第343話 宴席
付け焼き刃の礼儀特訓で教わった通り、視線を合わせないようにして、卓まで近づいてく。
腕は前に組んだまま見えるところに出す。なんでも、害意がないことの象徴らしい。
そうすると、適当な距離でニコロ司祭から、声がかけられる。
「よく来られましたな、ケンジ殿。席に座られよ」
ケンジ殿!それに敬語!
ニコロ司祭が敬語を俺に向かって使うという、あまりの違和感に、予め礼儀作法の内だと知ってはいても吹き出しそうになる。
「恐れいります」
と返事をし、少し膝をかがめて挨拶をする。
そうして、やや低い姿勢のまま前進をしていくと、周囲の聖職者で宴席の介助をするらしき者が、席を用意してくれるので、そこに座る。ここまでは、教わった通りできた。
席に座ると、よく磨かれた銀食器に葡萄酒が注がれる。
そこでニコロ司祭は神書への聖句を捧げ、周囲の聖職者達もそれに続く。
俺も小さな声で適当に聖句を捧げる。
宴席の開始にあたり、ニコロ司祭が立ち上がって杯を捧げ挨拶という名の説明をする。
正確には、説明というよりも威嚇であるかもしれない。
「さて、こうしてケンジ殿を我らの聖なる宴席に招くことができたのも、彼の教会への大いなる貢献に比すれば遅すぎたというもの。これまでの事情をよくご存知の諸兄らに改めて説明するまでもないことであるが、ケンジ殿の功績を称える上で、改めて列挙したい」
「ケンジ殿の業績は大きく3つある。1つ目は工房主としての貢献である。ケンジ殿は元冒険者としての経歴を活かし、人間界の領域を広げるべく革新的な開拓のための靴を開発された。枢機卿は、その志にいたく感心され、その靴をご自身でも愛用されているという。
2つめは教会の信者としての貢献である。ケンジ殿は元冒険者として開拓地の怪物退治に従事する冒険者のために負傷を治療する術を求めるべく教会との橋渡しを行った。枢機卿は、その志にも感心され、街の教会に冒険者の治療をお命じになられた。
3つめは地域への貢献である。ケンジ殿は工房を設けることで得られた利益を独占することなく、広く地域に還元されておる。それにより地域の職人のみならず母子に至るまで食に困ることなく、明るい声が絶えないという。枢機卿は、その志にも感心され、教会でも同様に貧窮する母子への慈悲を施すよう仰せになられた」
ああいう言い方もあるのか、と俺は感心して聞いていた。
俺の業績を褒めているようでいて、俺を認めている枢機卿様の人徳を讃え、そして枢機卿様を味方につけて俺を発掘した自分の眼力と権勢を間接的に周囲の聖職者達に語る構造になっている。
「神の慈悲を地上に」
意識が散漫になっていたのか、乾杯の合図に遅れるところだった。
慌ててニコロ司祭の乾杯の合図に遅れないよう合わせる。
そうして始まった宴席であるから、和やかな談話など一言足りとも存在しない。
全ての発言に意図があり、政治がある。
基本はニコロ司祭と俺の間で会話が進むが、話題によっては周囲の聖職者から声がかかることもある。
中の面識のない1人が、葡萄酒の杯を掲げて話しかけてきた。
「こちらの葡萄酒は、いかがですかな。南方の教会から喜捨として送られてきたものです」
「大変、けっこうなものと存じます」
当たり障りなく返答すると、その聖職者はさり気なく牽制の爆弾を投げ込んできた。
「最近は、葡萄酒にも凝られているそうですね。葡萄酒の器械を取り寄せたと聞いておりますよ」
そう言って、こちらの顔を笑顔で見つめる。
「工房で必要になったものですから」
即座に笑顔で返すことのできた自分を褒めてやりたい。
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