第11話 算六夜が再び人を殺した日
算六夜が再び人を殺した日
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その行為に、たしかな意味はなかった。まるでそれは、そう、夢遊病の患者のように。2人を何か、不特定の害悪から守ろうと思ったわけではない。そしてまた、2人の仲をぶち壊してやろうと思ったからでも、もちろんない。それはそう、無理矢理理由をつけるならば、〝なんとなく〟だった。深い意味なんて、まったくどこにも、まるでない。本当にどこにもなかった。なんとなくで納得できないのならば、そう、目の保養と言うことができたかもしれない。目の保養のため、算は2人のあとをこっそりとついて行った。もう少し言えば、算の家が近くにあったからだと理由もある。しかし、算は2人にまったくの別の場所を自分の家だと教えていた。だから、2人に自分の姿を発見されてはいけなかった。2人が見えるギリギリの位置から、こっそり尾けていった。2人が何を話しているかなんて聞こえない。しかし、なんとなく楽しそうであったのは見てとれた。それだけで算は少しばかり幸せな気持ちになることができた。
――そうだ。これなのかもしれない。この幸せな気持ちを享受するために、自分はあの2人に毎日ついていっているのかもしれない。
高校時代から付き合っている男女がそのまま大学生になっても付き合うものなのだろうか? 算はそんなことを考えていた。
いや、その割合はそこまで高くないだろう、と自分の中で結論付ける。
あの2人の学力であれば、埼玉県内の大学は国公立私立すべて含めて好きなところ、好きな学部に行くことができるかもしれないが、それはあくまで県内の大学の話だ。もしかしたら片方は東京の大学に行くかもしれないし、やりたいこと、したいこと、将来なりたいものの関係上、埼玉県から出て行ってしまうかもしれない。
遠距離恋愛と言えば聞こえはいいが、実行するのは決して楽ではないはずだ。今では昔と違い、携帯電話、ツイッター、スカイプ、LINEなどなど、通信する手段はいくらでも、それこそ吐いて捨てるほどあるかもしれないが、やはり直接会わないと恋というものは醒めてしまうものだ。それに、何回も会うというのはお金の問題もある。愛さえあればお金なんて問題じゃないとのたまう馬鹿もいるかもしれないが、お金は現実的な問題だ。移動にお金を使ってしまえば、その分デートのために使うお金はもちろん減ってしまう。毎回毎回デートの場所がマクドナルドというものいかがなものか。
まぁ、そんな心配はもちろん余計なお世話なのかもしれないが、心配せずにはいられない。人間なんてそんなものだ。すべての人間が感情に流されず、論理的にのみ動いていたら、世界はこんな形をしていなかっただろう。そして、算六夜という人間もまた、そんな人間の一人だった。たまたまその一人だった。ただ、それだけの話だ。そしてその幸せがこの一瞬の雫のような存在なのだとしても、これから先2人がどのような者になろうとも、幸せを祈り続けたい。それが、いかに微力なものであろうとも。そんなことを考えていた。神を信じたことを、ただの一度もない自分が、祈りたいという言葉を使うことになろうとは、思ってもみなかった。祈る、という言葉がもし、神を信じる者だけが使える特許つきの商品であるならば、想い続けていたい。願い続けていたい。
どんな敵があの二人を待ちうけているか。そんなことをまだ、このときの算は知る由もなかった。まさかあのときの経験をもう一度味わうことができるなんて、思ってもみなかった。
運命のある日、算は神宮のうしろを尾けていた。普段は二人で帰っているはずだが、この日は神宮は一人だった。神宮が一ノ瀬のあとを尾けていたこともわかってはいたが、なぜ神宮が一ノ瀬のあとを黙ってこっそり尾けていたのか、その理由はわからなかった。
いつもとまったく違う様子。こういう日には、よくない何かが起きる。
その予感はあったが、まさか、神宮が人を殺す、ということまでは予測できなかった。
どう見ても計画的とはいえない流れではあった。その辺に落ちている大きめの煉瓦を拾って殴りかかる。神宮が空手と合気道と柔道を、程度は知らなかったがそれなりに嗜んでいたことは知ってはいたが、それでもよく返り討ちに遭わなかったものだ、とまったく別の意味で感心してしまった。というか、やられてしまう男に哀れみすら覚えてしまう。そもそも、男が両手でなんとか持ち上げられるだろうあの煉瓦を、よく神宮は持ち上げられるものだ。それにも驚かされた。
誰もいない、まるで住んでいた人間は皆死んでまったかのような廃墟の通りで。
あちらこちらの高層マンションの取り壊し作業が遥か昔に中止になった、忘れ去られた場所で。
人がまた一人、死んで行く。まるでそれが、当然のことのように。
頭の割れる音を、算は初めて聞いた。
もちろん、それはおかしいことではある。
だって、算は人の頭を実際に割ったことがあるのだから。
それでも、それでも、算はやはり、初めて頭の割れる音を初めて聞いたのだ。
頸椎が痺れた。
まるで、自分が殴られたのではないかと思えるほどの、痺れと、快感だった。
初めて聞いた音のはずなのに、その音が意味することを、算はたしかに理解していた。
あそこに、過去の自分がいた。過去の自分が、いったい何をしたのかを、如実に表してくれる。そんな存在が、算にとっては、とてつもなく有難かった。
一瞬、世界が真っ白になった。そうだ。アレは、俺だ。あの日の俺が、あそこにいるんだ。
世界と共に頭の中も真っ白になった算ではあったが、自分でも驚くほどに冷静ではあった。五感を生かし、周りに人間はいるかどうかの気配を探った。もちろん、素人がそんな高度なことができるわけでもないが、ある程度なら気配を察することはできる。あくまで算が探ることのできる範囲ではあるが、人は、おそらく、いない。あまりにも大きすぎる幸運だ。両手から零れ落ちてしまいそうな幸運に、涙が零れそうになる。
そして次に算が行ったことは、神に祈ることだった。
神宮由岐があの場から一刻も早く立ち去ってくれることを、祈ることだった。
この場に居続けるリスクは、秒単位で指数関数のように上がっていく。あそこで見つかってしまってはいけないんだ。あそこで見つかってしまっては、現行犯だ。言い逃れもクソもなくなる。せめて、返り血がなければ言い訳の余地はあるかもしれないが、それも望み薄だ。俺が行って声をかける? それも選択肢としてアリかもしれないが、その後のことを考えると、ここで俺と神宮が顔を合わせるのはどうも具合が悪い。頼む、神宮。早く自我を取り戻してくれ……。
しかし、そんな算の望みも虚しく、何事も起きずに時間は前に進み続ける。とは言っても実際のところは3分と15秒しか過ぎていないのだが、それでもこの場においてはあまりにも致命的な3分と15秒だ。此の先の人生を、それこそなんの婉曲表現などでは決してなく、左右してしまうものだ。
もはやこれまでか、と算は歯ぎしりした。これ以上は待てない。ここから姿を現し、ひとまず神宮をどこかに連れて行こうと決心したその瞬間に、
救世主が、姿を現した。
一之優貴が血の気をなくした顔で神宮の元に近づいてくる様が見えた。
俺がいる側から、反対側の方から。彼はあらゆる意味で救世主だった。
まず、一之瀬自身が来てくれたという意味で。
次に、その他の人間が来なかったという意味で。
算はより一層、自分の姿、気配が相手に悟られないように努力した。神経の先までに意識を届けさせて、身体のすべてを硬直させようとする。俺が一之瀬だったら、五感のすべてを駆使して周りに人がいないかを探ろうとするからだ。今の自分がそうしているように。
そして、ついに算の祈りがついに神に届いたのか、一之瀬と神宮はその場から立ち去った。
ひとつ安堵のため息をつき、そして、さらに気分を引き締める。まだだ。まだ、安心してはいけない。これからさらなる綱渡りが始まるのだ。
逸る心を必死に抑え、死体へと近づく。近づき、そして、確認する。
「えっ…………」
そこで算は驚くべき事実を確認する。
微弱ではあるが、澤村の心臓は、動いていた。
あの日の精神異常者の心臓とは違い、こいつの心臓はたしかに動いている。
たしかな鼓動を、生命の鼓動をひとつ、また、ひとつと。
そうか、そうなんだ。
算の表情は自然と笑みのそれへと変わった。
そして自然に、まるで川が川上から川下へと流れるように、当然のことのように。
手の届く場所から煉瓦を取り上げ、澤村の頭に思いっきりぶつけた。
そこで彼は、再び〝頭の割れる音〟を聞いた。
しかし、先ほど神宮は頭を割ったわけではないことは今の音で明らかになった。
つまり先ほど聞いた音は、〝神宮が澤村の頭を割った音〟などではなく。
〝自分が数年前に聞いた、自分があの精神障害者の頭を割ったときの音〟だったのだ。
良かった。と、心の底から思った。その音を聞いて、安堵感を覚えた。
殺人者は、一人でも少ない方がいいに決まっている。
神宮が、神宮と一之瀬が殺人者ではなくて、本当に良かった…………。
人を殺したという事実は、前に人を殺したときとまったく変わっていない。
しかし、人を殺した気持ちは、以前とはまったく違っていた。
その後、算は死体を物陰に隠し、思案をはじめた。
あぁ、また、人を殺してしまった。
まず思ったのはそんなことだった。それだけだった。
考えたいことは山ほどあったが、今一番考えなくてはいけないことを考えなくてはならない。時間は待ってくれない。今求められるべき行動は今俺はどういう状況を目指すべきなのかということと、現状把握だった。神宮由岐が殺人を行った。いや、正確には殺人未遂ではあるが、まぁ、ここでは人を傷つけた、ということにしておこう。
神宮由岐はまず間違いなく、自分がこの男を殺したと思っていることだろう。殺人までではないにしろ、殺人未遂だ。算がトドメを刺す前からこの男の頭からは血が流れ出ていた。この流れ出る血を、おそらく神宮氏も見たことだろう。
なぜ、神宮由岐氏はこの男を殺したのだろう、と考えた。
それはわからない。
いくら考えてもわからない。
しかし、それは別に把握しなくてもいいことなのかもしれない。
神宮由岐氏の今日のこれからの行動を監視すればそれはいとも簡単にわかることなのかもしれない。
山に死体を埋めながら、算はそう思った。
タクシーを三度用い、これでもかというほどに足がつくように行った。
大型スーパーで大きめのスーツケースを購入し、ホームセンターで大型の包丁を購入した。日本の警察が少し本気を出せばいくらでも足がつく。証拠はいくらでもある。警察は簡単にこの足跡に飛びつくだろう。それでいい。山に死体を埋めたのは決定的な証拠になる。当たり前だろう。殺人者以外に、山に死体を埋めることなんて、有り得ないのだから。
次の日の朝、神宮由岐が家から出てこないので、学校を休むのかと思った。
徹夜をして朝早めに学校に向かった算が見たものは、神宮由岐、一之瀬優貴二人で一緒に登校する姿だった。
算は、それで何かを納得したのだった。
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