Chapter 2:Part 02 日常と危険なニュース

 ルーシー・ヴェルトールこと堕天使ルシフェルが八神家に居候し始めてから四日目。本当に、目まぐるしい数日だった。たった四日間の出来事とは思えないほど、濃密すぎる時間だった。

 チーン――。

 時刻は午前八時過ぎ。和室に鈴の澄んだ音が響く。

 統哉は両親の仏前で手を合わせていた。部屋に漂う線香が醸し出す、白檀びゃくだんの香りが鼻孔をくすぐる。

(父さん、母さん、おはようございます。先日から色々ありすぎたけど、俺は元気にやっています)

 とりあえず、昨日あった事――大学の<結界>で一つ目の<欠片>を奪還した事と、入浴中にルーシーが乱入してきて一悶着があった事、そのせいで全く寝付けなかった事を報告しておく。ただ、寝付けなかった割にその顔には隈一つなく、気分もスッキリしている。これも<天士>の恩恵なのだろうか。

 しかし、つい最近まで代わり映えしない日常の出来事を報告していたのに、それが非日常の出来事ばかりを報告するようになってしまったのはいかがなものか。そして、それを報告する自分も自分だが。

 ちなみに、ルーシーもこまめに仏壇に手を合わせている。それも、統哉と出会った翌日――つまり、ルーシーと契約した翌日から始めており、挨拶も済ませたと言うから驚きだ。

 正座も背筋がピンと綺麗に伸びており、その様子を見た統哉が、あいつ、キリスト教の堕天使だよな? 仏教の堕天使じゃないよな? と疑問に思ったのは言うまでもない。

 日課を終え、統哉は二人分の朝食作りのためにキッチンへ向かった。今頃、あの堕天使はリビングでのんびりテレビでも見ている事だろう。まったく、結構なご身分な事で。




 冷蔵庫から取り出した、冷凍していた食パンをオーブントースターで狐色になるまでじっくりと焼き、皿に移す。

 さらに小鉢にコーンフレークを入れ、冷たい牛乳を注ぐ。おまけにバナナとヨーグルトを添えて出来上がり。

 これが統哉流の休日に手軽にでき、かつ栄養も摂れる夏の定番メニューである。それを二人分用意し、リビングに運んだ。

「つまんな~い」

 リビングではルーシーがテレビから流れる朝のニュースを退屈そうに眺めていた。

「…………」

 朝食をリビングまで運び終えた統哉は横目でルーシーを見やり、溜息をついた。

「つまんないつまんないつまんな~い」

 相変わらずルーシーは、家にいる時には統哉のシャツを寝間着兼普段着代わりに着ている。それはそれで別に構わないのだが、胸元から覗く谷間の破壊力は凄まじい。

(……って、いかんいかん。何見てんだ俺は……)

 ついつい見てしまう健全な自分を叱りつつ、統哉は首を左右に振った。

「統哉~、つ~ま~ん~な~い! 何かして遊ぼうぜ~、退屈だー!」

 早速ルーシーがネタを振ってきた。

「俺、朝飯の支度しているんだけど」

 食器類を準備しながら答える。

「人生ゲームでもやろうぜ~? それも止まったマスに書いてある出来事が実際に起こる奴。家がジャングルになったりするの」

「なんで朝っぱらから人生ゲームしなきゃいけないんだよ! しかもそんな人生ゲームなんて持ってないし、そもそも売ってすらいねえよ! つかそれ人生ゲーム違うしっ!」

 今日も元気にルーシーがかますボケに対して、統哉が的確にツッコミを入れつつもコーヒーを支度していたその時、テレビから耳を疑うようなニュースが聞こえてきた。

「……はぁ?」

 その内容に、コーヒーを沸かす準備を終えた統哉は思わず間の抜けた声を出した。

 それはちょうど全国から地元のニュースに切り替わったタイミングで、現場らしい繁華街の一角から、中継しているレポーターが緊迫した表情で語る。

『昨日深夜、ここ陽月島、十六夜いざよい区の繁華街の一角で三人の男性が相次いで重傷を負わされる、凄惨な通り魔事件が発生しました。被害者三人の内二人は全身に大火傷を負っており意識不明の重体で、残る一人は全身を強く打っており、複雑骨折を負っていますが、辛うじて意識はあるそうです。また、この男性はうわ言のように『あかいあくまにみんなやられた』と繰り返し呟いている事から、警察は犯人に結びつく手がかりと見て、怪我の回復を待って事情を聞く構えです。また、事件発生時刻には現場付近で爆発事故も起きたとの情報もあり、被害者がそれに巻き込まれたとの見方も……』

 レポーターはなおも事件の様子について中継している。それをよそに、統哉は沸いたコーヒーをカップに注ぎ、ミルクと砂糖を入れた。

「……物騒だな。十六夜区って結構近くじゃないか。通り魔だかなんだか知らないけど、気分が悪いな。それに、爆発事故に巻き込まれたかもしれないなんて、災難には災難が続くものなんだな」

 出来立てのコーヒーを啜りながら統哉が苦い顔で呟いた。自分が住む家から近い場所に、こんな通り魔が現れたと聞いただけでも気が滅入る。しかもそのやり口が悪趣味なものだったらなおさらだ。もしかするとその爆発事故もそいつの仕業なんじゃないだろうか。そんな考えが統哉の頭をよぎった。

「――違うな。間違っているぞ、統哉。これは通り魔の仕業なんて生易しいものじゃない」

 突如、真剣な表情でルーシーが口を挟む。ただ、シリアルを咀嚼する音(ちなみにチョコ味で丼一杯の量)で説得力ゼロだが。

「どういう事だ? 通り魔の仕業じゃないって」

 ルーシーにもコーヒーを注いでやり、カップの側にミルクと砂糖を置いた統哉が尋ねた。

 統哉の疑問に、丼一杯のシリアルを食べ終え、コーヒーにミルクと砂糖を入れてそれを一口啜ったルーシーがコホン、と一つ咳払いをして言葉を紡ぐ。

「……ルーシー知ってるよ。この通り魔事件の犯人は悪魔や天使といった、私達のような存在の仕業だって事」

 両腕で頬杖をつき、形容しがたいスマイルを浮かべながらルーシーが語り始めた。気のせいか、顔から体に至るまでデフォルメされているように見える。

「ただの通り魔なら、ここまで派手にやらなくてもいい。せいぜい、ナイフで切りつけるか鈍器で殴るかすれば簡単に済む。では彼らに恨みを持った者の犯行か? それも違う。仮にそうだったとしても、黒焦げになるまでの火力とその材料をどうやって調達し、その仕掛けをやってのける? 以上の点から、私の考える結論は、そういったものが必要なく、三人もの男達を簡単に蹴散らす事が可能な存在、それも全身に大火傷を負わせる事が得意な者――つまり私達のような堕天使や悪魔、それも炎の扱いに長けた者が犯人だという可能性が、かーなーり、高いって事。もしかすると、私と同じ堕天使がこの島に来ているのかもしれないな、ぬふふ」

 許容しがたいスマイルで饒舌に語るルーシー。

「なるほどな、大体わかった。でさ、ルーシー」

「何かな?」

「その顔とポーズは何だ? それに、『ルーシー知ってるよ』って何のネタだ?」

 すると、ルーシーは再びあの許容しがたいスマイルを浮かべた。正直、殴りたくなるようなスマイルだった。

「ルーシー知ってるよ。世の中には、『○○知ってるよ』から語り始める、あらゆる事象の真理を知る珍ナマモノがいるって事」

「いちいちその顔で言うのやめろよなんか腹立つ! それに本当にいるのかそんなナマモノ!?」

「少なくとも私の世界にはいたけど……おっと、すまない。話が脱線してしまったな。問題は誰がやったか、だな。私の知る限り、炎を操る事に長けた堕天使といったら、フェニックスにアミーだろ、えーと、他には……」

 と、指を折りつつそこまで言った時、ルーシーは何か心当たりがあるかのような表情をした。

「……そういえば、襲われた男の一人が言っていたという、『あかいあくま』…………まさか、な」

「……ルーシー? もしかして心当たりが見つかったのか?」

「……いや、なんでもない。私の思い違いだ」

 手を振ってなんでもないと言うルーシー。そのどこか知ってはいるが違うんじゃないかと言いたげな様子に統哉はどこか釈然としないものを覚えた。




 それからしばらくしての事。

 とりあえず、今日は特に予定もないからゆっくりさせてもらおうかなと、統哉が残ったコーヒーを飲み干しながら考えた時だった。

「統哉、疲れている所申し訳ない。一つ頼みがあるのだが、今日の予定は空いているか?」

 二人が朝食を食べ終えた後、唐突にルーシーが切り出した。その瞬間、統哉は休日がルーシーの無茶振りに付き合わされて終わる事を確信した。どうせ後から出てくる選択肢で「いいえ」と答えても、「はい」と答えるまで同じ質問をされるに違いない。正直、この堕天使ならやりかねない。

「……空いてるけど。でも、どうしたんだよ、急に?」

 素直にそう答え、逆に尋ね返した統哉に、ルーシーは真剣な表情で語り始めた。

「……実は、私にはこの世界で<欠片>を取り戻す以外にもこの世界に来た重要な目的があり、それを今日、果たしておきたいんだ」

 真剣な表情で統哉の向かいに腰を下ろしているルーシーの姿に、統哉は思わずごくりと喉を鳴らせた。

「重要な目的?」

「そう。重要な目的なんだ。そして、それを果たす為に私はある場所に行かなければならない」

「ある、場所に……?」

「その場所でやらなければならない事は、正直に言うと私一人では荷が重い。そこで君には私のサポートをしてもらいたい」

「それが、頼みか?」

 神妙にルーシーが頷く。

「頼む。この通りだ」

 深々と頭を下げて頼むルーシーの様子に、統哉は驚きと同時にただならぬものを感じた。

 出会った時から尊大かつ傲慢に振る舞っているとはいえ、自分の命を救い、生きるチャンスと戦う力を与えてくれた少女がここまでして頼み込んでいる。ならば、自分も最大限のサポートをしなければならないのが筋というものだ。

「……わかった。俺に何ができるかわからないけど、俺はどうすればいいんだ?」

 統哉の答えに、ルーシーは一瞬顔を輝かせたが、すぐに再び真剣な表情に戻った。

「目的地の位置と情報はもう掴んでいる。決戦場はこの島の市街地だ。準備物は私の方で用意しておくから、統哉は普段外出する支度をしていてくれれば大丈夫だ」

「よし、わかった。それじゃあ、すぐに支度するよ」

 そう言って統哉は食器を手早く片づけ、外出の支度を始めた。




 一方、陽月島の中心部、セントラル街に立つホテルの一室では――

「……う~ん、常々思っていたが、カップ焼きそばって焼いてないじゃないか……これ、どちらかと言うとカップ蒸しそばだろうが~……違う、それは焼きそばじゃなくて焼き『さば』だ~……」

 大きいバスローブを寝間着代わりに羽織り、足を枕に乗せ、口からは涎を垂らし、紅い髪をボサボサにしている小柄な少女が、夏の日差しを目一杯浴び、盛大に意味不明な寝言を言いながら爆睡していた。そばのテーブルには真紅のドレスが放り投げてある。


「……でゅふふふ……グッバイ、ルシフェル……冥府で味噌でも舐めているがいい……闇の炎に抱かれて眠れ~……」


 この小柄な少女が、昨夜の凄惨な通り魔事件の犯人だとは、誰が予想しただろうか――。

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