第9章 別れと出会いと古の
1
アクアマリー号へ戻ると、船の周りは随分賑やかだった。
既にそれぞれの配備命令がなされ、荷物を移動したり航海の準備にとりかかっているようだ。
船の外に見知った顔は見当たらない。ジャスパー達やレイズは、中なのだろうか。
他の船員達からの視線が痛い。視線の的となっているのはイリヤだ。やはりみんな目に留めずにはいられないのだろう。
「帰ったか、マオ」
アクアマリー号の甲板からかけられた声に顔を上げると、そこにはレイズが居た。あたし達の姿を確認し、少しだけほっとしたような表情を見せる。
「…ってなんで増えてる。誰だそいつは」
「あ、あのレイズ。実はこの子について相談というか、話が…」
しどろもどろと言ったあたしに、レイズが心底呆れたように表情を崩した。なんとなく察しがついたようだった。
「ったく、次から次へと…まぁいい。俺もおまえに話がある。ひとりで俺の部屋に来い。ついでにおまえの話とやらも聞いてやる」
「わ、わかった…」
既に叱られたような気持ちで返事し、乗船用の梯子へと向かう。その後をクオンがついてきてるのに気付いて、慌てて足を止める。
「クオンはイリヤについててあげてよ。まだレイズの許可もとってないし、なんとかお願いしてみるけど…」
「私の役目をお忘れですか」
「え、あたしの師匠?」
「いいえ。ジェイド様より個人的に受けた命です。私は貴女の護衛を任されています。貴女の側を離れるわけにはいきません」
僅かに声音を落としたまま言うクオンに、あたしは思わず頭を抱える。
そういえばそうだった。クオンにとってシアの命は絶対なのだろう。
「だからって、本当に四六時中側にいるわけにはいかないでしょう? 乗船すれば船の上でそれぞれの役割があるんだよ。クオンにとって最重要任務は別でしょう? その為にはレイズの協力と信頼を得なきゃいけない。危ない時はちゃんと助けを呼ぶ。だからあたしのことも信頼して欲しい。レイズとふたりで話をさせて」
あたしを見下ろすクオンの目を見つめ返したまま、なるべく気持ちを込めて説明する。クオンは暫く思案した後、頷いて見せた。
「……分かりました。ですが、ひとつだけ。あのレイズという者は信頼できる人物ですか」
これから自分が身を置く船と船長だ。だけどあたしと違ってクオンにとってはまだ信頼できる場所ではないのだ。
配慮が足らなかったと反省する。それから安心させるよう、笑って答えた。
「信頼できるよ。見ず知らずのあたしのこと、助けてくれたの。あたしはこの船の人たちのこと、心から信頼してる」
あたしの言葉にクオンは黙って頷いた。それを見届けてから乗船用の梯子を上り、あたしはレイズの待つ船長室へと入っていった。
船長室のドアをノックし、合図を待って部屋に入る。
部屋の奥のベッドに腰掛けたレイズが、視線だけをあたしに向けていた。
相変わらず不機嫌そうだ。あたしに対してだけ。原因はあたしにあるので仕方ない。
ゆっくりとドアを閉めて、レイズの前に歩み寄る。足を組んでその上に肘をついたレイズは、あたしがその目の前まで来て漸く口を開いた。
「先にこっちの話からだ。船の船員配備についてだが…」
その内容に思わずドキリとする。ずっと気になっていた内容だ。
「もう船員通達は終えてそれぞれ移動や準備を始めてる。決定が覆ることはない。それを踏まえて、一応お前の意見も聞いとこうと思ってな。お前、女の船員とジャスパーだったらどっちが良い」
「……え…」
そんなことを訊かれると思ってなかったので、意外だった。あたしの意見を聞いた所でもう今さらだろうし。
だけど訊かれた以上答えなければ。本心を。
「あたしは、ジャスパーが良い。ジャスパーが一緒に行ってくれるのならだけど」
確かに船に女の人が居ればいいと思ったことは何回かある。レイズにもそう言った記憶があるから、それにも関係しているのかもしれない。
だけどどちらかと問われるならジャスパーを選ぶ。例えそれがワガママでも。
「……ここまで乗船してきたメンバーで今回の航海に連れていくのは、10人だ」
――10人。全体で何人になるのかは分からないけれど、その内の10人というのはどうなんだろう。
ここに来るまでアクアマリー号に乗船していた船員は約40人だ。そう考えると少ない印象だった。それ以外は他の分船からのメンバーが補充されるということになる。
「じゃあ次だ」
「えっ終わり?! 結局どうなったのかは…」
「出港時分かる。船員達に出航の目的とおまえ等のことは一応言ってあるが、顔合わせは今夜だ。どうせ今夜は宴になるだろうしな」
「そ、そっか…その、本人に聞いたりとかは…」
思わず小さくなる声で尋ねたあたしに、レイズが「勝手にしろ」と瞼を伏せる。
許可が出たのでそうさせてもらうことにする。直接ジャスパーに聞いてみよう。もしここでお別れならたくさんお礼を言いたい。あの船で多くの人と言葉を交わしたし名前だって覚えた人はたくさん居る。だけどやっぱり、ジャスパーは特別だった。
「さて次だ。あの女はなんだ。説明しろ」
問われてあたしはイリヤに関する事のいきさつをすべて話した。
イリヤの力が必要だと思い、東海岸のギルド街でイリヤを買ったこと。
レイズはクオンと同じく、この先の責任について訊いてきた。イリヤをずっと連れてく気なのかと。
あたしはクオンに返したのと同じ答えを返した。
「イリヤの乗船許可が欲しいの。できる限りの責任は負うし、迷惑にならないようにする。イリヤの力が必要なの」
「……おまえはどーしてそう、俺の居ないとこで無茶すんだか…」
一通り説明を聞き終えたレイズが、呟いて深く息を吐いた。
それから組んでいた両手を後ろにつき目を細める。半ば睨むような鋭い目つきで。
「おまえ自分が世間知らずだって自覚あるのか? クオンがついてたとはいえ中央軍所属だったってことは王都か王城仕えだろ。この港町でのことは、どうして詳しい俺たちに一言相談しない」
「だ、だって…これは本当にその、あたしのワガママみたいなものだったし…」
「相手があのゼストのギルドならこっちにももう少しやり方があった。あいつんトコとウチは腐れ縁だからな」
「え、知り合いなの?」
「んな言葉でくくるな。お互い目の敵にしてる。うちも拠点はほぼイベルグだからな。そのせいで不本意ながら因縁の仲だ」
「そうだったんだ…」
あの場にジャスパーを連れていきたくなかったっていう気持ちが一番だったけれど、確かにレイズに一言相談するという選択肢もあったのかもしれない。
でも時間も無かったし、レイズ達をこれ以上巻き込むのは気が退けたのも事実だった。
「前も言ったが、この船の上のことはすべて俺の責任だ。勿論、船員に関することも。おまえの事はもうおまえだけの責任だけじゃない。俺の責任でもある。わかったか」
確かに以前も言われたっけ。そんなかんじのことを。
でもレイズひとりがそんなにたくさん責任を負ったら、重すぎないだろうか。みんなの分まで、あたしの分まで背負ってしまったら。
「あたしは、半分で良いよ」
「…なに?」
「全部預けたくはない。でもひとりじゃ確かにムリだから…レイズのことは勿論頼る。だけど自分の人生だもん。すべてを他人に押し付けたりなんかしたくない」
それにいずれあたしはこの世界を去ってしまうから。ここに置いていくものは多くない方が良い。さよならを言う時、ちゃんと預けていたものを笑顔で受け取って帰れるように。
「あたしはいずれ、ここからすごく遠い場所に帰る。そしたら多分もう二度と会えない。だけど、あたしはこの船とみんなのこと、決して忘れない。だからそれまでは守ってもらうよ。レイズにも、みんなにも。そしてあたしも守れるよう努力する」
レイズはあたしの言葉に僅かに目を丸くして、それからすぐに細めた。
じっと目の前のあたしをまっすぐ見据える。
「…言う事だけは一人前だな」
「それはまぁ、レイズから見たら頼りないことこの上ないだろうけど…」
「二度と」
「え?」
「二度と会えないのはなんでだ。死なない限り、永遠の別れなんて無い」
その考えは意外で、そしてレイズらしいなと思った。
レイズはこの船での出会いをとても大事にしている人だ。船で過ごせばそれは分かる。みんながレイズを慕い、レイズについてきている。レイズは人の想いを縛ったりしないのに。
その瞳は少しだけ心を揺らす。
「…そうかも。会えないと思ってるだけで、会えるのかもしれない」
すぐ諦めたり執着を持たないのは、あたしの悪いクセだ。昔からのクセで自分ではもうどうにもできない。
だけど期待することはやっぱり苦手だった。諦める方がずっと楽だった。
それでもこの世界で諦める以外のことを、初めてしてみようと思えた。
誰かの為に、そして自分の為に。
変わるなら今なのかもしれない。この世界にきて、シアと会って、自分以外の生き方を知ってそう思えた。それは簡単ではないけれど。
「じゃあ」
口を開いたのはレイズだった。真剣な瞳にあたしを映したまま。その瞳は決して揺らがず、迷いなどない。レイズはきっとどんなに広い海でだって迷わない。そんな気がするから不思議だった。
「おまえがここから居なくなっても。いつか、会いに行く。どんなに遠くても」
夢物語だ。いつか、なんて。
希望や幻想を抱くより、最初から割り切ってしまった方が楽なのに。
いずれ必ずさよならするんだって。もう二度と会えない人たちなんだって。
世界が違うって、そういうことだから。
――その時寂しさで心が折れないように。
「……ずるい、レイズ」
あまりにも真剣な顔で、そんなこと言うものだから。レイズだったら本当にできてしまいそうな気がした。
思わず零れた涙を拭う。だけど涙は不思議と後から後から零れた。しまいには指の隙間からも溢れて床に染みを作る。
レイズがその手をとって引き寄せた。不意打ちでその腕の中に倒れこみ、だけど文句も出てこなかった。
「船を降りたって、海を越えたって。俺たちはずっと家族で仲間だ。顔ぐらいは見せろ」
「…できたら、いいけど…」
「俺をみくびるなよ。決めたことは絶対だ。おまえも誓え」
二度と会えないということは、死ぬのと同じことだ。それぐらいに遠いことだ。
少なくともあたしはそう思う。お母さんがそうだったように。
だけどそうしてきたのは、あたし自身だったのかもしれない。
あたしは未だ“死”というものを上手く消化できてなくて、受け止めきれていなくて。だから認められなくて、逃げる心ばかり覚えていく。
だけどこの世界のひと達は。簡単に逃げたりしない。投げ出したりしない。
生きていれば、また会える。
きつく握りしめかえすこの手の中。
それを人は希望と呼ぶのかもしれない。
「――じゃあ、待ってる」
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