第612話 それは錬金術か

この説明(プレゼン)は、当初から予定が狂いっぱなしだ。

相手の司祭たちも偉いさんで優秀なだけあって、なかなかこちらの説明を鵜呑みにしないし、思い通りに理解してもくれない。


だが、この雰囲気は妙だ。

それまでの、どちらかといえば遊びに近い、珍しい出しものを鑑賞しているような雰囲気は消えて、本当の鋭さを出してきている。

こちらが、本性なのだろう。


「ケンジよ」


それまで、聞き役にまわり口を挟んでこなかったニコロ司祭が、呼びかけてきた。

口調と同様、その目つきは厳しい。


「今の話を、もう一度説明せよ」


今の話とは。つまりは、文書の秘匿性のことか。

ここにいる司祭達がニコロ司祭と同じような立場だとすれば、中央官庁の官僚のようなものだと考えての提案だったのだが、それが何かに触れたのだろうか。


「わかりました。印刷業と申しますのは、基本的には、ある種の見本を大量に複製する技術でございます。その際に、どの程度の精度の見本を複製できるか、また、その複製の速度をどの程度まで高めることができるか。精度と速度、それが印刷技術の肝でございます。そして、今は印刷の精度について問題になっているものと考えております」


単純な版画のようなものは、おそらく教会でも使用していただろう。

ワインの圧搾機とインクと印刷すべき文書があれば、そこに印刷技術が生まれない方がおかしい。


だが、技術が発明されることと、その技術が組織の中で効果的に使用されることの間には、組織人と組織の保守性という広くて深い溝がある。

IT化と言われて数十年が経っても、未だにFAXが幅を利かせる日本のオフィスを見ても、それは明らかだ。


そして、今回は銅版画の精度の高さと、応用の発想が問題になっているわけだ。


「新しい印刷技術は、言うなれば絵画を印刷する技術であります。教会の公的文書に絵画を埋め込むことで、文書を偽造するためのコストを大幅に引き上げることができるのです。それ単体で完全に防止することはできませんが、先程も申し上げたように、定期的に印章を変更すること、公的文書に通し番号を記入することで、管理と統制が容易になるでしょう」


付け加えて言えば、通し番号の暗号化したり、文書を流通させる地域や送り先の対象によって印章の種類を変更することなども考えられるが、新しい考え方に用心深くなっている教会の偉いさんを混乱させるだけなので、自重して後の提案にとっておく。


「だがな、地方の統制というのは微妙な問題でもある。それはわかるな?」


黒ヒゲ司祭が、こちらを睨みながら言う。


ここにいる聖職者達は中央統制派だと思っていたのだが、地方分権派がいたりもするのだろうか。

そうであれば、彼らの利権に真っ向から喧嘩を売ったことになるが。

まあ、ニコロ司祭派と見られている現在、今更の話ではある。


「中央と地方の関係は、正確な報告と数字に基いて構築されるべきだと信じております」


だから、あくまでもモノを知らない平民として、建前を押し通す。


そこに利権があったところで、知った事か。

その手の人事は嫌いだし、何より、効率が悪いのが気に入らない。


利権が欲しいだけなら、別の利権を示してやるまでだ。


「印刷業を統治に取り入れることで、地方からの報告内容が正確になることはもちろんのこと、その他に教会は大きな権利と収益を手に入れることができます」


権利と収益、という言葉にも大物司祭たちは、簡単には反応しない。

先を続けるよう、促してくる。


「具体的には、教会からの布告と地方からの報告には、教会が認めた専用の印刷用紙だけを採用します。そうなれば地方と中央の遣り取りには、膨大な数の印刷された羊皮紙が必要になります。つまり、印刷業を認可する中央には、合法的に莫大な収入が入ります。羊皮紙に印刷することで、羊皮紙が金貨に変わるのです」


ここまで言ってしまえば、彼らも無視はできないだろう。

さて、どんな反応を示すだろうか。

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