第323話 社内の絵描き

社内に絵描きが欲しい。


それが、最近の俺のちょっとした希望だ。

ゴルゴゴが最近張り切って印刷機や方式を改良しているらしいのだが、その度に新しい絵を欲しがるのだ。


「以前、描いたものを使えばいいだろう?」


と言うと、「あれは圧力をかけすぎて絵が潰れた」とか「インクの種類を変えたから別のものを使いたい」などと言う。

一度などは「薬品につけておいたら絵が溶けた」などと言ってきたこともある。

銅を溶かすとか、どんな怖ろしい薬品を使っているのか。

何かの表面処理にでも使っているのだろうが、この世界の薬品も恐ろしげな効果があるものだ。


幾つか考えていることもあるので、社内で絵描きを育てるのも必要になってくるかもしれない。

俺に絵描きを育成するノウハウはないが、教会が絵描きを支援するように、職人達が絵を描くことを支援することぐらいはできるだろう。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「と、いうわけで。こいつを正確に書き写せた者に手当を払おうと思う」


ある日の朝、職人達を集めた挨拶の席で、俺は告げた。

手には、男爵様から借りてきた魔狼の頭蓋骨があり、職人たちは気味悪そうにそれを見ている。


「本業に支障が出ては困るから、希望するものの日程を調整しながら行おうと思う。必要な羊皮紙や道具はこちらで支給する」


手当を増やす、道具は支給する、という言葉に職人たちの中には興味を示すものも出てくる。

すぐにどうこうできるとは思えないが、社内にデザインや絵というものに興味を示す風土も長期的には育てていきたいと考えているからだ。


少しだけざわつく職人たちを見つつ、これならば社内で簡単な絵描きを育成できる日も近いと感じていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


甘かった。


とてつもなく、想定が甘かった。


会社の職人たちの多くは若手の職人で、自分達で設計したことがない。

靴の基本デザインは元の世界から持ち込んだものであるし、量産設計は老舗の外部の工房に依頼した。

枢機卿の靴をデザインする際にアレンジしたのは、工房でも一番のベテランのゴルゴゴである。


つまり、若手の職人たちは、字が書けないものが多いどころか、ペンを持って書いたことがない、という水準からのスタートだったのだ。


絵を書いてみたい、と希望する数人の職人に道具を渡し、絵を描くところを眺めようとしていると、職人たちが、むんず、とペンを握り箸のように掴んで描こうとしたので、慌てて止めた。


「まてまてまて。その握り方だと、絵を描くときにペン先が見えないだろう?」


そう注意すると、その職人は恐縮して


「すみません、ペンを持つことなんて、ほとんどないもので・・・」


と言った。

ふと不安を感じて、周囲の数人の職人に聞いてみると、ほとんどの職人たちが同じ意見だった。


素養が低い、とは言うまい。義務教育制度のない世界、職人たちを教育する責任は雇用主たる俺にある。

それに、ペンなど持たなくても彼らは立派に働いてこれたのだ。


そういえば、海外の事業所の連中と研修で一緒になったとき、ちょっとした絵を描かせると、とてつもなく下手だったのを思い出した。専門教育を受けた連中はとてつもなく上手かったのだが、素人の絵のレベルが壊滅的に酷いのだ。あれも、義務教育期間に美術教育がなかったせいなのかもしれない。


だから、素養の問題ではなく、教育の問題である。


とは言え、俺の安易な社内デザイナー育成構想が、出だしから躓いた、という事実に変わりはなかった。

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