3 思慕
寸胴の蛇に翼と尾ヒレがついたような建造物……かつて人の祖が乗ってきたといわれるギナリタの象徴ロカッキを見物し、そのまま慈乃はあてもなく街を歩き回った。
ここギナリタはダイテンザンから程近く、そのため樹海での戦いに参加したのであろう者たちが続々とやってきて傷を癒している。あるいは彼らに話を聞けばライゴウに関する情報が得られるかもしれないが、どうしてもそうする気にはなれなかった。
どの宿もそんな者たちでいっぱいで、気がつけば慈乃は街外れにまで足を運んでいた。宿を取る時は表通りに面したなるべく大きな宿にしろ――そう教えてくれたのはライゴウだったが、今は従う気になれない。とにかく煩わしくない場所で過ごしたかった。
「ここは……」
幸運か運命か、ユートムの慈悲か……慈乃がその建物を発見したのはそんな時だった。
ひどく寂れた、それでいて不思議と荘厳さを感じさせる家屋である。神殿に近しい雰囲気はあるが、ジングウではない。どういった意図で作られた場所なのか分からない。
ここなら夜露も凌げそうだし、何より静かだ。ユートムへの感謝を口にして門を潜る。休むのに良い塩梅の部屋はないかと建物の中を探索して……その時だった。
「誰だ」
硬い気配を帯びた誰何の声。見知らぬ少女が、部屋の奥から慈乃を睨んでいた。
背に触れる程度まで伸ばした黒髪と浅黒い肌をした、慈乃と同年代の少女である。墨色の衣と膝丈の袴に、山吹色の肩掛け。穂先の無い槍のような何かを腰溜めに構えている。
「失礼いたしました、どなたかいらっしゃるとは思わなかったものですから……ユートムの神子で東雲慈乃と申します。しばらく逗留させていただけると嬉しいのですが」
「逗留? お前が? ……ここがブッパーのジインだと分かって言っているのか?」
「ブッパー? ジイン? ……それは、この家の名前ですか?」
「聞いたこともないのか。ブッパーはホトケの道を説く大宗派だ……百年前まではな」
含みのある口振りである。何やら恨まれているようだが、これが初対面のはずだ。それよりユートム教以外の神の教えがあるということの方が、慈乃にとっては驚きだった。
「逗留するなら宿を取るか、ギナリタのジングウに行けばいいだろう」
「宿はどこもいっぱいなのです。よそのジングウにあまりご迷惑をかけるわけにも……」
「……お前みたいに若い女が、一人でこんな場所を寝床にするのは危ないぞ」
「はい、そう教わりました。ああ、でしたらしばらく御一緒するのはいかがでしょう?」
そう提案してみる。少女はしばらく渋い顔をしていたが、やがて一つ嘆息して腰溜めに構えていた何かを静かに床に置き、桶と雑巾を慈乃に渡してきた。
「助けを求める者は拒まないのがブッパーの教えだ。だがお前がユートムの神子であろうと、ジインに逗留する以上はこちらのやり方に従ってもらう」
「はぁ……」
「ぼさっとするな、床磨きだ! 働かない者に食わせる飯は無いからな!」
それから数日、慈乃はジインで過ごした。
朝早くに起きてあちこちを掃除して、遅い朝食を取り、昼の間は建物の修繕をする少女を手伝ったり、瞑想をしたり……やっていることはジングウとあまり変わらない。
当初、食事は交互に作る話になったのだが――少女は大層な料理上手だった。
「旅先でそんなに香辛料を持ち歩いていたのか? 荷物になるだけだぞ」
「もっともなご意見ですが、せっかくならば美味しいものを食べたいではありませんか」
「香辛料が悪いわけじゃないが、塩加減一つで料理は化ける。見てろ」
そういって、塩だけで味付けした見事な鳥料理を作ってみせた。慈乃はおおいに感銘を受け、教えてくれと頼み込み、かくて料理は二人で一緒に作ることとなった。
夕食後はそれぞれに時間を過ごす。ジインに来た時こちらに突き付けた槍のような何かを、少女は毎日丁寧に手入れしていた。どういう代物か分からないが彼女の得物らしい。
槍のようだが穂先は無い。柄に見える部分は中空になっている。柄の一端に細かい部品が複雑に組み合わさってできた箇所があり、ここを手にして使う武器のようだ。
あの時は弩のような持ち方をしていたが、してみると飛び道具だろうか? 手入れしているところを見られるのも嫌がるので、踏み込んで尋ねるのも気が引けた。
そうやって時を過ごす内、慈乃は時折少女が不思議な行動を取ることに気がついた。
何も言わず、微動だにせず、ジインの門を見詰めるのである。一度や二度でもなくそう短い間でもなく、長い時は昼過ぎから日が西に没するまで。
首を傾げながら見守って……しばらくしてようやく察して、夕飯の時に切り出した。
「どなたか待っていらっしゃるのですか?」
慈乃の問いに、少女は一瞬怪訝な顔をしてから羞恥混じりの渋面を浮かべた。
「見てたのか……そうだ。ギナリタのジインといったら、ここしかないはずなんだが」
「待ち合わせがそうまで遅れているのですか……心配ですね」
「アイツに限ってどうにかなっていることはないだろうが、別の意味で心配だ。道に迷うか、信じられない見当違いをしているか。顔だけはいいから、変な女に引っかかっているかもしれない。別行動すべきじゃなかった。あの鳥だって、本当はアイツに……」
愚痴のような文句のような物言いである。不思議とその中に相手への甘えと信頼を感じ取り、慈乃は無意識に微笑んでいた。優しく弾む気持ちのまま口を開く。
「あなたは――」
その人のことが。
『ねぇ、あなた……ライゴウのことが好きなのでしょう?』
目を見開く。身が強張る。あの時キリィに言われた言葉が、頭の中で延々と反響する。
「…………」
その言葉の意味を、旅立ちの理由を、心が振るわない所以を、慈乃は今こそ理解した。
嗚呼そうか、そうだったのか……そういうことだったのか!
「……どうかしたのか?」
少女の声で我に返る。気付けば視界は涙で潤んでいた。
「……“別れよう”と、言われたのです。何をしたところで意味など無いと」
「…………」
「でも、私は……あの人の目が寂しそうで、遠くを、いつもとても遠くを見ていて、魂がどこかに行ってしまったようで……悲しくて切なくて、苦しそうで! それではあまりに寂しいから、だから側にいてあげたいと……そう思っていた、のに……!」
明瞭な言葉にできたのはそこまでだった。そこから先は嗚咽混じりだ。
渚やミィに無断で、どうしてああも簡単にフィルウィーズを発った?
ザンに襲われ、兵士に殺されかけ、恐怖に震えながら、なぜ帰ろうとしなかった?
自分自身に言い訳をして、それらしい理屈を並べ、どうしてそうまでして旅を続けた?
――ただ、一緒にいたかったからだ。あのライゴウ=ガシュマールという青年と。
彼と同じ時間を共有したい一心で、自分はあれほどの苦難に臨んでいたのか。もうそれが叶わないと思ったから、何かを為すための気力も失ってしまったのか。
泣き疲れて眠るまで、慈乃は泣き続けた。呆れるでもなく、何か言うでもなく、少女はただ静かにそんな慈乃に付き合った。
そんなの、生まれて初めてのことだった。
○ ○ ○
翌日、目覚めてすぐに旅支度を整えると、慈乃はジインの門に向かった。
何かを感じたのか、少女が門に背を預けてそこに待っていた。
「行くのか」
「はい、お世話になりました。ようやく己の為すべきを見定めることができたのです」
「そうか、達者でな。お前にホトケの導きがあらんことを」
「ありがとうございます。あなたにも、ユートムの加護がありますように」
「ジインの中でその名を出すな」
別れ際、彼女はなんだかひどくしょっぱい顔をしていた。
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