のけもののけもの

 濃い血の匂いが漂っている。


 その村に辿り着いた時、生きて俺達を出迎える者は誰一人いなかった。

 苦悶の表情を留めた死者の群れ。ただ殺されたのではない。生きているうちは苦痛を長引かせるように、死んでからは嗜虐心を満たすために弄んだのであろう、拷問と凌辱の跡が見受けられる。

 村の中央の広場には、私刑にでもあったのか、吊られた女の姿があった。皮肉なことに、その女の屍体の損傷が最も少なかった。


 満月の夜に出会った獣を連れ帰ってはいけない。


 この地方に伝わる禁忌の一つで、それを破れば獣に憑かれるという。ただし、この村で人に憑くとされているのは野に棲む狐や狼の類ではない。


 月棲獣。夢の世界の月に棲むもので、エーテルの海を船で渡る。満月の夜、ごくまれに地上に墜ちてくることがあるが、その時この地で姿を持たない月棲獣は、人の心の中に潜り込むのだという。

 その性は残忍にして冷酷。憑かれた者は月に魅かれ、やがて殺戮に耽るようになるという。


 依頼はこの村で起きた殺しの、犯人の捕縛と護送の補佐。マテンズ一家絡みの事件の後始末で、警吏の手が足りていないのだという。三日前、依頼を受けた段階での被害者は三人。俺達は遅きに過ぎたというわけだ。

 狭い村の中を隅々まで調べ、数えた死体の数は、検分を待つため安置されていたものも含め六十九体。同行する新人の警吏リディに村人の数を確認すると、六十九人だったという。


「吊られた女も含めてきっかり六十九の屍体。こりゃアレですか、決めつけで女を吊ってみたものの、犯人は外から来た人間だったってオチですかね?」


 胃の中のものを今にも戻しそうな表情で口元を抑えながらも、若いリディの物言いはどこか軽い。


『何があったのかは知らないけど、ここで一夜を過ごすのはぞっとしないわね』


 夕闇は濃さを増し、空には欠けた月が浮かんでいる。



 遅くに辿り着いた隣村の宿で、無理を言って亭主に簡単な食事を作らせた。俺は料理を運ぶ亭主に、くすんだ金の髪の女が泊まらなかったか尋ねた。


「それなら――」

「わたしじゃないわよ?」


 亭主が口を開くより早く、その喉元に後からナイフが当てられる。いつの間に姿を現したのか。先に宿を取っていたメルイに、俺達は到着した時からずっと監視されていたらしい。


「僕の仕事は、村で起こった殺しの犯人の捕縛ですから――」


 面倒ごとに巻き込まれそうだと察したリディは、掌を見せ首を振る。


「神殿からの追っ手はここに来るまでに二人ほど殺して、三人は動けなくしたけど」

「あー、あー」


 耳を塞ぎ、聞こえない振りをする警吏。メルイの言い分を信じた訳でもないが、殺意は感じられない。村人に残された傷痕は、ナイフや短弓、ましてや牙による物ではなく、鍬や鎌、蹄鉄に使う釘だった。俺に気付いていたのに、逃げずに姿を現したからには、何か話す事でもあるのか。剣の柄に掛けた手を下ろすと、メルイは亭主を放し、外へ続く扉の脇に背を預けた。



「簡単な話よ。犯人は村の外から来たわけじゃなく、村の中にいた。数えられないもう一人がいたのよ」


 四日前の満月の夜。傷を負い追手から逃れるメルイはあの村に辿り着き、一人の少女に会ったのだという。


「殺したほうが早かったのかもだけど、足りないなりに、わたしを助けようとしてくれたみたいだからね」


 人差し指をこめかみのあたりでくるくる回してみせる。メルイを納屋にかくまい、水と食べ物を運んだ少女は、薄汚れ、手足には虐待の痕が見られた。少女の拙い話を聞くうち、メルイはこの地に赴任する際、事前に目を通していた資料の一つを思い出したらしい。


「十年ほど前にも月棲獣憑きの騒ぎがあってね。被害は数人だったそうだけど、その時捕まった女が、領主の縁者だったか妾だったかで、殺されずに監禁治療されてたって話だったわ」

「その女も含めて、村人は六十九人ですよ?」

「その女に孕ませた子供は数に入ってないんじゃなくて?」


 見目好い女だったから、物狂いを良いことに、慰みものにする者が何人もいたらしい。やがて女が身籠っていることが発覚するが、男達はみな己の醜行には口をつぐみ、仮に領主の胤だった場合を恐れ間引くこともできず、産み落とされたのがその少女だったと。


「とにかく、面倒を避けたかったんでしょうね。名前さえ付けられず、生かすでも殺すでもなく、数に数えられないまま大きくなった。事件の遺族からは憎まれ虐げられ、女達からは疎まれ無視され、男達には嬲られ弄ばれるだけの暮らしだったそうよ」

「そんなの……聞いてない」

 

 リディが暗澹とした表情で呟く。村の汚点を話す訳がないだろう。生まれ落ちたときから愛情を注がれず、その理由を理解できないまま、疎まれ虐げられ続けた名付けざられしもの。


「だから、助けて貰ったお礼に教えてあげたの。身の守り方と、報復の仕方をね。アティって名前も付けてあげたわ。イホウンデーの巫女として、わたしが助けるべきだった子だもの」

「助けるなら他に方法があるでしょう? 連れだすとか、摘発するとか!」


 声を荒げるリディに、イゴーロナクの巫女は肩をすくめ薄く笑ってみせた。


「逃亡しながらじゃ無理でしょ。それに、今更あの子に贖う者がいると本気で思って?」

『体よくあんたの信者を増やしてみせただけじゃないの』


 雛神様は不快げに呟く。だが、この場にメルイのやり方を非難できる者がいないのも事実だ。リディのような警吏に、村の者は決して真実を語らない。責任を問われるくらいなら迷わず始末し、最初から少女の存在を無かったことにしただろう。


 逃げ出すということさえ思い浮かばなかった少女が、例え村を出れたとしても、一人で生きて行くことなど出来るはずがない。自らが苛む側に回れというイゴーロナクの巫女の教えが、何も持たない少女の空虚な心にぴたりと馴染んだのだ。 


「こんなに手際良くやってのけるとは、予想外だったけどね」


 少女は東へ向かったと言い残し、メルイは戸外の闇に姿を消した。

 まだ休めそうにない。俺は警吏と共に、入ったばかりの宿を後にした。

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