(4)Dead or Alive

「ラド! 何処へ行きゃ良いんだ!?」


 ビリビリと船体を軋ませて、全速力で惑星ヒューリから離脱しつつ、ロディが声を張り上げた。

 近くには、惑星デデンへ通じるワームホールしかない。

 行き先を決めなければならなかった。

 その時、ラドラムの脳裏に浮かんだのは、プラチナの言葉だった。


『カイン・ベルナール。惑星イオテス出身』


「惑星イオテス!」


「アイサー! 十秒後にステルスハイパードライヴに入る。シートベルトを締めろ」


 プラチナは、横抱きにしたラドラムを素早くキャプテンシートにおろし、シートベルトを締めさせる。

 自分は、傍らに立ってキャプテンシートに手をかけた。

 マリリンは、新調されたベビーベッドからキトゥンを抱き上げ、シートベルトを締めると慌てて彼女を胸に抱き締めていた。

 背後に迫る連邦警察の船から、強制的に星間映話が割り込んでくる。


『止まれ! 止まらないと、撃つぞ!』


「……三、二、一、ハイパードライブ突入!」


 メインスクリーンに映っていた星の海が線状の光になって、ブラックレオパード号は、宇宙空間に一筋のエネルギー粒子を残して、連邦警察の追撃から姿をくらました。


    *    *    *


 アーダムから頂戴した新・ブラックレオパード号は、連邦警察よりも最新式の速い船だった。

 逃走するのに打って付けなステルスハイパードライヴがオプションとしてついていて、おそらくアーダムが、自分自身の身が危うくなった時に使用する為に持っていた船だと考えられる。

 備蓄食料も大量、脱出ポッドも二人乗りが五機、一人乗りが三機、搭載されていた。

 ハイパードライヴ航行が安定した所で、プラチナがラドラムに問う。


「ラドラム。私が操縦を変わりましょうか?」


「ああ。イオテスまで何分だ、プラチナ」


「ロディ、操縦を変わります」


「はいよ」


 プラチナのA.I.と、ブラックレオパード号が同調した。


「ラドラム、惑星イオテスまで、一時間四分二十九秒です」


「辺境だな。今回は、昼寝って訳にはいかなそうだ」


「そうですね」


 シートベルトを外し、クルーたちがキャプテンシートの周りを取り囲んだ。

 マリリンが、キトゥンを抱えながら、声を高くする。


「ちょっと! それ、連邦錠じゃない!」


「何やらかしたんだ、ラド。そりゃ外れねぇぜ。地獄の果てまでプラチナと一緒だ」


 ラドラムが頭を抱えた。


「俺にも、何が何だか分からない。荷物を取りにいったら、ロッカーから、俺のクローンが出てきたんだ」


 プラチナが付け加える。


「生命反応はありませんでした。培養した後、人為的に生命活動を止めたものだと思われます」


「つまり、ラドの『死体』だったってぇ訳か」


「ぞっとしないぜ……」


 何処か他人事のように語る男たちだったが、マリリンが焚きつけた。


「そんな悠長な事、言ってる場合じゃないじゃない! どうすんのヨ、連邦錠をつけたまま、一生追われて生きるつもり?!」


「待ってください、マリリン。これは、明らかにラドラムをターゲットにした罠です。今回の依頼が、関係していると思われます」


「依頼? 聞いてないワヨ、ラド!」


「受けたか。お前さんなら、金が唸ってても便利屋を続けると思ったぜ」


「ああ、これを……」


 ラドラムが右手で懐から布包みを出そうとしたが、極彩色に光る連邦錠が僅かに伸びただけで、プラチナはびくともせずに立っていた。

 そしてハッと気付いて、ラドラムの方へ左手を差し出す。

 ラドラムが、口をへの字に曲げた。


「よりによって、利き手だぜ」


「安心してください、私に利き手はありません。ラドラムが出来ない事は、私が利き手の代わりになります。それに私は睡眠を必要としませんので、ラドラムがキャプテンシートで眠る間は、側に立っています」


「シャワーやトイレは?」


 思わずマリリンが呟くと、ラドラムが情けない声音を出した。


「やめろ。考えたくない……」


 言いながら、ラドラムは左手で不便そうに懐を探った。


「これを、シーア……レディ・キューピッドから預かった」


「レディ・キューピッド!? いつ?」


「エンジェルズ・オラクルに行く前だ。あの子はやっぱり、エスパーだ」


「あの子?」


「七~八歳の女の子だったぜ」


 マリリンが目を丸くする。


「嘘。レディ・キューピッドって、二十年くらい前から、有名ヨォ?」


「プラチナ。どういう訳か計算してみてくれ」


「はい、ラドラム」


「エスパー対A.I.の戦いだな、こうなったら」


 ロディが、若干面白そうにも聞こえる調子で呟く。

 一点を見詰めて可能性を計算していたプラチナは、五秒ほどあって口を開いた。


「可能性は、三つに絞られました」


「聞かせてくれ」


「一つ目は、E.S.P.で少女の姿を保っている可能性。6.8%」


「だろうな。そんな強力なエスパーがいるとしたら、連邦が独り占めして、あんな店を許可する訳ない」


「二つ目は、機械の身体を乗り継いでいる、サイボーグの可能性。36.2%」


「なるほど。脳移植か。だけど『体質』的に、適合出来ない奴が人口の四割はいるって聞いた事がある」


「三つ目は、STEP若返り細胞の常習的投与。56.3%。その他が0.7%です」


「STEP細胞? ありゃ、倫理的に問題があるってぇんで、かなり前に禁止薬物になったんじゃなかったか?」


 ロディが口を挟んだ。


「ええ、そうヨ。副作用があるの。一度使ったら中毒性があるし、常習すると、子孫を残せない身体になるの」


 マリリンも補足した。


「詳しいな、マリリン」


「アラ、これでもドクターヨ。それに、若返りは女の子の夢だもの」


「STEP細胞を管理してるのは、連邦だよな」


「ええ。確か発見当初から、副作用の確認、現在の研究に至るまで、全て連邦政府の管轄の筈ヨ」


 ラドラムは、タッチパネルの上に、布包みを開いた。


「キャッ」


 手術などでグロテスクなシーンには慣れっこのマリリンも、突然のそれには驚いてルージュの引かれた唇を覆った。


「何だそりゃ」


「手」


「そんなこたぁ分かってる。何の意味があるのかって聞いてるんだ」


 ロディが、眉を顰めてそれを見詰める。


「『これの持ち主を探して』。それが今回の依頼だ」


「レディ・キューピッドからの?」


「ああ。シーア、って呼ばれてたな」


「確かに、キューピッドが本名じゃないでしょうネ」


「仮にSTEP細胞を投与してるんだとしたら、連邦があの子を管理してる訳だ。シーアは、二十四時間体制で守られてる……と言うか、見張られてる感じだった」


「そんなプロジェクトで、本名を呼んでるとも思えねぇな」


 ラドラムが、指を一つ、パチンと鳴らした。


「プラチナ。惑星ヒューリの住民データから、今の仮説に該当する『シーア』を探してみてくれ」


「はい、ラドラム。……『シーア』を二十代以上の女性、または捜索願いの出ている人物、またはブルジョア層として検索しましたが、該当者はいません」


「だろうな」


 ラドラムは、クルーたちに向けて言った。


「この手は、惑星イオテスのカイン・なんとかって奴の手だ」


「カイン・ベルナールです、ラドラム」


「アラ、分かってるんなら、話は早いじゃない」


「ところが、二百年前に死亡してる。でもって、この手は十年以内に、持ち主から離れたものらしい」


 ロディが、顎を撫でた。


「そこで、違法クローンに行きつくってぇ訳だな」


「ああ。この手の持ち主は違法クローンで、シーアが俺たちにコンタクトを取った事も、どうすれば俺たちが困るか、つまり探されないかまで熟知した、頭の回転の速い奴って事だ」


「それで、イオテスか?」


「一応な。逃げるのに必死で、思わず言った行き先だが、カインの事を調べて潜伏するには、ちょうどいい惑星だ」


 極彩色に興味があるのか、キトゥンがマリリンの腕の中から、手を伸ばして連邦錠に触れようとした。


「これは駄目だ、キトゥン。無理に力を加えると、電流が流れる仕組みなんだ。触らないでくれ」


「ダゥ……」


 ひとしきり依頼内容の説明が終わり、みなが何となくキトゥンを眺めて途方に暮れていると、マリリンが思い付いたように明るいニュースを持ち出した。


「そう言えば、キトゥンのベビーベッドが、豪華になったのヨ。あの禿げ親父、娘が欲しかったって、沢山おもちゃを付けてくれたの。オマケですって!」


「キトゥンの?」


 ラドラムが立ち上がって、艦橋の入り口近くに設置されたベビーベッドを覗きにいった。もちろん、プラチナもピッタリとくっ付いていく。


「ほぉら、キトゥン。アンタの新しいベッドヨ」


 柵のついたピンクのベビーベッドにキトゥンを寝かせると、マリリンはベッド横のパネルを操作した。

 柔らかなオルゴールの音色と共に、ベッド上に吊るされたおもちゃのメリーゴーランドサークルがゆっくりと回った。

 キトゥンはそれを目で追って、クルル、と上機嫌な声を出す。

 ラドラムが、やや皮肉っぽく言って、吐息をついた。


「お前が居てくれて、幾らか癒されるよ、キトゥン……。プラチナ。引っ付き過ぎだ」


「ですがラドラム、この連邦錠を第三者に見られたら、通報されてしまいます。イオテスでの移動の際は、私が貴方を抱き上げて布で隠すか、手を繋いでポケットに入れるか……どちらにしろ、密着しなくてはなりません」


「それなんだよな……」


「私の手をいったん外せば離れる事が出来ますが、イオテスには、アンドロイド技師は登録されていません」


 それを聞いて、マリリンが声を上げた。


「あっ!」


「どうした」


「もし……もし、連邦が違法クローンやSTEP細胞に手を出していて、被験者に、腕輪を付けて管理していたら?」


「つまり……腕輪から逃れる為に、自分で自分の手を引き千切った?」


「そう。あくまでも可能性だけど。カーテンの向こうのレディ・キューピッドをよく見たんだけど、ネックレスやブレスレットがキラキラ光ってたワ」


「そんなトコまで見てたのか」


「女の観察眼を、甘く見ないで頂戴」


 マリリンが鼻を高くして言う。

 プラチナが、ラドラムにくっ付いたまま、冷静な声音を出した。


「間もなく、ステルスハイパードライヴから抜けます。全員、シートベルトをしてください」


「もう、プラチナ! アタシの華麗な推理の邪魔しないで頂戴!」


「すみません、マリリン。ですが、あと五十八秒で……」


「はいはい、分かったワヨ」


 マリリンは、キトゥンのメリーゴーランドサークルを止めて、彼女を抱き上げると、自分の席に着いてシートベルトを締めた。

 ラドラムとロディもそれに続いて、シートベルトを締める。

 エネルギー粒子を逆噴射させる音と振動が、ブラックレオパード号を包む。

 メインスクリーンいっぱいに流れていた星が、ぽつぽつと輝く点に戻って、眼下には茶色の惑星が広がった。


    *    *    *


「何が悲しくて、野郎と手なんか……」


 船を降りるギリギリまで、ぐちぐちと零すラドラムを、マリリンが制した。


「シッ。減るもんじゃなし、それくらい我慢して頂戴。連邦警察に現行犯なんかで捕まったら、確実に刑務所ブタバコ行きなんだから。辺境のシェリフとは訳が違うのヨ」


「クソ……人生の汚点だ……」


「ラドラム、私と手を繋ぐのが、そんなに嫌ですか? ……もう、愛してないからですか?」


 純粋無垢に問うプラチナに、ラドラムが額を押さえた。


「余計ややこしくなる。その話はあとでな、プラチナ」


 イオテスは、砂と灼熱の小惑星だった。

 広大な砂漠に幾つかオアシスがあり、開発当初には地下コロニーに最新テクノロジーも導入されたが、何しろ粒子の細かい砂嵐が一年中続く為、精密機械であるそれらはすぐに使えなくなって、今は地下で野菜や家畜が人力で管理されているだけだった。

 人口は、およそ二億人。

 みな紫外線と熱から身を守るため、サングラスにフード付きのローブを纏っていた。


 ラドラムたちも、あらかじめ通信販売で揃えておいたサングラスとローブを付けて、船を降りる。

 奇しくも、素性を隠すには打って付けの惑星だった。


「この惑星は初めてかね?」


 一箇所だけの宇宙港には、気の良さそうな太った中年の男が居て、先頭のロディに声をかけた。


「ああ、初めてだ」


「じゃあ、砂に気を付けるこったね。目をやられるし、ウェアラブル端末には頼れない。機械なんかはいっぺんにおかしくなる。方位磁石とラクダ、飲み水を忘れずに」


「分かった。ありがとうよ」


 先頭にロディ、続いてマリリンとキトゥン、最後にラドラムとプラチナだった。


「おや。手なんか繋いで、新婚さんかい?」


 男の人懐っこさが、ラドラムの神経を思い切り逆立てた。

 マリリンが慌てて、代わりに答える。


「一人、目が不自由なのヨ。だから、手を引いてるの」


「おや、それは失敬。何にもない惑星だけど、楽しんでいっておくれ」


 男は被っていた帽子を取って非礼を詫び、朗らかに微笑んだ。

 ラドラムはサングラスの下から、引きつった笑みを返してプラチナの手を引いていった。


    *    *    *


 ──ビリリ。


 惑星ヒューリの地下三層で、壁に貼られた賞金首ウォンテッドの貼り紙を通りかかったついでに破いた青年は、そのまま路地裏に入って行ったかと思うと、フッと姿を消した。

 その賞金首の貼り紙には、必ず付き物のホログラム写真ではなく、引き伸ばされておよそ輪郭しか分からぬ不鮮明な2D写真が示され、身長・体重・年齢・人種・風貌が記載されているだけだった。名前さえない。代わりに、Dead or Alive生死を問わずの文字が大きく載っていた。

 それが風に吹かれて飛んでいく。細く行き止まりになっている袋小路だったが、その紙屑も不意に消え失せた。


 物好きにも、行き止まりまで入って調べてみれば分かったかもしれない。一人分の幅しかない路地が、更に五十メートルほど右へ伸びていることを。閉所恐怖症でなくとも、息苦しさを感じるほどの圧迫感だった。

 だが青年は躊躇いなく奥へ進み、本物の行き止まりの壁に掌を当て、掌紋認証で床をスライドさせる。ヒビで巧妙にカムフラージュされた入り口の下には、パイプ製のハシゴが続いていたが、青年は身軽に飛び降りた。


 白くてだだっ広い実験台の並ぶ部屋に入ると、自動で灯りが点灯する。

 そして例の狭いモニタールームに入り、ラドラムたちが惑星ヒューリから逃げ出す様を見て取って、僅かに人口眼球を眇めた。

 その他に表情らしい表情はなく、何を考えているのか分からない。


 地下三層は、惑星ヒューリの最下層で、犯罪危険レベルはマックスだった。道を歩けば何らかの犯罪に当たる危険度だ。

 そこでの暮らしが青年の心を変えたものか、元より心を持たぬ電子脳なのか。

 モニタールームを出ると、青年は壁際に並んだ円筒形の水槽の前に立って、タッチパネルを操作した。


 ──ゴボボ……。


 その中には人影が幾つも培養され、瞼を閉じて誕生の時を待っているのだった。


    *    *    *


 惑星イオテスの一番小さなオアシスまで、一行はレンタル・ラクダに乗って移動していた。

 炎天下の気温は四十五℃を超え、容赦なく日差しは照り付ける。ローブ内蔵のクーラーのお陰で体感温度は涼しかったが、厄介な事に砂嵐は視界を十メートルまで狭めていた。


 テクノロジーが全てを制御する時代にあって、その原始的な移動方法は、一行を酷く疲弊させていた。

 ラドラムとプラチナは、もちろん一緒のラクダだ。長身なプラチナが二瘤ラクダの後ろに乗って、手綱を取っているのだった。


「ロディ、あとどれくらい!?」


 風音に負けぬよう、マリリンが先頭のロディに向かって声を張り上げる。

 キトゥンは、マリリンのローブの中からちょろりと尻尾だけを覗かせて、優雅に昼寝の最中だった。

 ロディは方位磁石を出して、確かめる。


「方向は合ってる……もうそろそろだ!」


 その時、忽然と一同の前に高い壁が現れた。慌てて、みなが手綱を引いてラクダを止める。

 ドーム状の巨大な建造物が、ぽっかりと浮かび上がった。入り口はラクダ一頭分サイズで、ホバーカーなどは通れないだろう。

 一行はラクダを降りて、原始的なドア・ノッカーを打ちつけた。ややあってこれも原始的な小さな覗き窓から、男がぎょろぎょろした目を覗かせた。


「何の用だい?」


「観光だ」


「こんな何もない惑星に?」


「都会育ちなんでな。一度、砂漠を見てみてぇと思って」


 ぴしゃりと覗き窓が閉じられた。


「……入んな」


 手動でドアが開けられて、一行は招き入れられた。

 ドームの中では風は吹いていなかったが、隙間から入るのだろう、あらゆるものが砂を被って景色はベージュに染まっていた。


「それで、砂漠はどうだったい?」


 面白そうに小男がロディを見上げる。彼は僅かに顔を顰めた。


「あんまり良いもんじゃねぇな」


「へへ、だろうと思った。自然の脅威を甘く見ない事だな」


「ご忠告、痛み入るね……」


 レンタル・ラクダを返し、連邦ドルで料金を支払うと、一行は砂に塗れたローブを脱いで、このオアシスに一軒の宿屋を目指した。念の為、サングラスはかけたままだ。

 一番小さいとは言え、カイン・ベルナールの生まれたこのオアシスは、宇宙港から最も近く水が豊富に湧き出る事から、旅人たちの文字通りの休息所オアシスになっていた。


 アーケードになった商店街を抜け道にしてそぞろ歩くと、威勢のいい店主たちの呼び声が、一行の足を度々止めさせる。都会ではあり得ない光景だ。

 その内の一軒、ペットショップが一行の目に止まった。

 驚いた事に、大きな強化ガラスで仕切られたショーケースの中には、見目いい少年や少女たちが、愛想笑いを浮かべてニッコリと客たちに手を振っているのだった。


「人間狩りか?」


 思わず呟いたラドラムに、マリリンが答えた。


「まさか。連邦法で、禁止されてるワヨ」


「いらっしゃいませ!」


 ニコニコと、ペットショップには付き物の、若い娘が跳んできた。


「うちは、血統書付きのペットだけを扱っておりますよ。人間狩りなんて、とんでもない。お一人、如何?」


「ロリコン趣味はねぇよ」


 ロディが一蹴するが、娘は怯まなかった。


「それなら、ちょうど今日入った、二十代ものがございますよ。綺麗なブロンドの毛並みで、愛玩するもよし、労働させるもよしの、貴重な逸品です。ほら、たった今ケージに出される所です」


 娘が指し示す空っぽのケージのバックヤードドアが開いて、癖のある長いブロンドにフォレストグリーンの瞳、獣のようにきょろきょろと新しい環境を確かめる青年が現れた。


「ラッ……!」


「馬鹿」


 大声を上げそうになるマリリンの口元を、ロディが反重力グローブの嵌められた手で塞いだ。

 ラドラムが、顔を蒼くして訴える。


「ロディ、買ってくれ」


「ああ。……気が変わった、こいつをくれ」


「ありがとうございま~す!」


 娘はニッコリと笑って言った。


「ご自宅用ですか? ラッピングは致しますか?」


「そのままでいい、早くあいつをしまってくれ」


 ラドラムが事を急いて娘に囁いた。


「はい、ではローブとサングラスをサービスさせて頂きますね。ありがとうございました! またのお越しをお待ちしておりま~す!」


 娘は罪悪感など一欠片もなく、動物好きの優しげな笑顔でハキハキと接客し、奥から首輪とリードで繋がれた青年を引っ張ってきて、ロディに手渡した。


    *    *    *


 宿屋に着いた一行は、先ほど買った『ペット』の青年を囲み、途方に暮れていた。

 青年は、四人部屋のベッドに座った一同の顔を代わる代わるきょろきょろと見回しては、オドオドと身を竦めたり、かと思ったら、愛想笑いを浮かべて甘えた声を上げたりする。

 人間として必要最低限の知識しか与えられていない、獣同然の状態である事は、一目瞭然だった。


「買ったのは良いけどよ。こいつ、どうするよ、ラド」


「俺だって分かるもんか。ただ、他人に買われるかと思うとぞっとして、買っただけなんだから」


 青年は、ラドラムの顔をしていた。肩にかかるくらいまで伸びた髪を後ろで束ねているラドラムと違い、伸ばしっ放しにされたブロンドは、腰辺りまで伸びてゴージャスな雰囲気を漂わせている。


「アンタも髪伸ばせば? それで影武者にするの」


「逆だろ。こいつの髪を切ればいい話だ」


「アラ、それもそうネ。ブロンドが綺麗だったから、つい」


 温度は適温なのに、ラドラムが寒そうに腕を組んで二の腕をさする。


「よしてくれ、マリリン。悪寒が走る」


 プラチナが提案した。


「マリリンの言うように、影武者として、一時的に身代わりになって貰うのはどうですか?」


「駄目だ。連邦のブタバコに入れられたら、簡単に脱獄なんて出来やしない。第一、この様子じゃ、違法クローンの罪が重くなるだけだ」


「そうなんだよな。クローン法が出来た時、クローン培養の出来る施設は、全部潰された筈じゃねぇのか?」


「ああ。カインのクローンは、自由にクローンを培養できる研究所ラボを持ってるって事だ」


「クゥン」


 何処まで会話を理解しているかは不明だが、本能で分かるのか、青年がこの『群れのボス』であるラドラムに擦り寄ってくる。


「やめろ! 寄るな!」


 ラドラムが、鳥肌を立ててプラチナの後ろに隠れたが、プラチナはその頭を撫でて、微笑んだ。耳の後ろをかいてやると、うっとりとその膝に頭を預けて甘える。


「可愛いじゃないですか」


「プラチナ! 今すぐやめろ!!」


「キャン」


 ラドラムの大声に驚いた青年は、跳び退ってマリリンの足元で丸くなった。


「やめなさいヨ、ラド。可哀想じゃない。アンタの顔してるけど、面の皮の厚いアンタと一緒じゃないのヨ」


「自分の顔した男に甘えられてみろ。誰だってこうなるさ」


「問題は、どの程度、お前さんのクローンが流通してるかだな。この惑星だけならともかく、無差別にばら撒かれたら、回収のしようがねぇ」


「あるいは、私たちがこの惑星に来る可能性は高かった訳ですから、手を引けという脅迫だとも考えられます」


「そうだな……。取り合えず、予定通りカイン・ベルナールの家に向かおう。この星に電子住民データはないから、写真の一枚でも残ってる事を祈るしかない」


「ああ」


「そうネ」


 一同が揃って立ち上がると、青年も尻尾を振らんばかりの勢いで立ち上がって、笑顔を見せた。


「……連れていくしかねぇか」


「すっかり、アタシたちが飼い主だと認識したようネ。ラド、躾の為に、リードはアンタが持ちなさいヨ」


 かくして、片手でペットのリードを引き、片手はプラチナと繋いだラドラムが、目出度く出来上がったのだった。


    *    *    *


 カインの家は、他の家と同じく、砂に塗れていた。

 オリジナルのカイン・ベルナールが若くして亡くなっても、家族だろうか、まだ住民が居たようで、それほど酷く荒れた様子はない。

 ただ、隙間から入ってくる粒子の細かい砂が、三センチほど床に積もっていた。

 宿屋もそうだったが、電化製品はすぐに壊れてしまうようでリビングには暖炉があり、それが功を奏した。

 暖炉の棚の上に、写真立てが幾つもあったからだ。


 さくさくと音を立てて砂地を歩くと、ラドラムはペットのリードを手首にかけ、写真立てを手に取った。

 ホログラム写真ではなく、大昔の2D写真だった。ふっと息を吹きかけて表面に薄っすらと積もった砂を払うと、その下の写真が見えた。

 だが、ラドラムは肩を落とす。

 それは長い事日の光に晒され、すっかり写っていた筈の像は消えてしまっていた。


「プラチナ、これ見えるか?」


 手渡すと、プラチナの人工眼球がきらりと光る。


「すみません、ラドラム。着色成分が変質していて、判別がつきません」


「そうか……あと何か……」


 ──パキッ。


 後ろで何かが割れる音がして、プラチナが鋭く言った。


「触らないでください! 手を切ります。私が拾うので、貴方は下がっていてください」


 足元に手を伸ばしかけていたペットが、大人しく退いてプラチナが砂地を探るのを見下ろす。

 先ほど撫でて貰ったからか、プラチナに懐いているらしい。

 プラチナが厚く積もった砂をよけると、割れた写真立てが現れた。そこには、色褪せてはいるものの、若い男女の写真がくっきりと残っていた。


「プラチナ、それがカインか?」


「……少し待ってください」


 ガラスの欠片と砂を払うと写真立ての額の下に、文字が浮かび上がった。


「『カイン・ベルナール、エーリカ・ベルナール。宇宙歴二百一年三月六日。結婚一周年記念写真』とあります」


「ビンゴ」


 ロディが呟いたが、更にプラチナが続けた。


「インクは劣化して霞んでいますが、写真の裏に直接書かれたと思われる、筆圧が残っています」


「読み上げてくれ」


 ラドラムが言うと、プラチナは写真を裏返して、殴り書きのニュアンスまで汲み取って自暴自棄に嘆いた。


「『あの人が帰ってこない。連邦に連れていかれてしまった。あの人が死んだなんて、嘘に決まってるわ! きっと、E.S.P.兵器開発の実験台にされているのよ。あの人を返して! カイン、逢いたい、逢いたい……』。以上です」


「カインは、エスパーだったのか」


 ラドラムが唸った。


「お手柄ヨ、よくやったワ」


 マリリンが、頭一つは高いペットの頭を撫でると、ペットは嬉しそうに彼女に擦り寄った。

 その光景がなるべく目に入らないように明後日の方を向きながら、ラドラムは考える。


「連邦が、エスパーを徴兵する事はよくあるが……」


「それをクローンで増やして、人間兵器化したってぇ事か?」


「プラチナ。可能性を低くして、カインがその後どうなったか、その写真から推測してみてくれ」


「はい、ラドラム」


 プラチナの電子回路を、目まぐるしく情報が行き交う。

 だが計算に入る前に、一つの事実が引っ掛かり、プラチナはすぐに再び口を開いた。


「ラドラム。カイン・ベルナールのクローンは、連邦から指名手配されています」


「賞金首って事か?」


「はい。惑星ヒューリで地下一層におりた際のメモリーから、カイン・ベルナールの写真に該当する貼り紙がありました」


「てぇ事は……」


「連邦は、カインの管理に失敗したんだ。俺の荷物とクローンをすりかえた手際のよさから、ヒューリの何処か……おそらく下層に、潜伏してる」


「決着をつける必要が、ありそうだな」


「ごはーん!」


 シリアスな論議のただ中に、力一杯の叫びが木霊した。

 男たちがガックリ拍子抜けして振り向くと、ペットが腹を押さえて泣き出しそうな顔をしていた。犬なら、耳と尻尾がうな垂れているといった所か。


「ワン、お腹空いてるみたい。アタシもお腹空いたワ。経緯が分かったんなら、お昼食べに行きマショ」


「ちょっと待て」


 ラドラムが鋭く言葉尻を捉えた。


「ワンってのは、何だ?」


「この子の名前」


「何でワンなんだ?」


「ワンちゃんみたいで可愛いデショ? それに、いっぱい出てきたら、ツー、スリーって呼べばいいし」


「いっぱい出てくるなんて、縁起でもない事言うな!」


 ラドラムが珍しく、声を大にして抗議した。


    *    *    *


「S-511はまだか」


「は。間もなく『占い』が済むかと……」


 どちらも、連邦軍の制服だった。先の男の方が、胸に勲章が多い。

 先の男が、神経質にデスクをコツコツと人差し指で叩いて言った。


「だから、あんな店は早く潰すべきだと言っているんだ」


「しかし、知名度があり過ぎます。今突然、エンジェルズ・オラクルを閉めれば、悪戯に民衆の関心を集める事になるでしょう。それに、STEP細胞研究の、費用捻出にもなっておりますし」


「全く……隕石衝突事故の現場は、一刻も早い状況判断を、迫られているんだぞ! 何の為の飼い犬だ!」


 ピン、という音と共に、男の前の空間に映話チャンネルが開いた。


『S-511です。お待たせしました』


「今すぐ、スペースコロニー・ペガサス・ウイングスの隕石衝突について、透視しろ! 私がどんな指令を出せば、最良の判断になるか!!」


 顔中を口にして喚く男に、シーアは少し物憂げな顔をして、冷静に語った。


『……空母ではなく、小型戦闘機を五百機、緊急発進させてください。まずはそれで開いた穴を塞いで、そのあと空母と大船団で、ドクターを少なくとも三千人以上乗せていき、怪我人の治療に当たってください。それが最善の処置です』


「聞いたか! 今すぐ、そのように命令を伝達しろ!」


「はっ」


『……それでも、沢山の人が亡くなります。それは避けられません』


 シーアは、常ならけして言わない、求められぬ情報をぽつりと呟いた。

 その言葉に、男が再び喚く。


「うるさい! お前は私の質問に答えるだけでいい! お前は、連邦軍の飼い犬だという事を忘れるな!!」


 何年経ってもまだ未発達なままの少女の拳をきゅっと握り締めてから、シーアはタッチパネルを操作した。


「……失礼します」


 ピン、と音を立て、シーアの前に開いていたチャンネルが閉じる。

 大きなアメジストパープルの瞳から不意に、大粒の涙が一粒ぽろりと、握り締めた拳に落ちた。


「プロト……会いたい……逃げないで」


    *    *    *


「ワン、ツー、スリー、お腹はいっぱいになった?」


 三人の……いや、オリジナルも加えるなら四人のラドラムが、食事を終えた所だった。オリジナルは苦虫を噛み潰したような顔で、他の三人は満面の笑みでマリリンに擦り寄っていた。

 『ご飯』をくれる人が誰なのか、ちゃんと理解しているのだろう、ペットたちは誰よりもマリリンに懐いていた。

 オリジナル以外の三人には、少々不自然だが、サングラスにフードで過ごして貰っている。


 惑星イオテスには、四つのオアシスがあった。

 念の為、他のオアシスのペットショップにも原始的な『電話』で問い合わせた所、長いブロンドにフォレストグリーンの瞳の二十代ものが入ったばかりだという。

 慌てて予約を入れて、手数料を支払ってラクダで配達して貰ったが、一つ隣のペットショップでは、すでに売れてしまったという。

 一行は、それを買い戻しに出発する前だった。

 幸い、隣のオアシスまでは、ラクダで一時間半。夕食前には、帰ってこられるだろう。


「お客さん」


 会計を連邦ドルで済ませ、出発の準備を整えていた所へ、店の女将がやってくる。


「何だ?」


「ペットの買い戻しをしたいのって、あんたかい? お客さん」


「ああ、そうだが」


「ペットショップから電話がきてるよ」


「ありがとう」


 言って、ラドラムとプラチナが手を繋いでノコノコ着いてくるのを、女将は奇妙そうにチラチラと振り返っていた。

 電話の内容はこうだった。『倍の値段なら売ってもいい。ついでに送り届けてやる』。買った男は、そう言っているらしかった。


 ──ゾワッ。


 ラドラムは、鳥肌が止まらなかった。

 男! 労働力として買った事を、彼はいっそ両手を握り合わせて神に祈りたい気分だった。

 片手に電話、片手にプラチナで叶わなかったが。


「ラドラム、急激に体温が下がりましたが、大丈夫ですか?」


「だ……大丈夫だ」


 動揺に一つどもって、ラドラムは答えた。そして、電話の向こうに言う。


「分かった。金ならあるから、そうしてくれ」


 それからきっかり一時間半で、やせぎすの背の高い男が、ラクダの後ろにペットを乗せてやってきた。

 ラドラムは、街の入り口でサングラスをかけて出迎える。プラチナと手を繋いだまま。

 ペットは、自ら飼い主の男の腰に腕を回し、ぴったりとくっ付いていた。

 ラドラムが頬を引きつらせる。


「お前がラドラム・シャーか?」


 ラクダをおりて、ペットに手を貸し抱きおろしながら、男は訊ねる。ブラウンがかっていたが、プラチナと似たような長い髪の男だった。


「ああ。金は耳揃えて払うから、そのペットを売ってくれ」


 男は、手を繋いだ揃いのサングラスのプラチナを見て、軽く口笛を吹く。


「そいつもペットか? 好き者だな。こいつは上玉だ、保証する」


 男が意味ありげに笑って、リードを渡そうとするが、ペットは男から離れたがらなかった。


「キャイン」


「大丈夫だ、今度はあっちの若いのに可愛がって貰え。金持ちだぞ。きっと餌も旨いだろう」


 それでも離れたがらないペットに、男は頬に一つキスをした。


「ギッ……!」


「ラドラム、血圧が急激に上がりました。落ち着いてください」


「これが……落ち着いていられるかっ! 寄越せ!!」


 連邦ドルの札束を男の顔に投げ付け、嫌がるペットを引きずって、ラドラムは宿屋の一室に帰った。


「どうしたのラド、顔が真っ赤ヨォ」


「ある行為を目にして、ラドラムの血圧が急上昇しました」


「ある行為って?」


 プラチナとラドラムの口から、ほぼ同時に言葉が飛び出した。


「キスです」


「言うなっ!」


 ラドラムがこの世の終わりみたいな顔をして、しばし沈黙がおりた。


「……くっ」


 最初に静寂を破ったのは、ロディだった。堪えきれずに、肩を震わせて大笑いする。

 反して、マリリンは気の毒そうに眉尻を下げた。


「アラ。犬に噛まれたと思って忘れるのヨ、ラド。ペットはペット、アンタはアンタなんだから」


 へなへなとラドラムはベッドに腰掛けた。


「哀れむな。いっそ笑ってくれ……」


「キスとは、親愛の情を示す行為ではないのですか? 先ほどの飼い主と私とは、外見の類似点が二十八カ所ほどありましたが、ラドラムは私とキスするのは、やっぱり嫌なのでしょうか?」


 ロディがベッドに倒れ込んで悶え笑った。


「プラチナ。今は、そっとしておいてあげて頂戴」


「だから、哀れむなって……」


 プラチナはマリリンに言われた通り、口を閉じてそっとラドラムと同じベッドの隣に腰掛けた。


「……寝る」


 これが悪夢なら、逆に寝てしまえばいい。ラドラムはそんな風に思って、ふて寝した。


「おやすみなさい、ラドラム」


 だがどんな時も、その言葉はラドラムの安眠毛布だった。

 慣れぬラクダ移動での疲労と条件反射で、ラドラムは眠りに落ちた。

 声を殺してまだ笑っているロディの尻をマリリンが蹴り上げて、気を利かせて二人を残して部屋を出ていった。


「フォー、アンタは今からフォーヨ。いらっしゃい、フォー」


「クゥン……」


 ラドラムはそのまま夕食も摂らず、朝までグッスリ眠っていた。


    *    *    *


「プロト……会いたい……」


 仄明るく輝く水晶珠の前で、シーアが両手で顔を覆って泣いていた。

 ぽっかりと白い空間の斜め後ろに、ラドラムは立っている。

 ハッと右手を見たが、そこにプラチナは繋がれていなかった。


「プロト……プロト……」


 あまりにシーアが泣きじゃくるので、思わずスッと腕が伸びた。肩に手をかけ、優しく囁く。


「大丈夫だ、シーア。俺が必ず見付けるから。……プロトっていうのか? 探してる奴」


「そうよ……プロト……試作品プロトタイプ


「プロトタイプ?」


「ええ、プロトは、カイン・ベルナールのプロトタイプ・クローンなの……。私は透視者セリーナ・マイフィーのクローン、S-511。アルファベットを順に当てはめて、S-EAAシーアよ。ラボで一緒に育ったわ。沢山の兄弟がいた……」


「研究所ってのは、何処にある? 他の兄弟は?」


「クローン法が出来てすぐ……連邦軍は、一番状態のいい個体だけを残して、私たちを削除デリータしようとしたの……。プロトは、デリータ対象だった。それで、怒って……研究所を、吹き飛ばしたの……凄い爆発で……何も残らなかった。助かったのは、私だけ。今でも、プロトが怒ってるのが聞こえるわ。地下三層に残った、小さな秘密研究室シークレット・ラボから……」


「居場所は分かってるんだな」


「ええ」


「何で、プロトは今でも怒ってるんだ?」


「私が探してるから……私にはプロトの声が聞こえるけど、身体の半分以上が機械になってしまったプロトには、私の声が聞こえないの。プロト、私が連邦軍に密告するんだと思って、怒ってるの……私は……プロトに会いたいだけなのに……」


「そうか……前に、『探されるのを拒否する奴』って占ってくれたのは、プロトなんだな」


「そう……思い出してラドラム。私が何と言ったかを。思い出して……思い出して……」


 透明な雫が水晶珠に落ちると、急速に空間がそこに集約されて小さな光の点になった。ラドラムはその点を通って、闇から明るい方へと吸い出された。


    *    *    *


「ラド!」


 眩しい光に目が眩んで、一瞬開いた瞼を閉じてしまった。

 だがもう一度ゆっくり開けると、心配そうなマリリンの顔が覗きこんでいた。


「ラド、大変!」


「ん~……何がだ?」


 寝惚け眼を擦ろうと反射的に右手に力を入れたが、僅かに上がっただけで、ゴムのように引き戻されてしまった。

 見ると、プラチナがベッドに左手と頬を乗せて突っ伏していた。

 プラチナは、睡眠を取る必要がない。これはけして寝ている訳ではないと、事の重大さに気が付いた。


「プラチナ? プラチナ!!」


 上半身を起こして揺すると、薄っすらと瞼が開いた。

 まるで喘息患者のように、プラチナがヒューヒューと掠れた声音を出す。


「すみません……ラドラム……。たぶん……砂の影響かと……」


 そうだった。あまりにも自然過ぎて気付いてやれなかったが、プラチナは『機械』だった。

 『機械なんかは、いっぺんにおかしくなる』。宇宙港で出迎えてくれた親父は、そう言っていなかったか。

 プラチナは、百九十センチ以上の身長の人間に等しい体重がある。このままでは、ラドラムが背負って移動しなければならなかった。


「大……丈夫です……。ラクダの所までくらいは、歩けます……」


 そして、ラドラムはハッと気付く。『夢』を見た事を。

 『思い出して……』。シーアは、そう言っていた。


「シーア、なんて言ってたか覚えてるか?」


「えっ? レディ・キューピッド?」


「ああ。流星群が何とか……」


 マリリンがラピスラズリの視線を彷徨わせて考えた。


「えーっと……確か、『一つ一つの星に気を取られる事なく、夜空に心を向けろ』とかだったと思うワ」


「それだ!」


「え? どれ?」


「ペットの回収に気を取られてないで、本来の『探す』事に集中するんだ」


「でもお前さんたち、繋がったままだぜ。プラチナがこれじゃ、動けねぇ」


「ア……ゥア……」


 そこへ、キトゥンが手を伸ばした。


「駄目ヨ、キトゥン。危ないの」


「ダ! ア!」


 だがキトゥンは、マリリンの腕を振り払って再び手を伸ばした。

 キトゥンが理由もなしにマリリンに反抗する事など、ないように思われた。


「プラチナ、キトゥンの声、聞こえるか?」


「いえ……そう言えば、この惑星に入ってから、キトゥンの声を聞きませんでした……」


「そうか、無理しなくていい、プラチナ。キトゥン……何がしたいんだ?」


 キトゥンは真ん丸の瞳を、ラドラムの目と連邦錠に往復させた。


「まさか……外せるのか?」


「ア!」


 力強く言って、キトゥンは三たび手を伸ばした。

 思えば、この惑星についたばかりの時も、キトゥンはそれに触れようとしていた。

 手首と手首を繋ぐ、極彩色に輝く紐を掴むと、キトゥンはしばらく握っていた。

 もう何も起こらないんじゃないかとみなが思い始めた頃、呆気なくそれは輝きを失った。ただの紐に戻り、ぱらりと腕から外れる。

 思わず、わっと歓声が上がった。

 興味深そうに見ていたペットたちも、飼い主の歓喜に反応して笑顔を見せる。


「凄いなキトゥン……! そう言えばプラチナが、電子的周波数がどうとか言ってたな。サンキュ」


 わしわしと、綿毛の白い頭を撫でると、キトゥンも嬉しそうに鳴き声を上げた。


「……んん?」


「なぁに、ラド」


 撫でた手を開いてみると、綿毛が幾らか抜け落ちていた。


「これ……デデンで見たイエティみたいに、毛が生え変わるんじゃないのか?」


「そうネ。大人のイエティって、長くて白い毛だったワネ。ブラッシングもしなきゃ!」


 そしてふとまた、ラドラムが思い付いて言った。


「……なあ、今の船にも、ヒューマンタイプのボディが、どっかにあったりしないか」


「ああ。乗ってると思うぜ。セクスレスタイプのが」


「いったん、プラチナのA.I.をそっちに移したら、丸くおさまるんじゃないか?」


「冴えてるな、ラド。いい考えだ」


「プラチナ、背負ってやるよ。動けるか?」


 プラチナは懸命に身を起こそうとしながら、不明瞭に言葉を綴る。


「心配……要りません……歩いて……」


「駄目だ。まともに動けないだろ。今まで世話になった分、俺が背負ってやる」


「すみません……ラドラム……」


 連邦平均身長よりは幾分か小柄なラドラムだったが、その身体は引き締まって実戦に耐えるだけの筋肉がついている。

 全員ローブとサングラスをつけ、ラドラムがプラチナを背負って街の出口まで連れていった。

 人情深い辺境の人々は、口々に医者を呼べと忠告してくれたが、一行は笑顔でそれを断った。

 ロディが、ヒューマンタイプのボディのありかを見付け、あとはプラチナが自力でA.I.の移行を行った。


「お待たせしました」


 少年のような少女のような涼やかな声がしたかと思うと、艦橋の自動ドアが開いて、プラチナが入ってきた。

 身長はラドラムと同程度、顔つきは何処か妖艶で、シルバーの短髪にグレーのボディスーツだった。


「ラドラム。声はこのままで良いですか? メールタイプに戻しましょうか?」


 一同、その変わりように、言葉を失っていた。

 ワンだけが、いつか撫でて貰った事を覚えていて、頬を擦り付けてそれを強請った。


「ああ、ワン……。貴方には分かるのですね」


 耳の後ろをかいてやる。


「……ラドラム? どうしますか?」


「あ?」


「声です」


 開いていた口を閉じ、慌ててラドラムが言った。


「あ、ああ。そのままでいい。一時的なものだしな」


 冷静を装ってキャプテンシートに沈んだが、得体の知れぬ感情に、心はざわざわと騒いでいた。


「プラチナ。惑星ヒューリまで、あと何分だ」


「はい、ラドラム。四十九分三十三秒です」


「ハイパードライヴから抜けても、ステルスシールドは外すな」


 そして、タッチパネルに足を乗せ、いつものように言い置いた。


「俺は寝る。おやすみ、プラチナ」


「おやすみなさい、ラドラム」


 動揺は一瞬で、その柔らかい言葉は、確かにいつものプラチナだった。

 ラドラムは、ほっと一息安堵して、深い眠りの淵に落ちていった。


    *    *    *


 その後、エンジェルズ・オラクルを、子供を抱いた女が一人、訪れた。


「これに触ってください」


 と、拳大の布包みを出す。


「貴方は……」


「シッ。早く」


 シーアがカーテンの向こうから手だけを覗かせて、それに触れた。


 ──S-511。お前は俺を憎んでいるのか。兄弟たちも、博士プロフェサーたちも殺したから……。


 いつものように、プロトの声が聞こえてくる。

 だが、胸に抱かれた子供の手がその上から重なると、不思議な感覚に包まれた。

 一方的に彼の背中を見ていた景色から、ふいとプロトが振り返った。


 ──S-511?


 メタリックな継ぎ接ぎの顔に、初めて『驚き』という感情が生まれた。


 ──プロト。会いたい……連邦軍に密告なんかしないわ。会いたいだけなの。……愛してるの。

 ──……シーア。

 ──そう呼んでくれたの、二十年ぶりね。


 暖かい感覚が広がって、二人の心は通い合った。


「さあ、シーア。掴まっていてください」


「キャッ」


 女は、シーアを抱き上げたかと思うと、エレベーターに滑り込んだ。

 ドアが閉まる際、シーアを呼ぶ怒声が聞こえたが、誰も彼女には追い付けなかった。

 超高層ビルから一転して、女は地下三層行きのエレベーターに乗る。


「こっちよ」


 するとシーアは、先に立って駆け出した。

 歩く事さえ滅多にない生活を送っていた為、汗の珠がシーアの額に結晶する。

 やがて袋小路の路地裏に着くと、息を弾ませて細い一本道に飛び込んだ。


「手を。壁に当てて」


 女は言われた通り、布包みを開いて行き止まりの壁の中央に押し当てた。掌紋認証の入り口が、足下でスライドする。

 シーアはローブに足を取られながらも、懸命にハシゴを下りていった。


「シーア……!」


「プロト! プロトタイプ!」


 少女が駆け寄って、立ち尽くす青年の腰の辺りに縋り付く。

 子供は望めなかったが、STEP細胞の投与をやめれば、少女は少しづつ大人になっていくだろう。

 戸惑うプロトと涙するシーアを見守って、彼女は僅かに微笑んだ。


「シーア。発信機はどれですか?」


「あ……これ、全部よ。ネックレスとブレスレット」


「じっとしていてください」


 女は、その細腕からは想像も出来ない力で、その全てを引き千切った。


「これは、各層にバラバラに捨ててきます。安心してください」


「ありがとう。ありがとう、プラチナ……!」


 名乗る前に、シーアは看破してみせた。

 プラチナは各層を巡った後、その足で、連邦警察に向かう。

 ラドラムが、賞金首にハメられた事、彼を倒した事を話し、その証拠として『手』を提出した。

 多額の懸賞金を、プラチナは連邦ドルで受け取った。

 連邦警察は納得し、公表しようとしていた、ラドラムのウォンテッドの貼り紙を分解機クラッカーにかける。


 その後、S-511をさらっていった銀髪の女のウォンテッドが公表されたが、その女の目撃情報は、それ以来一度も寄せられる事はなかったという。

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