◆仮想迷宮◆

 少女は無言で両手に持った鉈を振り下ろし続けている。

 物音に駆け付けた俺達が目にしたのは、屍体に馬乗りになり解体を続ける少女の姿。ぼろ布の様な服は赤黒く血に染まっている。顔を隠すつもりなのか、頭に被ったずた袋からは、浴びた返り血が滴っている。


「カノノン!?」


 殺されたのは行き合ってしまった巫女だろう。マナナノと同じ白い装束が赤く染め上げられている。辺り一面肉片がばら撒かれ、濃い血の匂いが漂っていた。


「や……やめなさい!」


 リディの言葉にびくりと振り向いた少女は、不思議そうに呟いた。


「……あれ、まだいるのかな?」


 こちらへ向かって来るそぶりを見せたが、頭数の不利を悟ったのか、身を翻し結晶の柱の群れに向かって駆け込んだ。すぐに後を追う。


「ま、待つのです!!」


 同輩の無残な屍体に絶句していたマナナノが、駆け出す俺を慌てて呼び止める。

 アティは月棲獣の殺戮衝動に引き摺られたまま行動を続けている。ここで見逃せば死体が増えるだけだ。


   ◆


 アティを追ううち同行者たちとはぐれてしまった。

 だが夜通し歩き続けた子供の足だ。引き離されてしまったのではなく、すぐ近くに潜んでいると考えるべきだ。


「アイン、こっちに血の跡があるわよ」


 俺の手を引き雛神様が指し示す。

 白い髪。赤い瞳の少女の姿――――


「どうしたの?」


 過ぎった違和感の正体を掴めぬまま、俺は途切れ途切れに残される血痕を追った。

 鉱物と結晶でできた街並みの向こうに、水晶の宮殿が浮かんでいる。

 街の外に、幾本もの脚を持つ、巨大なものの蠢く影が見える。

 街に侵入を試みている様子だが、城壁に阻まれ入ることはできないだろう。


 街を行くすれ違う顔の無い人の群れの中に、知った顔を見付け俺は思わず足を止めた。


「重さと速さを兼ね備えた打ち込みのコツは掴んだか?」


 腹に穴を開け、割れた額から血を流すイザークが笑っている。


「そんなことだから叙勲も受けられず、邪教に身を窶すはめになる」


 矢ぶすまにされ、胸に槍を突き立てられたままの伯父上が、口元を歪め吐き捨てる。


 違う。

 おかしい。

 あんた達はもう死んだはずじゃ――


「危ない!」


 寸前まで俺がいた場所に、血塗れの鉈が振り下ろされた。雛神様が押し倒して下さるのが遅れていれば、その鉈は鎧の隙間から俺の肩を割っていたはずだ。


 アティは結晶でできた敷石にめり込んだ鉈を、力任せに引き抜いた。そのまま俺に構うことなく周囲の人影に向かって、叫び声をあげながら両手の鉈を振るい始めた。

 両目に釘を打たれ、もげそうな首を揺らす男。首筋から血を流しながら這いずる、足の無い女。腹からはみ出た腸を引き摺る老人。村で目にした、殺された者達の姿だ。


「今のうちなのです! 死霊に気を取られているうちに早く!」


 いつの間に追い付いていたのか、巫女が叫んでいる。狂乱し鉈を振り回すアティは、正気を取り戻しそうにない。止むを得まい。覚悟を決め剣を抜いた俺の前に、リディが手を広げ立ちはだかった。


「待ってください! この子じゃないんじゃあないですか?」


 リディの真剣な目に気を取られた刹那。

 月棲獣憑きの少女の鉈は、警吏の脇腹に振り下ろされた。


「な、何をやっているのです――」


 鉈を食い込ませたまま振り向いたリディは、少女のもう片方の腕を掴み、両手の鉈を封じる。


「……斬るべきなのは……この子じゃないと思うんです」

「うあーッ!! あーッッ!!」


 動きを封じられ、周囲を囲む死霊に迫られるアティは、恐怖に泣き喚いている。逃げようともがくアティの背から、蛹から孵る蝶のように滲み出るものの姿があった。


 灰色に滑る皮膚を持つ蛙めいたもの。どうやって身を潜めていたのか、少女より大きい、熊ほどの体躯を持つそれは、顔のあるべき場所から垂らす朱色の触手の群れを、淫猥に蠢かしてみせた。


「月棲獣!!」


 そういうことか。いつからかは気付かなかったが、俺は死者に曳かれ、意識を結晶の中に取り込まれていたらしい。アティにまとわり憑いた死霊たち同様、ここでなら月棲獣も形を取ることができる。俺自身、懐かしい顔や会いたくなかった顔にまで対面することになったのは、望まぬ余禄の様なものだ。


 月棲獣は後脚で立ち上がり、俺に向け前脚を振り下ろす。

 俺は後ろに跳び、かわしつつ距離をとる。

 身体が大きいだけの魔物だ。神威は感じないが、べったりとした血と殺戮への渇望が伝わる。

 月棲獣は勢いのまま、辺りの死霊を巻き込んで回し蹴りを放つ。少女を庇い蹴り飛ばされてきたリディを受け止めると、月棲獣は身をかがめ大きく跳ねた。


 巫女に向かってリディを押し出し、その反動で上からの一撃をかわす。

 その刹那、失策に気付いた。月棲獣の狙いは雛神様だ。俺が剣を振るう前に、月棲獣は前脚で雛神様を掴み上げた。


「くッ……アインッ!!」


 顔の触腕を雛神様に絡める月棲獣。言葉が発せたのなら、「近寄れば殺す」と言ったのか、あるいは「こいつから殺す」なのか。どちらであったにせよ、月棲獣の殺意は変わらないだろう。ぎりぎりと細首を絞め上げられ、みるみる雛神様の顔が鬱血する。


 俺が雛神様を掴む月棲獣の前脚を斬り落とすより、月棲獣の後脚の蹴りが届く方がわずかに早い。月棲獣の意図に気付きつつ、騎士としての俺はそれに乗る以外の選択肢を持たない。踏み込み剣を振るおうとした刹那、結晶の街が大きく揺らいだ。


 城壁の外の多脚のものの影が、城壁を蹴っている。顔がなくとも、月棲獣の隙は感じ取れた。俺の重さと速さを兼ね揃えた一閃は、月棲獣の脳髄ごと触腕を斬り飛ばし、返す刀で雛神様を掴む前脚を斬り落とした。


「あんた……ねえ、騎士の……本分……忘れんじゃない……わよ!」


 咳き込みながら俺の胸にぽかぽかと殴り掛かる雛神様。城壁の外――おそらく、取り込まれた結晶の外――の影が本体だとしたら、俺と共にいるこの雛神様は分け身だろうか。俺に身体を貸し与えて下さっているため、分かち難くなったわずかな幽体分だろう。

 何故人の姿でおられるのかは分からないが、守るべきものが身体の外にいる戦い方に慣れず、不覚を取ってしまった。分け身とはいえ、あのまま雛神様を失っていたらと思うと背筋が凍る。


「なにをしているのです、カノノン!?」


 巫女が奇妙な声を上げた。振り向くともう一人の巫女が、倒れたアティの首筋にナイフを当てている。


「あれ? 二人?」


 分け身である雛神様も混乱した様子で見比べているが、二人は髪の分け方がわずかに違う。見覚えがある。……これは、今までこの街で俺といたのは、先ほど殺されていた巫女の死霊だということか。


「この気狂いのせいで計算めちゃ狂いなのだけど、これでなんとか帳尻は合うのです」


 カノノンと呼ばれた巫女は、懐から取り出したものを俺に見せ、笑みを浮かべる。魔女の釜の血判状だ。


「丹精込めて用意した罠なのだから、お前にはここで死んでもらうのです」


 敷石の結晶が急激に育ち、俺と雛神様を取り込みつつ大きさを増す。


「殺してくれた礼に、こいつの身体を貰おうかとも思ったのですけど、鍛えられたお前の身体を頂くほうが、後々役に立つかもですね」

「カノノン、やめるのです!」

「放って置くのです。マナナノがそこの二人を連れ出すより、わたしが外に出て皆殺しにする方がずっと早いのです。大人しくしていれば、マナナノだけは助けてあげるのです」


 カノノンは血判状を懐に仕舞い、代わりに文字を刻んだ紫水晶を取り出した。予め仕込まれていた物らしい魔方陣が展開し、カノノンがそこに紫水晶を叩き付けようと振り上げる。

 その腕を、後ろから掴む者がいた。


「おかあ……さん?」


 虐殺のあった村の広場で吊られていた女の姿だ。縋りつこうとするアティに優しく首を振り、傍らに倒れるリディを連れて行くよう促す。


「このッ! 死霊風情が! 放すのです!!」


 紫水晶を取り落としたカノノンは、ならばと俺達を捕らえる結晶を増大させ、圧し潰さんとする。


「早く!!」


 紫水晶を拾ったマナナノが、片手で俺達を捕らえる結晶に触れ、もう片方の手をアティに伸ばす。

 リディを引き摺るアティがその手を掴んだ瞬間、俺の視界は光に包まれ白く染まった。


   ◆


「危なかったのです。苦労して外に出ても、身体を失っているところだったのです」


  結晶内部の仮想迷宮には、カノノンが数々の罠を仕掛けていたため、俺が意識を取り戻した頃には夜明けが近かった。もう少し遅ければ、戻るべき身体が結晶化していたかもしれない。霊体を結晶に取り込まれ、さらに無理やり身体に戻ったたせいで、絶え間ない頭痛と吐き気が襲って来る。仮想迷宮で深手を負った――つまり、霊体を深く傷付けられたリディは、傷を負ったのと同じ場所に消えない痣ができている。寿命のほうもずいぶん縮んでいるはずだ。


 姉妹の遺体を整えるマナナノの表情は複雑に見えたが、俺が魔女の釜の話をすると、どこか腑に落ちた表情に変わった。


「最近、カノノンが何かおかしなことをしているのには、気付いていたのです。きっと自業自得なのでしょう」


 マナナノが傍らの結晶柱に手を触れると、それは反応するように色を変えた。

 身体を失った巫女の望みを俺は知らない。お互い命を懸けて戦い、俺が生き残ったというだけのことだ。


「それに、わたし達はまたいつでも会うことができるのです」


 憑き物の落ちたアティは、そんな巫女を、不思議そうな顔で眺めている。


「この子をここで預かって貰う訳にはいきませんかね。帰る場所もないわけですし」


 頭痛でへたり込んだまま、リディは巫女に申し出た。月棲獣が離れたことを報告したとしても、アティの扱いは変わらないだろう。法に従って処罰を受けさせるには、この年若い警吏は少女に感情移入しすぎた。

 俺もあえて真実を語るつもりは無いが、事件の帳尻を合わせるためには、アティの母親に泥を被って貰うことになる。彼女の不名誉を雪いでやることもできない、その罪滅ぼしの意味もあるのだろう。


「この子に罪はないのです。結晶を運び死人の声を聴くお仕事ですが、あなたは巫女になりたいですか?」


 事の経緯を全て知り、若い警吏が身を挺して少女を庇ったことを知る巫女に否やはない。

 血塗れの頭巾を脱がせ、そっと頭を撫でるマナナノに、アティは目を細め小さく頷いた。

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