第734話 命の価値の差は視覚化されている
「あー、怖かった!」
教会から離れると、サラが伸びをしつつ聞こえよがしに叫んだ。
「いやー寿命が縮みましたよ・・・あれなら人喰巨人とやり合った方がまだ楽ですな」
それを止めるでもなく、キリクも背筋を丸めてため息を漏らした。
歴戦の冒険者にとってもニコロ司祭の権威は重圧となっていた、ということだろうか。
怪物が比較対照というあたり、何とも冒険者らしい感想に思わず吹き出す。
「まあ、いいじゃないか。お陰でこちらも大いに得をした」
「ほんと?だって、司祭様ってずっと眉間に皺をこーんな感じで寄せて、目つきも怖かったし・・・」
「あれでも機嫌は良かったんだよ、たぶん」
確信はないが、くもぐった妙な声、あれは笑っていたんだろう。
「それにしたって、小団長もずいぶんとサービス良かったんじゃないですかね。あれじゃ教会が丸儲けじゃないですかい」
結局、ゴルゴゴが開発した豆の分類器は教会、というかニコロ司祭に納入することになった。
見方によっては取り上げられた、ということになるだろうか。
報告書の情報と併せて、見る人が見ればこちらが一方的に損をしているように見える。
「そうよ!ケンジだって代官様なんだし、もっと言ってやればいいのよ!」
サラも重圧から解放された反動か、無責任にけしかけてくる。
しかし押しつけられた一介の代官と、教会という巨大権力の中枢近くに位置する司祭では、身分上の階層は比較的近く見えたとしても、実質的な権力では天と地の差がある。
日本風に言うと、外郭団体の民間出身者と中央官庁の課長クラス、といったところだろうか。
このあたりの支配層の権力構造に疎いのも、農民出身のサラから見れば貴族と聖職者はエラい人、というくくりで一緒になっているからだろう。
実際、農民からすれば生殺与奪を握られている、という意味ではどちらがどれだけエラくても同じであるし。
「言い返す必要はないさ。実際、これから大きく得をするんだから」
教会を出て2人と話しながら歩いているうちに3等街区と2等街区の境界にさしかかっていた。
2等街区から3等街区へ向かうとき、その境界を間違えることはない。
まず、路面が違う。
2等街区の路面は四角く切り出された石が隙間なく敷き詰められており、中央が緩やかに高くなっていて道路脇の排水溝へと雨水が流れ込む仕組みになっている。
そのために晴れた日でも土埃は立たず、雨の日も泥濘に難儀することはなく、嫌な臭いのする汚水で吐き気を催すことはない。
そして、両者の区切りを明確に示すのは夕陽を遮る高く分厚い城壁の存在だ。
世界に跋扈する怪物を遮る分厚い城壁に守られているか、見捨てられる運命なのか。
巨大な城壁の存在が、守られる命と見捨てられる命という、命の不平等を視覚化してくる。
ふと、悪戯心を起こした俺は城壁に設けられた通用門に立ち止まって、サラに訊ねてみた。
「サラ、ここから革通りの位置がわかるか?」
サラは少し唇に人差し指を当てて考えたあと、3等街区の住宅の隙間を指さした。
「たぶん、あっち。あそこから煙が見えるから」
元弓兵の視覚は鋭い。言われた方を見てみると、夕暮れの空に白くたなびく煙がうっすらと見えた。
3等街区では限られた地区以外での夜間の火の使用は禁じられているので、あの煙は加工に火を使用する革通りに違いないだろう。
「行き方は?」
「えー?ここの道を真っ直ぐ行って、角のパン屋のおばさんのところで左にまがって、野菜売りのおじさんの家を右にまがって、おまけをくれる肉屋さんと服屋さんの間を抜けて・・・・」
合っている。合っているが、いかにもな憶え方をしているサラに笑ってしまった。
「サラ、司祭様と俺が約束したことを憶えてるか?」
「えっと、小さな教会を建てるのと、道を綺麗にする、だったかな?それと掃除するって」
「たしか、そんな内容でしたな。おまけに、その技術と費用を教会が出してくれるとかいう」
サラの答えをキリクが補足した。
「それって、何のためだったか憶えているか?」
重ねて訊ねるとサラが眉間に皺を寄せて一生懸命に記憶を探り探り答えた。
「えっと、教会を綺麗にするとか枢機卿様の靴が汚れないようにとか・・・」
正解だ。それこそが今回得ることができた「最大の権利」なわけだ。
「そう。それだ。枢機卿のように貴き方に献上される靴は汚れた地につけるわけにはいかない。それは真っ直ぐな大道を歩むべきであり、沿道は汚れなき者達で占められるべきだ。そうは思わないか?」
突然に厚い信仰心に目覚めた、かのような言動を弄してみると、サラとキリクはいかにもうさん臭いものを見る視線を向けてきた。
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