第33話 天才少女と紫水晶

 来栖ミカは自分のルビー色の携帯だけではなく、那月のプラチナの携帯をお守りのように持ち歩く。そうすることで、まだ那月と繋がりがあるように感じられた。生きているのか死んでいるのか分からなくても、那月の携帯を眺めていると、那月のアストラル波をキャッチすることができるような気がした。

 ミカは、夏来の携帯の携帯画面のファイルの「ごみ箱」を凝視した。ごみ箱が妙に気になった。「ごみ箱」を開くと、メールの下書きが一つ残されていた。「来栖ミカ」、それも、自分宛だった。

「『SCORPIO』をヱルアメジストのタイムリングへ」

 ミカはその一文を三度読み返したが、意味を理解することはできない。スコーピオか、那月は十一月十五日生まれのさそり座だ。もしかすると、那月はヱルアメジストに何か残したのかもしれない。しかし、天文台は伊東アイに押さえられていてミカが容易に近づく事はできなかった。

「そうだ! 確か怜さんって、天文台の所長じゃん」

 ミカは時空研に行き、注意深く周囲を伺いながら、伊東アイの気配が感じられないことを確認すると、不空怜に自分が那月の携帯を持っていることを打ち明けた。

「これが、鮎川那月さん……あ、あ……思い出した!」

 怜は大きなびっくりした目で、那月の携帯の写真を眺めている。

「参ったわね……。晶も含めてあたしたち、みんな那月さんの事忘れてた。那月さんの携帯、なぜか時空の書き換えによって消えなかったみたいだね。彼女の意思なのか何なのか……」

 怜は削除メールの一文を読んで、ハッとした顔のまま凍りついている。

「どういう意味か分かる?」

 すると怜は口を開いた。

「まさか、もしかして時輪経をヱルアメジストが?」

「大事なものなの?」

「そう、今の状況を打破する可能性があるくらいに。これ、那月さんが残してくれた大切な鍵かもしれない」

「那月は、これをあたしに見つけさせようとしてたんだと思う。那月が正気なうちに、このヒントを隠して」

「教えてくれてありがとうミカ、さすが那月さんだなー。ミカ、今から一緒に天文台へ行くわよ」

「え? あたしが行ってもいいの。でも、伊東アイがうざいし。やばくない?」

 ミカは声をひそめて言う。

「大丈夫だよ、あたしに任せて」

 その目を見て、怜たちもまたアイに対して不信感を抱いているとミカは分かった。

 不空怜は車で巨蟹市へ飛ばした。怜は、どうやらアイが留守の時間を知っているらしい。怜はハイヒールをカツカツいわせて足早に天文台に入ると、ほっそりした指で優雅にヱルアメジストを操作する。那月がヱル・アメジストに構築させたASN、「アメジスト・ソーシャル・ネットワーク」を開いて、何かのプログラムを起動させた。突然部屋が暗くなり、回転する幾何学模様が空中に出現した。曼荼羅の映像だ。

「これ、那月に見せてもらったことがある。那月が読んでた本に載ってた」

「これが、時輪経だよ。この図形は、チベット密教で身口意具足時輪(カーラチャクラ)曼荼羅と呼ばれるものと同じ理論が使われている。より高度に、量子力学と一体化しているけど。那月さんはここまでたどり着いていた」

「タイムリング・タントラ最新解析」と記されている。そこに記されていた日付は、那月が完全に侵食される少し前だ。

「やっぱり……こんなことあたし、予想もしなかった」

 怜はぷっくりした唇に人差し指を当て、感銘深げに唸って、「SCORPIO」と入力する。それは那月とヱルアメジストが残した秘密ファイルのキーワード・真言だった。

 モニターに那月が撮った月面写真が映し出される。月面の光の面と影の面が、太極図を形作っている。ミカは一瞬うっとなったが、なぜか気持ち悪くならない。そして文字列が表示された。最初はサンスクリットに似た文字だったが、日本語に変換される。


「光の中に暗黒の一点あり、また暗黒の中に光の一点あり。

 光と暗黒は永遠に結びつき、すべての存在をあらしめる。

 光の中の暗黒の一点は、暗黒へと急降下する選択の自由、

 暗黒の中の光の一点は、瞬時に光へと繋がる選択の自由。

 両者は、かつて一つの源だったものが光と暗黒へと分かれたもの。

 光は暗黒のベールを剥ぐため、暗黒は光を暗黒で覆い尽くそうとして、

 両者の戦いは原初よりアストラル宇宙、物質宇宙にて延々と続く

 ……月の女王は闇のベールを剥ぎ取って、

 光へと繋がるルートを持った力……

 どんな暗黒もそのベールを剥ぎ取れば、光が現れる」


 それはヱルアメジストが解析した「時輪経オリジナル」の断章に記された、「月の女王」の秘密に他ならない。おそらくプランAたるセレン計画の理論的根拠だ。那月は、「アメジスト・ソーシャル・ネットワーク」を使ってヱルアメジストの中に「時輪経」があることを突き止めた。その時ミカは那月が、月の女王になろうとしていたことを知った。那月のファナティックな行動原理の謎は、きっとこの一文にあったのだろう。そして九十九パーセントの闇から、残り一パーセントの光によって、反対側の九十九パーセントの光とつながり、光と闇の爆発を引き起こして新たなる天地創造を望むという、まるで最後の最後にひっくりかえるオセロのような逆転劇を画策したのだ。だがそれがどんなに危険で困難を伴うことか、那月でも正しい判断ができていなかっただろう。

「那月さんは月の女王の力を得ようとして、失敗した。セレン研究所と同じ過ちを犯した。もとより、彼女にその力はなかった。案の定彼女は闇の中へと堕ちていった。その後も那月さんは自分が闇にまみれたと知った後も、最後まで世界を救おうとした」

 怜は唇をかむ。

 ミカはうつむいている。――相談してくれればよかったのに。もっともミカも自分のことで精いっぱいだったから、那月の頭のイイ計画にはついていけなくて、結局足を引っ張っていただろう。それを思うと切ない。那月を巻き込んでしまい、那月は一人で背負いこんだ。結局、ミカは那月を守ってやれなかった。

「あなた達には辛い想いをさせたね。私たち時空機関が伊東アイから教えられている彼女のシナリオ、地球計画書……『時輪経』。それは全てのヱルメタルに収められている。しかしそれは解読困難な神聖文字で記されて、事実上閲覧を許されていないの。文字通りの密教よ。私たち人類は門前の小僧でしかない。私たちは、その解析できたごく一部によってアイのシナリオを知り、この地球計画に参加している……。私、本当に解析できるのはヱルゴールドだけだって思ってたけど、まさか那月さんがアメジストに時輪経があることを発見し、しかもここまで解析していたなんて驚いた」

 怜は那月の才能に感嘆した。しかもヱルアメジストが時輪経の断章を解析した事を、まだ伊東アイに悟られていないらしい。

「那月に、時輪経って本見せてもらっただけじゃなくて、分都の計画の陰謀もしゃべってたし、その背後に国防長官が居て、社会を背後から操ってるんだとか言ってた」


「あの人さぁ、絶対独裁者だよ。あやしいよ」

 そう言って那月はウィンクした。


「あんなロックスターみたいな外見の国防長官居る訳ない、とか那月言って。失楽園の話もしてた。なんだか今の状況ってあの時、那月が話したことがみんな現実化しちゃったみたい」

 秘密組織の暗躍、世界の危機。中でも那月は失楽園について、熱弁をふるっていた。ミカだけでなく、晶や怜たち、世界全体をも巻き込んで、那月の妄想が現実化しようとしていた。

「優秀な子だった。こんな事にならなきゃ、きっと那月は巨蟹大学に進学して、天文学者になってただろうけど」

 だが結局、鮎川那月は「失楽園」の物語のように、蛇にそそのかされて智恵の実を食べてしまい、楽園を追われた。那月の「予言」どおりに進行している今の状況は、やはり失楽園の運命が待っているのかもしれなかった。

 那月が自分たちにこのメッセージを残してくれことで、ミカは確信した。現在の闇にまみれた那月の中に、光が瞬いていることを。那月はまだ救える。その確信のために、那月を救うのは自分だと考える。そのために罰を受けるのは自分だ。

「ヱルシルバーがブルータイプの断章を解析し、ヱルアメジストが月の女王の断章を解析した。そして次はヱルゴールドが……。さまざまなピースが、一枚の絵の完成に向かって集結しつつある。中でも真打の断章は、おそらくヱルゴールドがこれから解析するに違いない。――ここはもう危ないわ。帰りましょう。ミカ、ありがとう。役に立ったわ」

 怜は大きなスマイルで頷いた。

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