十六 夜
そうは言ってみたものの、部屋にもどってひとりになったダイスケは、覚悟なんか全然できていなかった。
まず逃亡を考え、あきらめた。ダイスケを処分しなければならないとなれば、ここの人たちは悩みながらもそうするだろうし、逃げたとなれば、つかまえるために神託を伺うだろう。
それに逃亡先がない。事情を知ったうえでかくまってくれる者などいないし、情に訴えかけられるほどの友人はここにはいない。元の世界にもいなかったけど。エト家の人たちだって恩は一回分だ。
また、逃げている期間の分、この世界をどうにかしてしまうとすると、ただ恨みを買うだけだろう。人々は情け深いが、事情がひろまれば同情してくれるものはいなくなる。
ここにはダイスケを閉じ込めるどんな物理的な檻もないが、心理的にはかなり強力な檻ができあがっている。
自殺も考えたが、どうしてもできない。イチバンたちに負担をかけることを思えば、ここでいさぎよく窓から飛び降りるか、首でもくくったほうがいい。
ダイスケは天井を見上げ、毛布を裂いて綱にして梁にかけたらどうだろうと考えてみたが、いざとなるとできなかった。
なぜだろうと考えてみて、まだ希望を持っているからだと自己分析した。明日の朝、みんな丸く収まる都合のいい神託が下るかもしれない。いやな奴でもサイ子は神様だ。さすがと感心させられるような考えがあると思いたい。他人まかせの希望だが、それも希望だ。
ダイスケが霧の中をさまようような気持でベッドに寝転がっていると、ノックの音がした。
「すみません。よろしいですか」
イチバンだ。起き上がってベッドの縁に座る
「どうぞ」
静かに扉を開け、すべり込むように入ると、また静かに閉めた。心なしか、青い顔をしている。ベッドわきの椅子に腰かけた。
「ダイスケ、逃げないのですか」
(見透かされてたか)
首を振った。
「どこへ?」
「山を、海と反対方向に越えれば、しばらく時間がかせげます。かなり深い山です」
「元の世界でも山歩きなんかしたことないし、ここの山道なんか見当もつかない」
「それは、わたくしが……」
「黙って。それ以上言わないで」
逃げてどうなるものでもないことは説明するまでもない。それはふたりともわかっていた。
「イチバンも、覚悟できてないんだね」
小さくうなずいた。
「さっき、自殺を考えてた。毛布で綱を作って、梁に引っ掛けて。でもできなかった。明日の神託に期待してるんだ。ばかみたいだ」
「いいえ、ばかではありません。いまはもうサイ様におすがりするしかありません」
「それが気に入らない。ぼくは元の世界で死んでからずっとサイ子に操られっぱなしだ。あいつが言ったけど、掌の上で踊らされてるようなもんだ。とうとう命まで握られた。ほんとうに気に入らない。もっと気に入らないのは、そこまで考えていながら自殺は怖いんだ」
それだけ一気に言ってしまうとすっきりした。
「ダイスケには、そういう時におすがりする神様はいないのですか」
「いない」
「心の苦しみを分かち合うような人は?」
「家族がそうだった」
「わたくしは?」
イチバンはじっとダイスケを見ている。
「ありがとう。でも、君も苦しいはずだ。ここには楽に死ねるような毒はある?」
首を振る。
「あれは即効性じゃないし、苦痛があるから使いたくないけど、贅沢は言ってられないな」
「お約束です。その時はわたくしが」
「腰の短剣、人に使った経験は?」
「いいえ」
ダイスケは笑い、イチバンは笑うダイスケの顔を不思議そうに見た。
「ここに来た時と反対のことばかり言ってるな。とにかくまず生きようって思ってたのに」
ダイスケは立って窓の覆いを開け、空を見た。イチバンがとなりに立つ。
「飛び降りたりしないよ」
「わかっています。ダイスケは格好をつけてばかり」
イチバンの顔を見て、わからない、という表情をした。
「『覚悟はできてる』っておっしゃたのに、全然できてらっしゃらないでしょう」
「ああ、そういうことか。そうだね。ぼくはいい格好をしただけだった」
イチバンは窓からのり出した。
「月はないけど、星がきれいですよ。こんな夜くらい本音で話しましょう」
ダイスケも見上げた。
「いままで気づかなかったけど、星空まで元の世界そっくりだ。ぼくは天文はくわしくないけど、故郷の夜空に似てる。こっちのほうがきれいだけど」
「元の世界だったら、いまごろは、いつもなにをしているのですか」
「風呂か、ネットかゲームかな」
「風呂以外の言葉はさっぱりわかりません」
「説明すると長いよ」
「じゃあ、いまはやめておきましょう。異世界の違った習慣と思っておきます」
「星空はおなじなのに、細かなところはだいぶ違う世界になったね」
「創造神が干渉するかしないかで変わったんでしょう。必要なものや考え方がまったく違いますから」
「ここの人たちにとって、神様は存在して当たり前で、確実に当たる神託がある。大きな違いだな」
「これからは変わります」
「変わらずにすませられる方法もある」
「そこから離れられないのですか」
「ぼくにとっては明日の朝だから。でも、考えてみれば、元の世界じゃとっくに死んでるし、いま生きてるのはおまけみたいなもんだね」
「そうだとしても、こっちで生きてみませんか」
「君がそんなこと言うの?」
「どうしても納得いかないのです。あなたがここにいるのも、乱数の種になったのも、なにもかもサイ様の行いです。それをいまさら今後の憂いになるからどうこうしようと言われてもわかりません」
「それが本音? ついさっき、神託に従おうって言ってたのに」
イチバンはうなずいた。
「なら、ぼくも言うけど、そうやって悩んで苦しんでる君は……、ごめん」
「なんですか。はっきりおっしゃってください」
「ゴバンが言ってた。『イチバンは自分を殺しすぎる』って。でもいまは違う。神の行いへの疑問をはっきり口にした。そういう君のこと……」
イチバンはじっとダイスケを見つめている。声にしなくても、「なぜそこで口を閉じるの?」と言っている。
「とても人間らしくなったと思う」
やっと口にできる表現を探し当て、ダイスケは一息に言った。イチバンの目に一瞬失望がよぎったように見えたが、気のせいだろうか。
「さっき本音で話しましょうと言いませんでしたか」
「本音だよ。ここに来た時、なにもかも神託を仰ぐこの世界の人たちは人間らしくないって思った。なにか欠けてる。魅力がないなって。でもこうなってみて、みんな悩んで苦しんでると、変な話だけど、人間らしくなって、魅力が出てきたと感じたんだ」
「その人間らしさとか、魅力っていうのはダイスケの元の世界の基準でしょ。わたくしたちからすれば苦しいだけなんですよ」
「そうだね。もともとなかった苦労だもんね」
「けど、ダイスケの基準では、わたくしは魅力があるのですか」
また言葉を選ぼうと考える。イチバンは容赦なかった。
「また黙るのですか。はいかいいえの簡単な質問です。すぐ答えてください」
「はい、女官のみんなはとても魅力的です。人間として」
「よけいな言葉がついていますが、まあいいでしょう。やっとダイスケの本音がきけました」
(どうやら、ぼくはだれかの掌で転がされ続けるらしいな)
イチバンは伸びをした。きれいに背がそる。
「ダイスケ、わたくしは決心しました。あなたは生き続けるべきです。この世界に来た時に決めたように」
イチバンはおやすみの挨拶をして出て行った。ダイスケの心はおちつきを取りもどし、霧はきれいに晴れていた。
しかし、その決心は、場合によっては神との闘いを意味する。サイ子との闘い。創造神との闘いだ。できるだろうか。
「できるさ。ぼくは勇者だ。乱数勇者だ」
ダイスケはつぶやき、目を閉じた。
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