第13話 ワイルドカードは場外に


 ■ ■ ■



 安曇編集プロダクションの一室には、社員の共有物として将棋盤が置いてある。


 主に息抜きとして利用されるシロモノだが、最初は勝負の結果によってジュースなどを賭けていた位だったのが、いつからか遊びはかなり本格的になり、対局時計まで準備されるようになった。


 事務所内では、匡と安曇社長が同じくらいの勝率で、ついで真樹、そして営業の広瀬といった順番になっている。


 その広瀬と、対局していた時の話だ。


「牧野さんは、なんていうか、ツメが甘いよね」


 対局が終了し、感想戦の最中だった。一つ一つ手順を見直しながら、ふと、広瀬はそんな風に言ったのだった。


「何言ってるんですか。見事に詰まれたの、広瀬さんの方ですよ」

「はは、それを言われると弱るんだけどね」


 苦笑しながら頭をかいた広瀬は、盤上を指し示しながら言った。


「まあ、話半分にでも聞いてもらえばいいよ。例えば、こことここの手順ね。飛車を取らずに銀を寄せてきているけど、同じ王手なら、金を使って飛車を取ってしまった方が、後々の動きにくさは避けられたと思う」

「確かにそうですけど、その時は、敢えて飛車を残すことで、油断させようッて思ったんですよ」

「うん、確かに、それにハマった結果、僕は負けてしまったわけだけどね……。ただ、少し勝負を焦りすぎているようにも、見えたんだ」


 コマを再現しながら、広瀬は続ける。


「牧野さんは、中盤戦はかなり丁寧に進めるのに、終盤、特に詰みが関わり始めると、安易な手をとりがちだと思うんだよね。勝負を焦っているとでも言うべきかな。詰将棋のような動きをして、予想外のところで取りこぼすイメージだね」

「……返す言葉もありません」


 図星だったので、素直に頷く。


 よく見ている、と思わず関心したものだ。

 さすがは、この安曇編集プロダクションの最年長。倍くらい歳が離れると、やはりそういう見識眼が鍛えられるのだろうか。


 何はともあれ、それは真樹自身、わかっている欠点だった。


 勝負を急ぎすぎる。

 無論、その前の準備は入念にするので、本当に詰みまでの道筋が固まっていることの方が多い。しかし、途中で一つでも取りこぼしがあると、どうしても後手に回ってしまうのだ。


 しかし、言われっぱなしも癪だったので、真樹はこう返した。


「でも、その詰めの甘い小娘に詰まされたのは、どこの先輩ですかね?」

「ふぅん。言うじゃないか。そういうことなら、今度はお昼を賭けようか。駅前のカルビ弁当なんてどうだい?」

「味噌汁付きでお願いします。ごちそうさまです、広瀬さん♪」


 そう言って、二戦目を始めたのだった。


 ちなみに、ちゃんと勝ったので、コーラ付きでおごってもらった。




 ※ ※ ※




 ドローポーカー。

 それぞれのプレイヤーにカードを五枚配り、それをほかの参加者に隠したままゲームを進めるもので、クローズポーカーとも呼ばれる。

 最も古い形のポーカーのルールであり、日本人にとっては、ポーカーというのはこちらが一番馴染みがあるだろう。



 今回、ルシフルと真樹の勝負は、そのドロウポーカーだった。

 このテーブルでは、ドローポーカーが主なゲームとなっているようだ。参加者が二人だから、ということもあるだろうが、何より日本人同士の対決というのが理由のようだった。


「では、一応確認しておこうと思うけれど」

 勝負に使うチップの仕分けをしながら、ルシフルは真樹に尋ねる。


「ポーカーのルールは分かっているかな、お嬢さん」

「心配いりません」


 ルシフルの気遣いを真樹は突っぱねる。

 いらぬ気遣いだった。

 強がりを言っているわけではない。端的に言えば、このカジノにおいて、ポーカーは真樹が一番得意なゲームと言えた。


 真樹は昔からゲームが好きで、特に戦略が勝敗に関与する類のものは大好きだった。それはコンピュータゲームにとどまらず、卓上ゲーム、カードゲームと、触れることのできるものはなんだって好きだ。

 トランプに関しては、敷居の低さもあって、昔からなじみ深いものだ。

 ――それなのに、この船に来てからポーカーを避けていた理由は、ひとえにギャンブルとしてのカードゲームを避けていたということに集約される。


 好きであるがゆえに、ギャンブルとしての一面を知ってしまうのが怖かった。


 しかし、今はそんなことは関係ない。ただ勝つことだけを考えるべきだろう。


参加費アンティ、プリーズ」


 ディーラーのゲーム開始の言葉に、ルシフルと真樹は双方チップを場に出す。


 この台での参加チップは五十万だった。それだけでこの船の乗船料になるだけの金額が、下手すれば一ゲームで消費されるのだ。空恐ろしい話であるが、それを気に病むだけの余裕もない。


 お互いがアンティを払ったところで、ディーラーは二人に対してそれぞれ五枚ずつカードを配る。プレイヤーは、その配られた五枚を、相手に見えないように手に持ち確認する。


 真樹の手札は♠5、♡7、♡10、♢2、♣Jだった。


 このままでは、何の役もない。ノーハンド。俗にブタと呼ばれる状態だ。


 お互いがカードを確認したその時点で、一回目のベットラウンドがある。

 要するに、自身の手札に対して、チップを賭けるタイミングだ。

 ベットラウンドにおけるプレイヤーの行動は、最初の賭けオープニングベットの前後で異なる。オープニングベット以前の行動は、以下の三つがある。



・チェック その回のベットをパスし、様子を見ること。

・フォルド ゲームを降りること。

・オープニングベット 最初にチップを賭けること。



「チェック」

 ルシフルがとった行動は、様子見だった。


 それに対して、真樹は自分の手札を見ながら行動を考える。たとえ役なしであっても勝つことができるのがポーカーの面白いところである。だからこそ、ブタの状態である今の手札でも、十分戦いようはある。


「ベット。十万」


 とりあえず真樹としても様子見のつもりで、最少額ミニマムベットの十万円を賭けた。

 オープニングベットが行われた場合、次のターンに移る。


 以後の行動は、以下の三つだ。



・コール 相手が提示した金額で勝負を受けること。

・レイズ 相手の提示した金額にさらに上乗せし、勝負をしかけること。

・フォルド ゲームを降りること。



 ルシフルは真樹の様子をちらりと見た後で、次の選択をする。

「レイズ、三十万」

 真樹が提示した十万に、さらに三十万を上乗せしてきた。


 ここでターンは真樹に移る。

 彼女がとる行動は、コールして同額の四十万になるようチップを加えるか、さらにそれ以上の金額を賭けるか。はたまた、勝負を降りるかの三択だ。


「コール」


 真樹も、十万のチップを三枚プラスして、勝負を受けた。

 双方が同額での勝負継続を認めたので、ここで一回目のベットインターバルは終了である。


 次に、カードチェンジタイムに移る。


 ゲーム参加プレイヤーが順に、カードを交換するのだ。

 0枚から5枚までの任意の枚数を裏向きに捨て、代わりにデッキから同数のカードを引くことができる。


 ルシフルは自身の手札から二枚を捨て、代わりにディーラーから二枚カードを配られる。


 真樹は、自分の手札から♠5と♢2の二枚を捨てた。

 代わりに入ってきたのは、♢7と♣8だった。


 現在の手札は、♡7、♢7、♡10、♣8、♣J


 ♡と♢の7で、ワンペアの完成である。

 このように、数字が同じカードを集めると、一つの役になる。


 ワンペアは一番最弱の役ではあるが、一度のカード交換で、しかも参加プレイヤーが二人しかいないゲームでは、役ができる確率はそれほど高くない。つまり、勝負をしても悪くないということだ。


 チェンジタイムが終わった後は、二回目のベットインターバルである。


 二回目は、オープニングベットは行わず、先行プレイヤーがレイズかチェック、フォルドの三択。後行プレイヤーは、レイズ、コール、フォルドの三択である。


 ルシフルは手札をテーブルに伏せて、堂々とした態度で言った。

「レイズ。二十万」

 これで、勝負の合計額は六十万となった。


 アンティと合わせると、百十万も賭けていることになる。一ゲームの金額として意識が遠くなりそうな額だが、ひるんでいる余裕はない。


 少しだけ、真樹は悩む。


 レイズしてきたということは、相手は自分の手に自信があるということだ。――というのはブラフで、本当は役なしかもしれない。この駆け引きがポーカーの醍醐味であり、強い手でも負けてしまったり、あるいは役なしでも勝てるという点である。


 真樹の手役は7のワンペア。

 そしてこの勝負は初戦。


 それらの要素を合わせて、真樹は一歩を踏み込んだ。


「レイズ、十万」

「コール。受けよう」


 十万をプラスし、七十万で勝負を受けると提示した。ルシフルはその勝負を承諾した。


 ここで、二人は手札を公開し、その手役を競うことになる。


 真樹の手役は7のワンペア。


 対するルシフルは、♠3、♠6、♠7 ♠10、♣6


 同じスートをそろえるとフラッシュというハンドが完成するが、それに失敗して出来た、6のワンペアだった。

 もしフラッシュが完成していたら、強さとしてはワンペアよりもはるかに強いので、危ないところだった。


 6と7のワンペアの勝負で、真樹の勝ちだった。


 賭け金である七十万と、アンティの五十万の合わせて百二十万が、真樹のテーブルに置かれる。

 これで彼女の所持金は、ヒズミにもらった三百万と、彼女自身が持っている七十万にプラスして、合計四百九十万になった。


 初めから全財産をチップに交換してテーブルに置いている真樹は、自身の目の前にあるチップの山を見て思わず息をのむ。今は勝てたからいいものを、もし負けていたら、このチップの半分近くがなかったのだ。それを思うと、ゾッとする。


 これが、ゲームかギャンブルかの違い。


 いろいろな重圧でいっぱいいっぱいの真樹に、ヒズミの気楽な声がかけられる。


「やるじゃん『お姉ちゃん』。いやあ、ひやひやしたけど、この分だと大丈夫そうだな」

 とんでもない、と言い返そうとしたが、それを言うだけの気力を、勝負に集中するために残す。

 キッと対面のルシフルを睨むように見て、心を奮い立てた。


「おお、怖い怖い」

 肩をすくめておどけるように彼は言う。

「ギャンブルに慣れていないように見えたのだが、なかなかどうして豪胆なお嬢さんだ。これは、屈服させるのが楽しみだよ」


 ルシフルの言葉にも、真樹は冷めた視線を返すだけだった。



 そして、第二ゲームに移った。


 それからのゲームは、勝ったり負けたりと言った展開が続いた。


 基本的に真樹は、ガンガン押していくタイプのプレイスタイル――テキサスホールデムで言うところの、ルーズアグレッシブを選んだのだが、どうしても手が悪いときや、相手がしつこくレイズをしてくるときには、すぐに降りたフォールドした。

 深追いはせず、ハンドが成立するかしないかギリギリのラインで、相手と対決する。リアルマネーでのゲームは始めてだったが、やっていることは筐体ゲームの電子ポーカーとおなじだった 。


 ゲームを進めるうちに、所持金は上下し、四百万前後をうろうろとすることになった。


 恐ろしいのは、ルシフルの所持金の底が見えないことだ。

 山積みになっているチップの山は、どう見ても一千万を超えているようにしか見えないし、それに、二度ほどチップの追加を行っているところを見ると、あれが全財産というわけではないように見える。


 それを前にすれば、真樹の持つ四百万など、吹けば飛ぶような金額に過ぎない。


 ポーカーは、心理戦はもちろんだが、何よりも財力――軍資金バンクロールがものをいうゲームである。

 はっきりと言ってしまえば、自分の都合が悪いときには、相手が払えない金額まで賭け金を吊りあげて相手をフォルドさせるという手もある。だからこそ、相手がそんな強硬手段をとってこない間に勝つのが理想だった。


 勝負の一回一回が、身を削るような勝負だった。

 ちょっとでも分が悪そうならば引き、代わりに相手がためらうようなときはどんどん押していく。そうやって、なんとか今の状況をキープしていた。

 真樹自身のプレイングもうまいと言えたが、それよりも手役が思いのほかできることが功を成した。


 そして、ゲームの回数が七回を超えたところだった。


「わりぃ、姉ちゃん。ちょっと抜けるわ」


 これまでの気取ったような『お姉ちゃん』という呼び方とは違う、すまなそうに発音されたそれとともに、ヒズミはさっとポーカー台から離れていった。


 少なくとも一人いた味方がいなくなり、正真正銘一人の戦いになった。


 それでも心が折れなかったのは、ゲームそのものに集中していたからと言える。



 そして、十四戦目。


 真樹の手に、化け物の様な手が入る。




 ※ ※ ※




 匡と榎本の二人は、六階のテラスに出た。

 昼過ぎとはいえ、十月中旬の潮風は外で過ごすには適切でな冷たさを持っている。オープンカフェが用意されてはいるが、人はまばらで、話をするにはちょうどよさそうだった。


 太平洋のど真ん中で感じる潮風は、日本で感じるものと違うようには思えない。

 冷たく、肌から温度を抜いていくような風の流れは、程よく体の熱を冷ましてくれるように思う。


「ま、アレがこの船の最暗部ってところやな」


 一度仮面をとった榎本は、苦笑に似た笑みで匡の方を向いた。


「人身売買のオークション市場。カジノっちゅー大きなグレーゾーンの問題に隠れて、もっとブラックな闇市が開催されているって感じや。どや? 感想は」

「想像以上だよ。まったく」


 いっそ笑い飛ばせば楽になるとでもいう調子で、匡は言った。


「なるほどな。ギャンブルで負けた人間が売り物にされるってのはあくまでおまけで、本命はこっちってわけか。いやはや、まいったよまったく」


 当初の匡の予想では、もっとこじんまりした、あくまでカジノがメインの密売だと思っていたのだ。それがふたを開けてみれば、とんでもないものが飛び込んできたものである。


「まあ、おかしいとは思っていたんだよ。船の大きさから言って、乗客定員900人は少ねぇってな。乗務員を合わせても、合計で2000人は入るくらいの大きさなのに。遊戯施設が充実しているからってことで納得していたが、まさかこんな穴があったなんてな」

「ちなみに、この件に関して龍光寺晴孝は積極的な関与をしておらんよ。ただ、現状を看過している時点で、問題やとは思うけどね。」

「どおりで、イメージと違うとは思ったよ」


 そう言った後、匡は遠くを見るようにしながら続ける。


「さっきちらりと見た感じじゃ、四割くらいしか『商品』は残っていなかったけど、もうあらから売れているってことなのか?」

「すでに三日目やからね。人気な商品はすぐに買い手が付いたんよ。ただ、中にはレンタル扱いで貸し出されている人もおるし、後半になればクルーズ内で破産したもんが『入荷』されるから、一番盛り上がるんは明日の昼から夜にかけてや。檻の中の人間を使ってちょっとしたゲームをやるのが、六階連中のこのクルージングでの一番の楽しみなんやと」

「はぁん。金持ち様の考えることは違うなぁ」


 皮肉たっぷりにそう言うと、手すりに体を預けて腕組みをした。

 面倒なことになったという気持ちが強いが、ここまで来るともういっそすがすがしくすらある。むしろこの事態をうまく利用できないかと、数秒の間考えるくらいだ。


「あんな、匡君」


 呆れたような榎本の声が響いた。


「あんはんのことやから、なんとか利用できひんかって考えとるんやろうけれど――絶対に、自分から奴隷に落ちる、みたいな真似はよしときよ」

「おいおい。さすがにそんな真似しねぇって。なんだよ、おれをなんだと思ってんだ」

「近江匡やって思うとる」


 冗談めかした匡の言葉に対して、榎本は真剣だった。


「うちの知っとるあんはんは、奴隷になっても『面白い』の一言で、現状を楽しむ奴や。さすがに昔ほど無茶はやらんくなったみたいやけど、危うさは今でも変わらへんわ」

「はは、信用ねぇな」


 苦笑しながら、匡は軽く目を伏せる。

 それから、かろうじて聞こえるような小さな声で、榎本に対して言った。


「やらねぇよ。そんなこと。そのために、真樹ちゃん連れてきたんだ」

「……なら、ええんやけどな」


 そう答えた榎本の目は、どこか同情するような色を携えていた。




 ※ ※ ※



 トランプデッキ一セットは、基本的に五十ニ枚である。この中から、無作為に五枚を選んだ際の組み合わせは、2598960通りにもなる。


 その中から、ハンドが成立する確率は50%。ワンペア以上の組み合わせは、1302540通りある。

 そう聞けば、二回に一回はハンドができるような気がしてくるが、その内、ワンペアの成立する確率は42.25%。それ以上の役となると、5%を切ってくる。


 複数回チェンジするならまだしも、一回のチェンジだけならば、出来るとしてもフラッシュくらいがせいぜいである。だからこそ、一つでも役ができ、なおかつそれがランクの高いカードであれば、それで十分戦えるといえる。



 十四戦目。



 現在の真樹が持つチップは、合計五百二十万。

 そんなときに真樹に配られたのは、次のような大物手だった。



 ♠3、♠5、♠6、♠7、♡K。



 見た瞬間、冷や汗に身を震わせるのを我慢できなかった。


 もし、♡Kの代わりに♠のスートが入ってくれば、その時点でフラッシュ確定。さらに、もしその♠のランクが4だった場合、ストレートフラッシュ――ゲーム的に、二番目に強い役が完成するのである。


 動揺を隠すために、真樹は手札から目を離す。まずは落ち着くべきだ。ここで、フラッシュが完成する確率は、約4%だ。さらにストレートフラッシュとなると、2%まで落ち込む。

 それでも――このハンドで、降りる理由はない。


 問題は、最初のベットインターバル。


「チェック」

 真樹からの先行だったので、まずは様子見にターンを稼ぐ。

「ベット。十万」


 ルシフルがベットしてきた。ミニマムの十万――ここは、どうするべきか。

 数秒の思考の後、慎重に行動を選ぶ。


「コール。受けます」


 ここで下手に金額を吊りあげて、安いままで降りられてはもったいない。

 未完成のフラッシュを前提にするのは危険だが、あえてそういう選択をとるのも、ポーカーの戦略だ。


 チェンジタイムに移る。


 真樹はもちろん一枚、♡Kをチェンジする。

 それに対して、ルシフルは三枚ものカードをチェンジした。この時点で、彼の手役がそれほど高くないという予測が立つ。良くても、トリップスくらいにしかならないだろう。


 そして、それぞれにチェンジ分のカードが配られる。


 自分に送られてきたカードを慎重に手に取り、めくる。



 心臓が止まるかと思った。

 それはクラブ4だった。



 惜しい、と思わず歯噛みする。

 一瞬スペードに見えてしまったことが、なおのこと歯がゆさを増した。それらの感情を必死に顔に出さないようにしながら、彼女は自身の手を見直す。



 ♠3、♣4、♠5、♠6、♠7



 しかし、悪くない。ノーハンドである可能性の方が高かった中で、ストレートを完成させたのだ。それで十分と言えた。


 あとはこのハンドでどこまで戦えるかだ。


 二回目のベットインターバル。真樹は慎重に考えて、チップを賭ける。



「レイズ、三十万」

 強気とも弱気ともいえない曖昧な金額を賭ける。

 これで、ベット金額は四十万。

「レイズ、三十万」

 ルシフルがその上にさらに三十万被せてきた。


 ということは、彼の手もそこそこのハンドであるということだろうか?


 三枚チェンジだったから、残りの二枚はワンペアである可能性が高い。そこから役が上がるとしても、チェンジした三枚の中に、ワンペアと組み合わさるものがあるくらいだろう。三枚もチェンジして、ストレートやフラッシュが完成する確率は、本当にわずかだ。


 もしくは、真樹がチェンジに失敗したと見て、あえて金額を吊りあげてきたか。


 もしルシフルのハンドがトリップスだったとしても、トリップスとストレートならば、ストレートの方が強いので、怖がる必要はない。

 慎重に、と心の中で唱えながら、真樹はさらに賭け金を上乗せする。


「レイズ、その上に三十万」


 これで、このゲームでのベット金額は百万になった。

 ここまで徹底抗戦を敷けば、さすがに相手も引くだろうと思った。しかし、その予想に反して、ルシフルの唇は別の言葉を唱えた。


「レイズ。その上にさらに


 いきなりの大金に、息が止まるかと思った。


 顔色を変えずに大胆に金額を吊り上げるさまは、まさしくポーカーフェイスにふさわしかった。あまりのことに、思わず真樹はたじろいでしまう。もしこれで相手の手がブラフだったら、よほどの大物と言わざるを得ない。


 自分の持つストレートに対する自信が揺らいだ瞬間だった。


 元々が、ストレートフラッシュなんていうとんでもない役を期待させるような手だったのだ。ストレートのみでも十分過ぎる手だが、期待値よりも低い役であったことが、自信の揺らぎを生んでしまう。


 しかし、ここは踏みとどまるべきところだ。むしろ、一歩を踏み出してあと少しレイズして金額を吊り上げるべきですらあった。だが、そこまでの勇気はなかった。それでも、重圧を振り払ってその一言を発した真樹の強さは、誰もが認めることだろう。


「……コール」


 勝てる、と思う。

 だがそれでも、心のどこかで、もしかしたらという不安が拭い去れなかった。

 百五十万と言う勝負。アンティまで加えれば二百万もの金額が、一気に消え去るのだ。胃が重くなるのを感じながら、オープンの時を待つ。


 そして、お互いのカードが公開された。


 真樹の手は、3,4,5,6,7のストレート。


 対する、ルシフルの手は――



「え」



 思わず、我が目を疑ってしまった。


 そんな。だって、そんなのおかしい。


 根拠もない否定が頭の中に鳴り響く。しかし、全てはテーブルに提示されたものが結果だ。それをいくら否定しようと、覆りはしない。



「ふぅ。少しひやひやしたけれど、よかったよかった」



 ルシフルは余裕を顔に浮かべている。その姿が、さらに真樹の動揺を浮き彫りにした。



 ♠4、♡4、♠8、♢8、♣8



 


 真樹が求めていた♠4を喰い取りながら、その上ワンペアとトリップスの二つを作り上げて、ストレートの二段上のハンドであるトリップスを完成させていたのだ。


 三枚もチェンジしたのに、と真樹は混乱した頭の中で文句を言う。


 しかし、チェンジした枚数と、結果が必ずしも一致するとは限らない。極論、チェンジした三枚だけでトリップスが完成する確率を、否定しきることはできないのだ。それが、確率の魔物で、ギャンブルの恐ろしいところ。決めつけた時点で、真樹の負けなのだ。


「しかし、君も面白い勝負をしてくれるね。これほど熱くなったのは、久しぶりだな」


 タバコをふかしながら、ルシフルはそんな風に感想を言う。

 隣に傅かせている美女の顔を弄ぶように撫でながら、仮面越しの厭らしい目を真樹に向ける。


「ほら、まだ三百万近く残っているじゃないか。そんなに絶望した目をしないで、もっと希望を持って勝負しようじゃないか。元気のない君を攻め立てたって、面白くもないよ」


 癇に障る、小馬鹿にしたような言い方にも、言い返す余裕がない。勝てると思った勝負で、ひるんだ上に負けてしまったことがショックだった。今はただ、この場にとどまって次の勝負に気持ちを切り替えることで精いっぱいだった。



 そして、勝負は十五戦目に――





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