いきなりの異世界 いきなりの女体化2

 へたり込んだまま、俺は視線をあちこちに巡らせた。

 大理石めいた地面は明滅しながら辺りを淡く蒼く照らしている。ところどころにある太い柱と数百メートル先にある壁も輝いているから同じ材質で出来ているのだろう。どうやら俺達はほぼ中央で座り込んでいるらしく、前後左右見回しても同じくらいの距離があった。

 天井は材質が違うのか、途方もない高さがあるからなのか、暗くて見えない。

 全身ずぶ濡れだし今も身体の一部は水に浸かっているけど寒さは感じないから、気温も水温も相当高いみたいだ。

 何となく、夏休みに見学に訪れた都心にある巨大な地下遊水地を連想させる空間だった。

 だからって水たまりからいきなりこんな地下空間に移動するのは明らかにおかしい。何らかの理由で水たまりに見えたのが道路に空いた穴でそれに先輩と二人仲良く落っこちたんだとしても、こんな高さから落ちたなら死んでいる。

 つまり、考えたくはないがここは日本どころか自分が住んでいた『世界』じゃないのかもしれない。

 そんな突拍子もない事を思いついたのは、ちょっとしたきっかけで違う世界にゴーイングマイウェイする話を読んだからだろう。

 とはいえ、今はここがどこかと言う事よりも重大な問題がある。


 何故、俺と先輩は性別が変わっているのか。


 そのことを話し合おうと俺が口を開くと同時に、先輩のくちびるから予想外の言葉が紡がれた。


「さて、お互い自分の身に起きた異変は一度置いておくとして」

「いやいやいや、置けないですよ」

 何を言い出すんだこの人は。

「大丈夫。その辺にぽーんと投げとけばいい」

「投げれるほど軽くないでしょうが!」

 身体が女性から男性になっているというのに全く動じた様子のない先輩に、豪胆と感じる以前に恐怖を覚える。

「先輩、もしかして現実逃避してますか?」

 恐る恐る問いかけると、呆れを若干含んだ苦笑いをされた。

「それはさっきまでの君だろう。

 ちょっと身体の凹凸が凸凹になったからって動揺しすぎだよ」

「誰だって胸が膨らんで下半身から大事なものが消滅したら動揺します!」


 性別が変わったら慌てるだろ、普通!


 実際に俺は今も現在進行形で、性別の変化に頭が混乱している。

 座り込んでいるのとずぶ濡れ状態だからパンツが股間に貼り付き、いやでも下半身の凸が消失して凹になっているのが、感覚として伝わってくる。しかも水が『入って』きそうになって、反射的に下半身に力を入れると尻の穴とその前にある器官が『締まる』。そんな未知の感覚に背筋が震えた。

 胸だって今まで大平原だったのが山脈になったから、重い。視線を下ろしても胸しか見えないってどんだけ膨らんでるんだよ……。濡れたブラウスからうっすらと見える肌色に溜め息が漏れてしまう。その拍子に胸が揺れて、ますます大きさと重さを主張してきた。正直言って、邪魔だ。慣れれば違うのかもしれないけど。

 ――そう、慣れだ。

 俺は16年。先輩は17年。

 男として女として生きてきたのにいきなりの性別チェンジは、今まで培ってきた経験を無にするに等しい。


 性別が変わったことは、絶対に、その辺にぽーんと投げておける問題じゃない!


 なのに、先輩も座り込んだまま「大丈夫!」と自分の胸を叩く。

 ああ、あんなに大きかった先輩の胸が見事なまっ平らに……。

 ドン、って女子の胸叩いて発生する音じゃないよ。

 そんな俺の現実逃避も気にせずに、先輩は堂々と言い切った。 

「私だって胸が凹んで下半身に余計なものが生まれたが、『私は私である』という意識がある。

 だから大丈夫だ。問題ない!」

「全然大丈夫じゃないし問題だらけですっ」

 あまりに楽観的な発言に思わず怒気を込めて叫んでしまう。

 そんな俺の怒声に、先輩の眉が下がった。

「……ごめん」

「あっ、いえ、こっちこそすみません」

 謝る先輩に、俺は慌てて両手を振って謝罪を返す。

「八つ当たりでした。

 でも、先輩。お願いですからそんなあっさり男になった事を受け入れないで、もう少し気にして下さい」

 別に先輩を困らせたいわけじゃないが、少しは俺みたいに動揺して欲しい。

 性別が変わったことを「問題ない」の一言で済まされてしまったら、不安を感じてしまう。騒いでいる自分は現実逃避から脱却できないままで、現実を受け入れた先輩に取り残されるような不安を。

 気付けば寒さ以外の理由で身体が震えていた。

「俺……怖いです。何でこんないきなり変なトコにいて、女の身体になってるんですか? 先輩が男になってるんですか?

 正直、先輩の恰好がえらい事になってるのにツッコむ余裕もないです」

「いや今ツッコんでるって」

 先輩がそれこそツッコミの様に手の甲を俺の肩にあててくる。

 その動作もぎっちぎちになったブレザーのせいでひどくぎこちなかった。

「変態街道一直線なカッコなのは自分が一番よく知ってるから、カバンに入っているジャージに着替えるまでもう少しだけ待って」

「カバン?」

「あそこに落ちてる」

「あ。あんなとこにあったんで――」

 俺の言葉が途中で止まる。

 先輩の指が示した先に視線を移すと、確かに数メートル先に俺と先輩のカバンがあった。俺のリュックと先輩の学校推薦の革鞄とドラムバックが仲良く転がっている。

 その側に何か、いた。

「……あれ、なんですか? ホタル?」

「ホタルにしては大きいのがいるし、ホタルはきゃっきゃうふふって笑わないと思う」

 ふよふよと漂う光。床の輝きと同じ淡い蒼色のそれらは、小さいのはそれこそホタルくらいだったが、大きいのはバスケットボールくらいある。

 どうやら床の輝きから光の玉が生まれて浮かび上がっているみたいだ。丁度床から一つ光の玉が生まれ、仲間と合流するのが見えた。先輩の言う通り耳を澄ませると小さな子供の笑い声みたいなのが微かに聞こえる。

 もう少し辺りが暗かったらしゃべる人魂だと思って叫んでたかもしれない。

 カバンに興味があるのか、その辺りからつかず離れず浮いている光の玉。

 幻想的な存在につい視線を固定させると、それに気付いたのか光の玉が宙で動きを止めた。

 ――嫌な予感がする。

「……あの、増えてません?」

「増えてるね」

 気付いた瞬間、とっさに数を数えたら光の玉は6個。

 それが秒単位で増えていき、あっという間に30以上に増えた。その先は数えるスピードが追いつかない。

 しかも――

「……囲まれてません?」

「囲まれてるね」


 何故だか俺達は蒼い光の玉に包囲されていた。



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