番外編 王女殿下と春を呼ぶお菓子

「なんだ、これ?」

 中から出てきたのはどうみてもリボンである。しかも刺繍が施されている。それも結構斬新な模様だった。

「わたしからの贈り物。フリッツの分はルイーシャが刺したのよ」

 メイリーアの言葉にはっとしたルイーシャはフリッツにおずおずと取りだした包みを差し出した。受け取ったフリッツは包みを開けた。中からでてきたのは手巾だった。

「なんで俺のはりぼんなんだ?」

「え、だって髪の毛結うかなって」

 アーシュの髪の毛は肩を少し超えたくらいに伸びている。もちろん結ぶことのできる長さである。

「毎日毎日刺繍をしていたのよ。先生が誰かに贈る用に刺繍をしてみなさいって言うから二人で相談して決めたの。ちなみにレオンのものもあるのよ。何しろこの間お世話になったし」

 二人で合作したのよ、と胸を張るメイリーアには悪かったが、アーシュは自身へ贈られたりぼんの刺繍をみて思った。毎日刺繍してこれか、と。残念ながらメイリーアに刺繍の才能はないのだった。



 働くといっても実際にメイリーアが次にアルノード宮殿を脱走することができたのは十日後のことだった。年始めはレイスハルト以下王国の執務にあたる人間らもそこまで忙しくはないらしく、なんだかんだと兄王子に付け回された結果宮殿を抜け出せなかったのだ。もうひとつ、メイリーアにダンスの授業が付け加えれたことも要因の一つだった。なんでも今年の春の社交からメイリーアも本格的に夜会に出席せねばならず、夜会でみっともない姿を見せないために今からダンスの練習をしておきなさい、とアデル・メーアに指示されてのことだった。いつものことながら兄に大反対を受けて授業を受け持つ教師が女性になり、彼女は女性ながら男性のステップやリード役をやらねばならなかったのだが。

 三月も近くなると日差しもぽかぽかと暖かい日が多くなる。

 メイリーアは下町の通りを歩きながら、そろそろもう少し薄手の外套でもいいわね、と小さく呟いた。歩いていると汗ばんでくる。

「こんにちはー」

 ルイーシャを連れ立って『空色』の扉を元気よく開けると中にいた客人から挨拶を返された。

「おおこれは、ひさしぶりだのう」

 隠居老人のウィッズム氏である。自慢の顎髭は今日も健在だ。

「ひさしぶりね、今日はお買いもの?」

「お久しぶりです」

 メイリーアとルイーシャはそれぞれ挨拶をした。『空色』の常連の中でも彼は年の功のおかげかアーシュの目付きと口の悪さに動じることのない数少ない人物である。今日もどこか悠然と構えてメイリーアらを迎えている。

「ひさしく見なかったから心配していたわい。しばらく家で謹慎してたんじゃって。なにをやらかしたんじゃ?」

「ええと…」

 メイリーアとルイーシャは目を見合わせてお互い乾いた笑いを浮かべた。詳細を述べると長くなるが、全部正直に話すわけにもいかない。

「あれだろう、アーシュと駆け落ちでもしようとしてばれたんだろう」

「えぇぇぇっ!」

 まったく予想もしていなかった方向の推測にメイリーアは大きな声をあげた。

「ウィッズムさん!」

 さすがに苦笑してフリッツが制止に掛かった。王女様相手に駆け落ちとかやめてほしいと思っているに違いない。

「ほっほ、冗談じゃ。ああそうだ、そのアーシュといえばさっきそこの角っ子で見たぞ。なにやら女性と逢い引きしているようだったな。もうすぐ春祭りも近いことだし盛んなことだのう」

 ウィッズム氏はフリッツの制止の声など気にもかけないそぶりで自分の言いたいことだけを言って店から出ていった。元気な様子で喜ばしい限りである。

「あぁあぁ、ウィッズムさん!」

 メイリーアは聞きたいことがあってウィッズムをひきとめようとしたが彼は気付きもせずに扉を閉めて揚々と歩いて行ってしまった。

「んもう!聞きたいことがあったのに」

「どうしたんですか、メイリーア様」

 控えたルイーシャが代わりに答えようと口を開いたがメイリーアから飛び出た言葉に目を丸くした。

「逢い引ききってどういう意味かしらって、思って。ルイーシャ知っている?」

「メイリーア様は知らなくてもよい言葉です!」

 即答であった。

「てことはルイーシャは知っているのね。ずるいわ、みんなして。わたしには内緒にするんだもの」

 メイリーアが町のみんなと仲良くなるにつれ感じることがあった。それはメイリーアの知らない言葉が頻繁に登場するということだった。とくにこういうときに感じるのだ。メイリーアの知らない言葉をみんな当然のごとく使うし、意味を尋ねるとなんとも微妙な表情をして他の人と顔を見合わせたりするのだ。そういうときメイリーアは面白くないと感じるのだ。

「メイリーア様が知らなくてもいいことです」

 メイリーアの抗議に対してルイーシャはそっけなく返した。実際ルイーシャとしては仕える主に余計な俗語を知ってほしくないと思っているので当然の措置であった。

 当然メイリーアはかちんときた。

「だったらいいわよ、本人に聞いてくるから」

 メイリーアはくるりと反転して店の扉をあけて出ていった。

「あっ!ちょっと待ってください」

 ルイーシャの制止の声も聞かずにメイリーアは店を飛び出し、そのまま早足でかけていった。確かすぐそこの角って言っていた。どっちだろう、ときょろきょろしたがなんとなくの勘だけで左手に折れた。すぐに見つかるといいなぁと思いながら辺りを見渡しながら歩くこと数分。

 果たしてそれは見つかった。

 アーシュはいつもの作業着のまま、少し体重を後ろに倒しながら壁に寄り掛かっていた。少し距離が離れているためここからだと話の内容まではわからないし、ちょうどアーシュの肩が壁になっていて相手までは見えないが、裾を見る限り男ものではない。ということは女性だろうか。

 メイリーアはとっさに建物の陰に隠れた。

 なんとなく、見てはいけないものを見てしまった気がしたのだ。ああいうのを合い引きというのだろうか。二人きりで会うことが合い引きならば男女間だけは無く、同性同士でも?メイリーアは唸った。世の中にはまだまだ分からない言葉が多い。帰ったらアデル・メーアに尋ねてみよう。

 それにしても一体なにを話しているのだろう。

 メイリーアはよく見ようとして体を押しだした。ここからだとアーシュの顔もはっきりとは見て取れなかった。

「メイリーア様ぁ!」

「あー!メイリーアちゃん。来てたんだぁ」

 背後からルイーシャの声がして、反対側からはレオンの大きな声が聞こえた。

 その声につられたようにアーシュが振り返った。ちょうど十字路に差し掛かったレオンが左側に視線を向けてアーシュの姿を認めた。女性と一緒にいるところをばっちり見て、にやりと笑った。

「二人とも、間が悪すぎるわ…」

 メイリーアは顔を抱えたくなった。

 近所でも評判の悪人顔のレオンを見て青くなった女性はアーシュの隣から後ずさり、そして駆けていった。

「メイリーア様、いつも言っているではないですか。一人で勝手に出ていかないでくださいと」

 追いついたルイーシャの小言をさらりと聞き流しながらメイリーアはおずおずとアーシュの前に姿を現した。ルイーシャの声は届いているはずなので、なんとなくいたたまれなくなって姿を見せたのだ。

 アーシュはやってきた三人の姿を見てなんとなくバツが悪そうな顔つきをした。

「ええと、ウィッズムさんからアーシュが逢い引きをしているって聞いて…その…。だれも意味を教えてくれないものだから、実際のものを見れば意味が分かるかなぁって思って…その…」

 メイリーアは素直に事の顛末を話すことにした。自分でも何を言っているのか分からなくなってきて段々と語尾が曖昧になった。

「あのじじぃ…」

 メイリーアの言葉を聞いてアーシュは口の中で小さくウィッズムのことを罵った。余計なことを言いやがって、と見る見るうちに顔つきがけわしくなった。

「ええと…アーシュ」

「なんだ?」

「怒ってる?」

 メイリーアはおずおずと切り出した。なんだかとっても機嫌の悪そうな顔をしている。

「…別に」

 なんとも微妙な空気がその場に流れた。



「春祭り?」

 『空色』の制服に着替えたメイリーアとルイーシャはフリッツの解説した言葉を繰り返した。

 なんとも微妙な空気が流れたその後、その空気のまま店に引き返すことになったのだ。店に帰ったメイリーアはルイーシャを連れ立ってそそくさと階上へ駆けあがった。店の制服に着替えるためである。今日は時間に余裕があるので少しの間ならば売り子ができるのだ。

 二人が居ない隙にアーシュはフリッツを小突いた。ウィッズムに余計なことを言わせなるな、と。フリッツにしてみたらいい迷惑である。

 そして着替えて戻ってきた二人にフリッツが事の始まりである祭りの話を持ち出したのだ。三月上旬に行われる春祭りだ。昔から続く春を祝う祭り、豊穣を願う春の行事だったものがいつの間にかただの祭りになったものだ。とくに豊穣とは無関係の都では寒い春を乗り切った祝いの日、という意味合いが強い。

 要するに広場にかがり火を炊き大騒ぎする日である。屋台なども昼間から出て、着飾った子供たちが道を練り歩くのも見ていてほほえましいですよ、とはフリッツの弁である。

「ふうん、そういうのがあるの。それとアーシュのさっきのあれがどう結びつくの?」

 いまいち府に落ちなくてメイリーアはフリッツに尋ねた。

「それはですね…」

「メイリーア様、関係ないではありませんか。そんなこと」

 ルイーシャは何故だか不機嫌である。

「春祭りの夜に広場、まあここら辺ではレピュート広場ですね。そこで踊るんですが、まあその相手探しと言いますか。師匠見てくれだけはいいので毎年顔に騙された何人かに声をかけられるんですよ。そのまま持ち帰る…って言いすぎました」

 最後の一行を言おうとしてフリッツは慌てて口を閉じた。アーシュがものすごい怖い形相でフリッツを睨みつけたからだ。余計なことは言うな、ということだ。「アーシュ…踊れるんだ」

 メイリーアは最後のところではなく、ダンスのところに食いついた。アーシュは心の中でホッと一息ついた。心境としてはフリッツ、余計なことまで言いやがって、である。

「そりゃ、な。それくらい俺にだって出来る」

「そうよね、王子様だったものね。元」

 現在進行形で王女様をしているメイリーアの言葉にアーシュは苦い顔をした。

「なんだ。突っかかるな、今日は」

「別に…」

 曖昧に言葉を濁したメイリーアだったが、心の中は何故だか曇り空だった。アーシュも誰かと踊ったことがあるんだろうか、とか考えるともやもやが広がっていくようだった。

 二人を取り巻く空気がどことなく怪しくなってきたためフリッツとルイーシャはお互いに目を見合わせた。お互い仕える相手どちらの空気が重くなってきたためだ。

「ああそうだ。春祭りといえば王様のケーキもありますね。うちも毎年予約販売しているんですよ!今度試食どうですか、メイリーアさん」

 フリッツがやたらと大きな声をだしてメイリーアの注意をひきつけた。

「王様のケーキ?」

 メイリーアが同じ言葉を復唱した。

「なんだ知らないのか?」

 アーシュもフリッツの変えた話題に乗ってきた。

「ええ…多分」

「毎年春祭りのあたりに食べられるお菓子です。ガルトバイデンにもある風習なんですが、春の祭日に家族そろって食べるんですよ。アーモンドクリームの入ったパイ生地、まあこれは地方によってさまざまですが、の中に硬貨や豆を入れておいて、見事それを引き当てた者に一年の豊饒が約束されるという、なんていうかゲン担ぎのような遊びですね」

「我が家でも食べていました」

 ルイーシャが家族の思い出を交えて同意した。

「豆って、本当の豆なのかしら」

「昔はそうだったみたいだけどな。今は陶器でできた豆や他にも小さな小物を模したものだったりさまざまだよ。うちではいつも黄色い色の豆を使うけど」

「そうなの…」

 メイリーアは皆から説明された言葉を聞いて、何か記憶に引っかかるものを覚えた。あれはいつだっただろうか。まだ母親が生きていたころ、うんと小さい頃みんなでケーキを食べたような気がするけれど。

 そういえば小さい頃はよくみんなでお菓子を食べていた。切り分けられたケーキのどれが大きいとか、一番最初に選ぶのはわたし、とか些細なことですぐ上の姉シュゼットと喧嘩したこともあった。

「どうしたんだ、メイリーア?」

 急に黙り込んだメイリーアを心配するようにアーシュが近くに寄ってきて顔を覗き込んだ。

「えっ、ああ、その。多分わたしもきっと、食べたことがあるわ…。お母様がまだいらしたころ…」

 メイリーアは心ここにあらずといったような、少しだけ上の空で答えた。

 いつのまにか忘れ去られていた習慣だった。どうして今の今までわすれていたのだろう。小さい頃、きっとメイリーアは楽しみにしていた。おぼろげな記憶をたどっていくと兄姉みんなで笑ってテーブルを囲んでいる光景が目に浮かんだ。たしか甘いクリームのケーキだったような気がするけれど、それが例の王様のケーキなんだろうか。

「大丈夫か、メイリーア」

「えっ?うん。平気よ。今度アーシュの作ったケーキも食べさせてね」

 重ねて問うアーシュにメイリーアは慌てて笑顔を作って答えた。思いがけずケーキのことを思い出したおかげでさきほどまでアーシュに感じていたもやもやはとっくに消え去っていた。




 ちょうど同じころ。

 厚手の外套を纏い、革製の旅行鞄を手に持った女性がグランヒールの街を歩いていた。手には菓子店で買ったお菓子の袋を持っている。黒い髪の毛を後ろで一本に縛りそのまま垂らしている。

 先ほど買ったばかりの焼きりんごのケーキを頬張って、その美味しさに頬を紅潮された。

「んんん~っ!美味しいっ。さすがは食の都グランヒールだね。美味しさの平均値がたかい」

 焼きりんごのケーキはその昔、林檎のケーキを作る際間違って林檎を下に敷いてそのまま焼いてしまったら、香ばしい林檎のかりっとした食感が割と好評でそのまま定着しました、といういわれを持つケーキである。

 食べ歩きをしながら女性、ニルダ・アンソラは思案気に眉根を寄せた。

 それにしてもグランヒールは菓子店が多いのだ。探し人も菓子職人をしているはずだけれど、果たしてどこにいるものか。というのも最後に別れのあいさつをしたときに、次はトリステリア王国のグランヒールに行く、そこで修行して店を出すかも、くらいな適当なことしか聞いていないのである。しかも数年前の話である。

 適当極まりない情報だけを頼りにはるか遠く、カスティレート国から旅をしてきたのには理由がある。どうしても伝えたいことがあるのだ。

 自分でも随分と無謀だと思うけれど、ニルダにも色々と事情というものがあるわけで、ついでにいうなら心に刺さったままの棘を抜かないと先にも進めないしなぁ、と思って今回行動を起こしたのだ。

 ケーキを平らげてニルダはさっそうと歩き始めた。長い黒髪を揺らしながら大股で歩くニルダはその辺の男よりも格好よく、ちらちらと道行く女性が振り返った。

 そんな女性らの視線に頓着もせずにニルダは目についた菓子店の扉を開けた。とりあえず同業者のことは同業者に聞くにかぎる。もしかしたらそこそこ名の知れた職人になっているかもしれないし、他の街にいるにしろ何かしらの消息を知っているかもしれない。

 アーシュ・ストラウト、腕はいいけれど目付きが悪いのにどこか人を引き付ける菓子職人のことを。




 翌日、この日メイリーアの予定はぎっしりだった。朝から礼儀作法の授業と昼食は親戚の婦人らと一緒に取り、その後はダンスの授業だった。本格的な社交デビューに向けてダンスの授業は必須である。春が過ぎれば領地に帰っていた貴族らがグランヒールの屋敷に戻ってくる。そうしたら本格的な社交の始まりだ。今年から夜会への出席が決まっているメイリーアの予定にダンスの練習が加わったのだ。その前に春の訪れを祝う会だとかなにかで小さな集まりがある。奇しくも春祭りと日程がかぶっているのが残念なところだったが、現在メイリーアはその祝いの会に向けてダンスの猛特訓中なのだ。

めずらしく姉が見守る中メイリーアはステップの練習に励んでいた。ちなみに柱の陰には何故だか兄レイスハルトも隠れている。

普段からグランヒールを飛び回っているだけあって基本的な体力はばっちりな為、後は繰り返し練習あるのみである。ルイーシャも一緒に習っているが体力面でメイリーアに劣るためすでに息が少し切れていた。

 続けていくつかのステップを練習した後、小休憩を貰ったのでアデル・メーアの方に近づいて行った。

「お姉さま。来ていたのね」

「ええ。どんな様子か気になって。まさかとは思うけれど、練習をすっぽかしたりはしていないわよね」

「まさか…」

 さすがのメイリーアも授業は一応ちゃんと出席している。教師にばれるとアデル・メーアに報告が行くからである。普段は優しいけれど怒ると怖いのだ。

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