

「んん?」


 ぽつりと呟かれた単語だけで理解することなど到底出来るはずもなく、照は首を傾げた。

 優斗は先程見た光景を思い出すように顎に右手を添えて、目を伏せる。


「……見渡す限り瓦礫の山でした。人の気配が全くしない瓦礫の中で、赤ん坊が泣いていました」

「…………」

「その赤ん坊が全てを壊した原因に見えました。その赤ん坊を殺そうとした人も生かそうとした人も、みんな光に呑まれて消えてしまいました。……地獄のような光景でしたよ」


 思い出すのもおぞましい夢だった。そう、夢だ。夢であるはずなのだ。

 優斗はあんな光景を知らないし、見たことも聞いたこともない。それなのにただの夢がどうしようもなく恐ろしかった。

 気付けば小刻みに揺れていた体。それを誤魔化すように優斗は顔を上げる。そして、彼の視界に飛び込んできたのは……目を見開いている照の姿だった。


「照さん?」


 なぜ彼が驚いているのか分からずに目を丸くさせて、彼の名を呼ぶ。

 優斗の声に照は大きく肩を揺らして、むりやり笑顔を浮かべる。その顔は動揺を隠しきれていない。

 照自身も動揺を誤魔化しきれなかったのに気付いたのだろう。すぐに引きつった笑みを消して、片手で顔を覆う。


「……て、照さん? どうしたんですか?」


 優斗が声をかけても返事はない。

 彼はじっと何かを思案するように目を瞑っている。そして、しばらく経った後、ゆっくりと瞼を開く。

 碧の双眸が優斗を見据える。


「…………そうか、そういう事か」


 小さく呟かれた声には普段の騒がしさなどない。抑揚のない淡々とした声。

 照の纏う雰囲気が変わった事に気付いた優斗は、無意識に後ずさる。次の瞬間、照は普段通りの笑顔を浮かべた。


「分かったよ、分かったとも! この僕の天才的な頭脳にかかれば分からない事などないのだよ弟子君!」

「……へ?」


 いつも通りの雰囲気に戻った照に気を張っていた優斗は拍子抜けして、間抜けな声をもらす。

 そんな優斗の反応など気にしていないようで、照は一人で納得して何度も頷いている。


「うんうん、弟子君もそう思うだろう! そうだろう、そうだろう、そうだろう! また僕の新しい魅力に気付いてしまったね! この美しすぎる容姿だけではなく、頭脳まで天才的だなんて、非の打ちどころがない美少年だからね!」

「い、いや、俺は何も言ってない――」

「おや、そういえば美少年と言ったが、僕の年齢は果たして少年というのに相応しいのかね? しかし、心が少年であれば何の問題もないね! うんうん、美形よりも美少年の方が語感が美しいからね!」


 話を聞かないのはいつものことだとして、これ以上一人で盛り上がられても優斗としては困る。

 どうやって一人で盛り上がっている照の関心を向けようかと考えていると、満足そうに何度も頷いていた照が何かを思い出したように優斗を見た。


「そうそう弟子君! 先程の話は他の誰にもしてはいけないからね!」

「え?」

「その話は瀧石嶺家のトップシークレットの一つだからね! 他の人に話したら、僕は君を殺さなくてはいけなくなってしまうからね! くれぐれも他人に話さないようにしてほしいね! 僕も可愛い弟子を手にかけたくはないからね!」


 普段通りの明るい口調で言われた言葉。だが、内容はちっとも明るいものではなかった。

 意味が分からず言葉を失う優斗に照は、いつもどおりの笑顔を浮かべている。


「ちょ、ちょっと待ってください。あんなのただの夢じゃないんですか?」

「うん? 違うね! 弟子君が見たものは、実際に過去起こった事だからね!」

「……ど、どうして照さんがそんな事を知ってるんですか?」


 優斗だって馬鹿ではない。彼が見たあの光景。

 全てを消し去るほどの破壊力を持つ光を持つ人間。そんな事が出来る人は優斗が知る限り、一人しかいない。

 それでも彼があんな地獄のような光景を作り出したなんて信じたくなくて、否定してほしくて優斗は震える声でそう尋ねた。

 優斗の言葉に照は目を丸くさせて、それからなんて事のないように笑う。


「知っているのは当然だとも! その光景を引き起こしたのは僕だからね!」


 否定してほしかった真実を満面の笑みで肯定されてしまったことに眩暈を感じた。

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