04

「ハジメくん聞いてくれ! さっき友人が面白いものを見つけて……どうしたんだい? いつもの無愛想な顔が般若面になっているよ?」

「あんなに怖くはないだろ……」


 と言いつつも、実のところ結構ショックでマジメは密かに肩を落とした。


 いつもの無愛想な顔が、ふてくされたように変化しているのは目が覚めたときからだ。


 意識が急速に覚醒し、目を開けた途端に全身を襲う筋肉痛その他諸々にずっと苛まれていれば、誰だってぶすっとした顔になるだろう。


 数々の痛みの中でも一番酷い激痛は背中全体に広がる鈍痛だった。黒丸が投げた石が直撃した場所だ。


 夢だけど夢じゃない。昨夜出会ったヒイの言葉を、マジメは身をもって実感した。つまるところ、あの白黒の世界で受けた傷は現実のものになるということだ。なんと厄介な。鏡越しに見た自分の背中に存在する大きな青痣に、重々しくため息を吐いたのはつい数時間前のことである。


 なんとも奇天烈な体験だ。しかし現実である。

 ヒイと名乗った少女は、また明日、とも言っていたはずだ。きっと今晩もモノクロワールドに行く羽目になるのだろう。そう考えると憂鬱で仕方なかった。


 今までにない非日常に胸を踊らせるほど、マジメは冒険心に溢れていないし無鉄砲でもなかった。


「それで、面白い話って?」


 常磐が面白いと言うからにはとんでもなく下らない話なんだろうな、と天才少女である彼女の奇妙な趣味に内心でため息を漏らした。


「そうそう! これがまた面白くてね、是非ハジメくんにも聞いて欲しいんだよ」


 続きを促すと、アヤは目を輝かせてマジメの肩を掴んだ。


「部活の新入部員勧誘のポスターがあるだろう? あれの中に、一つだけ目を惹くものを見つけたらしいんだ」


 勧誘ポスターというのは、この春入学したばかりのマジメたちにとっては身近な存在だ。学校中、いつでもどこでも見かけるし、先輩たちの直接の勧誘も多いからだ。


「目を惹くポスター?」

「ああ。そのポスターは、掲示板に貼り付けられているのに全く勧誘していないんだよ!」

「……それが面白いのか?」

「こんなののどこが面白いんだい?」


 不思議そうに首を傾げるアヤのまともな回答にちょっぴり安心したマジメは先を待った。


「それでだ。友人たちがそれを話していて、一緒に見に行こうという話になってね。見に行ったのだよ」


 そうしたら、とマジメを揺さぶりながらこらえきれないといった風に肩を震わせると、ようやくアヤは核心に入った。


「そのポスターはなんと、勧誘ポスターですらなく、ただのなぞなぞを書いたポスターだったのだよ!」


 マジメを揺さぶっていた手を離し、机をバンバン叩いて大笑いするアヤに、マジメは口の端を引きつらせた。


 今の話のどこを、どういう風に解釈すればそんなにも笑えるのかが全くわからない。


 確かに、今の勧誘シーズンに新入部員を求めないのは珍しいとは思うが、身内だけでやりたい部活というのもありそうだ。特にやる気がなければポスターになぞなぞくらい書くんじゃないか? と考えて、何故なぞなぞなのか疑問を覚えた。


「ふぅふぅ……はぁ。すまないね。まだ途中だったのに」


 それを聞いて安心したよ、とげんなりしつつ、黙って続きを待つ。


「一番面白いのがね、そのポスターを描いた部活なんだよ」

「部活?」

「そう、謎部っていう部活なんだけどね。あんなポスターを書くんだから本当に謎だよ」


 ちょっと面白いかもしれない。

 勧誘ポスターならぬなぞなぞポスターを書いたのは、謎部という謎の部活。謎すぎる。


 とてつもなくくだらない話をいつも持ち込んでくるアヤにしては、ちょっとだけ面白い話だ。


「それじゃあ今日の放課後、探しに行こうか」

「え?」


 呆気にとられたマジメはしばし固まるのだった。

 正直にいえば、あまり動きたくはないマジメは断りたかったのだが、外見に似合わないきらきらと輝く子供っぽい目を見るとどうにも断りきれなくて、結局謎部を探すことになってしまった。


 そのはずなのだが、授業終了のチャイムが鳴ると同時にアヤは教室を飛び出していってしまったきり、まだ戻ってこない。。


 どうしたもんか、と待ちぼうけるマジメは、名前の通りに真面目で、律儀にも戻ってくるまで教室で待機しているつもりだった。


 緩慢に流れる雲の動きをのんびりと眺めていると、突然教室の引き戸が激しく開かれてマジメは椅子に座ったままの姿勢で垂直に飛び上がった。


 ものずこい早さで脈拍する心臓を押さえながら振り返ると、ようやくアヤが戻ってきていた。


 これは一言きつくいってやらんと気が済まない、と眉を寄せながら立ち上がったマジメはアヤに近づいた。


 それと同時に、アヤは手に持っていたらしい一枚の紙をマジメの顔面に突きつけた。


「ハジメくん、これだよ。このポスターだよ」

「いっつぁ……。それ、勝手に持ち出してきていいのか?」


 顔面に張り手を入れられたに等しいマジメは数歩下がって悶えると、赤くなった鼻を押さえながら恨めしそうに睨んだ。しかしアヤはそんなことに微塵も気づいておらず、質問の方に飛びついてしまった。


「勧誘ポスターならマズいだろうが、これはただのポスターだ。問題はないよ」


 いやそうじゃなくて、勝手に剥がされたら部員の人が困るだろ、と言っても、今のアヤは聞く耳を持ちそうにない。


 とにかくポスターを受け取って眺めてみると、ポスターではなかった。


 画用紙ですらない、ただのノートの切れ端を使った手抜きポスターだった。


「どんだけやる気ないんだよ」

「まぁ、これ以上部員が増えなくても良いって部活もあるだろうからね。この謎部もそういうところなんだろう」


 部員は増えるに越したことはないはずなのだが。それは置いておき、マジメはやる気の半分を削がれつつも中身を読んだ。


《悟りを開け。さすれば至高の宝は見つかるだろう。謎部部長佐々木梓》


「なんだこれ……」


 残っていたやる気もその内容に全てを削がれて完全に脱力したマジメはポスターもどきをアヤに返した。


「ふふ、面白いだろう?」

「どこがだよ……」

「ほら、勧誘していないところとか、ノートの切れ端使っているところとか、笑えないかい?」

「多少はな。それで、探しにいくんだろ?」

「おっと、そうだね。このまま話していても良いけれどせっかくこんな面白いものを作った人がいるのだから会いに行かないとね」


 そう言ってマジメの腕を掴んで引っ張るアヤに渋々ついていくことになった。


 夕焼けが窓辺から差し込んで、喧騒の残る廊下を赤々と照らしていた。漂うのは哀愁。終わりを告げる色はどこまでも切なくて、消えてしまいそうだった。


 ただただ黒い世界とは、比べものにならないほどの色が、夕焼けには込められている。しかし、そんなことを考える人間はマジメのように、特異な体験をした者だけが感じることが出来るだろう。


 目の前を歩く彼女もきっと、理解出来ない。

 あまり歓迎出来る体験じゃないけどな、と口の中で転がして、赤く染まる壁に触れた。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



「部室はわかってるのか?」

「いや、それがわからないんだよ。ポスターにも書いていなかったし、顧問の先生も出張らしいからね」

「顧問がいなくたって他の先生なら知ってるはずだろ?」

「それが、他の先生たちはどこに部室があるかも知らないらしくてね。私も聞いてはみたんだが、誰一人として知らないようだったよ」


 それでよく部活動が認められたな。そう言いたげなマジメを見てアヤは頷いた。


「無害な部活だったから特に気にすることもなかったみたいだよ。自由な校風なのか、規則が緩いだけなのかよくわからないけどね」

「教師がいい加減なだけなんじゃないか?」

「ふふっ、確かにそうかもね」

「で、場所もわからない部活をどうやって探すんだ?」

「簡単さ、全部回ってみればいい」


 まさか学校中を探すつもりかとマジメは呆れた。


「おいおい、それは流石に時間が掛かるぞ」

「大丈夫。そこまで無計画なわけじゃないさ。昼休みに目星はつけたよ。後は候補を一つずつしらみつぶしに見て回るだけだよ」

「それくらいなら一人でやれよ……」

「嫌だよ。一人なんてつまらないじゃないか」


 こっちは良い迷惑だ。

 口から出そうになった文句を飲み込んで、マジメは連れられるまま歩いた。アヤは頭が良い。どう反論したところで上手く丸め込まれてしまうのが目に見えている。


 部活動に励む生徒たちはまだまだいるようで、あちらこちらから掛け声が聞こえてくる。マジメは部活動に興味がないため知らないが、ここ東地高校は部活動が活発で、運動部は優秀だと評判の学校なのである。


 すれ違う生徒や教師たち男女問わず声を掛けられるアヤを見ていると、彼女は本当に社交的なんだなと実感する。


 普通、何かに秀でた人間は誰かしらに妬まれるものだろう。だが、彼女にはない。


 そう考えるとやはり不思議なのは何故自分なんかをこうして連れますのだろうか、ということだ。


 不意に感じた痛みに顔をしかめたマジメは、アヤの姿がないことに気づいた。

「……何してんだよ」

「いやいや、ぼうっとしていたからね。ほら着いたよ」


 つねられた背中をさすりながら憮然となったマジメはアヤを睨んだが、それもどこ吹く風、彼女はさっさと目の前の教室に入って行った。


 痣のある場所をつねるとはなんて奴だ。事情の知らないアヤに言うのはお門違いだが、そう思わなければやっていられないほどの痛みだった。


 いっそ奇声をあげて飛び上がってやれば度肝を抜いてやったかも、と痛みをこらえた自分に後悔した。そう思ってももはや後の祭り。大人しくアヤの後を追った。


 アヤが入った教室は理科準備室だった。フラスコやビーカーなど、実験に必要な道具がしまわれている部屋だ。思いのほか埃っぽくはなく、きちんと清掃もされているようだが、部屋の用途が用途だからか、どこか暗い印象だ。黒いカーテンなどはその筆頭で、何故か全てのカーテンが閉まっている。


 日光が駄目な薬品でもあるのか、と思ったが、教室には誰もいない。単に使われていないだけのようだ。


「ハズレだな」

「まぁいいさ。私も一つ目から正解するとは思っていないよ」


 そういう割にはどことなく悔しそうに見えるのだが、気のせいなのかもしれない。ともかく藪はつつきたくないマジメは黙ってついていくことにした。


「やっぱり悔しいんだな」

「何か言ったかい?」

「なにも」


 足早に次の教室に向かうアヤを見て、ちょっとだけ笑ってしまった。

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