カウンセラーの異世界電話相談
九尾珠
序章A面 竜に育てられた青年 カノマ
青年は、雲ひとつない青空を見上げていた。
果てしなく続く草原のど真ん中。
風もなく、穏やかな日差しの下で、途方に暮れる。
「これから……どうしよう?」
心底困ったような表情。
年の頃は20前後といったところか。
柔和そうな顔つきで、荒々しさは欠片も見えない。
服装は奇妙な組み合わせで、上は貴族風の白シャツ、下は農民風の紐留めズボン。足元は旅人風のブーツを履き込み、首には珍しい装飾の箱を鎖で下げていた。
全体の雰囲気が合っていない、ちぐはぐな服装。どの服も少なからず傷んでいるところから見るに、拾い物をかき集めたような印象を受ける。
人里から歩いて半日はかかる僻地。
盗賊や魔物を恐れて、普通の旅人はまず近づかない、そんな場所。
このような所に、呆然と一人立ち尽くす青年。
どうしてこのような状況になっているのかというと。
話は、青年が少年だった頃まで遡る。
少年は、戦争遺児だった。
母国と隣国の戦争は、激しさの留まるところを知らず。
その戦火は、彼の生まれ育った村まで巻き込んでいた。
突然の襲撃で村人の多くが亡くなり、母国の焦土作戦により村は家屋と財産を失った。
生き残りの者たちには焼け野原だけが残され、それぞれが生き残るための道を探さなければならなくなった。
近隣の村に親族や知人がいるなら、そこに向かえば済む。
しかし、国境近くの小さな村だったこともあり、多くの者は身寄りのない状態となり、途方に暮れるしかない状況だ。
少年も、家族をすべて失い、一人だった。
似たような境遇の者は、後から村に到着した奴隷商人に回収され、戦争奴隷として各地へ移動することになった。
ただ、少年は、奴隷にはならなかった。
なれなかった。
理由は単純。
馬車に乗りきれなかったからである。
奴隷商人の荷馬車には、健康な者から順に詰め込まれていった。そして、少年は当時、病弱だった。
紐のように細い手足の少年を、商人たちは価値無しと判断し、そのまま村に置いて行った。
今にも死にそうな者たちだけで焼け野原に残された。
結果。
彼らには、更なる災厄が襲い掛かった。
屍食獣の襲撃である。
死の臭いを嗅ぎつけて、近くの山から大型の獣が群れを成して襲い掛かってきたのだ。
街の兵士たちでも手を焼く屍食獣に、残された村人たちが抵抗できるはずもなく。次々と獣の糧となっていった。
周りの村人がどんどん殺されていき、獣の牙が少年にも向けられた。
そのとき。
『――カノマよ、まだ往かぬのか?』
過去を回想していた青年の頭上から。
ヒトならざる者の声が、響いた。
「いや、青さん。まだも何も、これからどうすればいいのか途方に暮れてたところで」
『何を呆けておる。人里は、向こうの方角へ進んだ先だと、何度も教えただろうに』
「それなんだけどさ、青さん」
『む?』
「――どうしても行かなくちゃ、ダメかな?」
『……はあ。カノマよ。これも何度も教えたがな』
『――儂はドラゴン。お前はヒト。住む世界が違うのだから、お前はお前の住むべき場所へ、向かえ』
呆れたような口調で。
青年――カノマの頭上で、青い鱗に覆われた巨大な竜は。
幼子を窘めるように、そう言った。
少年は、竜に拾われた。
その竜は、近くの山に居を構えていて、当時鬱陶しくなってきた屍食獣を片付けようと出張ったところで、カノマを見つけ、これを保護した。
どういう風の吹き回しか、竜は全く教えてくれなかったが。竜はカノマを己の住処で育ててくれた。
竜の寝所付近に生えていた薬草類が、運よくカノマの体質に合い、病弱だった少年は、その後健やかに成長していき、青年と呼ぶにふさわしい状態になっていた。
そして、もう充分だろうと、竜は青年を人間の世界に返そうとしたのだが。
「でもさ、青さん。ヒトの村に行っても、僕にできる仕事や住める場所があるとは思えないんだけど」
『何を言う。お前は頭もいいし、根性もある。どんな仕事でもやっていけるだろう』
なにげに親バカ的なお褒めの言葉を放つ竜。
しかし、カノマは素直に頷けなかった。
「まあ、薬草の選別や、傷の手当てなら多少はできるけど……でも、そもそも頼る相手や資金もないのに」
『弱音を吐くな。生きるための糧など、どのようにでも集められる。その程度の知識や技能は教え込んだはずだぞ』
「むう……。そ、それに青さんの鱗の手入れもできなくなっちゃうよ?」
『んぐ、それは確かに困るな……いやいや、そんなことはどうにでもなる!』
一瞬懐柔されかかった竜だったが、思い直して踏みとどまった。
惜しい、もうひと押しか、とカノマが言葉を重ねようとする。が、その前に。
『それに、お前にはその「宝」を授けてやっただろう。それがあればどうにかなるはずだ!』
カノマの首に鎖で下げられている、奇妙な装飾の箱。それに視線を向け、自信満々に竜は言い放った。
「んー……宝っていっても、使い方もわからないのに。そもそも売れるのかな、これ」
『売るだなどととんでもない! それは儂の先祖が神の世界に攻め込んだ際に、和平の証として贈られた代物だぞ!』
うがー、と窘めるように吠える竜。その気配に近隣の野獣たちが慌てて逃げていくが、吠えられたカノマはどこ吹く風。
どんなに由緒ある代物でも、彼の今後の生活に役立たなければ、意味がないのだ。
これならまだ、宝石の類を貰った方が役に立つと思っていた。
『然るべきときに、神の悩みすら解決できると云われている、この世にふたつとない宝だぞ。必ず、お前の窮地を救ってくれることだろう』
「……そう言って、実は使い方がわからないから、僕に押し付けようとしていない?」
『ぎくり。そ、そんなことはないぞ? ――いいからさっさと往かぬか! しまいにゃ炎吐くぞ!』
勢いでごまかそうとする竜。
それを見上げ、カノマはため息。
これ以上の引き延ばしは無理と見て、最後に本心を告げることにした。
「わかったよ、青さん。わがまま言ってごめんね。
でも、ひとつだけ言わせてほしい。この箱が窮地を救ってくれるって言うけれど――」
一息置いて。
少しだけ、震えた声で。
「――僕の窮地を救ってくれたのは、青さんだから。
本当に、ありがとう。助けてくれて。育ててくれて」
『……っ』
「寂しいけど、もう行くね。宝、ありがとう。大事にするよ」
本当は、別れたくない。
このまま一緒に、竜の仲間として、山で過ごしていきたい。
でも、それはお互いのためにならないと、なんとなくわかっていた。
だから。弱気の虫を押さえつけ、精一杯の笑顔を作り、竜に向かって手を振った。
「行ってきます! たまには手紙も書くからね!」
『……おう。行ってこい。達者でな』
選別の代わりか、竜が翼を一振りし、爽やかな風が押し寄せた。
竜に背を向け、少しにじんだ視界のまま、カノマは里の方角へと歩いて行った。
少しずつ離れていく後ろ姿。
幾度となく呼び止めようと爪脚を伸ばしそうになる竜。
やがて、青年の姿が見えなくなったところで、ぽつりと一言。
『……バカめ。手紙を書いて、どうやって届けるつもりなのか』
寂しそうな声色は、広大な草原に溶けて消えた。
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