エピローグ2

 その言葉にメイリーアははっとしてぎこちなく動いた。

 アデル・メーアにノイリス、それからアーシュの三人が先客としてサロンにいたのだ。なんだろう、この組み合わせは。

「ええと、なにがどうなっているの。お姉さま」

 姉の隣に腰を下ろしたメイリーアは姉に小さな声で尋ねた。ノイリスは理解できるが、何故にアーシュまで一緒にいるのか。謎だった。

「ええと、実は私の兄上がお忍びでトリステリア王国に視察に来ていたようで。先日合流したんです。是非こちらの王室方々にご挨拶をと思いまして」

「はじめまして、メイル・ユイリィア姫。ガルトバイデン国第一王子、アッシュリード・ライヘン・ガルトバイデンと申します。以後お見知りおきを」

 にこやかなノイリスとは対照的にややぶっきらぼうにアーシュは話した。

 メイリーアはまだ話についていけず目をぱちくりとさせた。お忍びって一体どこのだれがだろう。ついこの間まで『空色』で菓子職人をしていたのに。

「本当は謹慎中なのだから外出禁止なんですけどね。ノイリス殿下は明日ガルトバイデンに出立するから特別よ。最後のご挨拶をと思ってあなたも呼んだの」

「ええぇっ?もう帰っちゃうの…?」

 てっきり新年はトリステリアで過ごすと思っていたメイリーアは驚いた。そういえばノイリス側の事後処理はどうなったんだろう。詳しいことは聞いていないが、アーシュを巻き込んで色々とあったようだ。あの日、閉じ込められた建物から脱出したときもアーシュは自身に起こったことをあまり教えてくれなかったのだ。

「ええ。色々と予定をやりくりしての旅行でしたので。そろそろ帰らないと休みなしで働く羽目になりますから」

「そ、そうなんですか」

 メイリーアはちらりとアーシュの方に視線をやった。

 ノイリスは帰ってしまうけれど、アーシュはどうするんだろう?

 まさかこのままノイリスについて行ってしまうんだろうか。聞きたくてもどうやって聞いていいのか分からずメイリーアは口を閉ざしたままだった。

 やがて侍女らがお菓子を運んできた。香りのよいお茶が目の前に供された。冬場なのに苺をたっぷりと使ったケーキである。メイリーアの大好きなお菓子だ。

 すると姉が立ちあがった。

「残念だけれど、わたくしはもう行かなければ。これでもわたくしも忙しいのよ。具体的には、そうね。レイスハルトの執務室にでも行って見張りをしてこようかしら」

 あでやかにほほ笑み、侍従や侍女らを連れてあっという間にサロンから出て行ってしまった。手際の良さに惚れぼれする。きっと気を利かせてくれたのだろう。

 サロンには三人のみになった。

 突然の事態にメイリーアは沈黙した。これはこれで困るのだ。

「ケーキ、食えよ」

 普段と変わらない口調のアーシュの言葉にメイリーアは慌ててケーキに手を付けた。その王子様然とした格好でその口の悪さは無いと思うが、これこそアーシュだと思う自分も確かにいて、メイリーアはちょっぴり安堵した。

 メイリーアは苺のケーキを一口大に切って口に運んだ。さくさくしたパイ生地の間には大きな苺とクリームが挟んである。

「美味しい…」

 メイリーアは素直な感想を漏らした。

「だろう?厨房を貸してもらってさっきまで作っていたんだ」

「ええぇ!アーシュが?」

「ああ、第一王女から教えてもらった。苺のケーキが好きなんだってな」

 いつになく優しげな眼差しでメイリーアのことを見つめるアーシュに、メイリーアはこくりと頷いた。それにしても場所が変わってもアーシュはアーシュである。なんだか胸の奥がじんわり暖かくなった。

「色々と説明が長くてすみませんでした。しかし、他の者もいるのでお忍びとはいえアッシュリード兄上についてはああいう説明をするしかなくて」

 二人きりの空気を申し訳なさそうにノイリスが破った。

 メイリーアは慌てて姿勢を正した。

「いいえ。説明を聞いて納得しました。確かに下町で菓子職人していました、なんて言えませんよね」

「おい、こら。俺は別に宮殿に行きたいなんて言ってない」

「しかし、兄上だってメイリーア姫のことは気になっていたでしょう」

 ノイリスの指摘にアーシュはふてくされたような顔をした。

 メイリーアはくすりと笑ってしまったが、アーシュがとても怖い顔をしてこちらの方を見ていたため慌てて居住まいを正した。顔の怖さは健在である。

「結局、ノイリス殿下が我が国を訪れたのは、アーシュ…アッシュリード…殿下を探すためだったんですよね」

「ええ、そうです。六年前にガルトバイデンの王宮から姿を消してその後ずっと行方知らずだった兄上をずっと探していたんです」

 ノイリスは少しだけさみしそうにほほ笑んだ。

 そしてしばらくたわいも無い話しをした。

 久しぶりの兄弟の邂逅にメイリーアが同席していてもいいのかと思わなくも無かったが、数年ぶりに対面する者同士、少し気まずいらしい。メイリーアも小さい頃のアーシュが、というより本当に王子なんてやっていたのか疑問に思うところもあったのでノイリスから語られる昔のアーシュの話は新鮮だった。

 メイリーアとノイリスが仲良く話しているとアーシュはむっつり機嫌悪く黙り込んでしまったほどである。

「俺の母親は菓子職人で、王都イデスで父に見染められたんだ。俺は小さいころから母上に菓子の作り方を習っていて、どうせ役立たずな王子で居続けるくらいならいっそ菓子職人として独立しようと思ってちょうどいい機会だったし二十のころに国を出た」

 唐突にアーシュは語りはじめた。

 どうしてアーシュが国を出て菓子職人をしているのか、メイリーアにとっても疑問だったところを語り始めたので、メイリーアはそのまま聞いてしまってもいいものかと目線で問うた。

 ノイリスとアーシュは母親違いの兄弟だ。ガルトバイデン王国には現在三人の王妃がいる。同じ母を持つ兄姉しかいないメイリーアには想像もつかない想いなどがあるのだろう。

 身分も後ろ盾も無い第三王妃の産んだ第一王子は王大使にはなれない。正妃であるアガーテはあからさまに第三王妃と彼女の産んだ王子を敵視していた。とくに自身が跡継ぎノイリスを生んだ以降は。

「僕は兄上ともっと話をしたくて、ある日こっそり兄上のところに遊びに行ったんです。そして兄上からお菓子を貰って食べました。別にそれが原因ではないんですが風邪をひいて寝込んでしまいまして。時期が悪かったんです。母上は兄上が僕に毒を持ったのではないかと騒ぎたてました」

「そんな!」

 メイリーアは思わず叫んでしまった。

「いいえ!ただ具合を悪くしただけで医者も無関係と断言しています。しかし、母上にとってはそういうことはどうでもよくて。単純に僕が兄上に懐いていたのが気に食わなかったのでしょう。そのせいで兄上は国を出て行ってしまわれた…」

 あまり接点のなかった兄弟だったがノイリスは五歳年上の兄に興味津津だった。こっそり母の目を盗んでたまにちょろちょろとアーシュの周りをうろちょろしていた。アーシュも最初は困惑したが、母の教育もありそこまで邪険にはしなかった。それでちょっと上手く作れた菓子を与えてみたのだ。

 元々宮廷内では微妙な立場だったので己の行く末について悩んでいたのだ。このまま父の手伝いを続けていてもいいものかどうか、と。

「別におまえのせいじゃない。あれはただのきっかけの一つだ」

「しかし…」

 ノイリスはなおも食い下がった。ノイリスにしてみればかの一件のせいで兄の立場が宮廷内で微妙なものとなり、その後城を出いていく原因になったのではないかと悩んでいたのだ。

「僕は今回、兄上に会ってあのときのことを謝りたくて捜していたんです。そして、もっと兄上と色々な話がしたかった。もちろん帰ってきてほしいです。けれど、その前にあのとき伝えられなかった言葉を、ずっと言いたかった言葉を伝えたくて」

 ノイリスは素直な気持ちを吐露した。

 その顔が少し幼い少年のような、泣きそうな顔をしていた。

「それだけの為に捜していたのか?」

「はい。小さいころから兄上にあこがれていました。強くて、頼りになって、ずっと近くで話してみたいと思っていました。お菓子をくれたこともうれしかったです」

 メイリーアは知らないことだったが、その時にくれたお菓子というのがいつの日かメイリーアがノイリスにおすそ分けをした三日月という名の焼き菓子だった。

「そうか。ありがとな」

 アーシュはやわらかい目元をしてノイリスにお礼をいった。

 茶話会は小一時間ほどで終わりを告げた。

 そろそろメイリーアも自室に戻らねばならない。兄弟水入らずでもう少し話せばいいじゃない、とからかい交じりに言うとアーシュは俺も店があるから、と笑って答えた。お互い自分の世界に戻らないといけない。

 部屋を辞するとき、メイリーアはアーシュに向かって遠慮がちに切り出した。

「アーシュも…その…帰るの?」

 ノイリスも同じ場所にいるのに、聞いてしまっていいのかわからなかったが、メイリーアはこの機会を逃すとしばらくの間アーシュに会うことができないのだ。

 アーシュが口を開くまでの間がひどく長い時間に感じられた。きゅっと目をつむってメイリーアは待った。

「俺は…」

 何かを言いあぐねるようにアーシュはそのまま黙った。

 迷っているのだろうか。せっかく弟が捜しに来てくれたのだ。何がきっかけだったのかは分からないけれど、こうして今回二人は再び巡り合ったのだ。これもまた一つのきっかけである。

「ええと、その!そうよね。やっぱり一度は家に帰った方がいいのよね。そりゃあ、アーシュのお菓子が食べられなくなるのは残念だけど…」

 沈黙がいたたまれなくなってメイリーアはまくし立てた。

 滑稽すぎて泣けてくる。

「いや」

 アーシュの声にメイリーアは顔をあげた。

「帰らない。俺は『空色』の店主だからな。責任もあるし、あそこが俺の居場所だよ」

 きっぱりとした声でアーシュはメイリーアに告げた。

「そ、そう…」

 断言したアーシュの言葉にノイリスは少しだけさびしそうにした。ノイリスには悪いと思ったけれど、その言葉を聞いてメイリーアは内心安堵したのだった。



 翌日、ガルトバイデン王国王太子ノイリスは訪れた時と同じように簡素な荷物と馬車と騎士数名を連れて自国へと旅立っていった。

 騎士の人数が一人少ないのは、騎士のうち一人が今もアルノード宮殿の一角に留め置かれているからだった。罪を犯した騎士はノイリスが帰還したのち、しかるべき機関の人間が護送の為ガルトバイデンからやってくる手筈になっていた。

 以上が今回の騒動の顛末である。



 謹慎がとけた第三王女が再びこっそりと宮殿を抜け出してグランヒールをお忍びで訪れるようになるのは春もそこまで近づいたころのことである。

 馴染みの菓子店に顔を出して売り子業に精を出して店主を呆れ返させるのはまた別の話で、店主の弟子は、なんだかんだで売り子にやってきた少女を師匠兼店主が以前よりも優しい顔つきで見つめているのを内心ほほえましく見守っていたりするのだが。



 三年後、第三王女、メイル・ユイリィア姫は請われて隣国へ嫁ぐことになる。

 政略結婚であったが、夫婦はとても仲睦まじく三人の子供に恵まれることとなる。うち一人が従兄にあたる当時のトリステリア王太子へ嫁ぐことになるのはまた別の話である。

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