第三十四章 印刷の管理を支援します

第563話 教会のことは教会で

2週間程後、ようやく都合のついたミケリーノ助祭と俺は、2等街区にある教会の一室で卓上に置かれた大量の羊皮紙を前に向き合っていた。


室内には俺とサラ、ミケリーノ助祭の3人だけであり、護衛やお付きの人間は部屋の外で待たせている。

それ程、今回の会合は気密性が高い、とも言える。


ミケリーノ助祭は、細かく書き込まれた絵や、クッキリと読める細かい字が印刷された羊皮紙を、一枚一枚、眉間に皺を寄せながら、時にはこめかみに指を当てて苛立つように読む、というよりは学者が怪物を解剖するかのような視線を隅から隅まで、なめるように観察し、それが終わると次の羊皮紙を手に取る。


そうした陰気な動作を小一時間も続けただろうか、大きくため息をつくと、ミケリーノ助祭は仇を見るかのような険しい視線をこちらに向けた。


「これは、正直なところ私の手にはあまります。ですが、ニコロ司祭のところに行く前に相談いただけたのは幸いです。このままの状態で持ち込んだ場合、大変な議論が教会の中で巻き起こったでしょう」


表情は固いが、察するに非難されているわけではないらしい。


「それは承知しています。ぜひ、お知恵を借りたいと思い参った次第です」


「知恵を借りたいとは本心からの言葉とは思えませんが。政治の話を投げにきたのでしょう?」


「教会のことは教会でというではありませんか。しがない平民の自分には政治のことはわかりませんので」


「まったく、代官になって舌の回転がさらに上がったようですね。私はケンジさんに関わって以来、大地に満ちるは人の生業、という新書の一節が別の意味に聞こえるようになりましたよ。ケンジさんの周囲では、生業(しごと)が大地に満ちる、のです」


多少は仕事は増やしたかもしれないが、神書の一節、というのは大袈裟だろう。

神書をネタに冗談を飛ばすのは、聖職者によくあることなのだろうか。


「それで?一応、これらの羊皮紙について説明してもらいましょうか?」


ようやく精神を立て直したらしいミケリーノ助祭は、ようやく普段の言葉遣いに戻ると、深く椅子に座り直した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「見本(サンプル)を作ろう」


サラのためにパスタを調理した翌朝、集まってきた新人官吏達に俺は告げた。


「見本ですか」


新人官吏達は、職人のシオンやサラのように商取引や物品の製造に本格的に関わった人間ばかりではない。

印刷業という新しく芽生えたばかりの事業について、彼ら自信もノウハウや見識を身に着けてもらわなければならない。

そのためには、実際に手を動かしてみるのが一番だ。


「昨日、議論したように各々が実現したい冊子があっただろう?その冊子の中の1ページを実際に作ってみるんだ。そのための費用は、こちらで出す」


唐突な宣言に戸惑う新人官吏達から、質問があがる。


「その、理由をお聞きしても良いでしょうか。なぜ印刷物の見本(サンプル)が必要なのでしょうか」


なるほど。自分にとってあまりに自明だから説明が不足していたかもしれない。


「印刷業の必要性を説くためには、まず事業の本質を全員に体験して欲しい、というのも理由だが、一番の理由は、印刷業の先にある、皆が豊かになる社会、というビジョンを教会の偉いさん達にも共有して欲しいからだ」


新人官吏達は、代官様がまた何か突飛なことを言い出した、と少しばかり呆れたような、諦めたような複雑な表情の変化を見せた。

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