第59話 覚悟を決める

結局、話もそこそこに剣牙の兵団から帰ることにした。


靴は開発中のサンプルということで、何とかスイベリーから返してもらった。


実は他にも剣牙の兵団と、いろいろと話し合う必要もあったのだが、

ジルボアの指摘の所為で大きく前提が崩れたため、

仕切りなおすことにしたのだ。


3等街区の宿に向かって歩きながら、誰か、相談相手が欲しい、

と痛切に思った。


この世界では、法律は強者の味方だ。特許など守られない。


技術や事業の秘密は、技術者や事業を丸ごと抱えて暴力と権力で守るのだ。


有望な事業は、大きな利権となる。

おそらく、事業の成長過程で猛烈な戦いがあるだろう。


商売上の戦いならまだいい。政治的な戦いも多いだろう。

ひょっとすると、誘拐や暗殺などの暗闘があるかもしれない。


冗談じゃない。


自分はただの、膝を悪くした元冒険者だ。

現代世界の知識は少しあるが、それだけの普通の人間なのだ。


自分は、ただ駆け出し冒険者達が最初の冒険で足が滑って不具になるのが

見ていられなかったから、靴を作っただけなのに。


ただ、楽に暮らしていけるだけの小銭があれば充分なのに。


冒険者用の靴を事業化して、育成するという自分には畑違いの利権など

他人に任せて売ってしまえ、とも考えた。


だが、自分でも心の底では判っていた。


この靴作りを他人に任せることはできない。


製造プロセスを分割して、原価管理をしたり、抜き取りの品質管理もできない

改善も知らない、この世界の連中には製造ラインを任せられない。


金に目が眩んだ素人(しょうにん)に任せれば、冒険者用の靴は

品質が下がって価格が上がり、駆け出し冒険者には手の届かない

高級品になることが目に見えている。


貴族(えらいさん)に任せれば、軍需品となり、一部の高位冒険者以外には、

目にすることもできない製品になるかもしれない。


以前、自分の作った冒険者靴の値段が大銅貨2枚だ、と自慢したときに、

サラが「欲しいけど高くて手が届かない」と溜息をついた光景が目に浮かぶ。


この靴を最も必要とする冒険者達(かけだし)の手に届けられないなら、

ここまで苦労して作った意味がない。


冒険者が履かずして、何のための冒険者の靴だろう。


とにかく、1年間だ。


最初の1年間は自分が隅から隅まで監督する。


職人の手配から、靴紐の種類、縫い針の選定まで自分が責任を持って

事業を軌道に乗せる。


そのために必要なことは、借金でも貴族との交渉でも暗殺者との戦いでも、

全てやる。


そう、ケンジは覚悟を固めたのだった。

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