第五章 艦橋に散る

   1


 体制軍旗艦ルーブル、全長二五〇〇メートル。その大きさを初めて思い知らされたフランツ・リライト・イワシュー准将は、一一名の部下とともに第一艦橋へと入っていった。

 ここには全艦橋設備の四分の一があるに過ぎないが、デルハーゲンの艦橋よりも二回り広い。天井の高さは三倍あろう。

 ボンとキャロは、モニカ・サーブルと赤い髪の少女を椅子に縛り付けて待っていた。ボンは立派な体格だが、やはり両眼部分のスコープで顔は見えない。

「そっちの赤毛は、キリエ大将殿だそうです」

 ボンが、不機嫌そうに彼女の椅子の背を蹴った。それをキャロが制する。

「あと一〇人ぐらいいましたが、出ていってもらいました」

 アスカ・キリエか。リストにあった名だ。カール・ライスフィールドと同様、今年度の最上級生でトップ一〇に入っている超エリートである。個人的な興味はともかく、遺伝子コード採取対象者としては重要だ。

 本部も遺伝子操作だけでは天才が生み出せないと気づいたようで、この連中は生身で確保しなくてはならない。生活記録など、この惨状では探しようもないからだ。昨年度のトップ、モニカ・サーブルも加えて三人連れ帰れば、上々の出来だろう。

 ある意味で似た境遇にあるエリート提督は、赤毛の少女に冷たい視線を浴びせられ、不快であった。この区画に入る前の関門で洗い流されたはずだが、彼女は血の臭いを感じているのだろうか?

 長い黒髪の少女の方は、うなだれたまま一言も発していない。平均寿命まで一年はあるはずだが、脚も弱っているようだし、治療を急いだ方が良さそうだ。一五、六年で死ぬというのは、テロメアを短くする単純な遺伝子操作ではない。地球圏まで戻らなければ、有効な治療はできないだろう。

 イワシューはヘルメットのバイザーこそ開けたが、硬い手袋のままモニカの肩に手を置いた。その瞬間、勢いよくアスカの蹴りが飛んできた。

「会長はお疲れなんです。尋問なら私が受けます」

「尋問などしない」

 イワシューは、二フロア上の提督府まで駆け上った。そして、右隅のコンソールの操作パネルを開け、奥へ手を伸ばしてレバーを引いた。操作パネルを再び閉め、自爆の指示を出す。指示は通った。本人確認は、指紋や網膜によるものではない。艦へ入った時点から監視カメラで捉えらてきたすべての言動や行動から、ルーブルが総合的に判断する仕組みである。

 艦橋全景を見下ろすと、すべてのコンソールの画面表示が赤枠に変わった。

「提督、自爆まで何分ですか?」

 不安なのか、キャロが周囲のコンソールを見て回っている。

「時間は決まっていない。私が安全な場所まで退避したら爆発する」

「自分だけは安全ということか」

 独り言のようだが、ボンの嫌みは回線を通じて提督の耳へも届いた。

「むしろ、逆だ。指揮官は、最後まで戦場に残らねばならないのだ」

 イワシューは素早く駆け下り、自分よりは背の低いボンにつかみかかった。上官への侮辱をとがめるためではない。コンソールの画面がマニュアルと異なることに気づいたのだ。

「リーダーはどこへ行った? どうやってシステムを改竄した?」

「我々にそんな技術はない。ソーケツなら」

 と、ボンは斜め下を指さした。

「誰が第四艦橋へ行けと言った!」

 あそこには、システィーナ・ハーネイ少将がいる。ここの二人が例の生物兵器を持っていないところをみると、答えは一つだ。


   2


 第四艦橋では、数十人の少年少女がフロア中に倒れていた。イワシューは、第一艦橋でその映像を確認してから、数分かけて現場へ降りてきた。ボンとキャロ、それに部下の兵士たちまでついてきた。アスカは素直に言うことをききそうではないし、モニカは背負ってこなければならない。置いてきたのは適切な判断だ。

「無断で殺したのかね? ソーケツ少佐」

 一人白いパイロットスーツで立っているのが、そうだろう。イワシューは見当をつけて怒鳴った。その相手は、ゆっくり振り返った。

「うわっ」

 死体の山にも動じない提督が、声をあげていた。

 四つ目だ。噂通りの四つ目だ。両眼部分のスコープが二段になっている!

「ただの麻酔よ。遺伝子コード確保の任務は承知しているわ。もっとも、一六歳以上のご老体の命は、保証の限りではないけど」

 イワシューは、彼女の近くでうつぶせに倒れているハーネイ少将を見つけ、抱き起こした。

「起こすなら急いだ方がいいわね。生物兵器は最初に散布したから、死に至るまでほとんど時間は無いでしょう」

「ハーネイ少将!」

 なんてことだ。私は、なぜこんなにも悔しいのだ。これまで、嫉妬と憎しみの感情しか持っていなかったというのに。同じ超天才として、私は能力の優劣に固執しすぎていたのか?

 提督の重責から開放され、イワシューは二六歳の青年らしい、いやそれ以上に未熟な感情をさらけ出していた。何年ぶりに涙を流したろうか、と客観的な自分もまだ残ってはいたが、指揮官としてはあるまじき取り乱しようであった。

 天才とは何なのだ? システィーナ・ハーネイはこんなことのために二五〇年の過去から甦り、死んだ。ここに転がる少年たちもだ。

 彼女の体がかすかに動いた。

「イワシュー大佐。私ひとりで、よくやったでしょう。子供たちには何も出来ません。何一つね」

「天才は一人たりとも誕生しなかった。オルフェウス計画は失敗というわけだな。私もそう言って終わらせたいところだが、君のように任務は放棄できない」

 彼女は、髪を切って優しい雰囲気に変わった。それとも、前からこんな感じの人だったのだろうか?

「ハーネイ少将。自爆出来ないようにシステムを改竄したんだな。危うく騙されるところだった。本来はコンソールの中が先に壊れるんだ。それをやってしまうと、艦が動かなくなるからな」

「ええ。あなたがどう戦うか、期待しているわ」

 それ以上、彼女が喋ることはなかった。ルーブルの医療設備でも、もう助けることは不可能だ。最後に彼女のプラチナブロンドの乱れを直していると、手袋に何かが引っかかった。銀色の髪留めだ。いや、感傷に浸っている時間など無かった。

 イワシューは、すぐそばのコンソールから通信回線を開いた。

「全艦、リモートを切れ。これから非常コマンドを送信する。マップ・イニシャライズだ。いいか、絶対に遮断しろ!」

 星図を消す。銀河系の三割を網羅する天体の全データを、ルーブルからもリモート下にある全艦隊からも消し去るのだ。これで、追っ手は来ない。

「全艦隊、降下部隊を収容して順次発進、オルフェウスから離脱せよ! 以上だ」

 周囲の部下たちは直立不動となり、レキシコンの三人は口を開かなかった。ただ、それぞれ行動は迅速であり、全員揃って第一艦橋から脱出できた。


   3


 ルーブルの上空に、数十隻の艦艇が集結している。

 射程範囲外まで後退した高速戦艦ユライシンの艦橋で、イワシューはぼんやりそれを眺めていた。そして、ポケットから銀色の金具を取り出した。

 あの時、手袋に引っかかった髪留めを無意識のうちに掴み、そのまま持って帰ってきてしまった。返す手段もないが、どう処分したものか。ともかく、今はしまっておこう。

「エイメルス中将の艦隊から、本艦隊への移乗完了。奪回した艦艇も含め、計算上、十分に帰還できます」

 ドロッター大佐が笑みを浮かべながら報告してきたので、提督も笑い返してみせた。実際に乗員を割り振ってはじめて明らかになったが、本当はデッドラインまでまだ三〇時間あったのだ。最悪の事態を想定するのは指揮官のつとめだが、こちらへの情報が過大申告だったとは笑えない。

「自爆装置を無力化するほどの技術がありながら、簡単に星図を消させるとは。名将ハーネイも抜かったものですな」

「違うな。事態を収束させる方法を考えていたのは、あの女の方だったのさ。地球にもガズミクにもシリンにも行けないとなれば、我々にとっての危機は無くなる」

 上官を試したのか。ドロッターは満足そうに笑った。

 あちこちから集まってきた敵の艦隊が、オルフェウスへ降下していく。戦いは終わったのだ。

 入れ替わりに、一五隻の連絡艇がメイポックから上昇してきた。アロイス・バレル長官以下、教育チーム全員が解放されたとのことである。

 本部への報告も済ませたが、返答はない。人工惑星オルフェウスに対する今後の対応は、軍内部だけで決められるものではない。ましてや、オルフェウス計画の続行・停止について、我々は口を挟める立場にはないのだ。

 我々に課せられた任務は、エイメルス中将の鎮圧艦隊の救助であり、それは一〇〇パーセント近い成功に終わった。超エリートの遺伝子コードと生活記録の確保、残りの子供たちの処分については、達成できなくて元々なのである。

 べつに、コムザーク元帥直々に労いの言葉をかけてほしいわけではない。ただ、特殊部隊との間にはホットラインを設けておきながら、こちらとは最初から最後まで一度も直接連絡なしというのはいただけない。

「移乗組を除いた一四隻は、長距離用ワープチャージを完了しました。さっさと引き上げましょう」

 ドロッターは投げやりな様子である。イワシューも同感だった。報告はしたのだ。あとは命拾いした連中に任せよう。

「全艦、発進。わが先行艦隊は三裂星雲のルアールジュで合流。後続艦隊はエイメルス中将の指揮下に置く」


   4


 チェスキー星系惑星サンサダール。科学万能主義者たちの聖地といわれる。地球圏で最も発展した都市が、一六七年前まで存在していたという話である。

 わがガズミクにとっては当然だが、ザロモン体制下の地球圏の住人にとっても、伝えられる歴史を信じるほか無い状況なのだ。

 ヨロメーグが戦艦ベーゼンドルクで到着した時には、ブルックリーバー将軍の企みが成し遂げられた後であった。

「ハーマ閣下の戦艦バラクーダで、本国へ向かわれたそうです。うかつでした」

 トシム士官は申し訳なさそうに報告するのだが、彼の階級でメンバーズエリートたるハーマの行動を監視できようはずもない。

 ハーマという男。戦いのセンス、いいや、比類なき残虐さだけで今の地位を築いた。彼の存在が、地球圏の人々に「ガズミクでは力こそ正義」との誤解を与えたのだ。最もガズミク人らしくないタイプの人間が、ガズミク人の代表的イメージとは、困ったものである。彼に睨まれれば、強力のトシム士官とて素手で絞め殺されかねない。

 わが実りの大地を擁する牧陽星まで三七〇二光年。この近隣恒星系ラリベラから二〇〇年前に出発した移民船団が、四〇年をかけて到達した距離である。それが今、ビショップ級戦艦なら片道六日。

「閣下、最短一二日後には、第二機甲師団の先陣が地球圏へ到着してしまいます」

「最短なら六日後だ。本国では採取した遺跡を鑑定するだけだろう。報告を受けた段階で、動き出しているかもしれない」

 トシムとテラッジ艦長が顔を見合わせたので、ヨロメーグは説明を加える必要を感じた。

「あくまで可能性を言っている。エスハイネル証言の真偽を見極めるのが先だ。本国からすでにシリンへ向かっていることだろう。シリンの位置が、我々より本国に近いことを呪うしかないようだ」

 この遺跡都市でシリンの場所を突き止めながら、何も手を打てないのである。イワシューとかいう優秀な敵将が向かった反乱の場所も判明しないままだ。その敵将と副官の会話からは、三〇〇〇ないし五〇〇〇光年の距離という参考にもならない情報しか得られなかったという。今後の戦略に登場するコマならば、大ざっぱな距離だけでも役立つ場面もあろうが……。

 要塞艦ハンニバルから通信が入った。第一機甲師団司令、軍人マーからである。

「総司令閣下」

 ヨロメーグは素早く立ち上がり、敬礼した。愛称であれ本名であれ、上官の名前を呼ぶことは許されない。

 褐色の肌、金色の短髪、オレンジ色の瞳。三度に渡る生体改造で、元の姿は面影すら残されてはいない。一〇〇歳は確実に超えているはずだが、この半世紀以前の経歴は不明である。それでも、ガズミク四超人の中では最も身近な存在なのだ。

「ヨロメーグ将軍。ベーゼンドルクをもってシリンを死守せよ。本国に手出しをさせるな」

 ハーマではなく第二機甲師団が出てくる。どちらにせよ味方と戦うわけか。道義的にはともかく、戦闘上の不安は無い。気がかりなのは別のことだ。

「しかし、戦線からビショップ級が二隻抜けては……」

「我らは引くことが出来る。攻める者の強みだ」

 思い切りがいい。確かに、我々は形勢が悪くなれば戦線を放棄することができる。ヨロメーグが再び敬礼し、通信は終わった。

「閣下。総員、配置についております。二〇分後に長距離ワープ可能です」

 テラッジ艦長の報告は迅速であった。

 元々ビショップ級は、単艦での遠征を念頭においたガズミクならではの艦格だ。戦艦といっても多数の艦載機を持ち、長距離兵器も必須である。

 援護なしで任務を遂行するというのは、戦術上は小回りがきいて結構だが、実際の艦の運用では豊富な装備が往々にして仇となる。艦体の巨大化と質量の増加、各種装備を扱う人員と手間の増加等が原因だ。

 この厄介な代物を、普段はポーン級、ナイト級の単機能艦艇とともに行動させなければならない。その困難を意識させないテラッジは、間違いなくガズミクで十指に入る名艦長だ。それが、いよいよ単艦行動となる。艦も艦長も、本来の能力を発揮する時だ。

「ワープ最大距離。目標、シリン!」

 艦橋の隅まで届く声で、ヨロメーグは指示を伝えた。


   コラム ザンメル(集合)観測機


 西暦二〇七一年の実機ワープ試験成功から遡ること二〇年。五一年のワープ加速器試験の成功こそが、「旅の時代」の発端であった。二一世紀初頭の量子テレポートから、分子レベルの長距離ワープまでには、実に半世紀もの年月が必要だった。

 センサーと電波発信機を内蔵した高分子観測機が、ワープ加速器で太陽系近隣の恒星系へと飛ばされ、惑星観測が行われた。観測データは電波で送られてくるため、五光年先の世界を五年かかって知ることになる。それでも、光速の数パーセントしか出せない当時のラムジェット宇宙船よりは利用価値があった。電波発信機の出力は極めて微弱だったため、高分子観測機は数千~数万基の集合で運用された。

 五八年、ワープ通信システムを内蔵した高分子観測機が登場し、観測範囲は太陽系から半径五二〇〇光年に及んだ。これは、一回のワープの臨界値である。ワープ通信の出力が小さかったため、やはり数百~数千基の集合で運用された。

 ワープ加速器の出力が一定の場合、最大ワープ距離は質量の二乗に反比例するため、有人宇宙船のワープは実用化不可能という意見が大勢を占めた。質量の三乗ではなく二乗に反比例するのは、二次元アルニエル空間へのホログラフィック変換によるためだ。これをさらに一次元反アルニエル空間へ変換し、質量に反比例するワープ理論が完成。有人宇宙船による恒星間旅行は一気に現実味を帯びる。

 そして七一年、ワープ加速器内蔵の高分子観測機により、自力ワープの道が開かれた。これを「実機」と称することに異論もあるが、同年中に、全長三・五メートル、質量二・二トンの小型宇宙船の一〇万キロワープと、その動物搭乗実験までが成功している。

 八〇年代に入ると、シリウス、プロキオン、また後にラリベラ、チェスキー、フレーネックと呼ばれる太陽系周辺恒星系へと、有人探査船が次々出航していった。現地の惑星、小惑星、衛星に基地が建設され、新たな文化圏の基礎となる。

 九〇年には、ラリベラ星系の基地を経由し、柳陽星(ウィロウ・サン。くじゃく座デルタ星)系への入植が始まる。その第四番惑星は広大な海を持つ地球型で、煌めきの大地(ジオ・マーキュリー)と名付けられた。太陽系からラリベラまで約九・七光年、そこから柳陽星までが約一四光年。人類初の移民船にとっては、二〇二日間の行程であった。致命的な事故は一回も起こらず、惑星開拓も順調に進んでいった。

 ところが、九七年、この計画は突然の終焉を迎えることになる。五二〇人の入植者はこの時点で一七人にまで減っており、全員が原因不明の体調不良に悩まされていた。

 人類の生存条件には、それまで考えられていなかった多くの要素があり、移民可能な環境は予想より遥かに少ないことが判明する。宇宙ステーションでの無重力生活実験も、月や火星の基地での経験も、役には立たない。他の恒星系にはそれぞれ違った難題が隠されていたのである。

 集合観測機の活躍は、それからが本番となった。

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