23・庭園にて

「ありがとうございました。お口添えがなければどのようにも収まりがつかず、大変な事になっていたかも知れなかったところです」

 広い庭園へ下りる緩やかな階段の下、他の者とはやや離れた所で立ち止まり、アルフォンスはラングレイ公に礼を言った。昼は色とりどりの花が咲き乱れ艶やかな色彩を誇るヴェルサリア随一の庭園だが、今は灯りがあちこちに下がっているとは言えども夜の闇の影になり、代わりに夜空に先程からまだ止まぬ大輪の花が景気の良い音を立てながら開き続けている。庭園に出ている人々は皆それに見とれ、三人の公爵が一緒に出てきたのに気づいた者は少なかった。

「いやいや、そなたには何の非もないのに、説教めいた事を言うてすまなかったな。まったくシャサールには困ったものだ。だが、そなたがあそこまで怒るのはあまり見た覚えがない程だったな」

 アルフォンスは声をひそめ、

「シャサールは、エーリクが回復しなかった事を知っていながら侮辱したのです。わたし一人の事なればこのような席ですから、多少の面目の事は堪えて、下らぬと流せば済んだ話なのですが、つい我を忘れてしまいました」

 と老公に言った。老公は眉を寄せて、

「そうなのか! 儂はまた、エーリクが回復したと思った故に、安堵して要らぬ口をきいたのかと思っていたが、そこまで性根が悪いとは……」

 と溜息をつく。

「いくら仲が良くなかったとは言っても、あまりな言い草でしたわ。幼い頃からよく知った間柄でしたのに」

 とスザナが憤慨した口調で言った。

「スザナ、きみにも本当に迷惑をかけてしまった。申し訳ない」

「あら、わたくしは別にあんな品のない言われようは気になんかしていないわ。いくら歳が上でも、リュスト侯爵夫人なんかにまだまだ負けない自信があるもの」

 その割には怒りに顔を引きつらせていたが、と思い出したが、勿論アルフォンスは口には出さなかった。

「あれが次の宰相かと思うとヴェルサリアの先行きが不安で儂はまだ引退する気が起きぬ。宰相閣下はあれでいいと思われているのであろうか? 弟たちの方がましではないのか」

 七公爵の中で最も年長とあって、ラングレイ公は物言いに容赦がない。しかしはっきり言葉にはしないものの、アルフォンスとスザナも同じ思いである。地位が人の器を大きくする、という可能性もない訳ではないだろうが……。

「カルシスでなく、そなたが宰相閣下の娘婿であれば……いや、そんな事は言うても仕方のない事だな」

 老公がこんな事まで言い出したので、アルフォンスは思わず先程の王妃の言葉を思い出してしまった。

『次の宰相にとわたくしから陛下に口添えを、という約束には心が動きませんか?』

 ……いや、王妃は本気で言った訳ではないし、たとえ本気であったとしても、自分にはそんなつもりはない。宰相の息子と大貴族が地位を争えば必ず国の乱れる元となる。シャサール自身が暗愚であっても、何も王となる訳ではないのだから、自分たち大貴族がしっかりと補佐をし、王が宰相の意のままにされぬように気をつけていれば良い。賢明な質の新王であるから、シャサールが宰相となる頃には既に宰相などに実権を脅かされぬしっかりとした王となっている筈だ。そんな風にアルフォンスは考えを巡らせた。ところが、スザナがとんでもない事を言い出した。

「宰相位は別に世襲と決まってはいませんわ。アルフォンスは陛下のお気に入りですし、老公とわたくし、それにリッターも引き入れて、アルフォンスを次の宰相にと推せばどうでしょう?」

 アルフォンスは驚いて、

「滅多な事を言わないでくれ、スザナ、わたしにはそんな気はない」

 ときっぱりと言ったが、ラングレイ公は、ほう、と感嘆したように呟いて考え込む表情になる。

「エーリクもいてくれれば、更に良かったのに。ああ、何故今まで気づかなかったのかしら?」

 スザナはアルフォンスの言は無視し、老公の反応が良いのに満足したらしく、悦に入ったような笑顔になる。

「わたしにそんな野心があるなどと人に思われては国の乱れる元だ。冗談でも控えた方がいい」

 アルフォンスはスザナを諭したが、それを止めたのはラングレイ公だった。

「いや、スザナの言う事も考えておいた方がよいかも知れぬ。そなたに権力を望む気がないのは、先の王妃選びの件でもよく解ってはいるが、ヴェルサリアの行く末を考えると、たとえ大貴族同士が争ったとしても、そなたが次の宰相になる方がよい……とも考えられる」

「何を仰いますか! 先程、王国の七本柱はまとまらねばならぬとご自身で言われたではないですか!」

「まとめ役がシャサールではいささか荷が重すぎるのではないかと言うておるのだ」

「しかし、現在のまとめ役の宰相閣下はその地位を他家に譲るお気持ちはお持ちでないでしょう。なれば、我々がその意に逆らうのは秩序の乱れるもと。いずれにせよ、我々がお仕えすべきなのは宰相ではなく国王陛下なのですし、次の宰相は陛下がお決めになるものなのですから、陛下のご判断に任せ、余計な画策はせぬ事が一番でしょう」

「陛下はまだお若い。我々が手をこまねいていては、全てがバロック家の思惑通りに進んでしまうやも知れぬ。今の宰相閣下ならば、私利の為に国を傾ける危険を冒すような事は万が一にもなさらぬと儂は信じている。しかし、シャサールの代になればそうとは言い切れぬ」


 こんな話をこんな場所でするなんてどうかしている、とアルフォンスは思った。皆が花火に見とれているとは言え、この人出では、いくら声を潜めていても誰が聞き耳を立てているか判らない。今宵は皆、平素とあまりに異なった空気に呑まれてやや理性に欠いているのかも知れない。自分だって、先程一瞬理性を失いかけたばかりだ。

「こんな話は、酒が入った上での雑談という事にしておきましょう」

 アルフォンスが宥めるように言うと、老公は溜息をついた。

「やれやれ、アルフォンス、そなたはそれだけの資質がありながら何と無欲な事か。その力を国政の場で充分に発揮できる地位に就く事もまた忠誠とは思わぬか」

 一晩で二度も同じような事を説かれるとは思っていなかった。一度目は皮肉を込めて王妃から。だが今度のは心からの忠告だ。しかしそれでもアルフォンスは頷けなかった。

「わたしは今の地位で充分です。陛下はいつもわたしの意見をきちんと耳に入れて下さいますから」

「王者の臣に対する信用など、いつどうなるか解らぬものだぞ、アルフォンス。王と言えども人。人は信じたいものを信じるのだ」

 さすが長の年月を宮廷で大過なく過ごした老練の意見であったが、アルフォンスはこれも素直に受け入れ難く感じた。

「エルディス陛下は大器をお持ちの賢王となられます。もしもわたしが退けられる事があれば、それはわたしの方に非があって故と受け入れるしかありません」

 ……ずっと後になって、老公はこの時の会話を何度も思い返し、やり切れぬ重たさを胸に抱く事になる。だがこの時のアルフォンスはその煌めく黄金色の瞳にただ静かな忠誠の光を宿して、王国の明るい未来を見ているようであった。

「判った、儂も少々この宴の熱気にあてられて、色々と普段ならば口にせぬような事を言うてしまったかも知れぬ。どのみち、宰相閣下はまだまだ当分の間その位を誰かにお譲りになられる訳もない」

「そうです、それまでの間にはシャサールも自身の父上からまだまだ色々と学ぶ筈です」

「まぁっ、アルフォンス、あなた本当にそれでいいの?」

 スザナが話の落ち着き先に憤慨したように言ったがアルフォンスは、

「そうであって欲しいと思う。シャサールが改めなければ、我々が彼が間違った方へ行かぬよう手助けすればいいではないか。その為のヴェルサリアの七本柱だろう?」

 と微笑して応える。スザナは呆れたように肩を竦め、それ以上何も言わなかった。言い出したら頑として折れないアルフォンスの気質を昔から知っているから、これ以上の説得は無駄と思ったのだ。


「さて、老人はそろそろ退出するとしようか。さすがに色々とあり過ぎて心身が悲鳴を上げておるわ」

 老公は苦笑いを浮かべて言った。背筋もしゃんとして顔色も良く、自身で言っている程疲れているようには見えないが、宴は朝まで続くのだからきりがないと思っているのだろう。

「色々とありました」

 アルフォンスは老公の言葉をなぞるように呟いた。スザナも真剣な面持ちになる。三人とも、エーリクの事をおもっているのだ。この二人はエーリクの死の理由をどのように想像しているのだろうか、とアルフォンスは疑問に思ったが、それこそ今話す事ではない。

「ヴェルサリアの新しき夜明け……何事も、陛下の最高の門出を邪魔立てする事は出来ません」

「うむ……そうじゃな。そなた達はもう少し宴を楽しんでゆくのだろう?」

「そうですね……」

 本音を言えば、アルフォンスは一刻も早く抜け出して鍵の事を調べたいのだが、まだ少し早すぎる。日付の変わる前である。だが、ホールに戻ってまたシャサールや婦人達に捕まるのも面倒だ。するとスザナがこう言った。

「ねえアルフォンス、ここで踊りましょうよ」

「ここで?」

 庭園の中央の石畳は広く敷き詰められた広場になっており、舞踏音楽もここまで充分に流れてきているので、酔って踊っている者たちは何組かいるが、大貴族が踊るような場所ではない。だが、スザナは日頃から体裁を気にしない性質である。

「いいじゃない。今宵は目出度き夜、細かい事は気にしなくても」

 そう言うと、スザナは半ば強引にアルフォンスの腕を引っ張って少し空いた区画へ進む。アルフォンスはスザナの言うなりについていく形になった。ラングレイ公は笑って二人を見送った。


 花火も一段落したその頃、庭園に出ていた人々は次の見物に沸いた。二人の公爵はやがて興が乗って、束の間でも憂いごとを忘れようと、何曲かをその夜空の下のざわついて埃っぽいステージで踊り、幼馴染みの息の合ったダンスを披露した。アルフォンスの黄金色の髪とスザナの深紅の髪とドレスを、月明かりが精巧な細工物のような陰影を織り上げて浮かび上がらせる。早いテンポでその二色が複雑なステップを難なく踏むと、周囲から陽気な歓声があがる。

 黄金と赤……その色の対比に思いを及ぼす人は、この時にはまだ一人もこの場にいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る