第62話 情け
一たび、人が入り始めると、客足は絶えなかった。
獣道を抜けて、お客さんがどんどん寄宿舎に向かってくる。
主夫部カフェには入店を待つ行列が出来た。
厨房には母木先輩も入って、フル回転の御厨をサポートしている。
地下洞窟探検には
今のところ待ち時間は三十分だけど、この先もっともっと伸びそうだ。
「なりきり鬼胡桃生徒会長」も好評のようで、写真を撮っている写真部の生徒が、足りなくなったプリント用紙を部室に取りに行った。
僕が担当するヘッドスパのコーナーも、忙しいとは言わないまでも、切れずにお客さんが来てくれる。
数人の女子のグループが恥ずかしがって遠巻きにしていたのが、その中の一人が勇気を出してシャンプー台に座ると、そのグループ全員が洗髪とマッサージを受けていった。
気持ちよさそうに目を瞑って、僕に身を任せてくれる女子を見るとにやけそうになるから、僕は気を引き締めて平静を装う。
女子がさっぱりとしたと言って、顔つきまでキリリとして帰っていくのは、いいものだ。
来てくれた人の口コミで、人が人を呼んでいるみたいだった。
カフェや寄宿舎の写真を撮っていく人も多いから、SNSなどにもたくさんの写真が上げられているんだろう。
午後一時から102号室で御厨の母親、「天方リタ」のエクササイズ講座が始まると、それを聞くために、また、大勢の人が押し寄せてきた。
突然忙しくなったのは、この現役モデル効果だろうか?
「天方リタ」はSNSなどで、文化祭のことを書いていたから、それを見たファンや、現役モデルに興味津々の生徒が集まったのかもしれない。
二時過ぎに一旦、お客が切れたところで、僕は何か飲もうと台所へ向かう。
実はまだ昼食も食べていない。
台所では、さっきまで嬉々として料理していた御厨が、浮かない顔をしていた。
「どうした、御厨?」
僕が訊く。
「はい、まさかこんなに混雑するとは思わなかったので、ストローが足りなくなりそうなんです」
台所の洗い場にはカップやグラスが溜まっていた。
ドリンクも相当数出ているようだ。
「それなら、僕が買って来るよ」
丁度お客も切れているし、近くのスーパーなら、五分十分で帰って来られる。
「すみません、お願いします」
御厨が盛り付けの手を休めずに言った。
僕はヘッドスパのコーナーに準備中の札を出して、スマホと財布だけ持って、駆け足で寄宿舎を出た。
獣道を歩いて寄宿舎へ向かう人達の脇を抜ける。
急がないと、こうしている間にもお客さんは次々に来ていた。
林を抜けて校舎裏の空き地に出るところで、誰かが呼び込みをしている声が聞こえる。
こんなところで何の呼び込みだろうと耳を傾けると、
「寄宿舎の入り口はこちらです。この先に主夫部のアミューズメントパークがあります!」
看板を持った男子生徒が、そんなふうに声をかけていた。
ネクタイの色から判断すると、三年生だった。
校舎の方で、少し離れたところにも、看板を持った生徒がもう一人いる。
看板には「寄宿舎入り口」と書いてあって、矢印でこっちを示していた。
寄宿舎へ向かう入場者は、彼らに案内されて、校舎から寄宿舎に迷わず来てるようだ。
僕は、電話ですぐに弩を呼ぶ。
弩は林を突っ切って草だらけになりながら駆け付けた。
「あのあの、私、主夫部の展示責任者の弩です。みなさん、どうして寄宿舎の道案内をしてくださっているんですか?」
弩が呼び込みをしている三年生の男子生徒に訊く。
三年生は、見つかったか、とでも言いたげな、ばつが悪そうな顔をした。
そして頭を掻きながら言う。
「僕達は三年E組の生徒なんだ。ほら、君たちに調理実習室を譲ってもらったクラスだよ」
話が見えてきた。
「僕達に調理実習室を譲ってくれた主夫部のところに客が来なくて苦戦してるっていうから、少しでも恩返しが出来たらと思って、クラスで話し合って、案内役を買って出たんだ。ここは場所が分かりづらいからね」
三年生が言う。
校舎の中では、他にも、手が空いている数名がそこここに立って、寄宿舎のことを宣伝してるらしい。
自分達のチラシの裏に、主夫部のアミューズメントパークへの順路を書いて、印刷してくれてもいるようだ。
突然、お客さんが増えたのは、この三年E組のおかげだったんだろう。
「ありがとうございます!」
弩が頭を下げた。僕も弩の後ろで頭を下げる。
弩の目は潤んでいた。
「いや、お互い様だよ。それに、もう、案内は今日だけで十分みたいだね。さっきから寄宿舎に行く人が絶えないし、寄宿舎のことは学校中で噂だよ。これから、もっともっと客は増えるんじゃないかな」
三年生はそう教えてくれる。
「君達忙しいだろう? さあ、行って行って、僕達はもうしばらく、ここで案内するよ」
三年生はそう言って照れくさそうに微笑んだ。
結果的に弩の行動は正しかった。
抽選会のとき、弩は涙を流す三年E組の代表を見て、情に流されたんだと思ったけど、それは、こんなふうに僕達に返ってきた。
きっとこういうのを「情けは人のためならず」と言うんだろう。
あの時の判断は、合理的な判断じゃなかったのかもしれないけど、結果的に弩は人を引き付けたのだ。
僕が頭を撫で繰り回すと、弩は涙ぐんだ鼻声で、「ふええ」と言う。
三年生の予言通り、その後も寄宿舎へ向かうお客さんが絶えることはなかった。
結局、僕は昼ご飯を食べ
僕のヘッドスパにも行列が出来て、ヨハンナ先生がアシスタントに入ってくれた。
先生はシャンプーした後のブローの担当になった。
そしてなんと、僕達の人手不足を見かねた鬼胡桃会長が、ボルドーのワンピースを脱いで、カフェの制服を着て、給仕に当たった。
「あなたはこれを飲むべきだわ」とか、
「あなたはこれを食べなさい」という、少し迫力あるカフェ店員だったけど(一部のマニアにはそれが受けてリピーターになったとか)。
五時になって、文化祭、
僕達は、食堂で一息ついた。
みんな、疲れて食堂のテーブルに突っ伏している。
寄宿生に主夫部に、天方リタと花園、枝折も食堂に集まった。
間もなく、食堂には山のように積み上がったおにぎりと、鍋一杯に作った豚汁が用意される。
忙しかった僕達の代わりに、夕食を用意したのはヨハンナ先生だ。
先生は頭に三角巾を巻いて、割烹着を着ていた。
「この私が数年ぶりにした料理だから、よく噛みしめて食べるように」
先生が言う。
料理………確かに料理だ。
具のないシンプルな塩むすびは、この上なく美味しかった。
豚汁が少しワイルドな味なのは、多分、
でも、キャンプのときに作る豚汁みたいで、これはこれで
「ほら、花園ちゃんも枝折ちゃんも、たくさん食べて」
ヨハンナ先生が二人にも勧めてくれた。
「どうしたの? おかわりたくさんあるわよ」
先生が言う。二人の箸は止まっていた。
「お兄ちゃんの料理のほうが美味しい」
花園が言う。
花園は素直な良い子なのだけれど、少し正直過ぎる。
ほら、食堂の隅で体育座りをして、ヨハンナ先生がいじけてしまったじゃないか。
八時を過ぎて、古品さんが一旦、寄宿舎に帰ってきた。
いよいよ、明日は古品さんの「ぱあてぃめいく」のステージだ。
「枝折ちゃん、明日、替え玉お願いね」
古品さんに言われて、枝折はコクリと頷いた。
花園よりも人見知りの枝折は、少し恥ずかしがっている。
僕や花園には強気なのに、
「会長さんも、メイクお願い」
「分かったわ。ばっちりのメイクで、古品さんを古品さんと分からないようにしてあげる」
いつになく鬼胡桃会長が張り切っていた。
「でも、メイクで顔を変えたら、今までのファンの人が戸惑うかもしれない」
錦織が言った。
古品さんがふっきーであることを誤魔化す為に、別人のようなメイクをしたら、今度はふっきーがふっきーじゃなくなってしまうかもしれない。
「それは仕方ないわよ。古品さんが芸能活動しているのがばれて、退学になったら大変だもの」
鬼胡桃会長が言う。
「それは、そうですけど……」
ファンの錦織としては思うところがあるんだろう。
古品さんは、明日の確認だけして、また帰っていった。
明日の朝、古品さんはマネージャーの車で、古品さんではなく「ぱぁてぃめいく」のふっきーとして、この学校に来る。
「それじゃあ、僕は明日の仕込みがあるので失礼します」
御厨がテーブルから立った。
「僕も、明日の『ぱあてぃめいく』の衣装の最終チェックだ」
錦織も席を立つ。
「僕もさっと掃除をしてしまおう。不特定多数の人が出入りして、館内が少し汚れてしまった」
母木先輩は早速モップを手にした。
「洗濯をしたいので、みなさんは早くお風呂に入ってください」
僕は女性陣に言った。
明日も忙しいから、出来れば今日のうちに洗濯機を回したい。
「ちょっと待って、あなた達!」
それぞれの家事に散って、食堂を出て行こうとした僕達を、腕組みしている鬼胡桃会長が呼び止めた。
「あなた達、今日はこの寄宿舎で寝ていいわ。使っていない部屋に布団を敷いて寝なさい」
会長が言った。
「えっ?」
意外な提案に僕達は戸惑って、会長を見詰める。
「だ、だってテントだと
確かに、ここ一週間ほどテントで寝ていて、寝起きは背中が痛かった。
林の中で、うるさい蚊にも悩まされていた。
だけど、この寄宿舎に来た当初からすれば、考えられない提案だ。
「べ、べつにあなた達を認めたわけじゃないんだから! 文化祭の他に家事があって、忙しくて倒れられたら困るから、言っただけだから!」
会長はそう言って、頬を赤くする。
「分かった。遠慮なく、ここで休ませてもらうよ。ありがとう、統子」
母木先輩が言うと、鬼胡桃会長は瞬間的に体内の水分を蒸気として排出して、二分の一くらいに縮んだ。
とにかく、これで久しぶりに布団の上で眠れる。
それも、この「乙女の館」の中でだ。
まあ、僕は寄宿舎で寝るのは、これで二度目なんだけど。
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