パラティア


 極度に冷たい湖水が否応なく感覚を麻痺させる。

 ヒコヤンは、最後の力を振り絞り、右腰のホルスターから最終武器、ジャイロジェット・ピストルを引き抜いた。

 暗黒の世界でゴールドマン教授の言葉が頭に去来する。


『レーザー誘導弾が高額なので、今回6発しか用意できなかった。無駄使いするなよ……』

 

 1発撃ったので残りは5発。

 これに全てを掛ける! ただでさえ心拍数が急上昇しているため、もう息が続かない。

 

 ライトで照らすと、おぞましいカルキノスが後脚をオールのように動かして水中を泳いでいる姿が浮かび上がった。勝ち誇ったような奴は、挟んだ右足首を離す気配はない。

 

 ヒコヤンは、冷静にジャイロジェット・ピストルを構えると、透明度の高い水質に感謝した。焦点は合わなかったが、カルキノス・ゾエアの右眼に当てたレーザー光で、ロックオンに成功したからだ。

 通常の拳銃なら水中で発射しても無力だが、ジャイロジェット・ピストルは小型ロケット弾を発射するランチャーだ。弾は自らの推進剤で水中を進み、誘導されてゆく。

 

 3連射すると水の抵抗とレーザーの拡散にも関わらず、奇跡的に1発が右眼に命中した。

 だがカルキノスの爪は、ヒコヤンの足首をしっかりと離さない。

 

 水深を刻むと同時に闇の深さが増し、水の濁りも酷くなってくる。

 

 ヒコヤンは溺死が迫る精神状態の中、巌のような落ち着きを失わず、続けて左眼を狙った。すでにロックオンも確認できない。

 

 残弾は2発……祈るような気持ちで1発。

 白い泡の尾を引いた1発目は、媒質と動く左眼の影響でターゲットから逸れた。

 もはや迷わず、意思の力で心臓を止めんばかりの集中力を発揮し、最後の1発をシュートする。


 魚雷のような軌跡が一直線にゾエアの左眼に迫る。

 同時にヒコヤンの挟まれた足首は解放され、誘導弾はハサミの装甲殻によって弾かれたのだ。


 静寂の暗黒世界でカルキノスとヒコヤンは、しばし対峙する。


『ナカナカ、ヤルナ、ニンゲン……』


 それは聞こえるはずのない声で、伝わるはずのないメッセージだった。

 だが、ヒコヤンは確かにゾエアから受け取ったのだ。

 命を賭した両者の間にて、真剣勝負の刹那のみ通わせる事ができた意思疎通だったのか。


 気が付くと夜の水面にギリギリのタイミングで浮上し、息が継げた。

 

「がは! ハァハァ……」


 すでに気力の限界を超えていた。白い戦闘服が水濡れで重くなり岸まで泳ぎ着けるかどうか。最後の力を振り絞り、見当識失調で上下左右も分からぬまま暗黒世界を泳ぎ続けた。


「ヒコヤン! しっかり!」


 裸の女性に抱きつかれ、腕を首に回されると、されるがままとなった。


「ニーナ……」


 彼には誰なのか、すぐに分かった。この体温には確かな記憶がある。

 陸までは、後どれ程なのか。

 湖面から眺める黒紫色の夜空には、名も無き星が瞬いていた。








 

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