第7話 衝撃と栄光と別離 ④

「皆さま、第四八回ブリティッシュ・アルティメット・シンガー・オーディションは、遂に最終ステージを迎えました」


 会場には「御静聴をお願いします」というアナウンスが再び流れたが、ここに至って観客はざわめきを抑えられることが出来なかった。

 司会者の声も、興奮の色を隠し切れない。

 昨年も、一昨年もこの最終ステージに立った歌姫はいなかった。

 一昨年は残念そうな観客に向かって彼は「皆さん、次回こそ栄冠を手にする素晴らしい歌姫が現われますよ。また来年、ここでお会いしましょう」と慰め顔で締めくくった。

 だが、昨年も結局同じ結果を同じ慰めで繰り返すしかなかったのだ。

 白けた観客の顔を見て、彼自身、どんなに忸怩たる思いをしたことか。

 それが、今年は……


「一昨年も去年も誰も立てなかった最終ステージに、二人が残って競うことになりました。それも優劣つけがたい、素晴らしい歌姫が」


 彼が嬉しそうに手を差し伸べて歌姫達を招くと、それだけで歓声が沸いた。


「最終ステージに残った二人をご紹介いたします。ギターを弾く金色の歌姫、リアンゼル・コールフィールド!」


 マネージャーに手を引かれてステージに進み出たリアンゼルは、金髪をさっと一振りすると右手を左胸にあてて優雅に一礼し、拍手を受けた。


「対するは漆黒の可憐な舞姫です。エメル・カバシ!」


 まるで魂でも抜かれたような表情のデブオタを引き摺るようにして現れたエメルは両手を広げ、風でも起こすようにクルリと舞うとそのまま一礼して喝采を浴びた。

 エメルとリアンゼルの視線が一瞬交錯する。

 かつてのいじめっ子といじめられっ子。二人の歌姫の間に激しい火花が散り、互いに顔を背けた。

 一方、ヴィヴィアンはデブオタへ「どうぞお手柔らかに」と云うように笑いかけたが、そのデブオタはまだ放心状態で気が付かない。

 鉄の心臓を持った男が一体どうしたのだろう、と彼女は怪訝そうな顔をしたが、エメルが「もう一回したら元に戻るかなぁ」とデブオタに近づき、彼が「エメル……ちょっ……おまっ……」と慌てふためいて飛び上がったのを見て「なるほどね」と、笑い出した。


「では、最終ステージの審査に御呼びした先生方をご紹介します」


 クスクス笑うヴィヴィアンの向こうで、司会者にスタッフから審査員リストが手渡された。審査の公平を期する為に、最終審査員が誰なのか司会者にもこの時点まで伏せられていたのだ。

 ステージ背後に設けられた巨大なスクリーンモニターの画面に「Judges of the final review(最終審査員)」という文字が表示され、審査員の数だけ画面が分割される。

 司会者は渡されたリストを読み上げ始めた。


「外国の著名な音楽プロデューサー、音楽事業家の方々です。ご紹介します、アメリカからランディック・ジャックソン、ドイツからアンナリーザ・ラウン、オーストラリアからカイリーラ・ミーグ……」


 分割した画面に審査員が現われて紹介されるたび、拍手が起きる。

 審査員に興味のないリアンゼルはその場でギターの調弦を始めた。手慣れた手つきでペグを弄りながら「ねえ、ヴィヴィ。最後に歌うこの曲って何だか……」と戸惑ったようにマネージャーへ話しかけている。

 デブオタと云えばようやく再起動したらしく「いけねえ、しっかりしろ。仕掛けの準備を……」とかブツブツ言いながらリュックサックの中をゴソゴソ引っ掻き回していた。


 そして……異変が起きたのは司会者が読み上げている言葉の途中からだった。


「フランスからはラファール・アルシエ。そして日本からはハルモト・ヤス……キ……?」


 驚愕と困惑に、声が途切れた。

 ハルモトヤスキ。

 それはエメルと共に今、ステージの上にいるプロデューサーのはずだった。現に司会者は二つ前の選考の折に彼へインタビューしていたのだ。

 だが、公平な立場であるべき審査員が、同時にオーディションに出場する歌姫のプロデューサーでもある、ということは絶対にありえない。


 では、ステージの上にいる男は一体何者なのか?


 司会者や観客達、テレビカメラの視線が一斉にデブオタを向いた

 驚愕と疑惑の視線を一身に浴びたデブオタは恐怖に立ち竦んでいる。傍らのエメルが心配して何度も呼びかけるが狼狽の余り耳にも入らない。

 そして、巨大なスクリーンモニターでは他の分割画面をサムネイル化して端に押しやり、一人の日本人が現われた。


「I am one of the jury to participate in the British Ultimate Singer auditions from Japan . My name is Yasuki - Harumoto.(日本からブリテッシュ・アルティメット・シンガーの最終審査の栄誉を担いました、ヤスキ・ハルモトと申します)」


 画面の中から流暢な英語で名乗ったのは、高級そうなビジネススーツを着た五〇代の日本人だった。

 やや太り気味で黒ブチの眼鏡を掛けた男。外見はさほど目立たないが、その眼光は氷のように冷ややかで強烈な存在感を放っていた。

 見るからに鋭利な頭脳を持ったプロデューサーだが、あまりにも酷薄そうな印象に、人々は息を呑んだ。

 そして、彼は人々が抱いたそんな印象通りの男だった。

 彼は「もう一人のハルモトヤスキ」を冷然と見下ろして呼びかけた。


「ところで君は誰なんだ? ハルモトヤスキ君」

「……」

「誰かと聞いている。口が利けないのか?」

「……」

「では質問を変えよう。僕の名前を騙って、君はここで何をしているんだ?」

「……」

「何をしているのかと聞いている。口が利けないのか?」

「……」

「答えろ!」


 激しい声に、傍観者達でさえ思わず震え上がった。

 あれほど盛り上がっていた会場の雰囲気は、男の声によって一変した。まるで裁判の場のような厳しい空気へと。

 デブオタは……何も答えられなかった。


「おおかた君はイギリスだから僕の眼が届かないとタカをくくっていたんだろう。だから僕に成りすまし、アイドル育成の真似事でひと儲けを企んだ」

「……」

「そして調子に乗り、こともあろうかこのオーディションにまでしゃしゃり出てきた訳だ。君のことはそこにいるリアンゼル・コールフィールドが教えてくれたよ。僕の名前を騙り、英国でもっとも権威あるオーディションへ歌姫を出場させようとしている不届きな男がいますとね」


 本物の春本ヤスキが口にした密告者の名前に、人々はどよめいた。


「ち、違うの……私、そんなつもりじゃ……そんなつもりじゃ……」


 驚愕の視線を浴びたリアンゼルは、顔を蒼白にして首を振った。

 確かにあの日、心に浮かんだ誘惑のまま自分は彼を売ろうとした。

 それでも危ういところで踏みとどまった……彼女自身はそんなつもりでいたのである。

 だが、現実はそうではなかったのだ。

 優勝したいが為にライバルを売った卑劣な歌姫……そんな侮蔑の視線に怯えたリアンゼルをヴィヴィアンが必死に庇う。二人は声もなく抱き合った。

 一方で、春本ヤスキはデブオタへ追及の手を緩めようとはしない。


「君は何の資格があってこのオーディションに参加出来たのか?」

「……」

「君は歌手を育成する資格があるのか? あるならここで証明してくれたまえ」

「……」


 言葉の礫とはこのような糾弾を指すのだろう。デブオタは何一つ答えることが出来ず、ただ身体を震わせているばかり。


「なるほど。何も答えられない、そういうことしたと君はいま自ら証明した訳だ」

「……」

「そこがどれほど高貴な舞台か君は理解しているのか? 光の当たる場所、人々の尊敬と賛辞を受ける場所だ。そんな場所に何の資格もないニセモノが立つとはどういう了見だ? 身の程をわきまえろ!」


 容赦ない罵倒を浴び、日本にいた頃と同じようにデブオタは声もなくうなだれた。


「やめて。お願い、もうやめて……」


 エメルはデブオタの身体にしがみ付き、懸命にモニターの男へ呼びかける。

 自分の小さな身体で出来るなら、非難の言葉も疑惑の視線も彼に代わって受けてあげたかった。


(あなたはクズなの、ゴミなの。日向には出てきちゃいけないの……)


 一年前、ただいじけて悪罵に耐えていたエメルだからこそ、他の誰よりも知っていたのだ。今、デブオタが身を切られるように辛い思いに黙って耐えているのを。

 だが、ヒエラルキーの頂点に立つ男はかつてのいじめっ子より容赦なかった。

 画面の中から指をさし、鞭を振るうように宣告する。


「聞こえないのか? ここは君のような奴が立っていい場所じゃない。ゴミ風情が、とっとと失せろ!」


 目顔で促され、四人の警備員達が近づいた。顔面蒼白になっているデブオタの腕を掴み、しがみ付いたエメルを引き剥がす。


「ま、待ってくれ! せめて最後のステージに立ち会わせてくれ……」


 デブオタは懇願したが、画面の中の春元ヤスキは「つまみ出せ」とばかりに厳然と顎をしゃくった。

 懸命に抗ったが、退職軍人らしい屈強な警備員達が相手ではデブオタが敵うはずもない。荒っぽく身体のあちこちを掴まれ、引き摺るように連れ去られてゆく。


「待って、お願い! デイブを連れていかないで!」


 エメルは必死に取りすがったが、警備員の一人に抱き止められてしまった。


「お願い、デイブを返して!」


 だが、エメルの声に警備員は顔色ひとつ変えない。二人は、冷徹なヒエラルキーの前に無残に引き離されてゆく。


「……」


 デブオタはとうとう諦めたように、もがき暴れるのをやめた。

 心の準備さえ与えられなかったが、どこかで予感していた別離の時が来たのだと……それが突然だったのだと理解するしかなかったのだ。


「あああああああああああー!」


 よろめいて膝をついたエメルは手で顔を覆って泣いた。人目も憚らず、声を放って泣いた。

 デブオタはもうステージから連れ出されようとしている。

 騒然となっていた会場も、一瞬シンとなった。


「こんななりゆきになりましたが……皆様、よろしいでしょうか」


 とてもそんな雰囲気ではないことは重々知っていたが、司会者は役柄上、この場をいつまでもそのままにしておくことも出来なかった。

 気まずそうな声でオーディションの再開を告げる。

 もちろん、白けきった会場から拍手など起きるはずもない。エメルやデブオタに同情する声やリアンゼルを非難するブーイングが幾つも上がった。


「ミス・エメル。あなたのステージですが……歌えますか?」


 おそるおそると云った様子で司会者が尋ねかけた。

 手折られた花のようにうずくまったエメルは、力なくかぶりを振る。

 さっきまで万を超す観客に向かって堂々と歌っていたのに、歌えるかと問われ身体が震えだした。まるで、かかっていた魔法が解けてしまったように。

 デブオタが傍にいない。

 彼がいてくれたからこそ、今までどんなことだって出来たのだ。彼を奪い取られて、今までのようにどうして歌えよう。

 まるで一年前に戻ったように彼女はうなだれ、泣いている。

 司会者は小さなため息をつき、振り返ってエメルの棄権を告げようとした。

 そのときだった。


 従容として連れ出されかけていたデブオタが、突如として警備員の腕を振りほどいてステージへ走り出した。

 そして、あらん限りの声で叫んだ。


「オレはニセモノでもお前は本物だ! 頑張れ、エメル! 歌うんだ!」


 ハッとなって顔を上げたエメルへ、デブオタは声をしぼり出した。

 歌姫を目指して公園で練習を始めた日、彼が彼女に託した願い。


「オレみたいな惨めな奴を歌で抱きしめる、優しい歌姫になってくれ……!」


 追いついた警備員がラグビーのタックルでもかけるように彼に組み付いた。そのままどうと倒れたデブオタに別の警備員が覆いかぶさる。他の警備員も駆け寄り、しばらくの間大捕物のような騒ぎになったが、それも短い間のことだった。

 しばらくすると、警備員は四人がかりで寄ってたかって暴れるデブオタの手足を持ち上げ、そのまま神輿でも担ぐようにして連れ去っていった。


「デイブ……」


 エメルは、涙でもうデブオタの姿が見えなかった。

 それでも「泣くな! 涙はスターになるその日のためにとっておけ!」と叫ぶ声が遠くから聞こえてきた。

 そして、それがエメルが聞いたデブオタの最後の言葉になった。


(デイブ、デイブ……最後まで私のために……)


 ふらふらと立ち上がったエメルの視界の端に、蒼白になって佇むリアンゼルの姿が見えた。まともにエメルと顔を合わせることが出来ず、震えている。

 デブオタの渾身の叫びを聞いた春本ヤスキが、モニターの中で唇の端を歪めて嘲笑った。


「ふん、ニセモノが……」


 そしてその言葉を聞いた瞬間。

 それまで悲しみでいっぱいだったエメルの内に、突然激しいものが迸った。

 言葉で形容しがたい何か、怒りにも似た何かが込み上げる。



 ――ニセモノなものか! 自分を歌姫にしてくれたあの人が!



 エメルは涙をぬぐい、背筋を伸ばした。息を整え、周囲を見渡す。

 引き攣った顔のリアンゼル、気の毒そうにしている司会者、息を呑んで見守っている会場の観客達、向けられたテレビカメラが眼に飛び込んできた。

 ……カメラの向こうにも、多くの人々がいるはずだった。

 彼等は、デブオタが侮辱されたその一部始終を見ている。

 このまま、あの男の言葉を聞いただけで終わってしまったら、世界中の人々はデブオタがニセモノのプロデューサーだと思ってしまうだろう。

 歩き出したエメルは、怯えて思わず身を引いたリアンゼルの肩からすれ違いざまファーストールを剥ぎ取った。

 リアンゼルは小さな悲鳴を上げて尻餅をついたが、エメルは振り向きもしない。

 歩きながらストールで涙の残りを拭き、思い切り鼻をかんでそのまま投げ捨てた。

 立ち止まる。

 顔を上げる。

 そして、巨大なモニターの向こう側で傲然としている男を睨みつけた。



 ――デイブを蔑んだ貴方に見せてやる。あの人がニセモノなんかじゃないってことを!



 その眼の凄まじさ。

 ヒエラルキーの頂点に立つ男は、稲妻にも似た歌姫の激しい視線を受け、思わずたじろいだ。

 エメルの小さな身体いっぱいに力が漲る。

 燃えたぎるような熱い使命感が、いま彼女をかつてないほど奮い立たせていた。

 一年前、蚊の鳴くような声で歌っていた泣き虫のいじめられっ子がどんなに変わったのか、今、見せてやる……この一年間彼と共に培った自分の力、その全てを!

 ステージの中央から観客席の端まで歩み寄ったエメルは、胸についたワイヤレスマイクに目をやると大きな声で観客席へ呼びかけた。


「I prove that the man who was in this place until a while ago is a first-class producer. Please listen to all of venue, my song!(ここにいた彼が本物のプロデューサーであることを私が証明するわ。みんな、聴いてちょうだい!)」


 憤懣やる方ない気持ちで燻っていた会場は、エメルの呼びかけを聞いて一瞬で沸騰したように凄まじい歓声を上げた。

 彼等は、歌姫を栄光のステージに立たせてくれた男が罵倒され追い出された様子を目の当たりにしていた。

 そして、健気にも立ち上がった歌姫は彼の屈辱を自らの歌唱で晴らすと云うのだ。

 空気を震わせるほどの大歓声と嵐のような拍手が彼女を讃える中、エメルはアカペラで歌い始めた。


「If you find your wish in the world that you have not yet looked at. Find your hidden key without giving it up...」


 デブオタが自分の全財産を差し出してイギリスきっての作曲家ピクシー・スコットに依頼した、ブリテッシュ・アルティメット・シンガーのラスト・ソング。

 オリー・ザガリテ「シュアリー・サクセスド・トゥモロー」。

 全身を声帯にする思いで歌姫は歌う。

 演奏を担当するスタッフが気を利かせ、歌声に伴奏がフェイドインして入って来た。

 エメルは目を伏せて俯くようにポーズを取ると一転、軽やかにステップを踏んで踊り始める。

 その鮮やかな身のこなしに、審査員達から思わず嘆声が漏れた。


「If you feel hidden one's power. Your heart surely flares up hot. The talent that God gave somebody is false. The truth that you felt is true power」

(もし隠された己の力を感じたら、心は熱く燃え上がりはじめる。誰かに与えられた才能なんてただの偽り。あなたが今感じた真実こそが本当の力なのよ)

「When you were tired, remember a promise with me, no don’t ever stop.」

(辛いときは思い出して、己の信じる道をひたすらに進むと誓ったあの日を)


 奇しくもと云うべきだろうか。その歌詞はそのまま今のエメルを謳っていた。

 そう、ピクシーが彼女に相応しい歌に思い当たりがある、といっていたのは、まさしくこの曲目だったのだ。

 彼女は意識して歌詞に自分の気持ちを重ね、美しい歌声を響かせる。


「You do not move only by words. The power of the heart moves you. The guidance named the passion」

(薄っぺらい言葉なんかじゃ動けない。情熱という心の力に導かれ、あなたは走り出した)

「Surely you who could do it believed so it and should have begun it. Follow what's in your heart. And reach for the highest star」

(きっと出来る、あなたはそう信じて始めたはずよ。だから諦めないで。夢を追い続けて。あの輝く星に手が届く時が必ずくるわ)


 どんな激しいステップでも軽々と踏めた。

 空だって飛べそうなほど高く跳躍出来た。

 のけぞった背中は竹のようにしなり、透き通るような歌声は聴く人の心を心地よく震わせる。人々は彼女の背中に翼がついているのか、と思わず見入った。

 連れ去られたあの男が彼女に授けた、見えない翼が……


「Take you higher, reaching for the top!」

(さぁ、もっと高く! 輝かしいあの頂きを目指して)

「You have the power that you make an effort and obtained. It has nobody other! It surely leads you to the success」

(必ずあるわ、誰にもないあなただけの力が! それはきっとあなたを栄光へと導く)


 その華奢な身体のどこからと思えるほどの歌声に会場のボルテージは凄まじく高まっていった。

 観客席の人々は、雄叫びにも近い歓声を上げて熱狂し、この小さな歌姫を讃える。

 巨大スクリーンの中からその光景を春本ヤスキは苦々しげに見つめていたが、そんな彼を気にする観客はもう誰もいなかった。

 格式高いはずのラスト・オーディションは、情熱を燃やし心を凝らして歌うエメルによって最高のライブステージと化したのだった。


「You are not afraid even of how steep course. The faith helps you. And I can climb the steep mountain path」

(それがどんなに険しい道でもあなたは恐れない。固く信じる心があれば、その心は力になるのだから)

「You are not afraid of the big river with the whirlpool so much either. The courage helps you. And I am with you to the other side of the river」

(それが渦巻く大河でもあなたは怯まない。その河を渡る力があなたにはあるの。勇気があなたを対岸へと導くはずよ)


 彼女が声を高めるとそれだけで新たな歓声が沸いた。手を差し伸べると観客席から幾千もの手が応え、風に身を任せるようにステップを踏めばどよめきが起きる。

この会場の何もかもが彼女の思いのままだった。

 目に入る誰もが彼女と気持ちを共にし、笑顔で声援を贈ってくれている。

 エメルは涙が出そうなくらい嬉しかった。


「It is the day when you obtain a dream today」

(今日がきっとその日になるわ。あなたが夢を手にする運命の日)

「You made an effort from that day to today. Nobody was able to do it. I believed it」

(あの日から己を鍛え培ってきたのは、誰にも真似出来ないあなただけの力。私はそれを信じていたの)


 デイブ、聴こえる? この歓声が。この拍手の音が。

 みんなみんな貴方がこれを創ったのよ!


 そして、そんな彼女の思いに呼応したように突然花火が上がり、観客を驚かせ、興奮を更に盛り上げた。

 エメルの顔が輝いた。

 デイブだ! デイブが私の歌を聴いている!

 彼が会場の外から歌のタイミングに合わせて花火を上げているのだ。きっと警備員に追われ、必死に逃げ回りながら打ち上げているのに違いない。

 あの人の耳に、もっと綺麗に聴こえて欲しい。

 その想いに、エメルの歌声は更に高みを目指して美しくなった。


「Take you higher, reaching for the top!」

(さぁ、もっと高く! 輝かしいあの頂きを目指して)

「You have the power that you make an effort and obtained. It has nobody other! It surely leads you to the success」

(必ずあるわ、誰にもないあなただけの力が! それはきっとあなたを栄光へと導く)



 今まで辿って来た出来事が思い浮かぶ。

 繰り返した数々のレッスン、受けては落ちたオーディション……振り返ればどれも笑顔で思い出せる。

 苦しいことや悲しいことは数限りなくあったが、辛いと思ったことは一度もなかった。


 ――何故って、彼がいつも励ましてくれたから。彼がいつもそばにいてくれたから。


 彼を想い慕う気持ちが、歌姫に奇跡を起こす力までも授けてくれたのだった。

 エメルの胸に溢れる思いは、そのまま歌声になって会場に響き渡る。


「Take you higher, reaching for the top!」

(さぁ、もっと高く! 輝かしいあの頂きを目指して)

「You have the power that you make an effort and obtained. It has nobody other! It surely leads you to the success」

(必ずあるわ、誰にもないあなただけの力が! それはきっとあなたを栄光へと導く)



 まるで時を得たかのように薄雲に遮られていた陽光が雲間から差し込み、ステージの上でひとつの伝説となった歌姫に、その光を降り注いだ……



**  **  **  **  **  **



 もうプライドも何もなかった。

 地に堕ちたそれは、泥にまみれ、汚れきり、かつての面影すら残していない。

 リアンゼルは、泣きじゃくりながら何度も何度も「違うの……そんなつもりじゃなかったの……」と訴えていた。

 彼方からは割れんばかりの大歓声が聞こえてくる。耳を塞いでしまいたかった。

 がらんとした薄暗いステージ奥で、彼女の訴えを聞く者は誰もいない。

 ただ一人、自分を愛してくれたマネージャーだけを除いて。


「ええ、わかってるわ。あなたがそんな娘じゃないって、私が一番知っているもの」


 縋りつくリアンゼルを抱きしめ、その金髪を撫でながら彼女は優しく答えた。

 その言葉だけで、リアンゼルの心はどれほど救われただろう。

 だが、やがて曲が終わり、彼女のライバルを褒め称えるたくさんの拍手が嵐のように響いて来た。

 リアンゼルは、歌わずして自分の敗北を悟った。

 かつてのいじめられっ子は、もう自分の手が届かないほどの高みに上ってしまった。

 次は、自分が歌う番となる。

 だが、どんな顔をしてステージに上がればいいというのか。

 栄冠の為にライバルを売ろうとした厚顔無恥な歌姫……自分に浴びせられるであろう罵倒や嘲りを思い浮かべ、リアンゼルは身を震わせる。

 彼女の怯えを察してヴィヴィアンは言った。


「棄権してもいいのよ、リアン」


 その言葉に、リアンゼルはハッとなってマネージャーを見た。

 聖母のように慈愛に満ちたその顔は、涙に濡れていたが優しく微笑んでいた。


 あなたを守るためならどんな屈辱にも喜んで耐えられる、自分にだってあの日本人にも負けないほどの気持ちはあるのだと、その顔は告げていた。

 大切な人の表情から言葉にしない思いを読み取る力をリアンゼルは持っていた。


 そして、そんな気持ちに応える強さも。


「いいえ」


 真っ青な顔でリアンゼルは健気に微笑んだ。


「歌いたいの。歌わせて」


 他の誰も聞いてくれなくてもいい、この人の為に歌おう。リアンゼルはそう思った。

 自らプロダクションに捨てられる道を選び、幾度となく傷つきながら、憎しみで歪んだ自分の傍に最後まで寄り添ってくれたこの人のために。

 思いは力になり、リアンゼルは萎えて震える自分の足をそのコブシで思い切り殴りつけた。

 痛みが更なる力を呼び覚ます。生まれて初めて立った小鹿のように、覚束ない力でリアンゼルはよろよろと立ち上がった。


「リアン……」

「ヴィヴィ。あなたのために歌いたいの」


 涙でグシャグシャになった顔を近くにあった汗拭きで乱暴に拭う。震える手でギターを握った。こんな有様でどれほど歌えるというのだろう。

 それでも……

 袖幕の向こうでリアンゼルの名前を呼ぶ司会者の声がした。

 歓声の大半が罵声とブーイングに変わる。それでも、いくらかの拍手と歓声もリアンゼルの耳に聞こえた。確かに聞こえた。


 ――こんな自分の歌を、それでも聴きたいと思ってくれる人がいる。


 ただ純粋に嬉しかった。

 こぼれた涙を手の甲で拭って袖幕からステージへと進み出ると、罵声の入り混じった歓声が彼女を出迎えた。

 ステージ上に、伝説となったさっきの歌姫の姿はもうない。熱気が急速に冷めてゆく様子がその肌に感じられた。

 物こそ投げつけられなかったが「卑怯者!」という痛罵が幾つも飛んでくる。中には厚顔無恥な歌姫の歌など聞きたくもないとばかりに憤然として席を立つ客もいた。

 唇を噛み締めて、リアンゼルは耐えた。

 袖幕から思わず駆け寄ろうとするヴィヴィアンを目顔で止める。

 自分はこの仕打ちに値することをしたのだと、投げかけられる言葉の礫に彼女は黙って耐え続けた。

 罵声はなかなか止まない。

 一方で、観客席からはわずかながら彼女を擁護する声もしていた。

 あのディアンナ・フォバートが観客に向かって「お願い、彼女の歌も聴いてあげて!」と泣きながら呼びかけている。観客席の最前列からは、オーディションから途中で脱落したあの三人の少女たちが懸命にリアンゼルへ何やら叫んでいた。きっと「頑張って!」と声援を送ってくれているのだろう。


 そうだ、自分の気持ちだけで止めることはもう出来ない。あの未来の歌姫達のためにも自分は歌わなければいけないのだ。


 半ば虚ろだったリアンゼルの瞳に次第に強い光が甦る。

自分の背後で一緒に痛みに耐えているマネージャー、泣きながら懸命に自分を庇ってくれる少女、懸命に励ます歌姫たちに、リアンゼルは心の中で微笑みかけた。


 ――ありがとう。大丈夫よ、私はあなた達が思っているよりもずっと強いのよ


 ぼろぼろに崩れていた彼女の心は、彼等の気持ちで温かく満たされてゆく。

 そして、それは彼女の心の片隅にずっとこびりつき残っていた醜い憎悪を遂に消し去ってしまった。


(彼女は自ら答えを見つけ出すだろう。あの瞳は闇に染まりきってなどいない。夜明けが来るように、やがて心に光が差して闇は消え去る)


 彼女のラストソングを担当した作曲家ピクシー・スコットが予言した通りに。

 無言でステージに立ち、耐え続けるリアンゼルの姿に、非難の声や罵声は少しづつ静まってゆく。

 やがて、かすかなざわめきだけを残すだけになった時、リアンゼルは黙って一礼すると愛用のギターを取り上げた。

 これから歌おうとする曲の歌詞を思い浮かべ、彼女はふと思った。

 この曲って、私のことみたい。

 罵倒でいっぱいの歌詞にデブオタからの悪罵が思い浮かぶ。

 だけど、心にもう彼への憎しみは沸いてこない……

 リアンゼルは歌い始めた。



「You say as favorite phrase. I am restless. I am restless and cause a trouble」

(あなたは口癖にみたいに言うわ。私って落ち着きがなくて始末に終えない女だって)

「You say as favorite phrase. I am the whimsical woman who is a showy person by trouble」

(あなたは口癖にみたいに言うわ。私は面倒で見栄っぱりな気まぐれ女だって)

「Because the people of the town look at me and laugh, you do not walk together.You say as favorite phrase. You say as favorite phrase. 」

(町の人々が私を笑いものにするから一緒に出歩けないなんてあなたはボヤくけど。言ってくれるじゃないの)


 リアオリィ・パスナガーラの「アウト・オブ・コントロール」

 歌姫は心を込めて歌う。

 罵声は止んだが歓声もない。観客はシンとなって聴き入った。


「But he says. Because I am incredibly beautiful, all seem to pay attention to me」

(でもね、あの人は言うの。みんなは私が信じられないくらい綺麗だから私に注目しているんだって)

「He says. I am interesting and am attractive and seem to be an ideal woman」

(あの人は言うの。私はそれほど魅力的で理想で最高の女性なんだって)


 声を張り上げたリアンゼルは、手にしたギターを荒々しく掻き鳴らして歌う。


「I do not know it which is true. But I seem to believe his words. It is not your word」

(どっちが真実なの? 私には分からない。だけどあなたではなく彼の言葉を信じてしまいそう)


 ひたすら歌い続けるリアンゼルに、手拍子を打つ人が現われ始めた。


「You say as favorite phrase. Even as for the guy who I talk, and is worthless」

(あなたは口癖にみたいに言うわ。私って話していてつまらない奴だって)

「You say as favorite phrase. I am the woman whom it is hard to talk to. And partner hard to please」

(あなたは口癖にみたいに言うわ。私ってとっつきにくい奴なんだって、素敵な恋人には程遠い奴なんだって)


 人々は、次第に気が付きはじめた。

 一心不乱に歌う汚辱の歌姫。彼女が歌に込めて伝えようとしているものが、後悔と償いだと。

 凛として歌う彼女は泣いてなどいなかったが、強がりな歌詞の裏側で彼女は涙を流し、聴く人々へ乞うていた。


 ――許して


 共鳴した人々から少しづつ手拍子が増えてゆく。歓声が上がり始めた。


「But he says. I am incredibly beautiful and seem to always think only of me」

(でもね、あの人は言うの。私は信じられないくらい魅力的で、いつも私のことばかり考えてしまうって)

「He says.I am a good person to talk to. Even if it is fun and talks with me for a long time, I do not get tired」

(あの人は言うの。付き合っていると楽しくて、つい時間を忘れてしまうって)

「I do not know it which is true.But I seem to believe the words of him. I am glad when said to be a wonderful woman to him than it is told you to be an unmanageable woman」

(どっちが真実なの? 私には分からない。だけどあの人の言葉を信じてしまいそう。手に負えない女だなんて言われるより素敵な女だって言われると嬉しいんだもの)


 歓声と拍手はどんどん増えてゆく。

 涙が出そうだったが、リアンゼルはそれを堪えながら歌った。時折声が震えてしまったが、構わず歌った。

 歌っているのは大好きな人に振り向いて欲しいと呼びかけている恋の歌なのだ。強がって声を震わせているように聴こえてくれる。

 それは、遥かな高みから人を見下して感動させようとした一年前の歌い方ではなかった。

 地に堕ちてさらけ出された己の醜さ。だけど、それを許してくれる人がいて。応援してくれる人がいて。そんな、許される喜びを感じて歌えること。

 それが、これほど嬉しいことなのだと彼女は初めて知ったのだった。

 感動に心を打ち震わせながら歌姫は歌う。

 更に力強く、声を高めて。


「Understand me definitely. It does not want to be avoided by you. oh-no-!」

(私の気持ち、ちゃんと捉まえていてよ。嫌いたくないのに、ああもう!)

「Hey, why do you not look at me with eyes like him? Because I may change my mind」

(ねえ、どうして彼みたいな目であたしを見てくれないの。私、心変わりしちゃうかも知れないんだから!)


 天はその過ちを咎め、陽光は雲に隠れたまま、リアンゼルに光は差し込まなかった。

 だが、ステージのスポットライトが彼女を励ますように力強く照らしてくれた。

 ギターの音と共に彼女は笑顔で観客へ親しく呼びかけるように歌う。


「I seem to come to can not believe you. What would you do if you do so it? Silly billy!」

(私があなたを信じられなくなったら一体どうするつもり? このおバカさん!)


 お前がそれを言うか、と観客席から思わず笑いが起きる。リアンゼルは顔を輝かせ、思い切り悪どそうなウィンクをして見せた。

 どっと歓声が沸き、更に歌が熱を帯びる。

 歌う者と聴く者の心の中に一体感が生まれ、高揚感に身を任せたリアンゼルの歌声は更に深く美しくなってゆく。


「He says. I am the best ideal woman throughout his life」

(あの人は言うの。私こそ生涯で最高の女性だって、ただ一人の女性だって)

「I do not know it waht is true.But I seem to believe the words of him. It is a request. Because once is enough, please say me that it is a wonderful woman」

(何が真実なの? 私はどうしたらいいの? でも、あの人の言葉を信じてしまいそう。お願い、一度でいいから言ってほしいの。私のことを素敵な女性だって)


 彼女の渾身の歌唱はエメルの時にも劣らぬ大歓声を遂に巻き起こし、会場を再びどよもした。


「But he says...But he says...」


 やがて、蘇った拍手の嵐と大歓声が、この歌姫をもうひとつの伝説にしたのだった……



**  **  **  **  **  **



 自分がいつどうやって歌い終えたのか、リアンゼルは覚えていなかった。文字通り、全身全霊を込めてラストステージに臨んだのだ。

 気がつくと、薄暗いステージ裏で、顔中を涙で濡らしたマネージャーに抱きしめられ、何度もキスされていた。


「リアン、リアン……愛してるわ、私の歌姫……」

「ヴィヴィ、私もよ」


 答えたリアンゼルは、自分が恐ろしく疲れているのに気がついた。


「歌、終わったのね。座っていい? すごく疲れたの」

「おお、もちろんよ。気がつかなくてゴメンなさい」


 ヴィヴィアンは慌てて近くの安楽椅子を引き寄せ、リアンゼルを座らせた。

 渡された小さな栄養ドリンクを飲み干したリアンゼルは、されるがまま小さな酸素吸入器を顔に宛がわれた。

 綿のように疲れていた身体に、じんわりと元気が戻ってくる感触が心地よかった。


「私、ちゃんと歌えてた? 無我夢中で覚えてないの」

「ちゃんとどころじゃなかったわ。凄かった。ほら、私の腕を見て。まだ鳥肌が立ってる」

「まあ、本当だわ」


 笑ったリアンゼルは、そこでやっと人心地ついたように周囲を見回した。


「オーディション、終わったのね」

「ええ」


 しばらく黙ったが、リアンゼルが何も聞こうとしないのでヴィヴィアンは静かに告げた。


「おめでとう、リアン。あなたはブリテッシュ・アルティメット・シンガーの栄えある最高の歌姫として選ばれたわ」

「……」


 リアンゼルはその言葉を黙って受け止めた。

 爆発するような歓喜も、勝利感も、感動もなかった。

 一年前、あんなに必死に求めていた栄冠をとうとう手にしたのに。


「あなた、優勝したのよ」

「そう……」


 つぶやくようにぽつんと答えるとリアンゼルは俯いた。


「私、エメルが優勝すると思った」


 ヴィヴィアンは頭を振った。


「残念ながら失格ですって。彼のことで登録内容に虚偽があったからって……」

「エメルはどうしてるの?」

「ここにはもういないわ。歌い終わってそのまま会場を飛び出して行ったそうよ」


 どこへ、と訊くまでもなかった。

 あの歌姫は己が生命にも代え難いほど大切なものを見出したのだ。それに比べたら、自分が手にしたこの栄冠すら彼女には価値などないに等しいのだろう。

 心からエメルが羨ましかった。

 リアンゼルは唇を噛んだ。

 さっきから自分の感じるこの奇妙な敗北感は、きっと彼女にあって自分にないものの差なのだろう。


「私の負けだわ……」


 かつての傲慢だったリアンゼルなら口にするくらいなら死んだほうがマシと思っただろう言葉。

 だが、それは偽りのない本心だった。

 リアンゼルの卑怯な振る舞いにも折れることなく、エメルは自分を育てたデブオタがどれほど立派な男だったのか、果敢にも自らの歌によって見事に証明したのだ。

 リアンゼルは自らを恥じた。

 それでも、傲慢だった頃よりも恥じ入れる今の自分がまだ誇らしかった。

 そして……

 その言葉を聞いたヴィヴィアンは、立ち上がると手を叩き始めた。

リアンゼルはキョトンとした顔で、真剣な顔で拍手するヴィヴィアンを見つめる。


「ヴィヴィ、どうしたの?」

「おめでとう、リアン。あなたは本当の歌姫になったのね。気高い心を持った、立派な歌姫に」


 リアンゼルを見つめるヴィヴィアンの瞳には、それまでの慈しむ色だけではなく敬う光が宿っていた。


「あなたを蔑む観客がまだどれほどいようとリアンゼル・コールフィールド、私だけはあなたの勝利を知っている。あなたはエメルに負けて、それを認めたことでとうとう自分に勝ったのよ」

「自分に……勝った?」

「プロの世界でさえ立派な他の歌や歌手を認めずに自分を磨くことが出来ない歌姫がいる。でも、そんな人にどうして聴く人の心に響く歌が歌えて? いずれ、聴いて貰えなくなって堕ちてゆく。でもあなたはとうとうそれを自分で掴んでくれた。知ってくれた……」


 そこまで言うと、嗚咽を漏らしたヴィヴィアンはそのまま泣き崩れてゆく。安楽椅子から飛び起きたリアンゼルは慌てて彼女を支えた。


「ごめんなさい。マネージャーなのに私、取り乱してばかりで」

「何を言うの。ヴィヴィ、そんなにまで私を……。ありがとう、これからも私のマネージャーでいてね。いつまでもずっとよ……」

「ええ、もちろんよ」


 優勝ももちろん嬉しかった。

だが、この歌姫の中に芽生えたものこそが、彼女のマネージャーが本当に望んだものだった。

 それが心の中にある限り、彼女は光を目指して歌うことが出来るだろう。ヴィヴィアンは、今までの辛苦が何もかも報いられたような気持ちだった。

 涙を拭いた彼女は、晴れがましい気持ちでリアンゼルへ手を差し出した。


「さあリアン、行きましょう。これから授賞式よ。たくさんの人があなたを待ってる」

「……こんな私を歌わせてくれるレコード会社、あるかしら」

「ええ、少なくとも一社は知ってるわ。あなたを狙うパパラッチも追い散らしてくれそうな頼もしい人が社長をしてるところよ」

「ヴィヴィをマネージャーにしてくれるなら、私どこだっていいわ」

「ありがとう」

「……エメルは私を許してくれるかしら」

「やさしい娘だもの、きっと理解してくれるわ」

「ヴィヴィ、泣き過ぎで酷い顔になってるわよ。きっと私もそうね。こんな顔でアルティメットだなんて恥ずかしいわ」

「恥ずかしいなんてあるものですか。リアン、胸を張りなさい」


 熱い涙をわかちあった二人は、微笑みあい、支えあうようにして袖幕からステージへと歩き出した。

 幕の向こうから、スポットライトの光が二人を招くように差し込んでくる。

 立ち止まったヴィヴィアンに差し招かれてステージに踏み出したリアンゼルは、その眩しさに思わず立ち竦んで目の前に手をかざした。

 同時に観客席からたくさんの拍手が彼女を温かく迎えてくれた。


「ありがとう、みなさん。こんな私を……ありがとう……」


 凛として姿勢を正したリアンゼル・コールフィールドは、感謝の言葉と共にゆっくりと歩み出した。


 夢にまで見た、スターの世界へ……

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